その4
写真部には、専用の教室が与えられていたはずだ。最初に夕凪に学校を案内してもらった時に、説明を聞いた気がする。カメラはもちろん、一般的なスタジオにあるような小物や、より良い写真撮影に必要な小道具が一通りそろっているらしい。
やけに部活動に力を入れている学校なんだと、不思議に思いつつも感心したのを覚えている。
「俺、なんだかんだ写真部の部室に初めて来たかも」と部屋を前にして言えば、「私も」とあずが『写真部』とポップな字で書かれた手書きのプレートを見つめた。
「誰かいるんかね」と北原が静かな部室を見て呟く。
「いるかもね。居たら、何かしら理由をつけて写真を見せてもらうしかないな」
そう言いながら、俺は扉をノックした。
コン、コン。
軽いノックの音が虚しく響いた。
しん、と辺りが静まり帰る。部屋からは、いくら待っても返事が返ってこなかった。
「誰もいないのかな?」
「うーん、そうっぽいね。写真部の活動日とかは分からないから、もしかしたら今日は休みの日かも」
首を傾げたあずに答えながら、俺は扉に手をかける。
「あれ、開いてる」
扉には鍵がかかっていない。
ということは、中に誰かしら部員がいるだろう。そうでなければ、不用心すぎる。
……しかし、今日でだいぶこの学校全体が不用心なことを実感した。なんとなく、この部屋は鍵を開けっぱなしで放置されているような気がする。
俺は失礼しますと心の中で唱えて扉を開けた。
扉を開けると、写真館のような内装の部屋が顔を出した。白い背景に、見るからに『それっぽいな』と感じさせる照明と、名前の知らない小道具。それから、壁にかけられた額縁の中には、部員が撮ったであろう写真が飾られていた。
何気ない街の様子や、植物、顔を映さない人物写真。なかには、動物の決定的瞬間を捉えたプロ級の写真まで飾られていた。
「すご……これホントにうちの生徒が撮ったのか?」
「たぶんそうだろうね……名前が書かれていないから誰が撮ったか分からないけど、ここに飾られてるってことは間違いないと思う」
「へぇ……すごい人がいるもんだな」
北原が素直に感心して、たくさんの飾られた写真をまじまじと見ていた。
「あず、何か気になる写真はあったかー?」
「ううん、街の風景の写真はなんとなく見た事があるけど、これといって気になるのは……」
「んー、そっか。額縁に飾られてるもの以外にもわりとあるみてーだし、写真部の奴等には悪いけど少し見させてもらうか」
一吹が率先して写真を探し始めた。
俺は一応部屋の中をざっと確認し、写真部の人がいないかをもう一度確認しておく。俺達以外に人の気配はしなから、おそらく留守にしているか、今日は活動がないのだろう。
念のため準備室も開けて確認するが、カメラやアルバムが複数置いてあるだけで人は誰もいなかった。
俺は準備室を覗いた時、ふと一冊のアルバムが目に留まった。何かが書かれていたとか、不可解な点があったとか、そういった理由はない。
ただ、そのアルバムが気になった。
赤いリボンが結ばれたそのアルバムは、薄い水色をしていて、中にはいくつかの写真が入っているみたいだった。
俺は、アルバムよりそのリボンに惹かれたのかもしれない。
このリボンは、あずが髪を結んでいるものと同じものに見える。
「あず、ちょっとこっち来て」
準備室から顔を出し、一吹と共に机の引き出しを開けていたあずを呼ぶ。
「西条くん、どうかしたの?」
「ちょっと見て欲しいものがあるんだ」
俺はあずを準備室に招き入れて、アルバムを見せた。
「このアルバムについているリボンさ、あずのと同じだったりしない?」
「リボン……そう、かもしれない。そういえば、このリボンはお兄ちゃんから貰ったものだったかも」
「なら、このアルバムはあずが見た方がいい。何の手がかりもなかったらそれまでだけど、少しくらいはあずの記憶に関係のある写真があるかもしれない」
そう言えば、あずの瞳に希望の光が宿ったように見えた。
あずは俺とアルバムを交互に見つめ、覚悟を決めたように一度深呼吸をした。
小さなアルバムが開かれる。
何故だか妙に緊張した。
それはあずも同じようで、長い睫毛が震えて白い頬に影が落ちる。アルバムを開く手も同じように微かに震えていた。
「これ……」
あずが写真を見て目を見開いた。
俺も横から覗き、あずが見つめた写真を見る。
そこに映っていたのは、どれも二人の少年少女だった。二人は歳の離れた兄妹のようで、一番古い写真であると、女の子の方が赤ん坊の時のものまである。公園で遊ぶ写真や、家で共に食事をしている写真、遊園地かどこかに遊びに行った写真や、何か表彰をされている時の写真まである。
これは、あずとお兄さんの思い出だろう。
「……お兄ちゃん」
あずは次々とアルバムを捲っていく。ずっとアルバムを見つめたままのあずの表情はよく見えない。ただ夢中で思い出を辿っていく彼女を、俺は隣で見つめていた。
ページを捲るごとに、思い出の中のあずが大きくなっていく。それは彼女の兄も同じで、段々と大人へと成長していった。どれだけ時が経とうと、二人は仲睦まじい様子で写っている。
しかし、あるページから写真が突然なくなった。いや、写真自体は貼られているのだが、真っ白だった。光か何かを捉えようとしたのだろうか。よく分からないが、その写真以降、あずとお兄さんの写真が貼られていることはなかった。
たぶん、あずが高校生なって少しした辺りからだ。そこから、写真は消えている。
とはいえ、あずと彼女の兄の思い出は、この小さなアルバムに大量に詰まっていた。傍から見ていた俺でも、彼女の辿った人生が少しは理解できるほどに。
「……何で今まで忘れてたんだろう」
アルバムをゆっくり閉じたあずが、小さな声で呟いた。閉じられたアルバムの表紙に、何かが零れ落ちる。
一つ、また一つと、透明な雫がアルバムに注がれていった。
「あず……」
静かに涙を零すあずに、俺は何と声をかけていいか分からなかった。大事な家族の存在をずっと忘れて生きてきたのだから、優しいあずが心を痛めて泣くのも当然だろう。
「……ひどい妹だね、私」
「……そんなことない。あずはお兄さん思いの優しい人でしょ。こうやってお兄さんを想って泣けるんだからさ」
「そう、かな……」
かける言葉を間違えているかもしれない。それでも俺はあずを励ましたくて、そう声をかけた。
あずはようやく顔を上げて、涙で濡れた顔に微笑を咲かせる。
「繋~そっち何かあった?」
北原がのんびりと声を上げながら、準備室に入ってきた。
だが、俺とあずを見た瞬間、彼女はドスの効いた声で俺に詰め寄る。
「……あずに何した?」
「ご、誤解だよ北原……!俺はあずを泣かせてない!」
「この状況でそんな嘘通じると思ってんのか?」
北原の手が俺の制服に伸びる。抵抗する間もなく胸倉を掴まれ、端正な顔がぐっと近づく。
「ま、待って雅ちゃん!違うから……!西条くんは何もしてないよ!」
「あず、無理しなくていいからな」
「ち、違うってば!ほんとなの、雅ちゃん」
「……アタシの誤解?」
北原はパッと俺を離し、ぽかんとした様子であずを見つめた。あずは乱暴に涙を拭い、少し怒ったように口を開く。
「雅ちゃん、西条くんに謝って」
「……あず」
「西条くん、困ってたよ」
「……悪かった、ごめんな繋」
「分かってくれたならいいよ」
北原は決まりが悪そうに謝罪した。
何はともあれ、誤解が解けて良かった。本気で北原に殺されるかと思った……。
「……一体どういう状況?」
凛とした声に三人とも振り返る。
そこには、不思議そうにこちらを見つめる夕凪と、状況が分からず何とも言えない顔をした一吹がいた。
「夕凪、生徒会は終わったの?」
「えぇ。それより、もしかして何か進展があったのかしら?」
「あずが記憶を取り戻したんだよ」
「本当かあず⁉」
「だから泣いてたのか……?」
俺が答えると、一吹と北原が同時に驚き、あずが控えめに頷いた。
「東屋さん、それは本当なの?」
「うん。靴箱に入っていた写真と、このアルバムのおかげで思い出したの」
夕凪に訊ねられ、あずが写真とアルバムを俺以外の三人に見せた。
「お兄さんとの写真?」と夕凪が訊ねる。
「そうだよ。ずっとお兄ちゃんのこと忘れてたんだけどね。写真を見たら急に思い出したの。存在だけじゃなくて、一緒に遊んだこととか全部ね」
あずがパラパラとアルバムを開いて見せながら言った。
「きっとね、私にとって一番大切な記憶だと思う。なんだか今、すごく幸せだから」
アルバムを大事そうに抱きしめて、あずは柔らかく笑った。その顔は、今まで見たあずの表情の中で一番幸せそうな感じがした。
きっと、お兄さんはあずにとって、誰よりも大切な存在なのだろう。
あずがお兄さんのことを思い出せて本当に良かった。
「……でもさ、あずの兄ちゃんのこと、何で家族は誰も言わなかったんだ?」
「それが不思議なんだよね……。お父さんもお母さんも、お兄ちゃんのこと忘れちゃったのかな?」
「そんなことあるのか?」
「うーん……」
一吹とあずが頭を悩ませる。
確かにそれが不可解だ。此処に居る全員が大切な記憶を失っているから、それほど引っかかる点でもないのかもしれないが、やはり違和感がある。
「……写真の人、本当に東屋さんのお兄さんなのよね?」
「それは間違いないと思う。……でもね、疑ってることが他にあるの」
「疑ってること?」
すかさず俺が聞き返せば、あずが首肯して不安げにアルバムを抱きしめた。
「お兄ちゃんのことを思い出した時にね、お父さんとお母さんが本当に私の両親なのかなって思っちゃったんだ。お兄ちゃんと私は似ているけれど、お父さんとお母さんとはどうにも似つかない気がして……。あとね、この街でずっと過ごしてきたはずなのに、もっと他の場所で暮らしていたような気がしたの」
「あずは、この街の外から来たの……?」
北原が難しい顔をしながら問う。
「ううん。そうじゃないと思うけど……何か全部が間違っているような気がして」
あずは困ったように目を伏せた。
それは俺も感じていることだった。
今まで普通だと思っていたことが、好奇心により生まれた些細な疑問から全てが可笑しなもののように感じられた。単なる思い込みではないような気がする。
俺達は誰かの手によって大切な記憶を消され、この世界の常識や偽りの記憶を植え付けられたのではないだろうか。そんなことまで考えては、突飛すぎるかと思考を停止させた。
「……私たち、本当にこの世界で――」
生きているのが正解なのかな。
あずがそう呟いたその時だった。
ガシャンッと硝子の割れる音が響いた。
弾かれるように全員が振り返る。
「な、なんだよアレ……」
一吹が震えた声で言った。
俺は声も出なかった。見た事もないモノが、そこに居たからだった。
人間を模した何か。
それは真っ黒で顔は見えず、まるで影が立体になって動き出しているみたいだった。それが人間と異なる点は、頭部と思われる部分に二本の角のようなモノが生えているところだ。それから、鋭い爪を携えた手には、斧のようなものが握られていた。
逃げないと。
あれは危険だ。
本能がそう告げている。
頭では逃げるという選択肢を選んでいるのに、体は指一本動かない。助けを求めたくとも声はでないし、他の四人も同じようにして「それ」を凝視していた。
ザリ……。
影が一歩動く。
刹那、それはあず目掛けて斧を振りかぶった。
「優芽ッ‼」
愛称で呼ぶことも忘れ、北原が思い切り叫んだ。
同じように立ち尽くしていた北原があずを庇うように抱きしめ、勢いのままに床に倒れこむ。斧は北原の左腕を掠り、空を切って振り下ろされた。
グルル……とそれは倒れこむ二人のすぐ横に突き刺さった斧を見つめて動く。何度か引っ張るような動作をするが、深く突き刺さったようでなかなか抜けないらしい。
「みんな立って!逃げないと!」
焦燥感を帯びた夕凪の声に、硬直していた体がようやく動き出した。
「北原!」
制服の腕部分が赤く染められていく彼女に駆け寄る。怪我はしているが、動けないほどではないらしい。手を差し出せば、その手を取ってあずと共に立ち上がった。
「一吹!二人を先に!」
「お、おう!分かった!」
扉を開けて脱出を促す夕凪と目を合わせ、二人を一吹に託す。
俺は影がまだ斧に気を取られていることを確認し、夕凪と共に写真部の部室を飛び出した。
「夕凪、あれ何なの⁉」
走りながら、俺は大声で訊ねた。
「……分からないわ。とにかく今は、逃げるしかない!」と珍しく冷静さを欠いた夕凪が答えた。
「繋!どこへ逃げりゃいい⁉」
先頭を走る一吹が叫ぶ。
どこへ?
どこへ逃げればいい?
とにかく、今はここで足を止めたらまずい。背後から聞こえる不気味な足音は、きっと気のせいなんかではないのだから。
「とにかく走って!狭い部屋に逃げ込んだり足を止めたりしたら終わりだから!」
「でもこの状況じゃキツくねぇか⁉」
「でも……!」
頭を働かせろ。仮にも俺はリーダーだ。
でも、理解できない状況の中で冷静に考えられるわけがない。いくら頭を回転させようとしたところで、思考がぐちゃぐちゃに絡まって恐怖心が芽生えてくるだけだった。
「一吹くん!そのまま保健室へ走って!あそこならきっと安全よ!」
「保健室だな⁉よし、分かった!」
俺の代わりに夕凪が叫び、一吹が返事をして廊下の角を曲がった。
その時に後ろを振り返るが、あの影は当然のように俺たちを追いかけてきていた。
おぞましいそれを視界に入れたくなくて、前を向く。
保健室はこの先だ。
それまでこの足を一瞬でも止めることは許されない。
俺たちは無我夢中で走った。
保健室に辿りつくと、ノックをすることもなく扉を開け放ち、五人で転がり込んだ。




