「本格的な練習再開」と「振り返り」
綾子先生は『うちの書道教室で、書道の勉強をしてみない?』と、彼を誘ってみました。
彼は『習字の塾には行きたくない』と、書道教室で字を学ぶことを嫌がりました。
理由は、彼は学校で「運動神経ゼロで字が汚くて、音感もないし見た目も悪いし、デブだし、何も良いところが無い奴」だと言われ、揶揄われていたからでした。
ちなみに…彼の体型は「デブ」じゃなくて、「ちょっとぽっちゃり」だったんです!この頃は!
…ぁ……お話を中断して申し訳ありません。彼のお話を続けます…。
…で、今さら習字の塾なんて行ったら、まるで自分の字の汚さを、改めて認めたみたいになって、更に塾に通うことをまた同級生にバカにされて、もっともっと揶揄われる…嫌な思いをする…それが本当に嫌だったからです。
綾子先生は、無理に彼を説得し、書道教室に通わせよう…なんてことは考えていませんでした。
先生は提案してくれました。
毎週日曜日、曽祖母の和心の聴講が終わったあと、私が翔くんの字の練習を見てあげる…と。
字の練習の課題を毎週渡すから、毎日毎日少しずつでいいから、課題の見本を見ながら字の練習をして、それを1週間分まとめて日曜日に、私に見せてと。
そして今週の練習課題を、先生は置いていってくれました。
初めての練習課題は…「平仮名と片仮名」でした。これぞ綺麗な字を上手に書くための基本ですよね…。
…そして、時は流れて12月…。
昨日から冬休みに入りました。彼はあれから1日も欠かさず毎日4時間…学校が休みの土曜日や日曜日などは1日10時間も、ずっとずっと字の練習をしていました。
彼は8月の誕生日も、母が「お買い物行ってくるけど、何が欲しい?」と言ってくれた時も、今年のクリスマスプレゼントの希望も…彼が欲しがるのは「12mm方眼ノート5冊セット」でした。
彼の勉強机の引き出しの中には、常に新品の方眼ノートが10冊は必ず入っています。けれど彼の字の練習量では、10冊なんて1ヶ月ほどで無くなってしまう量でした。
彼は、今までの字の練習を振り返り、思い出していました…。
1学期の終業式のあと…あの片思いの相手の莉緒さんから『夏休み中は、同級生らに見付からないように、私の家に遊びに来て。そしたら私が字の先生をしてあげるから』と言ってくれました。
けれど、それは実現しませんでした…。
理由は、兄や父から「それは良くないことだ」と言われ、断念したからです。
今、綾子先生が翔のためを思って、無料で字を教えてくれている。なのに「別流派の書道教室に通う、生徒の女の子」からも、字を教えてもらっています…なんて綾子先生が聞いたら、先生はどう思うだろう…。
綾子先生が気分を害することは、それを実際に見なくても分かる。そうだろ…?
父と兄から、そうアドバイスを貰って、そして莉緒さんから教えてもらうことを断念。
「オトナの事情」というものでしょうか…何が悪いのか、ダメなのか…当時の彼には難しくて、よく分かりませんでした…。
10月中旬になって…彼は大きな壁に当たっていました。
「他の誰かの字を見本に、字を綺麗に書く」ことはできるようになりましたが…「何も見本を見なくても、自由に自分の思いのままに、どんな字でも綺麗に書く」ことができず、彼は苦しんでいました。
そんな苦しんでいる彼を見て、彼をその悩みから救ってくれたのは、母でした。
母は彼に言いました。
『…字というものは、何のためにあると思う?誰のためにあると思う?自分のため?誰かのため?』
彼はよく考えて…『誰かのため?』と母に答えました。母は『その通りよ』と、彼を褒めました。
『字もそう…言葉もそう…絵もそう…。それらはどれも、自分のためじゃないの。それを見る…見てくれる相手というものが必ずあって、それを贈りたい人…それを贈って見てくれた人が、見たときにどう思って感じてくれるか?じゃないの?』
彼は『よく分からないよ』と母に素直に言いました。
母は、じゃあもっと簡単に…と少し言い換えて彼に伝えました。
『…翔は、今までは「自分のため」に字が上手になりたいって頑張ってきたでしょう。それも大事。だけど明日からは、誰かに葉書を書いてみたい…誰かに手紙を書きたい…って、誰かを想像しながら…「贈りたい誰かのため」を思いながら、その誰かのために字を練習してみて。その人が翔の字を見たとき、どう感じるのか…そう考えて…』
…彼は考えに考えてました。そして…。
莉緒さんに「あの時◯△□の練習方法を教えてくれて、夏休みに字の先生になってくれるって言ってくれて、ありがとう」と書いた手紙を渡したい…書いた自分の字を見て、莉緒さんに感動してもらいたい…そう思いながら、明日からは練習をしよう!と決めました。




