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第1話:離縁状、受理いたしましたわ。では精算を始めますわね

数ある作品の中から、本作を見つけてくださりありがとうございます。桐谷ルナと申します。

本作は、理不尽に離縁された夫人が、感情論ではなく「帳簿と証拠」で悪徳貴族を一人ずつ断罪していく監査事件簿です。

毎章必ず一人、悪い貴族が裁かれます。至高の「ざまぁ」と謎解きのカタルシスをお約束いたします。

「それでは、決算を申し上げますわ」

 離縁状の文面は、美しかった。

 あまりにも、美しすぎた。

 八年連れ添った夫が書いたにしては、句読点の位置まで手慣れていて——まるで、何十通も書き慣れた誰かの代筆のようでしたの。


「ロザリンド。聞いているのか」


 グランツベルク公爵家の大広間。シャンデリアの下で、夫——クレメンス・フォン・グランツベルクは、羊皮紙を私に突きつけたまま、苛立たしげに繰り返しました。


「離縁だ。君との結婚生活は、もう限界だ」


 彼の隣には、蜂蜜色の巻き毛の娘が、しなだれかかっております。ミレーヌ男爵令嬢。半年前から、この屋敷に「行儀見習い」として出入りしている方ですわ。


「ロザリンド様って、お可哀想な方」


 ミレーヌ様が、小鳥のような声で囁きました。


「八年もご結婚なさって、お子もなくて、毎日毎日、帳簿、帳簿、帳簿……。クレメンス様が寂しがっていらしたの、お気づきにならなかったんですもの」


「君は数字ばかりで、可愛げがない」


 夫が、仕上げのように言いました。

 ああ。その台詞、この八年で、ちょうど二百十六回目ですわ。

 ……ええ、数えておりましたの。私、数えるのが仕事でしたから。


「承知いたしましたわ」


 私は、扇を閉じて、一礼いたしました。


「離縁状、確かに受理いたします」


「ふん。物分かりがよくて助かる。荷物は明日までに——」


「では」


 私は顔を上げ、にっこりと微笑みました。


「精算を、始めますわね」


「……は?」


 手を二度、打ちます。

 大広間の扉が開き、老執事のトマが、台車を押して入ってまいりました。台車の上には、革装丁の帳簿が、きっちり二十四冊。


「な、なんだ、それは」


「グランツベルク公爵家、過去八年分の決算書ですわ。わたくし、毎月末に締めておりますの。……ご存じありませんでした? あなた、一度もご覧になりませんでしたものね」


 一冊目を開き、私は読み上げを始めました。


「まず、持参金。金貨三万クローネ。婚姻解消につき、婚姻契約書第七条に基づき、全額返還していただきます」


「さ、三万……」


「次に、貸付金。六年前の南部凶作の折、領地経営が立ち行かなくなった公爵家に、私の個人資産から金貨一万八千クローネをお貸ししております。借用書はこちら。あなたの署名入りですわ。利息は年三分の複利、六年分で——二万一千四百九十二クローネですわ」


「ま、待て、あれは夫婦の——」


「夫婦では、なくなりましたのよね? たった今、あなたのご意思で」


 夫の顔から、血の気が引いていくのが分かりました。

 私は二冊目を開きます。


「三つ目。領内の製塩所と織物工房、計六件。これらは私が嫁いだ後、私の個人資産で買い取り、再建したものです。登記簿の名義をご確認くださいませ。——『ロザリンド・ファルケンラート』。公爵夫人ではなく、旧姓の個人名義ですの。祖父の教えでしてね。『金を出すときは、名義を確かめてからにしなさい』と」


「そんな、馬鹿な……」


「四つ目。王都の商会三社との独占取引契約。あれは公爵家との契約ではなく、『私個人』との契約ですわ。先方がそう望まれましたの。……契約相手として信用されていたのが、公爵家ではなく私だったこと、お気づきになりませんでした?」


 大広間は、水を打ったように静まり返っておりました。

 ミレーヌ様の笑顔が、初めて、こわばりましたわ。


「合計いたしますと——公爵家の総資産のうち、およそ四割が、私の私有財産ということになりますの」


 私は帳簿を閉じ、最後にもう一度、深く一礼いたしました。


「離縁状は受理いたしました。つきましては、これら全て、回収させていただきますわね?」


「ろ、ロザリンド! 待て、話し合おう、私は——」


「あら。話し合いでしたら、八年間、毎晩のように申し込んでおりましたのよ。『今月の収支をご報告したいのですが』と。あなたのお返事は、いつも同じでしたわ」


 ——数字の話は、聞き飽きた。


「ですから、もう、申し上げませんの」


 私は踵を返しました。

 持っていくものは、ほとんどありません。ドレスも宝石も、公爵家の金で買ったものは、一つ残らず置いてまいります。

 ただ一つ——書斎の机から、古びた銀のインク壺だけを、手に取りました。祖父の形見ですの。これだけは、誰にも渡せませんわ。


 玄関ホールには、使用人たちが、ずらりと並んでおりました。

 トマが、皆を代表して、深く、深く、頭を下げました。


「奥様。……八年間の帳簿、確かに、この家の宝でございました」


「ありがとう、トマ。……皆の給金の未払いが出たら、いつでも私に知らせてちょうだい。取り立てて差し上げますわ」


 夜気は、冷たくて、澄んでおりました。

 馬車も呼ばず、私は歩き出します。鞄一つと、インク壺一つ。


 ……それにしても。

 あの離縁状の文面。あれだけが、どうにも、勘定が合いませんの。

 あの人に、あんな完璧な文章が書けるはずありませんもの。


 まあ、よろしいですわ。

 今夜の決算は、これでおしまい。

 残高は——私の自由が、丸ごと一つ。


 悪くない収支ですわね?


お読みいただきありがとうございます。

無一文になったのは、捨てた側でしたの。

次話、宿屋の夫人のもとに、思いがけないお客様が訪ねてまいります。——「君の精算書を見た」と。

続きが気になりましたら、ブックマークと評価で応援していただけますと、とても嬉しいですわ。

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