第29話 サクが育った日、無料ガチャも+3になった
『圭吾、今日はこっちを少し緩めてほしい』
土曜日の朝、玄関でハーネスを着けていると、サクが胸元へ鼻を向けた。
指を入れて確かめると、胸の前を通るベルトに、少し余裕がなくなっている。調整部分を伸ばし、身体を動かしてもらってから、俺は改めてその姿を見た。
出会った頃には、抱き上げても腕の中に収まっていた。
今は脚が長くなり、立ったときの背中も高い。銀白色の毛に隠れて分かりにくいが、肩の辺りには、以前とは違う厚みがあった。
「そろそろ、ハーネス自体を買い替えた方がよさそうだな。調整できる長さが、あまり残っていない」
『最近、前より遠くまで走れるんだ。速さも少し違う気がするから、今日は広い場所で試したい』
サクはそう言って、玄関へ置いた俺の鞄を見た。
訓練場へ行く支度は、もう済んでいる。
だが、その前に状態を確かめようと表示を開いた俺は、サクの頭へ伸ばしかけていた手を止めた。
【月影狼・サク】
【レアリティ:SSR】
【成長段階:成長期】
幼体の文字が、変わっていた。
◇
三田さんの軽トラを戻すのを手伝ってから、2か月ほどが過ぎていた。
その間も、会社へ行き、帰宅すればサクたちと過ごす生活は続いていた。
槙浦製作所には、補修品について何度か相談した。図面を送れば何でも作れるわけではなかったが、難しい理由まで聞けるようになり、別の会社へ持っていく際にも話が早くなった。
宮原は新製品の担当を続けながら、少量品の相談先も整理している。俺が外出している間に話を進め、判断が必要な部分だけをまとめてくれることが増えた。
毎朝のガチャも、欠かしてはいない。
消耗品や素材が増える一方で、すぐには使い道の分からない品も、アイテムボックスの一角にたまっていた。防具を指定していても、毎日都合よく同じ装備が出てくれるわけではない。
休日には訓練場へ通い、雨なら家で装備の手入れや裁縫をした。
サクの物入れは、身体に合わせて取り付け位置を直している。ミトの布も、編み方を少しずつ変えながら使い続けていた。
そうして過ごすうちに、サクはいつの間にか、俺が一緒に走り切れない距離まで平気で走るようになっていた。
食事の量も増えている。
毛並みや動きを見て、育っているとは思っていた。それでも、はっきり表示が変わったのを見ると、胸の奥に違う感覚が湧いてきた。
「成長期になっている。サク、お前が言っていた感覚は、その変化かもしれない」
『やっぱり、気のせいじゃなかったんだね』
サクは自分の前脚を見下ろし、それから俺を見上げた。
『身体を動かすと、前より余裕があるんだ。圭吾と走った後も、もう少し続けられそうだと思っていたから』
表示上の種族は月影狼のままで、レアリティも変わっていない。
新しい固有能力が増えたという表示もなかったが、それを残念だとは思わなかった。俺の前にいるサクは、これまで一緒に過ごしてきた時間の分だけ、確かに大きくなっている。
しゃがんで首の辺りへ手を添えたところで、別の文字が浮かんだ。
【特殊実績《初めての成長》を達成しました】
【条件:契約召喚獣が初めて幼体から成長する】
【報酬:《ガチャ強化結晶》×1】
俺の手元へ、小さな結晶が現れた。
見覚えのある形に、思わず指先へ力が入る。
『それ、前にガチャを強くした物じゃないかな』
「ああ。これで、次の強化に進める」
サクが顔を上げた横から、リッタが玄関の鞄へ下りてきた。
『出かける支度をしていたと思ったら、ずいぶんいいことが続いているわね』
「サクが育ったお祝いに、こっちまで何かもらった気分だよ」
『だったら、先に僕の走るところを見てほしいな。結晶は、帰ってからでも使えるでしょう』
俺は笑って頷き、結晶をしまった。
「もちろんだ。今日は、そちらから始めよう」
◇
訓練場へ着くと、サクは敷地を一周した。
いきなり《風走》を使うことはせず、歩いて地面を確かめ、軽く走ってから戻ってくる。
その間に、俺は足元の石や枝を拾った。
ミトは荷物を置いた場所からサクの動きを見ており、ネリも木陰へ腰を下ろしている。リッタは低い枝に止まった。
「まずは、俺が横にいる状態で動いてみよう。急に曲がったとき、前と同じ感覚で止まれるかも見ておきたい」
『それなら、短く走って戻るよ。僕も、速くなるだけじゃ困るからね』
サクが前脚を沈めた。
次の瞬間、銀白色の身体が横へ伸びる。
俺が視線を追いつかせたときには、もう進む向きが変わっていた。走り抜ける風が足元の枯れ葉を散らし、サクは大きく回り込んで戻ってくる。
最後の数歩で速度を落とし、俺の手前へ止まった。
以前のように、勢いが残ったまま脚を踏み直す動きが少ない。
『今の距離なら、まだ余裕がある。曲がるときにも、脚が流れにくくなった』
「見ている方も、違いが分かったよ。途中で、俺の目が追いつかなかった」
『圭吾がそちらへ顔を向けたときには、サクはもう曲がり始めていましたね』
ミトの声を聞きながら、俺は腰の剣へ触れた。
並んで戦うなら、今までと同じ場所へサクが来るつもりで動くのも危ない。だが、それを確かめるより先に、サクから提案があった。
『木偶と、僕だけでやってみたい。圭吾に横を押さえてもらわなくても、回り込めるか試したいんだ』
俺は核を取り出しかけていた手を止めた。
これまでもサクは、木偶を相手に動いている。ただ、中級を相手にするときには、俺かミトが別の方向から注意を引くことが多かった。
「初級で動きを見てからにしよう。途中で止めたくなったら、すぐに言ってくれ」
『分かった。今の身体で、どこまでできるか知りたい』
サクは木偶が現れる場所へ目を向けた。
俺も核へ魔力を送り、まず初級を選んだ。
◇
初級では、サクがほとんど主導権を渡さなかった。
木剣が動く前に横へ抜け、追ってくる木偶との間合いを取り直す。足が速くなっただけでなく、回り込んだ後にも身体が安定していた。
休憩を挟んで、俺は中級を起動した。
厚みのある木の身体に、長い木剣と小さな盾。
サクは正面へ立たず、少し斜めの位置から相手を見ていた。
先に踏み込んだのは木偶だった。
木剣が低く振られると、サクは後ろへ跳んで避けた。そこからすぐに戻ろうとはせず、追ってきた足の動きに合わせて、右へ回る。
木偶の盾が、進路を塞ぐように動いた。
サクは一度だけ踏みとどまり、逆へ切り返した。
俺なら、そこで《魔弾》を使っていたかもしれない。
サクは自分の身体だけで相手の向きを変え、木剣を持つ腕が伸びたところへ飛び込んだ。肩口に前脚が触れ、硬い音が響く。
1つ目の有効打だった。
着地した場所へ木剣が戻ってくる。
俺は反射的に声を出しかけたが、サクはもう動いていた。頭を低くして剣の通り道から抜け、木偶の後ろへ回る。
余計に追いかけず、相手が振り向くのを待った。
『前より落ち着いています。速く動ける分、すぐ攻める必要がなくなったのでしょう』
ミトの言葉を聞きながら、俺はサクを追った。
木偶が踏み直したところへ、再び銀色の影が走る。
2つ目の音が響いた後、サクは深追いせずに離れた。息は上がり始めていたが、脚の動きは乱れていない。
木剣と盾が、サクへ向き直った。
今度はサクの輪郭が、木陰の中でわずかにぼやけた。
《月影》を使ったのだ。
木偶の動きが止まったわけではない。向きを変える腕の脇を、サクが低くすり抜けた。
最後の有効打が入り、木剣が止まった。
サクは少し離れた場所まで走ってから振り返り、相手が動かないことを確かめた。
それから俺の方へ戻ってきたときには、尻尾が大きく揺れていた。
『今のは、手を出していないよね』
「出していない。最初から最後まで、お前だけだ」
言いながら、俺まで嬉しくなっていた。
サクは俺の前へ座り、しばらく呼吸を整えてから、木偶へ顔を向けた。
『盾がある方へ回ると、やっぱり入りにくいね。でも、向きを変えさせれば、剣が届く前に抜けられる場所はあった』
「後で、俺とも合わせてくれ。今までと同じ速さだと思っていたら、俺の方が遅れる」
『そのときは、僕から声をかけるよ。黙って先へ行っても、圭吾には分からないだろうから』
サクの背中へ手を置くと、毛の下で呼吸に合わせて筋肉が動いていた。
初めて召喚した夜、膝の上で眠っていた小さな狼を思い出す。
俺は首の辺りを一度だけ撫で、木偶を停止させた。
◇
帰宅後、サクたちが落ち着いたところで、俺はガチャの強化画面を開いた。
デイリーガチャは+2。
強化に必要な結晶と、手元にある結晶の数を確かめてから、+3へ進める。
【デイリーガチャが+3になりました】
【指定アイテムの排出率上昇が解放されました】
項目が増えた画面へ、俺は顔を近づけた。
分野を選ぶだけだったところへ、具体的なアイテムを指定できる欄ができている。
ただし、指定した品が出ると約束されるわけではなかった。ほかの品も排出され、元のレアリティによる出やすさもなくならない。
俺は候補を見ながら、椅子へ座り直した。
『欲しい物が多いと、1つに絞るのは難しそうですね』
ミトが机の端へ出てきた。
「剣も重ねたいし、防具も欲しい。魔力を回復する品だって、増えて困る物じゃないからな」
そこで、ふと手を止めた。
候補を見ていると、まだ持っていない強力な品に気持ちが向く。
だが、今の俺には、使っている装備を育てる方法もある。
剣は一度、限界突破できた。自作の腕当ても、同じ物を作って重ねたことで、性能が上がっている。
俺は、防具の欄から革胴衣の名前を選んだ。
【指定分野:防具】
【指定アイテム:R《衝撃散らしの革胴衣》】
設定を確定すると、装備の名前が画面へ残った。
『剣より、そちらを先にするんだね』
「ああ。動き方を覚えても、攻撃を受けることはある。今の胴衣を育てられるなら、着慣れた物をそのまま使えるからな」
サクが中級の木偶を相手にしている間、俺は何度か、木剣を目で追い切れなかった。
自分の番なら避けられた、と気軽には言えない。
俺は壁際に掛けた革胴衣を見てから、画面を閉じた。
◇
翌朝、俺は少し早く目が覚めた。
無料ガチャの画面を開き、指定した名前が残っていることを確かめる。
強化したばかりのガチャだ。
革胴衣が出る場面を想像してから、俺は実行を押した。
光が収まった後、手元へ現れたのは、掌より少し大きな器だった。
【N《木の杯》】
滑らかに削られた縁を、親指でなぞる。
軽くて、握りやすい。鑑定で確かめても、変わった効果はなかった。
起きてきたサクが、俺の手元へ鼻を寄せた。
『昨日、ずいぶん考えて選んでいたのに。ガチャの方は、いつもどおりだね』
「設定は間違っていないんだがな。これで出るなら、今頃は革胴衣を並べて喜んでいたよ」
俺は杯を机へ置いた。
有料ガチャを開けば、もう一度引くことはできる。ただ、そちらはまだ強化していない。革胴衣を指定して回せるわけでもなかった。
画面を閉じ、朝食の支度に立つ。
足元へ来たサクにハーネスを見せると、昨日緩めた位置を、自分でも鼻先で確かめていた。
「今日は、これを持って買い替えに行こう。物入れを付ける場所もあるから、実物を見て選びたい」
『また身体が大きくなっても、使える物があるといいね。これを着けて出かけるのは、結構好きなんだ』
「まだ育つつもりなんだな」
『成長期になったところでしょう。圭吾も、抱えて車へ乗せるのは大変になると思うよ』
平然と告げられ、俺はサクの肩を見た。
もう、片腕で気軽に抱き上げられる大きさではない。
笑いながらその頭を撫でると、サクは少しだけ首を伸ばし、俺の手へ額を寄せた。
新品の木の杯は、一度洗って食器棚へ加えた。
その隣に置いてあったコーヒーを取り、俺は朝食用の湯を沸かし始めた。
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