その2
「……行ったか?」
「みたいだね」
扉が閉じた音を聞き、俺たちは二人揃って机から廊下の方を覗く。校長室の扉はきっちりと閉められている。
「ビビった~マジで誰だよタイミング悪いな」
「また教頭じゃない?」
「うっわ、アイツどんだけオレらのこと疑ってんだよ」
「日頃の行いじゃない?」
「オレそんなに素行悪くねぇよ!」
どうだか。
そう言いたいのを我慢し、俺は少し歪んでしまった書類たちをなんとか整えて引き出しの中にしまい込んだ。
「意外と普通に入ってくる人いるみたいだし、そろそろ退散する?」
「そうだな。もっと調べたいことはあったけど、今は危険な気がする」
「また時間がある時に来ようか」
「おう!その時はまた鍵盗んできてやるよ!」
盗んだって認めるのか。
心の中でそうツッこんで俺は苦笑した。
「一応出る時も注意しないとな……」
一吹がまたコソ泥宛らな動きを見せ、そっと廊下の様子を窺う。音を立てずに扉を開け、顔を少しだけ外に出してキョロキョロしていた。
「誰もいねぇな」
「良かった……教頭居たらどうしようかと」
「さすがにこの状況じゃ誤魔化しようがないもんな」
パッと見廊下に誰もいないことを確認し、扉を開け放つ。安心して二人で笑いあっていれば、横から澄んだ声が飛んできた。
「何してるの?」
「うぉおおっ!?」
一吹は素っ頓狂な悲鳴を上げ、俺は驚きで声が出なかった。俊敏な動きで一吹と俺が声の方を振り返る。声に慌てて振り返るのは、これで一体何度目だろうか。
「びっくりした、夕凪か……」
「そんなに驚いた?」
「結構ね」
「そりゃ突然声掛けられたらビビるだろ!」
「一吹くんは怖がりだものね」
「怖がりじゃねぇ!」
一吹が反論するが、夕凪は面白そうにくすくすと笑うだけだった。一吹が怖がりなのは周知の事実だから仕方ない。今更撤回するなど無理だろう。
「ところで校長室に何か用だったの?」
「調査しようと思っただけ。一吹がね」
「そうそう!それでさ、こころは在校生の名簿っつーかプロフィールみたいの知らねぇか?」
「在校生のプロフィール?」
「校長室に卒業生のプロフィールが載った冊子があったんだよね。一吹がちょっと気になることあってね、在校生のプロフィールがあれば大切な記憶を取り戻せるかもしれなくて」
「……なるほどね」
夕凪が顎に手を当てて眉間に皺を寄せた。
「残念だけど、見たことないわね。卒業生のがあったのなら、同じところにないの?」
「それが無かったんだよね」
「……そう。じゃあ、別の場所で保管されてるかもしれないわね。もし見かけたら教えるわ」
「助かるぜこころ!」
「いえいえ。大切な記憶、取り戻せそう?」
「どうだろうな……ようやく一歩踏み出せたって感じだからまだまだかも」
一吹が珍しく力なく笑う。おそらく、複雑な気持ちに本人がまだ混乱しているのだろう。突然大切な記憶を取り戻せだとか、あのような衝撃的なものを見たとか、普通ではありえないようなことばかり起きているのだから。
「出来ることなら協力するわ。何でも言って」
「こころは頼りになるな」
「夕凪自身は大切な記憶を探さなくていいのか?」
「もちろん探すわよ。ただ、今はあまり乗り気じゃなくてね」
夕凪は取り繕ったような笑みを湛えた。彼女は世界の秘密の調査を始めたあたりから妙に不安がっている。彼女は何にも物怖じしないタイプだと勝手に思い込んでいたが、彼女にも不安になるようなことがあるらしい。
「そういえば一吹くん、お友達がさっき探してたわよ?」
「え、マジ?」
「大声で呼ばれてた」
「あー、遥翔のヤツだな。部活遅れてくって言ったのに」
一吹は呆れたように溜息を吐いた。
「悪い繋、オレちょっと行ってくるわ」
「いってら。後は俺が適当に調べとくよ」
「誘ったのに悪いな!校長室の鍵はオレが戻しとくから安心しろ!」
俺に任せられても困るよ。その言葉は飲み込んでおき、パタパタと駆けていく一吹を見送った。
「繋くん、調査の続きをしようとしているところ悪いけど、一つ頼まれてくれないかしら?」
「いいよ。俺に出来ることならだけど」
そう言えば、夕凪は「大丈夫よ」とにこりと笑った。
「音楽室の鍵がどこにあるか知らない?」
「音楽室の鍵?知らないけど……」
「うーん、そうなのね……。音楽の飯田先生が探していたから、困ってて」
夕凪が困り果てたように言う。
一吹が盗み出したのは校長室の鍵だけだから、音楽室の鍵の行方は分からない。
だが、俺の脳裏にはチーム・コンパスの残り二人のメンバーの顔が浮かんだ。あずは常識外れな行為やルールを破るような行動は絶対にできないし、もし音楽室の鍵を盗む可能性があるとすれば、北原の方だろう。北原は世界の秘密を暴くことに対してわりと乗り気だったし、調査のために教室を調べていてもおかしくない。
「探してこようか?」
「お願いしていいかしら」
「うん。いろいろ調べたいことあるし、ついでってことで」
「助かるわ。ありがとう、繋くん」
「どういたしまして」
俺が鍵探しを引き受けると、夕凪は柔和な微笑を浮かべて礼を言う。夕凪にはこの学校に来てからずっと世話になりっぱなしだから、たまには恩返しをしないと。
そう思いながら、ひとまず音楽室を誰か使用していないか確かめるべく歩き出そうとした。
「……待って、繋くん。少しだけいいかしら」
夕凪が何かを思い出したかのように俺を引き止めた。
「なに?」
「渡したいものがあるの」
夕凪がそう言って俺の手を取った。白くて柔らかい手が俺の手を包みこむ。彼女は俺に何かを握らせると、色を正して俺を見つめた。
「これ、使えそうなら使って」
「……なにこれ」
「お守りみたいなものよ。持っていれば、何かしら役に立つかと思って」
俺の手にあるのは、小さな蝶のヘアピンだった。夕凪がいつも着けているものと同じ種類だろう。銀一色のそれは、窓から覗く青空を反射させて鈍く煌めいた。
これがお守り?
俺が想像するお守りとはだいぶ姿が異なるが、夕凪にとってはこれに強い思い入れがあるのかもしれない。なぜ俺に渡すのかは分からないが、とりあえず受け取っておくことにする。
「よく分かんないけど、ありがとう。貰っておくよ」
「どういたしまして。それをどうするかは、貴方の自由だから」
そう告げると、夕凪は背を向けて足早に去っていった。おそらく、生徒会の仕事に戻ったのだろう。彼女はいつも忙しそうだから。
俺はもう一度、貰った蝶のヘアピンを見つめる。いろんな角度から見てみるが、特に変わった点はない。至って普通のヘアピンだ。
夕凪の意図は分からない。
これを一体何に使えと言うのだろうか。彼女は、もしかして何かを既に知っているのだろうか。
……まさかとは思うが、もう世界の秘密を全て知っていたりして。
なんて、いくら博識な夕凪でもそれはないだろう。
俺はこれ以上考えるのをやめ、音楽室へと歩きだした。