隠されし過去──友のために振るう力
「……本当に神の使徒の場所が分かるのですか?」
俺はクラウザー教授の研究室の扉を前にして、疑問を口にする。
「お前があの二人の居場所を知ってるってんなら、さっさと教えてくれりゃいい話だろ」
リュートが腕を組んで睨むが、教授は飄々とした態度を崩さない。
「まぁ、焦るな。場所はもう特定できている。ただ、その前に確認しておくべきことがある」
そう言いながら、教授は部屋の中へと招き入れる。中には魔道具が山積みにされ、異様な雰囲気が漂っていた。
「教授、一つ聞いていいか?」
「なんだ?」
「レオンに発信機をつけてたのは、いつからだ?」
俺がそう尋ねると、教授は口元に笑みを浮かべた。
「最初からさ。あいつは力はあるが、突っ走るタイプだろ? 保険はかけておくべきだと思ってな」
「……おいおい、本気かよ」
リュートが呆れたようにため息をつく。
「まぁ、それはともかく——」
教授は机の上の魔道具に手をかざし、光を灯す。次の瞬間、部屋の中央に地図が浮かび上がった。
「二人が連れ去られたのは、この山岳地帯の洞窟だ」
地図上の一点が赤く光る。
「学園から直線距離で20キロほどの距離だが……問題は、そこに結界が張られていることだ」
「結界?」
「あぁ。これはおそらく神の使徒が張ったものだろう。侵入者を拒むだけでなく、内部の魔力を遮断する効果もある」
「つまり、ここからじゃ二人の魔力を探ることはできないってことか」
「その通り。だから、お前たちが直接向かうしかない」
教授はそう言うと、真剣な眼差しを向けてきた。
「私は学園の結界の修復を優先する。向こうの結界を破るのは、お前たちに任せるぞ」
「……ま、どうせ行くつもりだったしな」
リュートは肩をすくめると、すでに行く気満々の様子だった。
「俺たちは、あいつらを助けに行くんだ」
「リュートは本当に仲間想いなんだな変わったな。」
俺はリュートの口調の変化にこの時は気づいていなかった。これが前兆になっていることにはまして……
「うるさい。黙って着いてこい」
「2人とも気をつけて行ってこい」
教授は満足そうに微笑みながら、俺たちを送り出した。
「……霧が濃いな」
山岳地帯に入ると、急に視界が悪くなった。白くゆらめく霧が、まるで意思を持っているかのように辺りを包んでいる。
「これ、ただの霧じゃねぇな」
リュートが低く呟く。
「魔術か?」
「あぁ、どうやら視覚と空間認識を狂わせる系統のものみたいだ」
「……なるほどな」
俺は一歩前に出ると、風の魔力を込めた。
「風よ——」
霧を吹き飛ばそうとしたその時——異変が起こった。
「——っ!」
突如、足元から黒い影が伸び、俺たちを囲むように蠢き出す。
「チッ、待ち伏せか!」
リュートが咄嗟に影を操って防御するが、その動きが妙に鈍い。
「お前の影、さっきから変じゃないか?」
俺が問いかけると、リュートは険しい表情を浮かべた。
「……俺にもよくわからねぇが、最近影の制御がうまくいかないことがある」
「大丈夫かよ」
「問題ねぇ。——とにかく先に進むぞ」
影の罠をかいくぐりながら、俺たちは洞窟の奥へと向かった。
洞窟の奥へ進むと、そこにはオリビアとレオンがいた。
「レオン! オリビア!」
俺の声に反応し、オリビアが顔を上げる。
「フィリアス! それにリュートも……!」
「お前ら、大丈夫か!?」
レオンが縄で縛られながらも叫ぶ。
「なぁ、リュート……少し遅かったんじゃないか?」
その声に応えるように、奥から二つの影が姿を現した。
「ようこそ、客人たちよ」
ローブの男と、女性——神の使徒が俺たちを待ち受けていた。
「……やっと顔を見せたか」
俺は構えを取りながら、相手の出方を伺う。
「焦るな。お前たちには、少しばかり見せたいものがある」
そう言って、ローブの男はリュートを見つめた。
「最初から本気で行くぞ!影の王!」
リュートは影をまとい始めた。しかし影は少しづつ消えていく。
「先程の戦闘で分かったが。お前は影の王などではない。影に囚われ、いずれは喰われる運命だ」
「……ふざけるな」
リュートの影がうねり、攻撃を仕掛けようとする。
だが、その瞬間——
「——ッ!」
リュートの体が僅かに震えた。
「おい、どうした!」
俺が声をかけるが、リュートは唇を噛みしめる。
「クソッ……影が、言うことを聞かねぇ……!」
その言葉と同時に、リュートの影が勝手に動き出し、彼自身を飲み込もうとする。
「……なるほどな」
ローブの男が満足そうに頷く。
「お前は影を支配しているつもりだったのだろう。だが、違う。お前は影に選ばれたのではなく、影に利用されているに過ぎない」
「……ッ!」
リュートが膝をつく。影が彼の足元から這い上がり、彼自身を呑み込もうとしていた。
「リュート!」
俺は駆け寄ろうとするが——
「さて、影に囚われたお前は、これからどうする?」
「俺は……」
リュートの生まれた一族は、代々「影」を操る能力を持つ者たちだった。
影を従え、影に隠れ、影を武器にする。
それはまるで、一族全員が暗闇と契約を交わした存在であるかのようだった。
だが、その中でもリュートは異質だった。
「お前は、生まれながらにして影に選ばれたのだ」
父はそう言い、幼いリュートの肩を叩いた。
影使いの一族の中でも、彼の適性は群を抜いていた。
影は彼の手足のように動き、まるで彼の意思を先回りしているかのようだった。
「すごいな、リュート! お前はもう影を完璧に操れるようになってる!」
兄弟や親族が賞賛の声を上げるたび、リュートは誇らしく思った。
彼の影は自在に形を変え、刃となり、盾となり、敵を絡め取った。
修行を積むほどに、その技は洗練され、誰もが彼を「影の王」と称えるようになった。
だが——
違和感は、いつからだっただろうか。
影を操るたび、体が重くなった。
影を纏うたび、体のどこかが冷たくなった。
影を使うことに興奮を覚える一方で、どこか違和感があった。
「……気のせいか」
リュートはそう自分に言い聞かせ、影の力を使い続けた。
影が彼の手足のように動くことを、誇りに思っていたからだ。
だが、ある日——決定的なことが起こった。
影に呑まれた夜
リュートが15歳になった時、一族に危機が訪れた。
彼らの住む隠れ里が、王国の討伐隊に襲われたのだ。
理由は単純だった。影を操る一族は、王国から「危険な異端」として扱われていた。
闇に紛れ、影に潜み、刺客のように戦うその戦闘術は、あまりにも脅威だったのだ。
「リュート、逃げろ!」
父の叫び声が聞こえた。
同時に、炎が上がる。
影に隠れながら逃げる母と妹。
剣を振るい、討伐隊を食い止める兄たち。
リュートはその場に立ち尽くしていた。
「……ふざけるな」
全身が震えた。
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!!!」
影がざわめく。
「俺の影は——」
彼が手を伸ばすと、影が異様に広がった。
まるで地面そのものが暗黒に染まるように、影は広がり、蠢き、討伐隊を包み込んだ。
「——ッ!?」
討伐隊の兵士たちが、叫びを上げた。
「な、なんだこれは……」
「影が……俺の体に……!」
「やめろ、やめてくれ……!!」
影は兵士たちの足元から這い上がり、彼らの体を飲み込んでいく。
その瞬間——リュートは確信した。
「……俺が、やっているんじゃない?」
影は、リュートの意思で動いていなかった。
影は、勝手に広がっていた。
兵士たちは影に呑まれ、叫びながら消えていく。
リュートが止めようとしても、影は彼の制御を振りほどくように暴れた。
「……違う……俺は、こんなことを……!」
リュートは影を引っ込めようとした。
だが、できなかった。
影は彼の意思に従わなかった。
「お前が支配者のつもりか?」
頭の中に、誰かの声が響いた。
「お前が影を操っている? いや、違うな——」
「お前は影に選ばれたのではない。お前は影に”支配”されているのだ」
「……そんな、こと……あるわけ……」
だが、その声は、真実だった。
リュートは、影に操られていたのだ。
自分の意志で影を使っていると思っていた。だが、実際には影が彼を使っていたのだ。
影を使えば使うほど、体の自由が奪われた。
影が広がるたびに、意識が遠のいた。
そして——
気がついた時、里は壊滅していた。
討伐隊も、一族の者たちも、影に呑まれていた。
「……俺が……?」
リュートの足元には、影の残骸が広がっていた。
そこには、父も、兄も、母も、妹も、いなかった。
影に呑まれたのだ。
「お前が影を使うたびに、影は強くなる」
「そして、影はお前を蝕み続ける」
「……そんなの、認めるわけにはいかねぇ」
リュートは立ち上がり、影を睨みつけた。
「俺は……影の王になるんだ」
影に支配されるのではなく——影を支配する者になる。
だが、その道は容易ではなかった。
影の力を封じるため、一族が残した封印の魔道具を使い、リュートは自身の影を制御しようと試みた。
それはまるで、自分の体を鎖で縛るようなものだった。
「……これで、少しはマシか」
だが、それでも影は完全には消えなかった。
影の囁きは、いつも耳元で聞こえていた。
「お前は影の王にはなれない」
「いずれ、影に喰われる運命だ」
「お前は、俺の一部なのだから」
リュートはその言葉を振り払うように、学園へと向かった。
影を制御するために。
影を支配するために。
「フィリアス……俺は影に支配されてしまっているようだ。」
リュートの声はかすかに震えていた。普段の飄々とした態度は消え去り、そこにいたのは、己の力に怯える一人の戦士だった。
俺はそんなリュートを正面から見つめる。
影を操る力──それがどれほど強大で、そして危険なものなのかは、戦いの中で十分に理解した。
「影に……支配されている?」
俺が問い返すと、リュートはゆっくりと頷いた。
「……ああ。気づいたら、影が勝手に動いていることがあった。最初は単なる誤作動かと思ったが……そうじゃなかった。」
リュートの目が、自分の影をじっと見つめる。
足元に広がる闇は、まるで意思を持つかのように蠢いていた。
「俺が影を操ってるつもりだった。だけど……違った。影が俺を蝕み、飲み込もうとしているんだ。」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
「……いつからそんな風に感じてたんだ?」
「……ずっと前からだ。俺がこの力に目覚めた時から……いや、それ以前からかもしれない。」
リュートは自嘲するように笑う。
「俺の一族は、代々影を操る能力を持っている。でも、その中でも俺は特に適性が高かった。物心ついた頃から、影は俺の意思に応えてくれていた……少なくとも、そう思っていた。」
「思っていた?」
「ああ。でも、それは違ったんだ。俺が影を使うほどに、体が重くなり、意識がぼんやりしていった。最初は単なる魔力の消耗かと思った。でも違う。影は……少しずつ俺を侵食していたんだ。」
リュートの拳がぎゅっと握られる。
「怖かった。けど、誰にも言えなかった。一族の誰もが俺の力を誇りに思ってくれていた。なのに、俺がその力を恐れているなんて言えなかった。」
リュートは目を伏せる。
「だから、気づかないふりをしてた。影が少しずつ俺の中に入り込んでいることを。俺の意思が、影に飲まれていっていることを……。」
「……でも、お前はそれでも戦ってきたんだろ?」
俺の言葉に、リュートがハッと顔を上げる。
「リュート、お前は影を”支配”できるはずだ。」
「……何を根拠に?」
「お前は、影の概念に囚われているだけだ。」
俺はゆっくりと手を伸ばし、リュートの影の上に掌をかざす。
「俺の力は”概念を変える”力だ。なら、影の概念も変えられる。」
リュートが驚いたように俺を見た。
「影の概念を、支配されるものから、支配するものへ変える!」
俺の手から風が吹き、リュートの影に触れる。
影が、一瞬、揺らいだ。
リュートの中に入り込んでいた何かが、引き剥がされるようにうねる。
「──ッ!」
リュートの息が詰まる。
だが、その目には、確かな光が戻っていた。
影は、もう暴走するものではない。
影は、彼を蝕むものではない。
影は──彼自身の力だ。
「……俺は、影の”主”になる。」
リュートが低く、しかし確かな決意を込めて呟いた。
影の概念を変えた瞬間、俺の体にこれまで感じたことのない激痛が走った。
「──ぐっ……!」
膝が砕けるように崩れ落ちる。視界がぐにゃりと歪み、息をするだけで肺が焼けるように痛い。全身の血が逆流するような感覚。まるで、自分の存在そのものが削り取られていくような──。
「フィリアス!?」
リュートの声が遠くで響く。だが、まともに応える余裕はなかった。体が鉛のように重く、指先一つ動かすのも困難だった。
「……これは、今までで……一番……」
代償が──重い。
視界の端が黒く染まっていく。意識を手放しかけたとき、微かに誰かの手が俺の肩を支えた。
「おい、しっかりしろ!」
リュートの声だ。必死に俺の体を支えているのがわかる。
「……俺は……大丈夫……」
言葉に力が入らない。
いや、本当に大丈夫なのか? 体の感覚がどんどん鈍くなっていく。まるで、自分の存在が少しずつ”消えて”いくような──。
「……まずいな……」
これ以上は──本当に”戻れなくなる”かもしれない。
「……リュート……頼む……」
俺はかろうじて意識を繋ぎ止めながら、震える声で言葉を紡いだ。
「……お前が、使徒を……倒してくれ……」
リュートは俺を抱えるように支えながら、じっとこちらを見つめていた。
「……フィリアス、お前……」
拳を握りしめる音が聞こえた。だが、彼はすぐに目を伏せ、深く息を吐く。そして、ゆっくりと俺を地面に横たえた。
「……わかった」
静かで、だが確固たる決意に満ちた声だった。
リュートの足元に、黒い影が渦巻き始める。これまでとは違う。荒れ狂う暴風ではない。まるで静寂そのものが形を持ったかのような、不気味なほどの静けさ。
「……お前がそこまでして俺を助けてくれたんだ」
リュートの目が、闇のように深く沈んでいく。
「だったら、俺も応えないとな」
影が音もなく広がり、リュートの足元から全身へと這い上がる。それはもはや暴走ではない。完全に彼の意志のもとで動いていた。
「……この力は、もう俺のものだ」
静かに言い放つと、リュートの影がまるで生き物のように蠢き、彼の背後に巨大な翼のような形を成した。その姿は、まるで──影そのものを統べる王。
「……フィリアス」
リュートが俺を振り返る。
「もう、迷いはねぇよ」
彼の表情には、これまで見たことがないほどの覚悟が宿っていた。
「今度は……俺が戦う番だ」
影が一気に広がり、リュートの周囲の空間が黒に染まる。
神の使徒が、それをじっと見つめながら、かすかに口元を歪めた。
「……面白い」
次の瞬間、戦場の空気が一変する。
「行くぜ……!」
リュートが影を纏い、一気に神の使徒へと踏み込んだ。




