最終話 明日の夢を見る者
ペーガソス領の中心都市マルカブは、小高い丘の上に建つ伯爵邸を取り囲むように街並みが広がっていた。また、街の中心部には、直径100メートルの円形の闘技場が建っていた。街を囲う城壁は高さ7メートル。それが街の周囲20キロにわたって続いている。街の中心部は平坦ではあるが、屋敷や街の縁辺付近は坂が多く、街の外まで坂が続いていた。
剣士のロイとマリオン、普通の娘にしか見えないウォリディは、朝には街の入り口に立っていた。ホマムの村から、休憩を挟みながらの徒歩移動だった。
「これが、ロイたちの生まれた街なの?」
ウォリディは城壁を見上げながら聞いた。
「そうだ。この身体の生まれ故郷だ」
大きな帽子とマントが特徴の剣士、ロイは答えた。
「心の故郷は別の所だけどな。しかし、ようやくここまで来た」
金髪で、後ろ髪を伸ばして三つ編みにした剣士、マリオンが感慨深げに言った。
今回は、ロイたちは盗賊の討伐隊と行動を共にしていた。彼らは馬に乗っていたが、ホマムの村で捕縛した盗賊団の一味を連れているため、ロイたちと同じ歩みとなっていた。ちなみに、捕縛された一味は全員後ろ手に縛られ、布で猿ぐつわをされ、この街に至る直前には頭に麻の袋を被されていた。一味の中に領主の義理の息子がいたからだ。
ロイは、討伐隊の隊長を務めるファーガソンに対し、
「ファーガソン様。騎士が押しかけたら、ファーリが警戒する。ファーリの目的は俺たちだ。ここは、最初に俺たちが行って警戒を緩めた方が良いだろう」
と提案する。
「待て。今、部下をニコル様への報告に向かわせている。おそらく、こちらへ向かわれることだろう。到着を待ってからの方が良いのではないか?」
「到着するまでどれくらい掛かる? 待っていたら、彼らは逃げるかも知れないし、俺たちの仲間がどんな目に遭っているかも分からない。俺たちだけで行ってくる」
「貴族と事を起こせば無事では済まない。そう言われたのを思い出すのだ」
「それなら、俺たちが入って1時間後に、街に入ってこれば良い」
ロイの代わりにマリオンが言った。
「…分かった。1時間だけ待つ。だが、ニコル様の言ったことを忘れるな」
「それは、ファーリ次第だ」
ロイは答え、マリオンとウォリディと共に城門に向かった。
ロイたち3人は、城門で通行税を払って街の中に入った。ファーリは追っ手の事を忘れてしまったのか。それともチャーリーが彼らを捕まえると考えているのか。どちらにしても、ロイたちは簡単にファーリの屋敷の近くまで行くことができた。屋敷は、石レンガ積みの壁と鉄格子の柵に覆われていた。高さは、3メートルくらいはあるだろう。
「ここはどうする? 正面から堂々と行くか?」
マリオンは屋敷の正門に向かいながらロイに聞いた。
「そうだな。だけど、ジルが無事かどうか確かめたい」
「私がピクシーになって、見てきましょうか?」
ウォリディは言う。ロイは頷いて、
「そうだな。お願いしよう。建物の外から覗くだけでも良い。見つからないように気をつけてくれ」
「ついでだ。中にいる兵士の、大凡の人数が分かれば助かる。数えなくても良いけど、たくさんいるのかどうかくらいは知りたい。俺のペンダントを渡す。これで、マリオンのペンダントを通じて話ができるから、ジルかファーリを見つけたら呼んでくれ」
ロイは、自分の首に掛けていたペンダントをウォリディに差し出した。
「任せて」
ロイとマリオンの要望を受けたウォリディは、突然バク宙したかと思うと、一瞬にして身長15センチくらいの妖精に変身した。人の姿の時に肩に掛けていた鞄も、一瞬にして消えていた。彼女はすぐに空高く飛び上がり、屋敷の敷地内に消えた。
「なあ、彼女。本当にピクシーだったんだな」
「そうだ」
「肩に掛けていた鞄は、一体どこに消えた?」
「俺にも分からない」
マリオンとロイは、ウォリディの飛んでいった空を見上げながら話した。
ウォリディは屋敷の数十メートル上に到着し、ファーリ邸の敷地を眺めた。丘の上にある屋敷の、一番高いところに石造り3階建ての本館があり、正門は本館の南に位置し、間に広い庭があった。正門から入って右手側にも大きな2階建ての建物があるが、どうやら使用人や奴隷が暮らしているようだ。反対の左手側に平屋建ての小さな家があるが、高い屋根に、普通の家の倍以上の大きさがある煙突が付いていて、どうやら錬金術師の実験室として使われているようだ。アルコルの森に住む錬金術師の家と、同じような匂いを感じた。その他、屋敷の裏手には馬車やそれを引く馬が納まっている厩舎がある。
ウォリディは本館の周りを反時計回りに飛び、3階から順番に、外から部屋の様子を伺いながら、下の階へ降りていった。1階まで降りたが、人影はほとんど無い。本館の玄関のすぐ右隣の部屋は客間のようだ。ようやくそこに、ジルの姿を見つけたウォリディは、窓枠の影に隠れて、中の様子を伺った。ジルは1人用の椅子に座っていた。その向かいの長椅子にはファーリが座っていた。部屋の入り口には使用人の女が二人立っている。
ウォリディは、ロイから預かったペンダントを抱えた。人のサイズなら掌に収まる大きさだが、ピクシーでは片腕でも持て余す大きさだ。彼女はペンダントに向けて、
「ジル先生とファーリを見つけたわ。玄関から入って右の部屋。多分、応接室よ」
「ジルは無事か?」
ペンダントからマリオンの声が聞こえた。
「無事よ」
「今から中に入る。見つからないよう気をつけてくれ」
「分かった」
ウォリディは答えると、窓枠に耳を当てて、室内の会話を聞き取ろうとした。
「よく眠れたか?」
「そうね。久し振りにベッドで寝させてもらったわ」
「ひどい目にあった。まさかここまで戻るのに、これほど時間がかかるとは」
ファーリは疲労感といらだちで、椅子に身体を預けるように座り、護身用の短剣を机の上に投げ置いた。彼らが屋敷に着いたのは、昨晩遅くだ。
「馬を無理に走らせたからよ。キタルファで私を降ろしていたら、時間は掛からなかった筈よ」
「そうはいかぬ。今の今までフェルディナンドから連絡がないところを見ると、最悪の事態を考えねばならん。あいつの跡を継いで研究ができるのは、お前しかいない」
「まさか、私にホムンクルスの研究をしろと? 馬鹿も休み休み言うが良いわ」
「本来なら牢屋に入れられるところを、わざわざ客室にしてやったのだ。どういうことか想像が付くだろう」
「奴隷に、奴隷の研究をしろと?」
「嫌だというのか? 追われる心配は無くなり、自分の好きなことをいくらでもできるようになるのだ。悪い話ではないだろう」
ファーリの言葉に、ジルは深いため息をついた。
「それは、仲間を裏切れ、という事ね。やはり私は、あなたとは分かり合えない」
「そうか。一応、考え直す時間はくれてやる。牢屋の中で考えるが良い。時間はあまりやれないが。チャーリーがしくじったときに備えて、守りを固めねば」
ファーリがそう言った時、外で慌ただしい音がした。次いで応接間のドアをノックする音が聞こえた。
「何だ?」
ファーリが聞くと、ドアが開いて、執事の男が入ってきた。
「ルロイと名乗る男が門の前に来ています。マリオンという男も一緒です」
執事が答えた。ファーリは椅子から飛び上がった。
「もう来たのか! チャーリーは何をしている? 兵士は? すぐ動ける奴はどれだけいる?」
「今、屋敷に居ります兵士は5名です。残りは屋敷の外です。チャーリー様はどこにいるか分かりません」
「傭兵は? 斡旋所に依頼を出したのだろう?」
「依頼を出したのは今朝でございます。とても間に合いません」
「絶対に門を開けるな。外にいる兵士を呼び戻せ。わしは……」
ファーリは机の上の短剣を右手で取り、左手でジルの右手首を掴んだ。
「来い」
ファーリはジルの右腕を強引に引っ張った。今のファーリは冷静さを欠いている。刃物も持っているので、逆らうわけにも行かない。ジルは立ち上がるしかない。
「どこへ行くの? 逃げ場はないわ」
「逃げるだと? 奴を迎え撃つ体制を整えるために移動するだけだ」
ファーリは混乱した頭を必死に働かせて、逃げる場所を頭に浮かべようとした。実際には、裏門から外へ出るくらいしか思い当たらない。そんな彼に追い打ちを掛けるように、別の足音が聞こえ、兵士が中に入ってきた。
一方で、ロイとマリオンは相変わらず正門の外にいた。剣で武装した1人の兵士が門番を務めていた。だが、彼は門を開けて戦うという雰囲気ではない。むしろ、戦いを避けるために柵状の鉄の扉を閉め、2人を中に入れないようにしている。門扉自体に鍵はないが、鎖を何重にも巻き、その鎖は頑丈そうな閂式鍵で固定されている。追われていたはずのロイたちとしては、逆に追い払われていることに唖然とした。
追撃の要だったモーリスやベネディクトを失い、戦闘奴隷のほとんどを失い、戦闘奴隷を生み出すフェルディナンドを失った今、ファーリは追う側から、追われる側になったと言えるだろう。ロイたちを迎え撃つには時間が足りないのも分かる。ロイやマリオンはそれを狙っていたのだ。だが、ファーリの屋敷に入れなければ、それも無駄になる。今しかない。
「伯爵は俺たちを探していたのだろう? どうして中に入れようとしない。俺たちが怖いのか?」
マリオンは門番を挑発した。そうすることで門扉が開くことを期待したが、門番は動かなかった。遠巻きに眺めるだけで、決してロイたちに近づこうとはしない。
「俺たちが来たことを、ちゃんとファーリに伝えているのか?」
「今、伝えに行っている。そこで返事を待て」
ようやく門番は答えた。時間稼ぎだろう。迎え撃つ体制を整えるためか、ファーリを逃がすためかは分からないが。その時、ペンダントから声が聞こえた。
「ロイ。今どこ? こっちはおかしな事になっているわ。ファーガソンさんが部屋に入ってきたのよ」
「何?」
ロイとマリオンは互いに顔を見合わせた。何が起きたのか全く分からなかったが、少なくとも、自分たちが一歩出遅れた事だけは間違いない。
「やられた。ファーガソンがいたら、俺たちはファーリに手が出せない」
マリオンが唇を噛みしめた。ロイは門を掴み、
「おい。俺たちの方が先に来たのに、男爵のところの騎士が先に伯爵の所に通されたらしいぞ。早くここを通せ」
「男爵の騎士? そういう話は聞いていない。裏門から入ってきたのか?」
兵士は何も知らないようだ。どちらにしても、すぐに中に入れて貰えそうにない。ロイはハンカチを取り出した。
「俺たちは、王家と多少なりとも縁がある。これがその証だ」
ロイは、ハンカチに刺繍されている紋章を、門の兵士に掲げて見せた。庶民なら王家の紋章がどういうものか知らない者も多いだろうが、貴族あるいはそこに勤める者なら、王家に限らず、貴族の紋章を知っていなければならない。護衛等で王都に行ったときに他家とトラブルが発生したとき、この紋章が相手を知る一番の情報だからだ。
「確かに、これは王家の紋章だ。ファーリ様に意向を伺ってくる」
その場に残っていた唯一の兵士が、事もあろうにその場を離れて屋敷に向かってしまった。
「おい、待て」
マリオンが柵の間から手を伸ばすが、当然兵士を捕らえることは出来なかった。
「仕方がないな」
マリオンは思考を切り替え、右太ももに装着したダガーと言う短剣を抜いて、鎖についている鍵の鍵穴に差した。押したり引いたり、刺す角度を変えたりしながら回していると、ガチャリと音がした。鍵の閂が外れ、鎖がとれた。ロイは門扉に巻かれた鎖を外し、地面に落とした。マリオンは扉を押した。扉は多少金属のこすれた音を立てながら敷地内に動いた。
「不用心な家だ」
マリオンは笑顔で言った。
2人は庭を抜け、本館に近づいた。
「ウォリディ。どこだ?」
ロイは走りながら、ファーリたちを監視しているであろうウォリディに呼び掛けた。部屋の窓の外にいたウォリディは、声に気付いて飛び上がり、玄関前の近くで人の姿に戻った。玄関前で合流した3人は、そのまま正面玄関に着いた。屋敷の入り口には、明らかに伯爵の兵士とは違う騎士が2人立っていた。彼らはロイとマリオンの顔を知っていて、何も言わず中に通した。2人は兵士に案内されて、右手の客間に通された。
部屋の中では、長椅子にファーリが座っていた。その後ろの左右には、ファーガソンとその部下が立っている。そして意外なことに、男爵のニコルが、ファーリと向かい合った1人掛け椅子に座っていた。
「ニコル様? どうしてここに」
マリオンは間の抜けた顔をしながら聞いた。男爵がここにいるとは、全く想像していなかったからだ。
「一晩掛けて馬車を走らせたからだよ。とはいっても、実は君たちが出て行った後、すぐにこの街に向けて出発していたのだ」
「これは恐れ入りました」
ロイは帽子を脱いだ。ニコルの左側の椅子には、ジルが座っていた。ウォリディは思わずジルの左側に跪き、その左手を両手で握った。
「先生。ご無事で」
ジルはウォリディの手を握り返した。ロイとマリオンは安堵の表情を浮かべた。
「間に合ってよかった。一時は本当に心配していたんだ。特にマリオンが」
「俺は、大丈夫だと信じていたぜ。ロイは、早くしないと追いつけないって、泣きそうになっていたけどな」
2人の軽いやり取りに、ジルも顔を綻ばせた。
「あなたたちも無事だったのね。よかった」
「ジルのほうはどうだ? あの親父に何かされなかったか?」
マリオンは、不機嫌帰回りない顔で向かいに座るファーリに目を配りながら聞いた。
「ええ。何もされていないわ」
「わしが自分の奴隷をどう扱おうと、何の問題もないはずだ。むしろ、お前たちはなぜ、わしの屋敷で大きな顔をしているのだ? 無礼ではないか」
ファーリは腕を組み、仰け反るように座りながら言った。
「そういえば、ファーガソン。まだ約束の1時間はたっていないと思うのだが」
ロイは、ファーリの後ろに立つファーガソンに聞いた。ファーガソンは笑い、
「そうだったかな。私が確認したときは、1時間経過していた。ところで、貴殿は時計をお持ちかな?」
と言う。当時は携帯できる時計などは王侯貴族のみが持つほどの高級品で、ロイはおろか、ファーガソンも時計を持っていない。当時の人々が時間を知る方法は、教会の鐘の音だった。
「いや、持っていない」
ロイは答えた。ファーガソンが1時間待たなかったのは明白だが、それを証明する手立てはない。逆に彼が時間を守った証拠もないのだが、それを言い始めれば水掛け論になる。
「わしを無視するのか? 戦闘奴隷のくせに」
ファーリはロイを指さし、言った。ロイはファーリを睨み返し、
「俺たちを追い回していたくせに、いざ俺たちがここに到着したら、今度は逃げるのか?」
「逃げるとは人聞きの悪い。お前たちを迎える準備がまだできていないだけだ。それに、余計な客を連れてきおって」
ファーリは、ニコルを顎で指す。
「それは申し訳なかったな。もう少し早く着きたかったが、途中で邪魔が入った」
ロイは答えた。
「チャーリーはどうした? お前たちを迎えに行かせたはずだが」
「俺にそっくりな奴のことか? そいつなら…」
「閣下。その事について、私から話があります」
第三者であるはずのニコルが、ロイの言葉を遮るように右手を挙げながら会話に入ってきた。
「ニコル様。もう少し、俺たちに時間をくれ」
ロイはファーリを睨みつつ、ニコルに懇願した。しかし、ニコルは首を横に振った。
「この前、私が言っただろう。貴殿らが貴族に盾突くことは許されないのだ。ここは、貴族である私に任せて貰おう」
「だが、俺たちとファーリ卿との間の問題は解決していない」
「その問題は、すぐに終わる。直接手を下せない悔しさは残るだろうが、2度と追われることはないはずだ」
「男爵。こいつらはわしの所から逃げ出した戦闘奴隷だ。この者たちを捕らえてくれて感謝する。こいつらは、奴隷だというのに、主人のわしに楯突くなど言語道断。お前たちは大人しくわしに捕まるしかないのだ」
ファーリの態度は、相手が男爵家の騎士であっても変わらない。
「閣下。何か勘違いをされているようですが、我々は別に、この者たちを捕らえたわけではありません。それと、先ほど名前の出たチャーリーという男は、閣下の身内ですか?」
「そうだ。それがどうかしたのか?」
「実は、確認頂きたいことがありまして」
ニコルはそう言うと、部屋のドアの前にいる騎士に向けて右手を挙げた。合図を受けた騎士は小さく頷き、ドアを開けて外の誰かと話した。その後、2人の兵士と、その2人に両脇を抱えられた男が部屋に入ってきた。その男の頭には袋が被せられていた。ファーガソンはファーリの後ろから移動し、捕縛した男の前に立った。
「この者は昨晩、近くの村を襲った盗賊のリーダーのようです」
ニコルに代わってファーガソンが説明した。
「盗賊?」
「閣下の領地で発生した事件でしたが、たまたま、王命で盗賊討伐のために我々が近くにいたため、男爵配下の我々が捕縛しました。この者です」
ファーガソンは、男の麻袋を外した。下から現れたのは、ロイにそっくりだが、かなり若い男だ。突然チャーリーが、しかも罪人の扱いで出てきた事に、ファーリは思わず立ち上がり、言葉を失った。
「な、何故?」
「そう。なぜだか分かりませんが、この男は閣下の養子と名乗っています。しかし、エニフの街で商家を襲った際には似顔絵の手配書が出回っており、ホマムの村では現行犯で捕らえましたので、盗賊であることは間違いありません」
「本当に……チャーリーは盗賊団に加わっていたのか?」
「はい。それにしても、かつて閣下の三男を名乗っていたチャールズという男と同じ盗賊団に加わっていたのです。これは偶然でしょうか?」
「何が言いたい? チャールズは、確かに盗賊の一味だった。それは今更覆しようがない。だが、チャーリーは、チャーリーは……チャールズとは違う。違うはずだ。そう誓ったのだ」
ファーリはうなだれ、首を横に振りながら言う。マリオンは、チャーリーの顔を見て、
「ロイと同じ顔の奴が、何人もいてたまるものか。こいつは、ロイと同じ素を使ったホムンクルスだろう? それだけじゃない。こいつは、本当はチャールズだろう?」
と言った。ファーリは顔を上げた。
「何?」
「こいつの顔は、昔のロイだ。その身体も。同じ素から作られたホムンクルスなら、納得がいく。だが、魂はチャールズだ。盗賊に成り果てたとは言え、最後の実子だ。せめて魂だけでも救おうとしたのだろう」
マリオンが言う。ファーガソンは首を傾げ、
「待ってくれ。チャールズといえば、去年に盗賊の首領として処刑されている。この男は、死んだ男だというのか?」
「それについては、私から答えましょう」
ジルが姿勢を正した。宮廷魔道士を務めている彼女は、事件のことも知っていた。
「ファーリ卿がホムンクルスの研究をしていたのはご存じでしょう。その他に、死んだ者の魂を身体に移す研究もしていました。正確には、伯爵お抱えの魔道士フェルディナンドの研究です。もちろん、死んでから時間のたった死者の魂を蘇らせるのは無理ですが、死んですぐの状態であれば、肉体さえあれば、そこに移すことができたのです。身体と魂の二つが揃っていたら、蘇生という事も可能です」
「何と恐ろしい研究だ。神をも恐れぬ所業だ。それで閣下は、処刑された自分の息子の魂を、チャーリーの身体に移したというのか?」
ファーガソンはロイたちに聞いた。ロイは頷き、
「ファーリの養子になったばかりで、チャールズの率いていた盗賊の後釜に入ったのだ。赤の他人では、簡単には行かない。チャールズが死を偽装したのでなければ、チャールズの記憶を持った者が新たな身体を得た、ということだ。ちょうどどちらも、ファーリ卿の下で研究が行われていたのだから、実行は可能だ」
「閣下。罪人として処刑された者が、新たな身体を得て蘇る。これは法律を蔑ろにする行為であり、神を冒涜する行為でもあります。少なくとも、国王陛下へ何らかの申し開きが必要でしょう。そうでなくとも、あなたには宮廷魔道士誘拐の疑いもある。どうやら私は、あなたを拘束しなければならないようだ」
ニコルは両腕を組み、椅子に背中を預けた。
「何を言う。ジルはわしの所の奴隷だ。チャーリーの件は、何かの間違いだ。お前たちの陰謀に決まっている」
ファーリは抗弁する。
「ジル・クリスティ殿の昔は知りませぬが、今は国王陛下に仕える身。そしてチャーリー殿については、ファーガソンが現行犯で捕らえており、疑う余地はありません。それと、お忘れになっているようですが、我々は、盗賊討伐の命を国王陛下より直接受けております。つまり、盗賊討伐に関しては、私の言葉は陛下の言葉と同じ。さらに、その過程で宮廷魔道士誘拐も発覚しました。従って、私はあなたを拘束します」
「何だと! 何の権限があってそのような事を」
ファーリは怒りで顔を紅潮させ、顔の前で両手を震わせた。ニコルは顔色一つ変えず、
「今、申し上げた通りです。閣下。もちろん、此度の一件につきましては、陛下の判断を仰いでおります。今朝、使者を送りましたので、数日の内に沙汰が参りましょう。それまでは、私や、同じく陛下の指示を受けましたアクアリウス卿に従って貰います。アクアリウス卿も明日には到着されることでしょう」
と答える。アクアリウス卿は、ペーガソス領の南勢に隣接する侯爵領の領主だ。男爵だけでなく侯爵も駆けつけるとあれば、ファーリに打つ手はない。
「何のためにお前を蘇らせたと思っているのだ! もう2度と盗賊稼業には戻らないと誓ったではないか。お前を助けるのに、どれだけ危険を冒したと思っている。お前のせいで、我が伯爵家はお終いだ」
ファーリは、怒りの矛先をチャーリーに向けた。ファーガソンがその肩を抑えなければ、殴りかかっていたことだろう。マリオンは腕を組み、チャーリーに歩み寄った。
「折角拾った命なのに、無駄にしちまったな。そもそもチャールズは何で盗賊になった? 領主の息子なら、何もしなくてもそれなりに生きていけただろう。おまけにエニフの街も、ホマムの村も、お前の親父の領地じゃないか」
マリオンは聞いた。それは、前世での振る舞いについても尋ねる内容だ。
「これは親父への、俺なりの復讐だ。三男として生まれ、何をするにしても2人の兄と比較され、放置され、邪険に扱われた。なのに、兄貴が死んだら、今度は跡取りとしてしっかりしろ、だと言いやがる。今までそんな教育などしたことがなかったのに」
「盗賊になったのは、兄貴たちが死んだ後か? 前か?」
マリオンはさらに質問した。
「前だ。もし、こうなることが分かっていたら、もう少しまともな人生を送っていたかも」
「どうだろうな。人間、死んだってなかなか変わらないものだぜ」
マリオンは、チャーリーの左肩を軽くたたいた。
「ファーガソン。閣下とチャーリーを、屋敷内の別々の部屋に幽閉しろ。24時間監視を付け、閣下の身内や使用人と接触を禁止する」
「心得ております」
ニコルの指示を受けたファーガソンとその部下は、伯爵とチャーリーを連れて部屋を出た。
「二コル様。私たちの事情はお聞きのことと思います。私たちは、伯爵に安らかな眠りを妨げられ、同意もなく強制的に戦闘奴隷とされ、命の危険を感じて逃げました。彼は、逃げた私たちを許さず、追手を差し向けてきました。この10年、私たちに心休まる時はありませんでした。私たちとしては、是非とも彼に一矢報いたいと願っております」
ジルは、取り押さえられているファーリを見て、二コルに願い出た。二コルは首を横に振り、
「ジル・クリスティ殿。あなたなら準貴族として、伯爵を告発することも可能だ。しかし、そこの3人にも話したが、復讐はお勧めしない。何故なら、伯爵は1度ならず2度までも身内から盗賊を出した。前回は貴族の体裁を守るために、陛下の計らいで伯爵の身内であることを隠したが、2度目はない。当然、伯爵も責任を問われることになり、少なくとも身分の剥奪はある。直接的ではないにしろ、君たちの目的は果たされたと言えよう」
「奴は……ファーリは貴族じゃなくなるのだろう? それなら、俺たちと同じ身分になるのだな?」
ロイは聞いた。
「そうだ。しかし、それを決定するのは貴族院だ。それも、おそらく何年もかかる」
貴族院は、貴族で構成される議会であり、国王の補佐をし、時には貴族に関する裁判も行った。この当時はまだ貴族の発言権は貴族院を通じて強かったが、国王の権力が強くなるにつれて、貴族院の存在は形骸化していく。それはこの先の話だ。
「では、それまで俺たちに待てと?」
「だから、復讐は勧めないと言っている。むしろ、この男のために時間を無駄にすることはなかろう。もう、君たちは自由なのだ。ここで行われていた研究の事は、私には分からんし、君たちの正体を詮索する事もない。それで手を打たないか?」
ロイとマリオン、ジルは互いの顔を見合わせた。10年分の思いを簡単に捨て去る事はできなかった。だが、ファーリの身柄はニコルの手の中にあり、それは国王に委ねられたことを意味する。3人には手出しできない状況となったし、ジルは国王の下で宮廷魔道士を務めている。ニコルの言うとおり、ファーリのことは諦めるしかないのが事実だ。ロイやマリオンは、両手をきつく握りしめた。マリオンとロイは、ジルに対して首を小さく縦に振った。
「承知……しました」
3人を代表してジルが、唇を噛みしめながら言った。10年の恨みを晴らせなかった悔しさが、3人の表情を暗くした。だが、ウォリディは逆だ。立ち上がり、ロイの首に抱きついた。
「よかった。これで、復讐とか怖いことはしなくて済むのね」
抱きつかれたロイは何も答えず、二コルやマリオン、ジルの顔を見た。その通りだと言えばマリオンやジルに、違うと言えば二コルに睨まれることだろう。ここで答えるのは得策ではない。
「ウォリディ。離れてくれ。人目がある」
ロイはかろうじて言った。ウォリディは、改めて周囲の目に気付いて、顔をわずかに赤くしながら慌ててロイから離れた。二コルは笑顔になった。
「辛い決断だろうが、理解して貰えて何よりだ。何より、君のことを思ってくれているその娘がいるのだ。大切にするのだぞ。その代わりに君たちの希望を、1つだけ聞き入れよう。もちろん、ファーリ卿やチャーリーの命は駄目だ」
「分かっております。私は宮廷魔道士として、伯爵の研究室で行われていたことを調査するべきだと思っております。出来れば、今からでも国王陛下に、調査団の派遣を依頼したいのですが」
「それなら、問題なかろう」
「ありがとうございます」
ジルは深々と頭を下げた。仰々しく、しかし表情は硬かった。
その日の午後。ロイとウォリディは、ファーリの屋敷の正門に立っていた。マリオンとジルもいたが、この2人は敷地内にいる。また、ファーガソンの部下である騎士が2人いたが、彼らは門の警備のために配置されている。決してロイたちを監視するためではない。
「10年の復讐がこんな形で終わるとは。何だかやりきれないな」
マリオンは地面を蹴った。
「そうだな。この気持ちを一体、誰にぶつければ良いのか」
ロイも、右手で作った拳を左手で何度も受け止める。
「だけど、考え方次第では、私たちの復讐は成し遂げられたわ。ファーリは没落。研究はもう行われない。ホムンクルスの研究自体は残るでしょうけど、戦闘奴隷としては扱われない」
ジルの表情はすぐれない。彼女も心の底では納得していないのだ。しかし、男爵の言葉にも一理ある。何より、復讐を止めると、彼に約束をしてしまった。
「いっその事、ファーリが平民に落ちるまで待つか?」
マリオンは言った。
「いえ。きっと難しいわ。平民に落ちても、監視がつくことでしょう。そこで私たちが彼を殺したとしたら、今度はこちらが殺人者扱いされる。そうでなくても、彼は国王陛下に反乱を企てた罪で処刑されるかも知れない」
ジルは答えた。ウォリディを除く誰もが深いため息をついた。
「ここに、どれくらい残るつもりだ?」
ロイは話題を変えた。
「調査団が来て、ここを調査し終わるまでだから、1週間くらいかしら。その前に、私たちが見て、危なそうなものは隠させてもらうけど」
「俺も残って、ジルを王都に送り届けるよ。その後は、そこで考える。前世で過ごした国に帰っても良いな。お前は?」
ジルとマリオンは答えた。マリオンに聞き返されたロイは、
「俺は、約束を果たしてくる」
「リディアの所か? やめておけ。彼女、お前を殺す気だぞ」
マリオンは険しい表情をした。
「だが、戻ると約束した」
「駄目よ、ロイ。男爵様も言っていたじゃない。あなたは自由なんだって」
ウォリディもロイの右腕を掴んで説得しようとする。
「リディアのことは、伯爵のこととは別だ。彼女は、俺に復讐する権利がある。俺たちがファーリにしようとしていたことと同じだ。それなのに、俺が逃げたら不公平だ」
「それは、そうかも知れない。けれど、あなたもリディアさんも、恐ろしい考えに染まっているわ。1度冷静になって話し合うべきだわ」
「それならば、話し合いに行くことにしよう」
ロイは頑なだった。マリオンはウォリディの肩をポンと叩いた。
「こいつは頑固者だ。1度言い出したら、聞く耳を持たない。だから、お嬢さんには苦労を掛けるが、こいつのことを頼む」
「任せて下さい。彼を守って見せます」
ウォリディは胸を張って答える。
「さすがは、前世でのロイの主人だ」
「ロイはそう言っていますけど、私には記憶が無いので、分かりません」
マリオンとウォリディの会話を聞いていたジルは、手持ちの鞄の中から小さな黒いポーチを取り出した。
「思い出したわ。これを渡そうと思っていたの」
ウォリディはポーチを受け取った。中からは、直径1センチほどの透明な水晶玉が出てきた。
「これは?」
「あなたの記憶を強制的に蘇らせる術を施した水晶玉を用意したの。使い方は簡単。この石を飲み込むの。ただし、記憶は戻るけど、記憶を失う前の人生と、失ってからの人生がぶつかることになるから、精神が崩壊してしまう危険があるわ。だから、私は強制しないけれど、前にあなたが望んでいたから、渡しておく」
「精神がどうかなる前に、喉に詰まらせてしまうのでは?」
ロイは石の大きさを見て、首を傾げた。渡された当の本人は、一瞬は魅力的に思えたが危険が伴うアイテムを渡されて、戸惑うしかない。
「そうね。それだけ、勇気の要ることなの。興味本位で使ってはいけないわ。使うときは、死を覚悟するくらいで」
「いや、そいつは本当に死んでしまうぞ。もっと小さく出来なかったのか? あるいは、叩き割るとか、別の使い方を考えるとか」
「それはごもっともだけど、手持ちの材料ですぐに出来たのが、その水晶なの」
「ロイ。心配してくれるのはありがたいけど、使うかどうかは私が決めるわ。ありがたく頂戴致します。それから…」
ウォリディも何かを思い出し、受け取ったポーチを自分の鞄に入れ、代わりに本を取り出した。茶色の皮で表装された本はかなり古く、紙は端の部分が少し荒れているが、読むのに支障は無い。
「フェルディナンドが持っていた本ですけど、これはどうしましょうか?」
ジルは本を受け取り、ページをいくつかめくった。
「これは、心の書ね。もしかすると初版かも」
「それは、特別なものなのか?」
マリオンは聞いた。ジルは少し声がうわずっていた。
「ええ。初版本は、読者が簡単に実践できるように魔力が込められているのよ。これが本物なら、大発見だわ」
「初版本だと、何かあるのか?」
「初版本にはね、特別に魔力が込められているのよ。この本を読んだ人が、お試しで実行できるように」
「そりゃまた、危険だな」
「もちろん、おいそれと動かないようにする仕組みがあって、本の持ち主として契約をしないと、魔法は発動しない筈よ」
「じゃあ、今の契約者はフェルディナンドか。奴が死んだ場合は、どうなる?」
「彼じゃないかも知れない。彼なら、自分の魔力で発動できると思うから」
「そんな危ない本なら、先生に」
ウォリディはそう言ったが、ジルは本を閉じてウォリディに差し出した。ジルは手を止め、息を吐いて本を閉じた。
「いえ。これはあなたが持っていた方が良いわ。私も心の書は持っているし、私の持っている新装版は、中身が洗練されているの。そうね。あなたの森の長老様に渡してはどうかしら? あなたの身体を作った人なら、何か良い案を出してくれるかも。私が持って行っても良いけれど。アルコルの森はどこにあるのかしら?」
「アルサマヨル公爵領ミザールの街の南です」
「ちょっと遠いわね。やはり、あなたが持っていた方が良いわ。でも、いつかはアルコルの長老様に会ってみたいわ」
「先生がそうしろというのなら、そうします。先生なら、長老様も会ってくれると思います」
ジルが差し戻した本を受け取ったウォリディは、自分の鞄にそれを戻した。
「王宮の図書館に寄贈したらどうだ?」
ロイは聞いたが、ジルは首を横に振った。
「それこそ危険だわ。誰かが持ち出して使ったら、私たちや、今回の事件のようなことが起きるかも知れない」
「そうか」
ロイは帽子を被りなおした。ジルとウォリディは別れの抱擁をした。
「じゃあ、またいつか、どこかで会おう」
「ああ。またな」
ロイたちは、それぞれの道へ歩き始めた。
マルカブの街を出たのは昼過ぎ。ホマムの村までは3時間の距離だ。ロイとウォリディは再び2人で旅を続けることになった。それは、まもなく終わるかも知れない。
ホマムの村には、ロイに父を殺されたリディアがいる。彼女との対話次第では、ロイは命を差し出すことになるかも知れない。それも仕方の無いことだと、ロイは思っていた。ロイは、自分の永遠の眠りを邪魔された怒りのあまり、1人の男を斬った。その事情は、男の家族には関係ない。家族から見れば、ロイこそ怒りの対象だ。だが、もしロイがリディアの手で死んだ場合、今度はウォリディがリディアを恨み、仇を討とうとするだろうか。だとすれば、この連鎖はどこまで続くのか。罪を憎んで人を憎まず、というのは簡単ではない。
ホマムの村に着いたのは、夕暮れだった。フォークナー家は、村の東にあった。低い石垣で囲まれた家は、物音一つしない静かな空間だった。長い間住む人がいなかったせいか、細かく見れば修理を必要とする家だ。だが、数日なら今の状態でも過ごせるだろう。今は、リディアがいるはずだ。
家の前に立ったロイは、ドアを叩いた。反応がなく、もう1度叩いたが、やはり何も起きない。ロイは静かにドアを開け、家に入った。左手は剣に添えられていた。ウォリディは背後を気にしながら後に続いた。全ての部屋を見て回り、家の外も見て回ったが、リディアの姿はなかった。
「リディアさん、いないわね。どこへ行ったのかしら?」
「どこだろうか。俺が戻ってこないと思って、どこかへ行ってしまったのだろうか」
「それなら、ロイを追ってマルカブに向かうでしょう。どこかですれ違ったのかしら?」
「可能性はある。しかし、戻ると言ったのに、信用されなかったのか」
「ものは考えようよ。私たちは約束を果たした。リディアさんがここにいないのは、彼女の都合。それなら、ここから先は私たちの自由にして良いじゃない? 私たちが戻ってきた証拠を残しておけば、約束を守ったことは伝わると思う」
ウォリディの言うことに、ロイは黙って頷いた。彼女の言うとおり、彼は約束を果たしに来た。だが、リディアが留守だったから仇討ちが帳消しになるとは、誰も考えないだろう。しかし、家主がいない以上、ここで待つわけにもいかない。ロイは家を出て、庭に落ちていた小枝を拾って戻った。そして、何ものっていないテーブルの上にそれを置いた。
「うん。それで私たちが来たことが伝わるのじゃないかしら」
ウォリディは言った。しかし、ロイは何も答えずに家の外に出た。ウォリディも慌てて続いた。敷地を出て、鍬を肩に担いだ通りすがりの村人を見つけて声を掛けた。
「聞きたいことがある。このあたりで女の剣士を見かけなかったか?」
「女剣士? 覚えがないな。そういえば、このあたりで久し振りにベネディクトを見たな」
「ベネディクト? 騎士の?」
「そうだ。知り合いか? あいつはこの村の生まれで、そこのフォークナー家で剣を学んでいたんだ。懐かしかったのだろう。領主様の命令でどこかへ行っていたようだが、それにしても、何があったのか、ずいぶんと変わってしまったようだ。俺のことを忘れたのか、呼びかけても無反応だった」
「ベネディクトは、今も村に?」
「さあね。俺は畑に行っていたから。見かけたのは朝だよ。その後のことは知らない」
話を聞いたロイは、礼を述べて村人と別れた。しかし彼は、すぐに村の中心部に向かって歩き出した。ウォリディはただ着いていくことしか出来なかった。ロイは村の中心部、といっても家が多くなった場所だが、そこで別の男に話しかけた。
「ここを男女の剣士が通らなかったか? 1人はベネディクトという男だ」
「ああ。ベネディクトなら、南西の方へ行ったよ。確かに女連れだった」
「その女は剣士か?」
「そうだ。そういえば、リチャードの所の娘に似ていたな。そう、リディアだ。だとしたら、いつの間に戻ってきたのだろう」
「いつ頃の話だ」
「昼頃だ」
「南西だな? ありがとう」
ロイは男に礼を述べて、すぐに歩き出した。ウォリディはまた着いていく。
「ロイ。もしかして、後を追うの?」
ウォリディはロイの後を追いながら、確認のために聞いた。
「そうだ。どうやら、ビハムという村に向かっているようだ」
「追いかけて、どうするの? 私たちは約束通りに戻ってきたのに、リディアさんの方がどこかへ行っちゃったのよ。彼女はもう、復讐を止めたのじゃない?」
「いや。ベネディクトが連れ出したに違いない。目的は分からないが、まだ追いつける」
ロイは言いながら、村の外へ出た。その彼の顔前に、ピクシー姿のウォリディが現れた。彼女は器用にも、後ろ向きに飛んで彼の歩調に合わせていた。
「男爵様が言っていたでしょう? あなたはもう自由なのよ。過去のことは忘れて、自分のために生きてみたらどうなの」
「リディアの思いはどうなる? 彼女の復讐心は、そのまま残ってしまう」
「でも、いなくなったのは彼女の方よ」
「彼女の意思ではないかも知れない。それに、ベネディクトのことが気になる」
「まさか、彼と戦うつもり? あなたと彼には、何か因縁めいたものがあるようね」
「そうだな。1度倒した奴だが、蘇ったあいつは、別の男だ。しかし、何か気になる」
「気になるって?」
「何となく、だ。あいつを放っておくことが出来ない。そんな気がする」
ロイは答えた。ウォリディは顎に右手を置いた後、ふと消えた。その代わり、帽子が前に傾いた。どうやら、帽子の上に乗ったらしい。
「そうね。私も、あの人のことは気になったの。何だか普通じゃない、このままにしておいてはいけない気がして」
どうやらウォリディも、ベネディクトを追うことに同意したようだ。
ペーガソス領で、ホマムの隣にあるビハムという村に着いた頃には、夜になっていた。村は、それまでのどの村よりも活気があり、村の広場では笛や太鼓の音が聞こえ、男女がペアになってダンスを踊り、肉を焼いた匂いが立ちこめ、多くの人が出てきていた。
「これは、祭りね。春の祭り。森でもやっていたわ」
相変わらずロイの帽子の上に乗っているピクシーが言った。
「そうだな」
ロイは、祭りには興味がなさそうだ。相変わらず、男女の剣士のことを聞いて回っている。村では剣士の数は少なく、男女ということであればほとんどいないはずだ。だが、2人の情報は入ってこなかった。昔のベネディクトはリディアを慕っていたし、彼女を傷つけることはない。だが、今のベネディクトはどうだろう。信用ならない存在なのは確かだ。とはいえ、
「俺が救えるはずもない。そう思うのは、傲慢だ」
ロイは呟いた。ふと、帽子が軽くなった。そして、マントの下にあった左腕に誰かが抱きついた。人間のサイズに戻ったウォリディだ。
「誰でもダンスに参加できるみたいね。どうする?」
「どうと言われても、俺は踊ったことがない」
ロイは、踊っている人々を眺めながら答えた。
「私も、この村の踊りは知らないけど、正しく踊ろうとせずに、見様見真似で踊れば良いのよ。楽しむのが目的だもの」
「しかし…」
「もう。そっちに行きましょう。さあ、両手を取って」
ウォリディはロイの左手を引いて、踊りの輪の片隅に入った。ロイは、ダンスの邪魔にならないように、左腰の剣を背中に動かした。
2人のダンスはぎこちなかった。周りの男女の動きを見ながら、真似をしようとする。ステップは左右間違えるし、手の振り方も硬い。先日、王宮で催されたパーティーでのダンスは優雅で、人によっては激しいものだったが、そこで踊っていた貴族は皆、かなりの時間を掛けて練習をしているそうだ。それに比べれば、今の踊りは短い踊りを何度か繰り返すもので、2人のダンスもかろうじて形になっていく。
「どう? 意外と踊れるでしょう」
「そうだな」
「前世ではどうだったのかしら?」
「覚えがないな。踊ったとしても、多分、盆踊りだったと思う」
「その……織衣姫さんとは、踊ったの?」
ウォリディに聞かれると、ロイは急に身体が硬くなり、やや上ずった声を出した。
「いや、姫と踊るなど、畏れ多い」
「ステップが硬くなってる」
ウォリディは半笑いで言った。
「申し訳ない」
「ロイ。輝に戻っている。今世の私たちは対等よ。主従関係に囚われる必要は無いわ」
「そうだった。しかし、1度意識してしまうと、難しい」
「ロイはここから、自分が奴隷だったことも、室井輝政だった頃のことも忘れて、新しい人生を始めれば良いのよ」
「姫は怖くないのですか? 過去の記憶が無くても」
ロイは、輝政に戻っていた。
「…怖いわ。怖いけど、どうしようもないし。それに、記憶が無くても、今の私は幸せよ。きっと、前世と全く関係の無い生き方をしているからだと思う」
「それに、エフライム殿に救われた。それが某との違いでしょう」
「そうかも知れない。ジル先生には悪いけど、私には、記憶を取り戻す水晶玉は必要ないわ。私には、過去を振り返る必要はないから」
ウォリディは踊りながら、続けた。
「私にはね、夢があるの。前世がお姫様だったら、きっと、自分の好きなことはできず、親の決めたとおりに生き、親の決めた人と結婚して、もしかしたら捨てられてしまうかも知れない。でも、今の私はただのウォリディ。生きていくのは大変でしょうけど、全て自分で決められる。織衣姫から見たら、まるで夢のようでしょうね」
「安心しました。あの水晶玉を使ったら、姫様が姫様でなくなってしまう。それが心配だったのです」
「ロイ。そろそろ戻って。輝になっているわ」
「そうでした……だった」
ロイは言い直した。
「ねえ。あなたの夢は?」
「さあ。俺は傭兵の生き方しか知らない。今を必死に生きて、明日のことは考えない生き方をしてきた」
曲が終わり、2人は動きを止めた。2人は手を放し、右手を胸に、左足を引いてお辞儀をする。
「楽しかった。ロイは」
「何とも言えない気分だ」
そう答えルロイだが、顔はまんざらでもないようだ。
「さあ、お祭りはまだ続いているわ。お腹が空いたから、何か食べましょう」
ウォリディはロイの右手を引いて、肉を串に刺して焼いている店に向かった。
祭りで賑わっていたビハムの村だが、遅い時間に到着したロイたちは宿を確保できなかった。そのため、2人は村の外れで野宿をすることにした。野宿に選んだ場所では、同じように野宿をする人々がいた。同じように宿が取れなかった者や、金の節約であえて宿を取らなかった者、理由はそれぞれだろう。ロイは、適当な木を背に座り、小さな火を起こして眠った。カットラスを腰から外して左肩に掛け、マントを防寒具の代わりにしていた。帽子は右の傍らでひっくり返っている。実は、ピクシーのウォリディが防寒のため、帽子の中に入って寝ているのだ。ロイはその上にハンカチを掛けていたが、彼女はその中に潜ってしまっている。
たき火の反対側に立つ者がいた。ロイはカットラスを膝の上に置いた。相手がベネディクトだと分かったからだ。
「ルロイだな。この間はよくもやってくれたな。この前の娘はどこだ?」
「そっちこそ、リディアはどうした?」
ロイは周囲を見渡したが、リディアの姿はない。また、ウォリディのことを気付かれるわけにも行かない。
「女は向こうにいる。今のところは、無事だ。娘はどこだ?」
「森へ帰ったのだろう」
「適当なことを。あの娘は、わしが国へ帰るための手掛かりだ」
「お前の帰るべき所へは、俺が案内してやる」
ロイは立ち上がった。左手には鞘に入ったカットラスが握られている。
「その剣は太刀に似ているな。どこで手に入れた」
「鍛治屋だ。お気に入りの店だから、お前には教えない」
「まあ、良い。そいつを貰えば良いのだから」
そう言いながら、ベネディクトは右手でロングソードを抜こうとする。その刹那、ロイは逆手でカットラスを鞘ごと抜き、振り上げた。鞘が顔の前を掠めたベネディクトは、1歩下がった。ロイは振り上げた剣を順手に持ち直し、1歩前に出てベネディクトの左肩に振り下ろした。実際には寸止めで、そっと肩に触れただけだ。刃物沙汰が起きていても、周囲で特に動きは無い。寝ている者が多いのだろう。あるいは、関わり合いになるのを避けているのか。しかし、人目の多い中で殺しは問題がある。いくら当時の捜査技術が低いからと言っても、目撃者が多くては、捕まる可能性が高い。
「これは……ルロイ……ろい」
「命のある内に、どこかへ消え失せろ。俺たちに2度とつきまとうな。ついでに、リディアを村に帰してやれ」
「無理だ。わしには隷属魔法が掛けられている。お前を殺すか、捕まえなければ解放されない。あの女はお前を追うのに必要だったが、ここで目的を果たせれば、解放してやる」
「この状況で、それが言えるのか。ひと思いにやっても良いんだぜ」
「それは……分かった。今は引いてやる。だが、女は解放しない。助けたいというのなら、娘を差し出せ。差し出さないのなら、女は殺す。織衣姫のように」
「何?」
ロイのカットラスがわずかに揺れる。鞘に入っていなければ、このまま斬ってしまうところだった。その反応を見たベネディクトは薄ら笑いを浮かべた。
「よせ。わしが戻らなければ、リディアがどうなるか分からないぞ。あの女を帰して欲しければ、娘を寄越せ」
「あの娘がいたって、お前が国に帰るのは無理だ」
「無理かどうかは、わしが決める」
ロイは考えた後、カットラスを降ろした。
「彼女がお前の所に行くかどうかは、彼女次第だ」
「それも良いだろう。あの女がどうなってもよければ」
ベネディクトはそう言って、闇に消えていった。ロイはカットラスを鞘に戻した。彼を追えば、リディアに会える。しかし、寝ているウォリディを1人にはできない。ロイはそのまま木にもたれかかった。今までは、リディア救出のために進んできた。だが、ベネディクトの本当の狙いがウォリディなら、むしろ彼から逃げなければならない。それに、ベネディクトの正体が想像ついた。どうやら、最悪の相手だ。
ロイは帽子を抱え上げ、木の影に移動した。ベネディクトが隠れて見ている可能性があったからだ。身を隠し、暗闇の中を移動して、小さな道を南西に向かって歩いた。帽子が揺れて、ウォリディは目を覚ました。ハンカチの下から顔を出し、
「ロイ。どこへ行くの?」
と聞いた。
「状況が変わった。ベネディクトは君を狙っている」
「どうして?」
「奴は、飛鳥に帰りたがっている。里見殿たちの国だ。彼から貰ったかんざしを見て、君が飛鳥への帰り方を知っていると勘違いしたのだろう。だが、奴にそんな言葉が通じるはずもない」
「逃げるの?」
「とりあえず、今は距離を取りたい。奴は、君とリディアの交換を要求してきた。奴は信用ならない。多分……いや、まだ確証はないが、奴は捨て置けない」
「いや、逃げましょうよ。逃げることが不名誉なことだ、なんてことはないから」
「そうだな。最初は逃げることになるかも知れない。君を奴に会わせるわけにはいかない。だから、君をアルコルの森に連れて行く。あそこなら、奴も手を出してこない」
「王都は? ジル先生のところなら」
「ジルに迷惑はかけられない。それに、奴が王都に行けば、ジルに迷惑が掛かる」
「じゃあ、どうすれば良いの? アルコルの森は遠いわよ」
「それを考えている。今は、南西に向かう」
ロイは暗闇の中を、南西に向かって歩き続けた。
夜通し歩き、日が昇った頃には、アクアリウス領サダルメリクの街に入った。サダルメリクの街はアクアリウス侯爵の屋敷があり、街道が交差する交通や物流の重要な街だ。領内には水源地となる国内有数の大きな湖があり、領地の名の由来となっている。湖から流れる川は、かつて酒が流れていたという神話もあるほどだ。
「ロイ。アルコルの森なら、私1人でも帰れるわ。だから、私を気にせず、リディアさんを救出に行ったら?」
「奴がどこで見ているか分からない。それに、この辺りは傭兵としてのリディアの活動範囲に近い。俺たちの動きがどういう形で彼女に伝わるか分からない。ここで人混みに紛れて、奴をやり過ごす手もある」
「過保護すぎるわ。前世でもそうだったのかしら?」
「どうだったかな。その前に、旅の資金を調達しなければ」
「どうするの?」
「簡単で割の良い仕事を、斡旋所で引き受ける」
「じゃあ、宿を取るのね。でも、ここだと、リディアさんに見つかるのじゃないかしら?」
「ああ。だが、人目のあるところで間違いは起こさないだろう。念のため、君はピクシーのままでいた方がいい」
「分かった」
2人は、街の仕事斡旋所に向かった。
仕事斡旋所に併設されている宿を1室借り、ウォリディを残したロイは、斡旋所で街周辺の魔物狩りの仕事を受けた。仕事は2日間あり、最終日の夕方に報酬を受け取ったロイは、斡旋所内の宿に戻った。
宿の部屋に入ったロイは、思わぬ人物を部屋の中に見て剣に手を掛け、身構えた。部屋の中にいたのは、リディアだった。ベッドに腰掛けていたが、ロイが室内に入ると立ち上がった。
「剣を抜かなくて良い。今はあなたとやり合う気はない」
リディアは言う。左腰のレイピアのグリップに左手を置いた。その状態では、彼女はレイピアを使えない。ロイは部屋を見回した。
「ウォ……ここにピクシーがいたはずだ。どこだ?」
ロイは聞いた。ウォリディがピクシーであることを、ロイやウォリディは1度も話してはいない。ただ、大きさが明らかに違うものの、顔はそっくりだから、気づかれる可能性は高い。
「ウォリディさんにそっくりなピクシーね。あの子を巻き込んで申し訳ないと思っている。でも、身の安全は保証する」
「何が身の安全だ! 今のあの男は、ベネディクトじゃない。別の男の魂が入っている。奴はアーカディア人ではないから、この国の法律は理解できない。己の欲求のために、さらに犠牲者が出るぞ。俺に用があるなら、直接ここに来れば良い。彼女を巻き込むな」
「私も、今のベネディクトは信用できない。あれは一体誰なの?」
「あれは、恐らく俺の知っている男だ。と言っても、前世での話だ。あの身体に入っているということは、向こうで死んだのだろう」
「この前もそういう話をしていたけど、死者の魂を入れることができるとして、身体の持ち主だった人の魂はどうなっている?」
「身体の持ち主は死んでいる。だからこそ、新しい魂を入れられるらしい」
「ということは、ベネディクトは死んだのね?」
「ああ」
「あなたが殺したの?」
「その通りだ」
ロイが答えると、リディアの眉が少し動いた。
「どうして?」
「俺としては、戦いは避けていたつもりだ。ベネディクトは、ファーリの命令でしつこく追ってきた。騎士の矜持というやつだ。それだけならよかったが、あいつは、俺との戦いにウォリディを巻き込んだ。だから、決着をつけた。言っておくが、俺たちは剣士として正々堂々と戦った」
ロイは答えた。リディアは納得していない。身体を震わせ、手を剣に当てた。
「あなたという人は、私の大切な人を2人も奪って…」
「君を悲しませたことは謝る。だが今は、彼女を助ける」
ロイは、リディアに背を向けた。
「また逃げるのか!」
リディアは声を上げ、レイピアを抜き、ロイに向けて突き出した。ロイはその場にとどまった。レイピアの切っ先は、ロイのマントの上から右腰に突き立てられた。リディアにすれば、脅しのつもりだった。傷を負わせられても、かすり傷程度と思っていた。レイピアを抜いて突き出しても、並の剣士なら振り返って対処できる筈だった。ところがロイは、避けなかった。あえて刺されたように見えた。リディアはすぐにレイピアを引いた。レイピアはロイから抜けたが、その先端は赤く染まっていた。
「何で…」
リディアは動揺していた。
「これで手打ちにしてくれ。ここで俺が死んだら、今度はウォリディが、君を敵討ちと狙うことになる」
ロイはその場に膝をついた。腰のベルトについている小さなポーチの中から、携帯用の回復薬を取り出し、傷口に掛けた。回復薬は不思議なもので、飲めば体力回復になるが、傷口に掛ければ傷をふさぐ。それは回復薬に付加された魔法によるものだが、魔法はロイに対して効きが遅く、傷がすぐに回復することはなかった。ロイは立ち上がれず、部屋の片隅に置いてあった背負い鞄を手繰り寄せた。そのかばんの中から、長さ三〇センチほどのやや太い木の棒を取り出した。それは、里見繁蔵から貰った短刀だ。白木の鞘に収まっており、実戦で使える状態ではない。彼はその短刀を服の上から傷口付近に当て、腰のベルトで挟むようにして固定した。添え木代わりだ。
「それで、ベネディクトはどこにいる?」
ロイは振り返らず、リディアに聞いた。
「街の南西の城門の外。川のそばで待っている筈」
「じゃあ、これでお別れだ。生きて帰ってこれたら、また会おう」
「駄目よ。その怪我で戦うなんて無茶だわ」
「姫を助けるのは、家臣の務めだ」
「姫?」
「前世での話だ」
ロイは壁を頼りに立ち上がった。
「命があったら、荷物を取りに戻る」
ロイは言い残し、ゆっくり部屋の外へ出た。
ロイは、街の南西城門を潜って外に出た。右腰の痛みは、すでに感覚がなくなっていた。しかし、歩き方はぎこちなくなっていた。身体が重かった。彼の足を前に進めたのは、ウォリディを助けなければ、という使命感だ。傍から見れば、痛みをこらえている今の彼は鬼のような形相をしていることだろう。だが彼は、ベネディクトの皮を被った男を逃す気はなかった。
ベネディクトは、町の近くの河原に立っていた。河原は拳ほどの大きさの石が辺り一面を覆い、歩きづらい。その中で、彼は砂地の比較的平らな所に立っていた。右手には鳥かごを持っていた。円筒形で上部は丸くなっている鳥かごだ。だが、その中に入れられているのは鳥ではなく、ピクシーのウォリディだ。ベネディクトはかごをわざと少し揺らし始めた。ウォリディは少し浮いていたが、揺れるかごが羽に当たって何度も姿勢を崩した。
『そのピクシーは俺の大切な相棒だ。手荒なまねをするなら、お前は国に永遠に戻れないぞ』
ロイは突如、飛鳥国の言葉を発した。ベネディクトは、かごを揺らすのを止めた。
「大丈夫か?」
ロイは、いつもの言葉でウォリディに声を掛けた。
「来ちゃ駄目。彼は、あなたを殺そうとしている」
「知っている。まずは君を助ける」
ロイは言った。
『例の娘はどうした?』
ベネディクトも、飛鳥国の言葉で聞いてきた。
『近くにいる。そのピクシーを解放しろ』
『良いだろう』
ベネディクトは素直に言う。だが、ロイはすぐに、
『待て。変なことをすれば、お前は国に帰れない。そのかごをそっと地面において、良いという所まで離れろ。変な真似をすれば、娘にはすぐにここを離れるように言ってある』
『本当に、娘はこの近くにいるのか?』
ベネディクトは疑り深く周りを見渡す。
『信じなくても良い。選ぶのはお前だ』
『分かった』
ベネディクトは鳥かごを足下に置いた。
『こっちへ来い。お前の目的は、俺でもあるのだろう?』
『そうだ。お前の命を貰わなければ、わしは自由になれない』
ベネディクトはゆっくりロイに向かってきた。
「ウォリディ。逃げられるか?」
ロイは、鳥かごの中にいるウォリディに聞いた。彼女は何かを唱えた。鳥かごの入り口を固定していた針金が一瞬にして燃え上がった。ウォリディはかごの入り口を開けて外に出て、飛び上がった。
「この通りよ」
『さあ、約束は果たしたぞ。娘を連れてこい』
空に飛び上がったウォリディを見て、ベネディクトが言う。ロイは首を横に振り、
『その必要はない。俺たちがこの言葉で会話している時点で確信したはずだ。俺とお前の因縁が。お前は木村忠宗だな?』
『そういうお前は、輝政だな? ルロイと室井。まさかとは思ったが、わしと同じように、黄泉の国から引き返してきたのか』
『やはり、お前は木村か。この前は鳥居の名を騙っていたな。死んでも卑劣な奴だ』
『卑怯な奴が、長生きするのだ。生真面目なお前は10年前に死んだのが、その証だ』
『そういうお前も、結局死んでしまったわけだ』
『どうだ。わしと手を組まぬか? わしとお前が力を合わせれば、国元に帰ることができる』
ベネディクトは言う。ロイはすぐに首を横に振り、
『お前の言葉は信用ならん。俺はそれを10年前に学んだ』
『そうか。では、お前の代わりに娘を道案内に連れて行くしかない』
話を聞いていたウォリディが、ロイのそばに降りてきた。
「この人が、木村…」
「そうだ。こいつは君の死にも関わっている。だから、こいつを野放しにはできない」
「でも、あなた、怪我をしているでしょう? 戦うなんて無理よ」
ウォリディは普段のロイの歩き方を見ている。怪我を負った腰の部分はマントで隠れているが、歩き方で分かったようだ。
「怪我は承知の上。少し向こうに行っていてくれ。血生臭い所は君には似合わない」
「分かったわ。気を付けて」
ウォリディは飛び上がった。ロイにヒールを掛けなかったのは、ヒールによる回復がかえって戦いの邪魔になると考えたからだ。身体の回復力を高める魔法は、思いのほか生命エネルギーを消耗する。
『今生の別れは済んだか?』
『まあな。一応、聞いておこう。お前はどうして死んだ?』
『佐藤が裏切ったのだ。あやつは、わしに臣従すると見せかけて、謀反を起こしたのだ』
『違うな。佐藤は貞正様の忠実な家臣だった。そもそもお前が、御船様を裏切ったからだ。いや、そのつもりで木藤氏から送り込まれたのか』
『そうだ。わしが受けた命は、松坂氏の家来の分断だ。木藤様の治世を安定させるためには、松阪氏が唯一の懸念だった。途中までは上手くいっていたのだ。だが、松坂氏の家臣団は結束力が強すぎた』
『佐藤に任せれば、奥三州は持ち直すだろう。だから、お前を国に返すわけには行かない。お前も、殺したはずの男が目の前にいたら、気分が悪いだろう』
ロイはそう言い、カットラスを抜いた。
『そうだな。これも何の巡り合わせか。娘は、お前を殺してからゆっくりと探すとしよう』
ベネディクトも剣を抜いた。彼が持っていたのは、刃に反りがあるサーベルだった。刃の長さは、彼が持っていたロングソードよりやや短いくらいだ。前にベネディクトが持っていたのは、ロングソードの筈だった。少なくともビハムの村まではそうだった。
『その剣をどこで手に入れた?』
『打刀に似ていたから、貰ったのだ。そこら辺にいた奴に』
ベネディクトの言葉は、知らない犠牲者がいることを示唆していた。打刀は、飛鳥で普及している刀だ。
『それなら、遠慮はしないぞ』
ロイはカットラスを正面に構えた。怪我のせいで、体力が削がれている。勝負は早く着けなければならなかった。
二人は同時に剣を振りかざした。目の前で剣が何度も交差した。カットラスでサーベルをはじき返したが、ロイは力負けしているのを感じた。それは怪我のせいだと分かっているが、斬り合いで相手は手加減してくれない。ロイは鍔迫り合いを避けた。剣を振るうと、右腰に痛みが走った。
ベネディクトを遠ざけるために、剣を大振りするロイ。もちろん、それでは致命傷を与えられない。その動き、痛みに耐えて歯を食いしばるロイの表情を見たベネディクトは、彼が傷を負っていることに気付いた。そして、さらに激しく剣を振るってきた。ロイはその剣戟を受け流すが、何度かよろけた。それは、足場が悪い事もあった。石で何度か足を取られ、思い切った行動にとれない。それ故に防戦一方になっている。この悪条件を何とかしようと、ロイは砂地に移動しようとした。
そうはさせまいと、ベネディクトが上段から剣を振り下ろす。ロイは剣を右横に構えて受けた。しかし、受け止めきれず、身体が左へ半回転して跪いた。その右半身の上に、勢いのついたベネディクトが覆い被さる。その時、呻き声を上げたのはベネディクトだった。
ロイのマントの中から、刃物が飛び出ていた。それがベネディクトの腹部を刺したのだ。それは、ロイのカットラスではなかった。ベネディクトが後ずさり、ロイは立ち上がる。マントの下から現れたのは、腰の添え木代わりに使っていた短刀の抜き身だ。その刃は長さが短く太めで、反りも小さい。しかし切れ味は鋭かった。その抜き身の短さから、とっさにマントの中で抜いて使うことができた。
『短刀だと? 卑怯な…』
ベネディクトは、はじめは起きたことが分からずにいた。ロイが右手に逆手で持つ短刀を見、痛むところに当てた右手が赤く染まったのを見て、自分が刺されたことにようやく気付いた。
『ああ。ロイというやつは、卑怯な奴なんだ』
ベネディクトの負った傷は、致命傷になるだろう。だが、それで死んで貰っては困る。思いがけず巡ってきた、10年前の意趣返しの時だ。ロイは立ち上がり、向き直って、声を上げた。
『この室井輝政。幼くして命を絶たれた織衣姫のため、ここに木村忠宗を討つ!』
ロイは言い終わるや否や、左手のカットラスを振り上げ、下ろした。
『卑怯ものめ。これが武士のやり方か…』
ベネディクトは苦し紛れに、非難の言葉を上げる。
『10年前の自分に言え』
ロイは静かに答えた。ベネディクトは後ろに仰け反り、倒れた。同時に、ロイもその場に崩れ落ちた。
離れたところから見ていたウォリディは、すぐにロイの元に飛んだ。彼女はすぐに、ロイにヒールの魔法をかけた。だが、彼の意識は混濁していた。
『姫。拙者は、やり遂げました』
目を閉じたまま、ロイは呟くように言った。
「ええ、見届けたわ。でも、死んじゃ駄目よ。しっかりして」
ウォリディはロイの左頬を叩いた。ピクシーの腕では、大した刺激にはならないだろう。ロイは目を開けない。
「今度はあなたが私を置いていくの? そんなのは許さないわ。さあ、起きなさい」
ウォリディはロイの耳元で言った。それでもロイは動かないので、ウォリディは人のサイズに変身して、ロイの上半身を抱き起こした。肩掛け鞄の中に右手を突っ込み、手探りで、今の状況の助けになりそうな物を探した。
ロイは再び目を開けた。あたりは薄暗かった。ただ、見たことのある風景だ。ロウソクの明かりが辺りを照らす。それでロイは、自分が小さな部屋の中にいることを知った。部屋の奥の椅子には、長い白髭を蓄えた老人のエルフがいた。
ロイは上半身を起こした。そこでようやく、自分がベッドの上にいることに気付いた。
「助けていただいたようで、恐れ入ります」
起き上がってすぐに畏まった男に、老エルフは笑みを浮かべて返した。
「いや、ご丁寧に。しかし、苦しんでいる者を放置することはできなかったので、これくらいのことは当然のこと。私は、エフライム」
老エルフは名乗った。
「俺は、室井輝政…」
ロイはそこで違和感を覚えた。既視感があった。同時に欠落感があった。
「ウォリディは?」
「あの子は、このまま残る」
「彼女は無事なのか」
「無事だ」
「良かった。これで、思い残すことはない」
「本当にそうですかな?」
「というと?」
「私はロイ殿に、あの子を頼んだはずですが、お忘れかな?」
ロイはふと、違和感の正体に気付いた。そうだ。これはおそらく夢だ。夢だと分かっても、まるで自分ではない誰かが、エフライムと話していた。
「今回は彼女を守り切った。それで十分だ」
「それは本心からの言葉ですかな?」
「そのつもりだ」
ロイが答えると、エフライムは首をうなだれて横に振った。
「剣士殿はまだ、本心を表に出せていないようですな。あなたはもう自由なのですぞ」
「あなたはまるで、俺の夢に入り込んで語りかけているようだ。どういう仕組みなんだ?」
「さて、なんのことやら」
「あなたはどうやら、このまま去ることを許さないようだ。では、俺にどうしろと?」
「どうと言うことはない。私との約束を遂行して貰えれば、それで良いのだ」
「だが、どうすれば良いのか分からない」
ロイはエフライムの目を見た。
「そうですな。おそらく、そこの扉から外へ出られれば、ウォリディの元へ戻れるだろう」
「それで、彼女の元に戻れるのか?」
「行ってみなされ。動かなければ、何も始まらぬ。たとえこの先に数多の困難があろうと、剣士殿は常に先へ進んできたのであろう」
「それしか、生き方を知らないからだ」
ロイはベッドを降りた。どういうわけかロイは、すでに帽子とマントを身につけていた。ロイは部屋の出口のドアノブに手を掛けた。そしてエフライムを見た。
「あなたが本当に俺に語りかけているかは分からないが、礼を言わせて貰う。ありがとう」
ロイの言葉に、エフライムは黙って頷いた。ロイは部屋の外に出た。外は真っ暗だった。部屋の外に出た途端、右の頬を2回叩かれた。ロイは目を開けた。
目の前には、両目を赤くし、瞼を腫らした少女の顔があった。その顔は、ロイの左側に消えた。同時に身体がきつく抱きしめられた。
「ロイ! 良かったぁ。目を覚ましたぁ」
ウォリディが大きな声で泣いたので、ロイは顔をしかめた。
「エフライム殿も酷い人だ。俺の夢の中にまで出てきて、君のことを預けようとしてくる」
「じゃあ、長老様にお礼を言わないといけないわ」
「そうだな。肩をかしてくれ」
ロイは、ウォリディの右肩を借りて身体を起こした。その時、ウォリディが肩に掛けている鞄から本が落ちた。それは『心の書』だ。ウォリディはロイを支えながら、本を拾い上げた。
「その本は、まさか…」
ロイが聞こうとすると、ウォリディはすぐに片手で本を鞄に押し込み、
「枕にちょうど良い大きさでしょう?」
と答えた。それ以上聞いても、彼女は答えてくれないだろう。今は、本は使われなかったと思うしかない。
カットラスと短刀を簡単に掃除して、それぞれの鞘に収め、もう一度彼女の肩を借りて立ち上がった。歩くのも、彼女の助けが必要だった。
街へ向かって歩き出してから、ウォリディは、
「これからどうする?」
と聞いた。
「まずは宿に戻る。荷物を残したままだし、リディアがまだいるかも知れない」
「リディアさんは無事だったの?」
「ああ。大丈夫だった」
「そういえば、腰の怪我。誰にやられたの? まさか、リディアさんに?」
「虫に刺された」
ロイは素っ気なく答えた。明らかな嘘だ。リディアやウォリディを傷つけたくないための嘘だ。だから、それ以上追求はできない。
「あなたがそう言うのなら、それで良いわ」
ウォリディは小さく頷くことで、自分を納得させた。
最終話 明日の夢を見る者 終わり




