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キスト聖国の聖職者の中に、頬に縦傷がある者が居たらしいと言う話は、レッドにとって衝撃的な話だった。
少し前の王都に魔の薬と呼ばれている薬が出回り、大勢の被害者を出してた事件があった。
一時は薬を作っていただろう男が亡くなったことで沈静化の様相を見せたのだが、しばらくして、また魔の薬の被害者が出始めていたのである。
先ほどの頬に縦傷がある男が中心となって、新たに広めていたのだ。
頬に傷のあるこの男性は一度捕まえたのだが、どうしてかすぐに行方をくらませてしまっていた。
何があったのかは、今もレッドたちにはわからないままである。
牢に入れる前に逃げたらしいことから、兵の中に手引きをした者が居たのだろうとレッドたちは考えていたが、今回の話は想定していなかった。
頬に傷のある男がまた王都に姿を見せたとなれば、また魔の薬を広めようとするだろう。
レッドとリベルテは、王都がまた不穏な影に晒されることを感じ取っていた。
家に帰ったレッドたちであるが、家に戻ってもレッドは落ちつかなそうに酒を飲みつつ、雨戸の向こうに見える人々を見ていた。
あの頬に傷のある男本人なのかどうか、レッドは確認しにいきたい衝動を必死に抑えているのだ。
相手はキスト聖国の聖職者であり、一冒険者が乗り込んで問題を起こすには相手が悪い。
帝国との戦いやアクネシアのモンスターとの戦いで、オルグラント王国は多くの死者を出している。
そして、キスト聖国とオルグラント王国は国境を接することになったが、今のところ敵対まではしていない。
帝国が再度軍備を整えるまでの間、隣国に敵対している国は無い状態となるため、一時的と言えども、望ましい平穏を迎えるのである。
そんな最中で、平民であろうとも聖国の者と揉め事を起こせば、それを理由にキストから戦争を仕掛けられないとも言い切れない。
相手は、いつの間にかあっさりとアクネシアを滅ぼした国なのである。
せめて少しでも傷が癒えるまでは、この国で誰も戦争など望んでいないのだ。
それだけではなく、キスト聖国の厄介さも問題であった。
キスト聖国は、オルグラント王国や他の国のような常備兵はもっていないとされている。
ある程度の兵は居ると言われているが、練度も高いと言えるほど訓練も行っていないらしく、他国を侵略すると言う戦意は持たない国と言われていた。
少し前までは、褒める話ではないが、周囲の全てと敵対する行動を取ったアクネシアとも国交を続けて、他の国にも使者を送って了承を得た上で、聖職者たちを派遣していたくらいである。
他の国と戦争を望まず、聖職者を送って治療すると言う中立と言えるような国だったのだ。
しかし、そう言われてきた国であったが、アクネシア国をあっさりと手中に収めたし、帝国の侵略に対して何度も撃退し続けている強さも持っていた。
アクネシアを奪った手段については、未だに詳細な情報が聞こえてこないため、レッドたちも分からないままであるが、聖国の使者が言ってきたこともあるし、元アクネシアとの国境沿いにはキスト聖国の旗が立っているため、領土を接したことは疑いようが無い。
帝国を撃退し続けていることについては、最近になってグーリンデからの商人たちから聞いたと言う話の又聞きである。
本当かどうか確認は取れないが、帝国が侵略して来ているのであれば、聖国は他国に聖職者を送っていられる余裕はないはずであった。
しかし、聖職者は変わらず送っているし、アクネシアを攻め滅ぼしたという事実がある以上、強い戦力を持っていると考えた方が良いものだった。
この撃退した話については、まだ少し背びれがあり、帝国を撃退したが、聖国の死者は帝国の死者の三倍にも昇ったとも言われている。
レッドとリベルテが注目したのは、常備兵が少ない国が帝国の精鋭を相手に、三倍の死者を出したとは言え、撃退したということ。
帝国は自国家のみによる大陸の統一を目標として掲げていて、軍備増強に努めていると言われている。
実際、オルグラント、グーリンデ、アクネシアの三国で共同で当たった際には蹴散らされたし、長年争い続けてきたナダ王国を滅ぼしていることから、その力の入れようが分かるものである。
そんな帝国に、聖国は死者を多く出しながらではあるが、撃退し続けているらしいのだ。
グーリンデは帝国と国境を接していることもあって、情報収集に力を入れているらしく、グーリンデの人たちと交流を深めることで聞けた話では信仰による力だ言われているそうである。
情報収集の任に就いていた軍人から話を聞くことができたらしいグーリンデの商人は、その軍人の顔が忘れられない、と言いながら教えてくれた。
おぞましいものを見たような顔で、狂っていた、と吐き捨てるように言ったのだと言う。
どの国でも、その国に生きる人には愛国心という思いを抱いている人が居るものである。
自分の国を守るためには、それこそ狂ったかのように相手に立ち向かっていくこともあるだろう。
だが、それが国の全ての人間が、となったらそれは異常と言える。
今暮らしている国を好きであっても、自分の身が危険となれば国を捨てて逃げ出そうとする人が居てもおかしくない。
だが、そんな考えの者が居なく、皆が国を守るために兵と成って戦うことを志願する。
指揮官の号令の下、何千、もしかしたら万に近いかもしれない数が、傷つくこと、死ぬかもしれないことに怯えること無く、向かって行くとなれば、狂っている、と思うのも仕方ないだろう。
攻め込んでいる側だった帝国の兵士たちは、どんな心境だっただろうか。
戦争を仕掛けた側が襲われる側に変わるのである。怖ろしいとしか言いようが無いだろう。
この問題から、レッドは頬に縦傷があったと言う話だけで、キストの教会に乗り込むわけにはいかなかったのである。
もし本当に、頬に縦傷がある男だった場合、黙っていられるとは、レッド自身も言い切れないことがわかっていたのだ。
ただ、分かっていても押さえようがない、と言うものがある。
頬に縦傷がある男がまた薬を広めようと動いているでは無いか、と言う焦りとそんな薬をばら撒いた相手であると言う怒りに、レッドは落ち着くことが出来ないままなのだ。
しかし、そんなレッドを横目に、リベルテは家の掃除をしていた。
家を持ったとは言え、冒険者は受けた依頼で家を空けてしまうことが多い。
家を空けるほどの依頼である方が、報酬が良いので生活を考えるとまったく受けない、とは出来ないのだ。
だが、家と言うのは数日誰も居ないだけで埃が堪ってしまうものだし、空けた日数によっては使い切っていなかった食材が大変なことになっていたりする。
食材もなるべく家を長く空ける依頼に出る前に使い切ったり、近所に分けたりしているのだが、急な話になれば、それすらもできない時も出てくるのだ。
リベルテは気分転換も含めて、ダメになった食材の廃棄と家の掃除をしていたのだ。
レッドが落ち着かなさそうにしており、リベルテも黙って掃除していては、家の雰囲気は少し重く、今ここにソータ少年が居ないことが良かったと思える程である。
ソータ少年はレッドたちと一緒に家に戻ってきたのだが、窓の外を見ていた後、お店を見てくると出かけて行った。
この雰囲気を感じ取って、早々と出て行っただけかもしれない。
リベルテはそんな風に考えていた。
すると、ガタッと椅子を引く音がして、音のした方向に顔を向けると、レッドが外に出ようとしていた。
抑えきれなくなったのかと、思わず止めに手が伸びるリベルテに、レッドはなんとか作り出した笑みを浮かべる。
「……大丈夫だ。このまま居ても、どうにも暗くなるばかりだからさ。少し出歩いて、気を晴らしてくる。すぐ戻るさ」
リベルテは何かを言おうとしては口を閉ざすことを、数回繰り返す。
レッドが信じられないわけではないが、このまま一人で行かせていいのか。
止める言葉も出てこなくて、リベルテは懇願するような表情でレッドを送り出す言葉しか言えなかった。
「……雨が、降りそうですから。降る前には、帰ってきてくださいね」
「……わかった」
外に出たレッドは空を見上げる。
家の中に居たときと雰囲気が変わらなさそうな少し暗い雲が覆っていて、晴れ間は見えそうにない。
リベルテが言ったとおり、そう経たない内に雨が降り出しそうであった。
レッドは当ても無く、ただなんとなく、下を向きながら足が向いた方へと歩いていく。
レッドが幼少の頃から、この国はグーリンデ、アクネシアと小競り合いを続けており、戦争が続いているためか、王都であっても治安が良いと言い切れない。
今でもスリであれば多く居るし、マイが襲われたこともあるくらいの治安である。
だが、世界は動いており、アクネシアは無くなり、グーリンデとは国交を結ぶようになった。
小競り合いと言える戦争が無くなったはずなのに、昔より明日への不安が大きくなっているように思えてくる。
自分たちで生きているはずなのに、何かに動かされているように思えてしまうのだ。
そんな漠然とした不安を抱えてしまうのは、隣国が突然変化し、悪意を持つ人間が王都に存在し、何時どこで何が起きるのかわからないまま、こちらは手を出すことも備えることも出来ない、と言う事が輪を掛けているからかもしれない。
何かに備えるにしても、何に対してか、どれくらい備えればいいのか、情報が得られないと動けない。
しかし、相手は聖国の機関であり、一冒険者が動く相手には大きすぎる。
歩いていても、考えることをとめられず、焦りが膨らんでいくばかりであり、一向に気が晴れそうになかった。
なんとなく、何故か意識を惹かれ、レッドは顔を上げる。
狭い細道の奥に聖職者の服が見えた気がしたのである。
レッドは惹かれるように迷うことなく、聖職者が見えた方へ足を忍ばせて進んでいく。
何故行こうと思ったのか、足を忍ばせてまで気を付けているのか、自分でもわからない。
ただ、レッドの直感が体を動かしていた。
建物の角から覗き込むと、間違いなく聖職者が居て、誰かに会っているようだった。
何故、こんな隠れるように聖職者が人と会っているのか。
そして、何かを渡しているように見えたが、それは何なのか。
そして、そこにいる聖職者は誰なのか。
聖職者の顔をなんとか見ようともう少し近くへ、と動くレッドであったが、聖職者が用が済んだのか、その場から離れようとしていた。
リベルテの顔が浮かんだが、レッドは止まれなかった。
今ここで聖職者をただ見送ることが出来なかったのだ。
ただ、やはりいつもの落ち着きは無くなっていた。
聖職者を追いかけようと動いて、レッドは足元にあった木箱に足をぶつけて、蹴飛ばしてしまう。
幸か不幸か、響く音に聖職者が振り返る。
はっきりと見えたわけではなかったが、聖職者の頬に縦の傷があるように見えた。
そして、レッドを見て笑ったように見えたのだ。
間違いなくアイツだ!
レッドは込み上げてくる怒りにどうしようもなく、そのまま聖職者に掴みかかろうと飛び出す。
だが、レッドは先ほどまで聖職者と会っていた人間が居ることを忘れていた。
「あぁああああぁぁっ!!」
突如、聞こえた雄たけびに振り向くレッド。
目を血ばらせた男性がレッドに掴みかかってくる。
「……なんなんだよっ! はな、せっ……」
レッドをこんな目をして掴んでくる理由がわからないが、このままでは聖職者を捕まえられない。
なんとかその手を外そうと力を込めるのだが、男性の見かけからは想像できないほど力が強く、レッドはそのまま投げ飛ばされる。
木箱をぶち破り、大きな音を立てて、建物の壁に体を打ち付ける。
一瞬、呼吸が出来なくなり、そのまま倒れこみそうになる身体をなんとか手で支える。
倒れこむよりマシと思えるが、打ち付けられた拍子に吐いた空気が肺に入らず、大きく咳き込んですぐに動けなかった。
相手はそんなレッドを待ってなどくれず、素早くレッドに向かってきて、レッドの首を掴んで持ち上げる。
なんでこんなに力が、とこの状況において考えるだけ無駄なことが浮かんでしまうが、なにより首を締め上げる腕をなんとかする方が切実だった。
男性の手を外そうと両手に力を入れて引っ張るが、先ほどと同じく男性の腕はびくともしない。
体が宙ぶらりんとなって浮かされているため、両足でで男性を力いっぱい蹴飛ばしてみるが、痛みを感じていないのかまったく動じない。
どう考えてもおかしい相手であった。
空気が上手く吸わせてもらえないため、徐々に意識が遠のき始め、抵抗する力も入らなくなってくる。
本格的にまずいと思うが、今のレッドには対処する方法が何も見つからなかった。
だがそこに、警ら隊がやってきた。
木箱が壊れる音や壁に大きくぶつかる音で、近くに居た人が警ら隊を呼んだようだった。
駆けつけた警ら隊が、レッドとその男性の状況を見て、大きな声で警告する。
「おまえ! 何をしている! その男性を離しなさい!!」
警告に反応すら示さない男性に、警ら隊の二人がレッドを掴み上げている手を抑えようとするが、男は怯まない。
警ら隊は五人編成であったため、四人で男性に取り付くことで何とかレッドを掴みあげていた腕をはずす。
腕が外れたことで地面に落ちたレッドは、肺に空気を早く送り込もうとしてか、大きく咳き込んだ。
そんなレッドに警ら隊の隊長が寄ってくる。
「大丈夫か? 何があった?」
警ら隊の隊長がレッドに肩を貸して、その場から連れ出すように動きながら事情を確認してくる。
「わからない。あの男性が聖職者と会っているのを見ただけだ。俺は聖職者を追おうとしたんだが、あの男性に掴みかかられてあの様だ」
「聖職者と? ……またか」
隊長は何か知っているのか、立ち止まってしまった。
「うわぁっ!?」
レッドは立ち止まった警ら隊の隊長に質問しようとしていたのだが、先ほどの男性が押さえつけていた警ら隊を振り払いだす。
振り飛ばされた警ら隊の一人が、壁にその体をぶつけていた。
残りの三人がなんとか押さえ込もうとするが、一人外れただけで男性を止められそうにはなくなっていた。
「……止むをえんな。抜剣を許可する! 賊を倒せ!」
こういう事態に備えて警ら隊は訓練しているようで、隊長の号令で警ら隊の人たちは、戸惑うことなく剣を抜いて暴れて出した男性を斬りつける。
さしもの男性も、斬られてなお動き回れる化け物では無かったようである。
それでも、あの力は十分、人ではなかった。
「……検分のため、その男性の遺体を運ぶぞ」
「……はっ!」
隊長が少し暗い声で言った言葉に、隊員たちは敬礼を持って返す。
言外に殺したくはなかった、と言ったことをわかっていたのだ。
「なんだったんですか……? それに、またか、って……」
レッドはまだちゃんと力の入らない身体を、壁に預けて隊長に問いかける。
隊長は運び出されていく男性を見送り、その被害に会ったレッドを見て、ややあって呟くように言葉を漏らす。
「少し前から、突然、人が凶暴化する事件が起きている。場所が場所だっただけに、精神を病んで凶行にでただけど判断されたのだが……。ここでもか……」
レッドは知らなかった話に唖然としてしまう。
「その事件も、人が暴れだす前に聖職者と思われる相手と会っていたようだ、との証言があったのだ。ただ、聖職者が関係するものとは、状況も含めて判断できなかったのだ」
隊長が判断したのではなく、もっと上からの指示だったのだろう。
隊長の顔に悔しさが滲んでいるのがわかった。
「……話しすぎたな。君のことは知っている。こちらの仕事で世話になったこともあるからな。ではな」
レッドはその場から動けず、去っていく警ら隊を見送るしかできなかった。
周囲には木箱の破片が散らばっていた。
レッドは、まだ力が戻りきっていない体を壁にもたれたまま、呆けたように空を見上げる。
見上げた空から、顔に当たるものが少しずつ増えていく。
身体に当たっていく雨は、酷く重く感じられた。
ここまでお目通しいただき、ありがとうございます。




