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小さな愛が灯る場所  作者: 浮世雲のジュン
✦ 第1章:はじまりの灯り

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第18話 ことば帖の、そっと広がる頁

第18話 ことば帖の、そっと広がる頁

雨が上がった翌朝、灯台荘の台所は少し明るかった。

窓ガラスに残る水滴が、薄い陽を反射している。

雫は昨夜のノート——「灯台荘ことば帖」をテーブルの上に広げ、みんなに見せていた。

「これ、もっと書いてもいいですか?」

文子さんがお茶を淹れながら、目を細めた。

「もちろんよ。

ただのメモじゃなくて、みんなの気持ちの地図になるかもしれないわね」

真昼がすぐにスマホで写メを撮り、ホワイトボードに書く。

『ページ増やそう』

蓮がノートを覗き込みながら笑った。

「俺の『砂嵐の日』が載ってるの、なんか照れくさいですけど…

でも、昨日仕事でまた砂嵐っぽい日が来て、

『あ、これ砂嵐だ』って自分で分かったら、少しだけ落ち着いたんです」

透が白杖を軽く鳴らしながら近づき、静かに言った。

「名前があると、ただの『つらい』から少し距離が取れますね。

僕の『遠い』も、昨日少し使いました。

道が一枚向こうにある日でも、『今日は遠い日なんだ』と思ったら、

無理に手を伸ばさずに済んだので」

雫はペンを握り直した。

「じゃあ、今日も追加していいですか?」

みんなが小さく頷く。

雫は新しい頁の上に、ゆっくりと書いていく。

半分でいい日

全部できなくても、半分だけできたら十分な日。

みんなが「今日は半分でいい」と言える朝。

文子さんがそれを見て、満足そうに笑った。

「これ、いいわね。

私、昨日『しぼむ』だったけど、夜に『半分でいい』って自分に言ったら、

少し張りが戻ってきたのよ」

真昼がホワイトボードに追加で書く。

『落ちる → 半分でいい で、少し止まる』

蓮が補聴器を調整しながら、ぽつりと言った。

「俺、聞き取りが悪いときに『砂嵐の日』って自分で呼べるようになったら、

周りに『今日は砂嵐っぽいので、ゆっくりお願いします』って言えるようになりました。

前はただ我慢してただけなのに」

あかりさんが白杖を壁に立てかけ、静かに加わった。

「私も、駅で『遠い』日があるんです。

白杖の先がいつもより頼りなく感じて、

『今日は遠いから、声をかけてくれると助かります』って、

少しだけ言えるようになってきました」

雫はノートにさらに書き足した。

遠い日(みんな版)

道も、声も、気持ちも、一枚向こうにある日。

でも、名前がついたから、少しだけ待てる。

透が湯のみを両手で包みながら、穏やかに言った。

「生活弱者ファーストとは、

相手の『遠い日』や『砂嵐の日』を、

最初から想定して待ってあげられることなのかもしれませんね。

いきなり『大丈夫?』と触れるのではなく、

『今日は遠いですか?』と声をかける。

それだけで、世界が少し近くなる」

雫はペンを止めて、透の横顔を見た。

「透さん、さっきからすごくいいこと言ってます」

透が小さく笑う。

「ときどき、ですか?」

「今日はいつもです」

そのやりとりに、みんなが静かに笑った。

笑いは、9話の「わらわら」に近い、余白のある笑いだった。

真昼がスマホで新しい言葉を打って見せる。

『親玉の日』

『失敗した形でも、堂々としている日』

蓮が噴き出した。

「それ、たこ焼きの親玉ですね!

あれ、崩れてたけど、意外とおいしかった」

文子さんがおかずを並べながら言う。

「暮らしはね、きれいに丸くならない日が多いのよ。

でも、親玉みたいにちょっと変でも、

みんなで笑って食べられたら、それで十分」

雫はノートに書き加えた。

親玉の日

形は崩れても、なぜかおいしい日。

みんなで笑える失敗の日。

午後、みんなで少し外を歩くことにした。

雨上がりの道は湿っていて、透は白杖の先で丁寧に地面を確かめながら歩く。

雫は透の半歩後ろを歩き、時々「ここ、少し遠いですか?」と声をかけた。

透が立ち止まり、静かに答える。

「今日は少し遠いですが、雫さんの声が近いので、大丈夫です」

その言葉に、雫の胸が温かくなった。

名前をつけた気持ちは、置いていかれにくくなる。

そして、名前を知っている人の声は、少しだけ距離を縮めてくれる。

ベンチに座ったとき、真昼がホワイトボードに書いた。

『ことば帖、続けよう』

蓮が頷き、

「俺、次は『戻る』って言葉を入れたいです。

砂嵐のあとに、少し気持ちがしゃりっと戻ってくる感じ」

雫はノートを開き、みんなの言葉を丁寧に書き写した。

頁は少しずつ厚くなり、

灯台荘の人々の弱さや、ぬくもりや、笑いの地図になっていく。

夕方、台所に戻ると、文子さんが言った。

「この帖、いつか誰かの役に立つといいわね」

透が静かに答えた。

「もう、役に立っていますよ。

今日も、みんなが自分の気持ちに名前をつけられたんですから」

雫はノートを胸に抱きながら、心の中でそっと言葉を置いた。

ほどく。

わらわら。

半分でいい。

雨の日の「にじむ」が、

少しずつ、灯台荘の温かい空気の中でほどけていく。

見えないものに名前をつける。

それは、弱さを抱えたままでも、

自分や誰かを、雑にしないための、

小さな、しかし確かな愛の形だった。

言葉にならない気持ちに、そっと名前をつける。

「にじむ」「遠い」「砂嵐の日」「半分でいい」……

そんな仮の名前が、つらい日を少しだけ持ちやすくしてくれます。

生活弱者ファーストとは、

相手の気持ちの名前を知り、

「今日は遠いですか?」と待ってあげられることなのかもしれません。

この物語が、あなたの心に小さな名前を、

優しく置いていきますように。

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