将来の夢
天には星がなければならない。大地には花がなければならない。そして、人間には愛がなければならない
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(小説家)
◆
「和葉、こっちおいで」
雨宮和葉が振り返ると、和葉と共に星を見るのが好きな青少年、四ノ原詩が笑顔で手を振っていた。
「…え?詩くん?どうしたの…?」
「一緒に遊ぼ?」
詩の瞳には、まるで春の真夜中の朧月のように、妖しい光を放っている。それを見ると、和葉は催眠術にかかったようにふらふらと詩の方へと歩いて行ってしまった。
「来てくれてありがと」
詩は和葉の腰に手を回し、ゆっくりと抱き寄せた。
「ううん。私も…詩くんに会いたかったから…」
和葉は詩の胸に顔をうずめた。
「詩くん…ずっと……こうしてていい…?」
「うん…いつまでも……」
二人は詩の言葉通り、いつまでも抱き合っていた――
「―――っていう夢見たんだよ。昨日」
あまり人の入っていない教室で、和葉と詩は話していた。
「…心外な夢だなぁ…私詩くんのこと呼び捨てにしたり抱き合ったりしないのに……」
和葉はため息をつくと、詩の方を向いた。
「そんな事わかってるよ…」
詩は頬を膨らませ、そっぽ向いてしまった。
「だってそういう夢だったんだもん……」
それを見ている和葉は、なぜか胸が高鳴ってしまう。少し前からそうだ。詩を子猫や子犬のように感じるようになった。
「詩くん、機嫌直してよぉ……」
「……別に怒ったりしてないし」
「…ならもう私一緒に星見ないから!」
「え…」
詩の顔の血の気が一気に引いていく。
「その…怒んないから…それだけは…嫌です…」
「…ふふっ…かわいい…」
「えっ?」
しまった。そう思った時には、もう遅かった。詩の素直な反応に、つい口に出てしまったようだ。
「和葉ちゃん?今…かわいいって…」
どうすればいいのだろう。和葉は模索していた。何か良い言い訳はないものかと。『かわいい』という言葉に似た、この状況で言っても自然な台詞を……
(あ…!そうだ…!)
「違うよ!かわいいじゃなくて『河合』って言ったの!そこに河合さんいたから!」
和葉はドアの奥を指さした。実際ドアの向こうにいるのは鈴木くんなのだが、転入してきて二カ月では他クラスの生徒の名前まで覚えてはいないだろう。詩の反応から見て、この予想は当たりのようだ。
「…ふぅん…まぁいいけど……」
「えー皆さん、ちょっと静かに聞いて欲しいんてすが…」
チャイムが鳴り、教室に入ってきた担任は、次の瞬間衝撃の一言を発した。
「今日から一週間、学級閉鎖となります」
「いよっしゃぁー!!!!!!!」
大絶叫。隣を見ると、詩は思わず耳をふさいでいる。
「ただ!学級閉鎖という事で、その期間は外出はしないように!」
「えっ…」
詩は思わず声を漏らした。和葉と星が見れないのが衝撃なのだろう。声こそ出さなかったが、和葉も同じ想いだ。外出禁止となると、星を見ることが出来ない。詩とも会えないという事だ。
「和葉ちゃんと会えないのか……」
小さな声で言っていたが、和葉は耳が良い。詩の言葉も聴こえていた。
「私も…詩くんに会えないの悲しいなぁ…」
まだ寒さが厳しい朝に学活を終え、二人で帰路につく。
「詩くんさぁ」
「ん?何?」
「なにげに私たち二人で帰るの初めてじゃない?」
和葉は学校を出た時から考えていた疑問を、詩の家の前まで来てようやく口に出した。
「そう……だ…ね…」
詩の返事に間があったのは、和葉と出会ってからの二カ月間を思い出していたからかもしれない。
「あ!ねぇ和葉ちゃん!」
「どうしたの?」
「ぼくスマホ買ってもらったんだ!」
詩はリュックサックからスマートフォンを取り出し、和葉の前で振ってみせた。詩、和葉の通っている中学校はスマートフォンの持ち込みは校則で禁止されている。だが、和葉もそのルールには納得していないため、注意はしないでおく。
「へぇ〜!よかったじゃん!」
「だからさ、和葉ちゃんさえよかったら連絡先交換しない?」
「いいよ!家から取ってくるから私の家の前で待っててくれる?」
小走りで駆け出す和葉を、詩は急いで制止した。
「ちょっと待ってよ和葉ちゃん!ぼく和葉ちゃんの家の場所知らないんだけど!」
和葉は声を聴くと、ぴたりと止まった。
「あ、そうだね。じゃあ、一緒に行こうか」
うん!と返事をし、詩は和葉の元へ走り、二人並んで歩き出した。
和葉の家は想像より大きく、和葉の穏やかな雰囲気に似合ってると言える。和葉は一度家の中に入り、母親と思われる女性の声と共に、和葉が私服で出てきた。出てくるまでに時間があったのは、恐らく着替えをしていたからだろう。
「お待たせ!ごめんね、ちょっと制服だと寒いから着替えて来ちゃった!」
「ううん、気にしないで!」
和葉はありがとう、と応じ、スマートフォンのコミュニケーションアプリを開き、連絡先の交換が可能となるQRコードを詩の方へと向けた。
「…えっと…これを読み込めばいいんだっけ?」
「うん!」
詩はおぼつかない様子でQRコードを読み取った。
「よし!これで大丈夫!いつでも話せるようになったよ!」
そう言った途端、詩は満天の笑みを浮かべた。
「やったぁ!ありがとう!」
詩が帰るのを見送り、和葉は家へと入って行った。
「あ〜あ…星見たいなぁ……」
その日の夜、自分の部屋の中で、和葉は窓の外を見ていた。窓から身を乗り出しても、屋根が邪魔でみえないのだ。
(詩くんとか…どうしてるんだろ……聞いてみようかな……)
いつの間にか詩の事を考えている自分を複雑に思いながら、和葉は詩にメールを送った。
「ん?和葉ちゃんだ」
詩は和葉からのメールに、『今は星を見てるよ』と返信した。
『私も見てるけど部屋の中から見るとあんまり見えないんだよね……カナシイ……』
『ぼくすごい見やすいよ!』
『なんで?!』
『ぼく屋根のぼって見てるから』
「屋根のぼってる?!」
和葉は思わず素っ頓狂な声を出してしまった。詩にそこまでの身体能力があるとは思わなかったからだ。
「えっと……なんて返そう…」
少し悩んだ結果、『気を付けてね』との返信をすることにした。
一方詩は、屋根の上で寝そべっていた。詩は『外出』とは『家の敷地の外に出ること』と考え、敷地内である屋根の上へとのぼったのだ。窓枠に足をかけると、思っていたよりもずっと簡単にのぼることが出来た。毛布をや屋根にのせ、くるまる。公園よりも空に近いため、星がもっと美しく見えるような気がする。
「綺麗……でも…どうせなら和葉ちゃんと見たかったなぁ…」
詩はずっと、たった一人で星を見ていた。だから和葉は、詩にとって、初めて見る同志だった。だから詩もいつの間にか、和葉の事を想ってしまう。詩はふっと頬を緩ませ、ゆっくりと目を閉じた。
和葉と詩を、星空がそっと見守っていた。
◆◆
「もしもし?詩くん?」
和葉は学級閉鎖に伴うオンライン授業の最中、詩に電話をかけていた。パソコンのカメラと音声を切っているため、教員にバレる心配はない。詩は真面目なので、スマートフォンの電源を落としている可能性があったが、杞憂に終わった。
「ん?どうしたの?今やってる授業で分かんないとこあった?ごめんだけどぼく英語苦手で……」
「違うよ〜。勉強めんどくさいから詩くんと話したいな〜って思ってさ」
「えぇ……今授業中……」
電話に出てる時点で…とは思うが、仕方ない。
「じゃあごめんね。また学校で!」
「あ!待って!」
詩が突然大きな声を出したので、和葉は電話を切るのをやめた。
「…ちょっとならさ…話してていいよ……?」
どうやら詩も和葉と話していたいようなので、和葉は少しイジワルをする事にした。
「ううん、大丈夫!詩くんは勉強に励んで!」
「いや…ぼくも……」
「じゃあ!ばいばい!」
「いや!待って!和葉ちゃん!おしゃべりしよ!」
詩が今にでも泣き出しそうな声を出したので、和葉はイジワルを終わりにした。
「ふふっごめんね、詩くん。何話す?」
「う〜ん…授業聴きながら話せる事かぁ……」
「え…?授業聞きながら|……?」
思わぬ発言に、和葉は絶句した。詩がここまで真面目だとは思わなかった。
「だって…授業めんどくさい……」
「そんな事言わないの!おしゃべりしながら勉強すればきっと楽しくできるよ!」
とてつもない理想論に、和葉は詩に聞こえないようにため息をついた。話し相手が詩とはいえ、楽しみながら勉強なんて出来る訳ない。それに、詩以外でオンライン授業を真面目に受ける人間なんているのだろうか。
「まぁ…いつも通り詩くんと一緒に家で勉強してると思えば…楽しい…かな……」
「えっ?!それいつも通りなの?!」
聞こえていたのか。やはり詩の聴力は侮ってはいけない。小さな声で言ったはずなのに。
「でも…和葉ちゃんがちゃんと勉強してくれるなら…そういう想像もアリなのかもしれないね…」
『はーい、では今日の授業はここまでにします。ありがとうございました!』
「あっ!終わっちゃった!」
「ふふっ残念だったね〜♪」
「絶対残念って思ってないでしょ!もう…ぼく全然ノート書けてないのに……」
和葉からしては願ったりの事だが、詩にとっては悲しいのだろう。和葉もいつか、そうなりたいと思っている。しかし、和葉に勉強が好きになる日は、地球から最も遠い恒星として知られている『エアレンデル』という星。この恒星の、今この瞬間の光が目に届くまでほどの時間がかかるだろうと、詩は考えていた。
「じゃあ和葉ちゃん…普通におしゃべりする……?」
「うん!そうしよ!」
一瞬、和葉のスマートフォンから『ふぅ……』と、詩のため息が聞こえたような気がしたが、きっと空耳だろう。
「…和葉ちゃんってさ、何の教科嫌いなの?いや、全教科嫌いなのは知ってるけどね」
「何?人が勉強がそもそも嫌いみたいな事言って!」
「勉強好きなの?」
「嫌いだよ」
「なんで反抗したの?」
これ以上茶番を繰り広げていてもいずれ話が終わって沈黙が続くだけ、そう思った詩は、少し話題を変えることにした。
「和葉ちゃんはさ、いつ星好きになったの?」
「えっと……なんでだっけ…?」
それからほんの数秒後、和葉は口を開いた。
「そうだ!思い出した!私、八〜九くらいの時ね、家族でプラネタリウムに行ったの。確かイタリアの夜空が映されてたやつ。それが本当に綺麗だったんだ!それより前から星とかは好きだったんだけどね、そのプラネタリウム見てからも〜っと数秒間になったの!」
「へぇ〜そんなことがあったんだ…」
詩の声色は、興味があることを示していた。
「詩くんは?なんでそんなに星好きなの?」
「ん〜……忘れちゃった!」
「え〜?!」
和葉はわかりやすく落胆の声をあげると、それを聞いた詩は思わず笑ってしまった。
「いや〜ごめんね〜だいぶ前のことだから忘れちゃってさ…いつか思い出したら教えるね!」
「…うん!おねがい!」
その日の夜、学級閉鎖中の課題が送られてきた。一週間という期間のため、あまり多くはなかった。しかし、ただ一つ問題があった。国語の課題、作文のテーマが『将来の夢』というものだ。少しずつ現実を考える中学生に、このテーマはいささか酷ではないか。ペンを取ってはみたものの、その日は名前しか書くことが出来なかった。仕方がない。明日にでも詩に聞いてみるとしよう。
◆◆◆
「ごめんね、朝から電話かけちゃって」
「ううん、気にしないで。どうしたの?和葉ちゃん」
朝九時、和葉は詩に電話をかけた。以前、休日は昼まで寝ていると聞いたが、今日は珍しく起きていたようだ。
「国語の作文って詩くん書けた?」
「ううん。まだだけど、何書くかは決めたよ」
「えっ?!早…え、詩くんの将来の夢って何?」
詩が転入して二カ月。たくさんの話をしてきたが、そういえば将来の夢については話していない。これからの会話のネタになるかもしれない。
「えぇ…聞く?」
「うん!聞きたい!」
「えっとね……決めてない……」
「…え?」
書いてはいない。ただ、何を書くかは決めている。なるほど、確かに辻褄は合う。
「ごめんね、期待させちゃったよね……」
「…まぁ…ちょっとね…」
これについては嘘だ。本当は今まで詩に感じたことのないほど期待を膨らませていた。しかし中学校生活はあと二年もある。気長に待てば、きっと詩にも夢ができるだろう。
忘れていた。今大事なことはどのようにして作文を書くかだ。脱線した話題を、元に戻す。
「…それでどうやって書くの?」
「簡単だよ。『何になりたいか』じゃなくて『どうやって夢を創るのか』をテーマにして書くつもりなんだ」
「夢を…造る…」
和葉に、そこまでの文才はない。だからこそ、表現する。自分らしく。自分にしかできないように。
私らしい将来 雨宮和葉
私には、まだ将来の夢がありません。でも、いつかきっと、夢が見つかると信じています。だって―――
次回 夢は寝ること




