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少年Aと帝王のダイニング  作者: ハルシヲン
第二章
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第十一話 少年Aと帰り


前回のあらすじ。



鬼の副部長と恐れられる水野先輩は、部の後輩を溺愛する変態である。


以上。








「アサイ、この問題解けたか」



麗らかな昼下がり、食後の満腹感と窓からのほどよい日光を浴びて教室全体に眠気が充満していたとき、遠くからそんな声が聞こえた。

沈んでいた意識が急激に戻り、俺は思わず体を強ばらせて姿勢を正した。


幸い意識を失う前に解き終わっていた問題だったので、俺は一つ咳払いをして「12nm」と答えた。

先生は「そうだな」と言って板書に戻ったので何とか乗り越えられたようである。



ちなみに俺の名字はアサイではなく浅井あざいである。

近くに浅井あさい町があるため『あさい』と読むのが一般的なのである。

たとえ名簿や座席表にルビが振られていても、それがどうしても小さいので濁点が見えにくいのだ。

そんな風に間違えられるのはしょっちゅうで、いちいち訂正するのも面倒くさくなってきた。


平凡に思えるが相変わらず周りに定着しない名字だな、とぼんやりと考えながら、机の下に落下していたシャーペンを拾い上げた。


それよりも、俺は今、うとうととする前、何か重要なことを考え込んでいたような…。




するとここで、授業の終了を告げるチャイムが鳴った。


漂っていた教室の眠気が一気に醒め、先生の軽い挨拶を皮切りに、生気を取り戻したように騒がしくなる。


これから教師の会議があるらしく、今日は早めの終業なのだ。

部活の開始時間も繰り上げられ、そのせいもあってあってみんなのテンションも高めだ。


尤も俺の所属するソフトテニス部は訳あって休部なので、これから俺は帰宅するのみとなってしまった。

家に帰っても特にやることはなく、ただ暇になるだけなのだが…。

大輔は用事があると言っていたし。


たまっていた小説でも読むとしよう…。

週末課題はまだ配布されていないもの以外終えてしまったし、明日も特に予習不要の教科ばかりだ。



浅井あざいはいるか?」



ピタリ。



急に、教室の空気が止まった。

しんとした異様な沈黙の後、今度はなにやら俺の方を見ながらこそこそと話し始める。


なんか今、覚えのある声が俺の名前を呼んだような…。



教室の視線に従い、俺がゆっくりと声のした教室の出入り口の方を振り向くと、そこには昨日見たばかりの鉄仮面が教室中を睨むように眺めていた。

185センチの長身と圧倒的な存在感で、教室は騒然としている。

不動の帝王の名は、新入生の間でもしっかりと浸透しているらしい。女子人気も高い。


それらを含めて、の教室の『なんで浅井なんかが?』という視線である。

それに関しては俺も知りたい。


廊下を通る一年生の視線までもが、すべて桐春先輩に集まっている。



荷物を整理する手を止めて、俺が桐春先輩の方をみると、そこでちょうど、教室を見回していた桐春先輩が俺を捕らえた。


「……」


目が合った瞬間、こくり、と桐春先輩が視線を固定したまま首を小さくかしげる。

ここ数日で気づいた桐春先輩の癖である。

ちなみに補足しておくと、傾けると言っても真横にではなく、少し右前方気味の横への、注意して見ないと分からないくらいの、ほんの少しのかたむけである。


勿論無言で。


それよりも何ですかそれは…。何かの合図なのか、こちらへ来いとおっしゃっているのか、何かを要求しておられるのか…。

この首のかしげは未だにその意味がよく分からない。その表情が一切変わらないから、更に分からない。

否、癖とはそういうものなのか。


ところでうちの飼い犬、シベリアンハスキーのプリッツも待てをしているとき、よく同じような仕草をする。

まあそれがなんともかわいいのだ。それは、小型犬というより大型犬がやるから更にかわいい(と、勝手に思っている)。


決っっっして桐春先輩が犬のようだなどと失礼なことを言っているわけではないのだが、不動の帝王のその仕草は、それに匹敵するほどのかなりの破壊力がある。

その視線が俺に向けられているという事実もまた、効果を増長しているような気がする。



俺は教室の痛烈な視線を感じながら、おそるおそる桐春先輩のもとへ駆け寄った。


こちらからは死角になっていたが、もう既にSTを終えたのか、ラケットケースやら通学鞄やらを持っており帰るばかりの格好である。


「えっと…、何か…?」


「…」


何か桐春先輩が言いかけたところで、担任の梅津先生が教室に入ってきた。

STが始まるようだ。


「すみません、STはすぐ終わると思います」


「じゃあ、西門あたりで待っている」


桐春先輩はさらりとそう答えて踵を返し、俺の返事を待たずして何事もなかったかのように東中央階段の方へと去って行った。

こちらに向かってきた隣の教室の担任が、通り過ぎた桐春先輩の方に振り向く。




………何?



いやいやいや。



あの帝王が西門で待っている?


教室に現れだけで教室が騒然としたのに、西門に桐春先輩が誰かを待っているとなれば、周囲の反応はおのづとわかる。

それに西門は主に一年生のみが通学用で使う門であり、二、三年生は通常正門しか使わない。



「座れよー、すぐST終わるから」



それにあの沈黙、すぐに終わるような軽い用件ではないらしい。


ふと昨日のことが頭を過ぎった。

もしかして水野先輩のことなのだろうか。

俺はそこで先ほどぼんやりと考えていた内容を唐突に思い出した。

昨日の件、水野先輩の後輩の溺愛ぶり、と、水野先輩と桐春先輩の間に見えた暗黙の壁。




STが終わると、教室からみんなが続々と姿を消していった。

室長の作業で数名が残るらしかったが、その他は帰宅か部活に向かうのだろう。


遠くの方からは既に、コントラバスの伸びやかな音が聞こえてくる。

俺はいつものようにリュックサックを持ち上げて、窓の方を眺めた。

昨日と同じくらい綺麗な晴れ空だ。



「あ」


とそこで、先ほどの桐春先輩のことをふと思い出した。

そういえば待たせてしまっているのだった。思わず本に夢中になってしまっていた。

俺はST中に気を紛らすためになんとなく読んでいた文庫本を、無造作にリュックに突っ込んで教室を飛び出した。



運動場へ向かうカラフルな人の流れに逆らって、急ぎ足で自転車の方へと向かう。

みんなが部活で残る中帰宅することは受験期以来だ。

昇降口付近の芝生で、3人の女子がスケッチブックを手に運動場の方を見ながら雑談している。

いつも見ていうはずの風景が異色に見えたのは、気のせいではない。


二時半の高く上った日がコンクリートに反射し、俺は不思議な浮遊感に襲われた。



駐輪場には思ったより人気がなく、まだ授業中であるかのようにひっそりとしていた。

運動場の声が校舎に反射して響いてくる。

自転車は駐輪場にぎっしりと詰められたままで、時々不自然な空間があるだけだ。


出る人もいない全開の門へ、俺は駆け足で向かった。

緊張からか、急いでいたからか、日に目が眩んだのか、自然と心臓の鼓動がはやくなる。


西門を出たすぐの赤銅色の煉瓦塀に、桐春先輩はいた。

桐春先輩は、今のような空白の時間にスマホをまるで触らない。


ただそこに直立したまま、動かない。

桐春先輩には、通常の人間が行うはずの無駄な動きがほとんどない。


その横顔は、冷たいが、なんというか、圧倒的に綺麗だ。

作り上げられた美しさではなく、冷風にさらされた、形の変わらない永遠の氷細工のようなそんな輪郭。

到底手の届くはずのない存在に、図らずも触れてしまったかのように、まぶしそうに道路の方を見るそんな桐春先輩が幻のように見えた。


「浅井?」


そう言って桐春先輩がこちらの方を向いた。

俺は思わずはっとして近くに寄っていった。


「すみません、待たせてしまって」


「待ってない」


桐春先輩は間を置くこともなくそう答えた。

このやりとり、まるでベタなデートの待ち合わせのようだ。


「自転車は?少し話しにくいからな、移動がしたい」


時間は大丈夫か?と桐春先輩がそう尋ねた。


「大丈夫です、すぐ持ってきます」


俺はなぜか先ほどよりも軽い足取りで自転車を取りに行った。

心の奥底にあった帰りたくないという気持ちがすっかり洗われてしまったように思えた。



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