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雨が降り出してもなかなか戻ってこないレッドに、リベルテは気を揉みながら竈に火を熾す。
早めに食事の準備を始めようとわけでもなく、なんとなく火を熾しておいたほうが良い気がしたのだ。
ゆっくりと強まっていく火を見ながら、雨が止むことを願っていた。
少しずつ雨は勢いを弱め始めているが、止みそうにない。
窓から外を眺めながら、まだ戻ってこないレッドを待ち続けていると、ゆっくり戸が開く音が聞こえてきた。
リベルテは慌てて玄関に向かう。
お願いしたのに、破ったことを怒るつもりでいたのだ。
だが、目の前に居たのは、酷く雨に濡れ、目の力も失っているレッドだった。
まるで、あの雨の日のようだ、とリベルテは思った。
レッドが尊敬していた先達の冒険者であった、マーク。
彼が伴侶として掴んだ女性と新たな一歩を歩みだそうとした日に、彼は亡くなってしまった。
あの日も王都は雨だったのだ。
亡くなったマークとその相手の女性を、雨に打たれながら見下ろしていることしか出来なかった。
リベルテは自分を落ち着けるように、一度深く呼吸をして手に力を入れた後、厚手の布を取りに部屋へと戻る。
何があったか聞くよりも、まず、濡れたままのレッドを拭って体を温めることが先だ、と判断したからである。
レッドもずぶ濡れのまま部屋に戻るだとか、歩き回るという気も考えも無いらしく、ただぼーっと立ちすくんでいた。
「これで身体を拭いてください。分かっていると思いますが、濡れたままで歩き回らないでくださいね」
戻ってきたリベルテは、レッドに厚手の布を投げ渡し、今度はお湯を沸かしに竈に向かう。
火を熾しておいて良かった、と自分の行動を内心で褒めていた。
レッドは緩慢な動きではあるが、濡れた髪、身体と拭いていく。
レッドの身体にまとわりついていた雨を吸った布は、ずっしりと重くなっていた。
「……はい。白湯です。熱いのでゆっくりと飲んで、身体を温めてください」
湯気の昇るコップを、力なくリビングの椅子に座っているレッドの前に差し出す。
より近くで見たレッドであるが、その様相にリベルテは改めて驚きを隠せなかった。
レッドの首元に、はっきりと手形が付いていたからである。
余程強く掴まれていなければ、残ることなどありはしない。
剣が身近な世界で、武器を使わずに素手で相手を絞め殺そうなど、強い憎しみや恨みでもなければ実行する人など居ない。
相手の命を奪うと考えれば、武器を使うほうが簡単で、確実なのだから……。
しかし、それほどの力を込めてまでレッドを殺そうとするほどの恨みを買っているなど、リベルテには覚えが無かった。
冒険者など雑用を受けていくだけの仕事なのだから、仕事で他から恨みを買うなんて思えないのだ。
恨みや憎しみではないとなれば、相手の命を奪うという感触を楽しみたいとか、そんな狂気に満ちている相手か、武器を使うことすら考えないほど考える力を失っていた状況かである。
この王都でそのような事件や人の情報は、リベルテも得てはいなかった。
ただ、レッドはこうして無事に家に帰ってきているし、慌てて逃げてきたと言う様相でも無いことから、その首を絞めてきた相手を何とかしてきたということは分かっている。
それでも、レッドの沈んだままの状況がわからないのである。
いつものレッドであれば、こんな相手と戦うことになったとか、どういった流れで首を絞められたとか、軽い調子で持って話をしているはずなのだ。
情報の共有と言う事でもあるし、済んだ話だとリベルテを安心させる意味も含めてである。
問い詰めてまで聞くのは返って良くないだろうと思ったリベルテは、そのまま夕食の準備に取り掛かる。
レッドから話をしてくれることを待つことにしたのである。
レッドが少し弱っているように見受けられたので、がっつりと食べるものより、これまた体が温まる料理が良いだろう、と手馴れたスープにする予定であった。
静かなリビングに、食材を刻んで行く音が響きわたる。
どこの家でもあるような、優しさを含む時間であった。
「……また、薬の被害が出ていること、知っていたか?」
レッドが普段からすれば、とても弱い声で言葉をこぼす。
リベルテは料理の手は止めないようにしつつ、レッドの言葉に意識を向ける。
「……いえ。そのような事件が起きているとは、聞いたことありませんね」
「……そうか……」
それからまたレッドは黙ってしまったため、リベルテはスープ作りを進めていく。
切った具材と水を鍋に入れ、火に掛ける。
長い静けさの中で、少しずつ煮立っていく音が聞こえ始める。
「……人が、急に凶暴化する事件が起きているそうだ。……事件については、広まらないように対応しているらしい……」
レッドがまた口を開く。
広まっていない話だと、レッドは口をしたのである。
リベルテにすれば、広まっていない話をレッドはどこで知ったのかと思うものだが、それ以上に魔の薬による事件が起きているということが事実であることに驚く。
「……それが、魔の薬のせい、なのですか?」
「……わからない。……だが、そうなった人は、そうなる前に聖職者に会っていた。それも頬に傷のあるやつに……」
リベルテはレッドの言葉に、スープをかき混ぜていた手を止めてレッドを見た。
レッドは、じっと手に持っているコップから昇る湯気を眺めている。
それからまた黙ってしまったレッドは、リベルテが作ってくれたスープで体を温めるように食べ、自室へと戻って行ってしまった。
雨に打たれていたことと首に手跡が残るほどの争いがあったことから、疲れていたのだろう。
早々と戻って寝てしまったようであった。
レッドの様子も心配であるが、また王都に漂い始めた不穏な気配と感じ、リベルテは不安を覚えながら食器を片付けていく。
片付けていく中で、まだ一組の食器が残っていた。ソータ少年の分であった。
外の雨はいつの間にか止んでいたが、一夜を明けてもソータ少年の分の食器はそのままになっていた。
ソータ少年は帰ってこなかったのである。
翌日、少々熱を出したレッドはそのままベッドで寝込むことになった。
「すぐ治るから大丈夫だ。気にするな……」
レッドが無理を言ってそうではないことを感じ取ったリベルテは、薬を買いにまでは行かないが、王都を歩き回ることにした。
レッドはゆっくりと一人で思いを固める時間が必要なのだ、と思ったのだ。
それだけではなく、帰ってこなかったソータ少年も気掛かりだったのである。
レッドには休養が必要だったので、リベルテが一人で探すことにしたのだが、冒険者ギルドでもソータ少年を見た職員は居なかった。
王都で暮らす人は他に比べれば多いため、探し人と話をしたことがある人でもなければ、王都に来て間もない人間のことを覚えていられるものではない。
それに、自身の生活によく関わっていたり、何か不審であったとか、興味を引いたとか、そういったことでもなければ、他の人の顔もちゃんと見ることもないものである。
ソータ少年を探す中で、リベルテは警ら隊の詰め所にも聞きに行ってみた。
迷子と言うわけではないが、警ら隊にそういった人が保護されていたり、情報が入っていることもあるためである。
「……あの~」
「ん? あぁ、君は。君の相方である彼は大丈夫だったか?」
ソータ少年の情報が無いか尋ねたかったのだが、昨日レッドが関わった事件について教えられる。
レッドとリベルテの二人で冒険者として働いていることを、この警ら隊の人は知っていたらしい。
たしかに、警ら隊の人と共に仕事をしたことがあるため、そこで覚えていたのだろうと思えた。
他の人からも話を聞くと、レッドは危うい所であったこともわかり、リベルテはぎゅっと手を握り閉めてしまうものだった。
警ら隊にはソータ少年の情報は無かったことから、王都から出ていったのかと門衛に会いに行ってみるが、門衛も王都から出た人の中に、少年の姿は無かったと言われてしまった。
ソータ少年の姿は、どこにもわからなくなってしまっていた。
レッドが襲われた事件の話はあったが、それ以外に時間があったと言う話もなかった。
王都の中で他者のことを感心を持って見ている人などあまり居ないが、異常があれば目に付くし、記憶に残るものである。
人が攫われただとか、誰かと揉めていたとあれば記憶に残るし、道に迷っている様子だとかあれば目に付くはずだ。
しかし、そんなことは誰も口にすることはなかったのだ。
他に考えられるとすれば、何か事件に巻き込まれて居なくなったのではなく、ソータ少年が自身の意思で、レッドたちから離れていったと言うことになる。
急激に、リベルテは不安がこみ上げてきてしまう。
昨日のレッドの事件と、『神の玩具』だろうソータ少年が何も言わず離れて行ったこと。
関係しなさそうな二つであるが、リベルテの身近に起きた大きな動き。
何か大きなことが起きそうな予兆に感じられたのだ。
それも他の領地で自分たちはそこまで関わらずに済むようなものではなく、この王都で否応無しに関わらずには居られないことが起きそうに思えたのだ。
家に戻ったリベルテは、思いのほか家が静かで、それが心細く感じられた。
レッドは寝ているし、もうマイもタカヒロも居ないのだ。
込み上げてきている不安をどうすることも出来ないリベルテは、レッドの部屋へ向かう。
レッドの様子を窺うというのもあるが、一人で居ることが心細かったのだ。
レッドは寝ていて、もう熱も引いているようで顔色も悪くない。
リベルテは、部屋にあった椅子をベッドの傍に運び、座ってレッドの手を握る。
レッドの手の温かさが、今のリベルテにとって安心を覚えさせてくれるものだった。
レッドは意識が浮上してきて目を開ける。
昨日、白湯やスープといった温かい物をもらったが、それでも体力を消耗して雨に濡れつづけた身体は不調を訴えたのだ。
だからこそ、昨日はすぐに寝ることにしたのだが、思っていた以上に体は弱っていたらしく、翌日はそのまま養生することにしたのである。
様子を見に来たリベルテが不安そうにしているのが見えて、レッドはすぐ治るから薬はいらないとだけ告げて、下りて来るまぶたに抗うことなく目を閉じた。
レッドは冒険者の依頼によって、モンスターや賊などと対峙してきたことは多い。
死ぬかもしれないと思った場面も多かったし、よく生きていたと今でも思うこともある。
殺すか殺されるかという状況は、未だにレッドだって怖いと感じている。
決して、慣れたということもないのだが、自分たちが生きるために戦い、相手の命を奪うことも必要なんだと割り切るようにしていたのだ。
だが、昨日の男性はこれまで対峙した相手とは違った。
こちらに襲い掛かってくるという点でモンスターに近いと思えるが、モンスターのように生きるためだとか、身を守るためという様子が全く感じられなかった。
モンスターであっても、自身の身が危ないとなれば退くのである。
だが、昨日の男性は、レッドを襲い、警ら隊が向かってきても退く様子は見せず、警ら隊にも襲い掛かった。
斬りつけられても、ただ目の前の敵を殺すことだけしか考えていないようだったのである。
痛みを感じず、奪うことにも何も覚えず、人が人ではない何かに変わってしまったようであり、それがとても怖ろしかった。
あの男性は聖職者と直前に会っていて、その後、あの様相になったことから、聖職者が関係していることは間違いないと思っている。
人の手で人ではないものに変えてしまうと言うことに怒りは覚えているし、なんとかしなければとも思うが、相手はキスト聖国の聖職者であり、手を出すわけにはいかない。
手を出してしまえば、自分ひとりでは済まず、この国がまた戦争の被害を受けることになってしまうのだ。
しかし、聖職者たちは自身の関与をはっきりとさせないようにしつつ、人を人では無い物にする薬を使って仕掛けてきていることが、押さえ込もうとする気持ちを揺り動かす。
レッドは動くに動けない状況と動かなければもっと問題が大きくなるというせめぎ遭いに囚われると共に、人一人の力不足さを、どうしようもなさを押し付けられるようであった。
いくらか眠り、頭がまた動くようになっても、どうしたらよいのかわからないままであり、無気力さを込み上げさせてくる。
だが、ふと感じた温もりに目を向ければ、リベルテがレッドの手を握ったまま、レッドのベッドに倒れこむように寝ている姿が目に入った。
レッドはリベルテの手をしっかりと握り、もう一度目を閉じる。
次に目を開けた時は、また立ち向かえる自分に戻っていると、不思議と思うことが出来たのだ。
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