第20話 灯台の光が届くところまで
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ambient音楽を聞いてみましょう。心が落ち着きます。
第20話 灯台の光が届くところまで
ことばの会から一週間が過ぎたある午後、灯台荘の台所はいつものように穏やかだった。
雫はことば帖を机に広げ、新しい頁にゆっくりとペンを走らせていた。
文子さんがお茶を淹れ、真昼はスマホで何かを調べ、蓮は補聴器の電池を交換している。
透は窓際の椅子に座り、外の風の音を聞いているようだった。
「また会、やりたいね」
文子さんが何気なく言った。
雫はペンを止めて顔を上げた。
「また…ですか?」
「うん。小さくでいいから。
前回、来てくれた人たちが『またやってほしい』って言ってくれたのよ」
真昼がすぐにスマホを見せる。
『顔を上げて話す会 第2回』
蓮が笑った。
「名前がまた率直すぎる」
「率直でいいのよ」
文子さんは湯のみを並べながら続けた。
「前回は“ぽつん”や“もじもじ”が出て、みんな少しほっとした顔をして帰っていったわ。
それだけで、十分に意味があったと思うの」
透が静かに加わった。
「僕も、もう一度やりたいです。
今回は、もっと紙を増やして、
“聞こえにくい日”“遠い日”“ふるふるの日”の人も、
最初から想定した会にできたらいいですね」
雫はことば帖の頁を見つめながら、胸の奥が少し温かくなった。
前回の会で、花屋の店主が言ってくれた言葉がまだ耳に残っている。
「立ち止まってた日、あったでしょう。ああ、よかったなって思ったの」
あのとき、雫はうまく返事ができなかった。
でも、今は少し分かる気がする。
立ち止まることも、途中で戻ることも、
それ自体が「生きていく」一つの形なのだと。
数日後、灯台荘の玄関先には新しい紙が貼られた。
灯台荘 ことばとお茶の夕べ 第2回
・顔を上げて話します
・紙もあります
・途中で休んでも大丈夫です
・返事が短くても大丈夫です
・聞こえ方、見え方、気分の波はいろいろあります
・今日は半分でいい日でも大丈夫です
当日の夕方、居間には前回より少し多くの人が集まった。
花屋の店主、八百屋の女性、近所の母親と娘、年配の男性、そして新しく来た二人。
一人は補聴器を付けている若い男性、もう一人は白杖を持った女性だった。
雫は胸が少し高鳴るのを感じた。
でも、今回は「そわそわ」よりも「いちごの日」に近い気持ちだった。
会が始まると、文子さんがいつものように軽やかに言った。
「まずは“今日はどんな日か”を一言でどうぞ。
無理に長く言わなくていいですよ」
最初に手を挙げたのは、前回の年配の男性だった。
「今日は…“つながる”です。
前回の会で“ぽつん”って言ったら、みんなが受け止めてくれた。
それ以来、家に帰っても少し温かかったんです」
娘が元気よく言った。
「わたし、今日は“わくわく”!」
真昼がスマホを見せた。
『みかんの日 少しぴりっと、でも明るい』
蓮は少し照れながら言った。
「俺は“まし”の続きです。
砂嵐じゃないけど、まだ完全じゃない。
でも、今日はここに来られてよかったです」
白杖を持った女性が、静かに言った。
「私は…“遠い”です。
でも、今日はここまで来られたので、少し“近い”に変わりそうです」
その言葉に、透が小さく微笑んだ。
「僕も今日は“近い”です。
皆さんの声が、手元にある感じがします」
雫は最後に、ゆっくりと言った。
「私は“足場”です。
前回の会で、花屋の前で止まることができたように、
今日はこの部屋が足場になっています。
ありがとうございます」
会は静かに、しかし確かに温かく進んでいった。
短い文章をみんなで読み、ことば帖に新しい言葉を書き加え、お茶を飲みながら笑い合った。
途中、補聴器の男性が「聞き取りにくいときはメモでお願いします」と言ったとき、
誰も困った顔をせず、真昼がすぐにホワイトボードを差し出した。
会が終わったあと、帰る人たちが口々に言った。
「また来ます」
「ここなら、途中退席してもいいって思える」
「自分の言葉で話せて、ほっとしました」
最後に残った花屋の店主が、雫に小さく言った。
「灯台荘って、ほんとに灯台みたいね。
遠くからでも、光が少し見える」
雫はうまく言葉が出せなかった。
ただ、深く頭を下げた。
人が帰った後の居間は、湯のみのぬくもりと、お菓子の甘い残り香が残っていた。
雫はことば帖の最後の頁を開いた。
そこに、今日集まった言葉を書き加えていく。
つながる
ぽつんから始まる、誰かとの小さなつながり。
わくわく
小さな期待が胸の中で揺れる感じ。
足場
弱い日でも、ここなら少し安心できる場所。
灯台
遠くからでも、そっと光を届けてくれる存在。
透がそっと近づき、静かに言った。
「雫さん、今日はどんな日でしたか」
雫は少し考えてから、笑って答えた。
「…いちごの日、の続きです。
少し甘くて、少し温かい日」
透も、声だけで微笑んだ。
「よかった」
文子さんが後ろから言った。
「生きていくって、こういうことかもしれないわね。
全部元気な日じゃなくても、
半分でいい日、足場を見つける日、
誰かと少しつながる日を、積み重ねていくこと」
蓮が補聴器を外しながら、ぽつりと言った。
「俺も、砂嵐の日が来ても、
ここに帰ってこれると思うと、少し強くなれた気がします」
真昼がホワイトボードに、最後に一言書いた。
『生きていく』
その文字をみんなで見つめ、静かに頷いた。
灯台荘の夜は、ゆっくりと深くなっていった。
外では、遠くの灯台の光が、ぼんやりと海を照らしている。
見えなくても、聞こえなくても、心に届く光がある。
弱さを抱えたままでも、
恋をし、傷つき、助け合い、笑い合い、
それでも今日を生きていく。
そんな、ごく普通で、かけがえのない暮らしが、
ここに、確かにあった。
生きていくことは、強くなることだけではありません。
“ふるふる”の日も、“遠い”日も、“ぽつん”の日も、
足場を見つけ、半分でいいと言いながら、
誰かと少しずつつながっていくこと。
この物語が、あなたの今日に、
そっと灯台の光のような温もりを届けますように。
どうもありがとうございました。




