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ことなる世界のあるきかた  作者: 幼女狐
第1章 異世界トコトコ
3/3

第3話 トコトコの大きなひみつ

「ヒナ!!!!! あちらをご覧ください!!!!!」


 突然、リリの大きな声が丘の上に響き渡りました。


「わっ! どうしたの、リリ?」


 ヒナが振り向くと、リリは遠くの景色を指さしていました。


「あそこです!!!!! 何か見えました!!!!!」


 いつもは無表情なリリですが、その頬は興奮でほんのりと赤く染まっています。


「えっ、どこ?」


 ヒナはリリの指さす方へ目を凝らしました。


 丘の向こうには、緑に覆われた大地が広がっています。


 小さな森。


 なだらかな丘。


 その向こうには、青い空が続いていました。


 すると。


 ぬうっ。


 遠くの丘の向こうから、何かが顔をのぞかせました。


 丸みを帯びた、大きな頭。


 のんびりとした目元。


 それは、ほんの少しの間だけ姿を見せると、また丘の向こうへ隠れてしまいました。


「……あっ!」


 ヒナは目を丸くしました。


「今のって、もしかして……」


「トットです!!!!! きっとトットですよ!!!!!」


 リリは頬を赤く染めたまま、ぴょんぴょんと飛び跳ねました。


 その顔は相変わらずの無表情。


 けれど、嬉しくてたまらないようです。


 一方、ルルはというと。


「…………!」


 目は今にもこぼれ落ちそうなほどまんまるに開き、鼻の穴も大きく膨らんでいます。


 ふん! ふん!


 驚きと興奮で、鼻息まで荒くなっていました。


 くいくいっ!


 ルルはヒナの服を勢いよく引っ張りました。


 そして、もう片方の手で、トットの頭が見えた方をびしっと指さします。


「うん、見えたよ。すごく大きかったね」


 こくこくこくっ!


 ルルは何度もうなずきました。


 けれど、まだ興奮が収まらないようです。


 もう一度、ヒナの服をくいくい。


 そして、遠くの丘をびしっ。


 どうやら、もう一度トットの顔を見たいようです。


 そんなルルの隣では、リリが本とペンを取り出していました。


「これは記録しなければなりません!!!!! あの大きさ!!!!! あの頭!!!!! そして、あの背中の上に町があるのですね!!!!!」


 リリは興奮のあまり、本にものすごい勢いで文字を書きなぐっています。


「二人とも、よっぽど嬉しかったんだね」


 ヒナは楽しそうに笑いました。


 それから、足元の草を見下ろします。


 この丘も。


 遠くに見える森も。


 さっきまで歩いていたツナギの町も。


 みんな、一匹の大きなトコの背中にあるのです。


「なんだか、不思議な気持ちだね」


 ヒナがそう言うと、ルルもこくりとうなずきました。


 そのときです。


「ところで、ヒナ!!!!!」


「ん?」


「リリには、気になることがあります!!!!!」


 リリは本から顔を上げました。


「雲の下には何があるのでしょうか!!!!!」


「そういえば……」


 ヒナは再び、雲の海へ目を向けました。


 白い雲が、ゆったりと流れています。


 その下に何があるのか、ここからではわかりません。


「雲の下って、どうなっているんだろうね」


 ルルも興味深そうに身を乗り出しました。


「それに、トットほど大きな生き物が、どうして雲の上を歩けるのでしょう!!!!! リリはとても気になります!!!!!」


 リリの興奮は、ますます大きくなっていきます。


 もう、自分で文字を書いているどころではありません。


 ぽーんっ!


 とうとう、本とペンを放り投げてしまいました。


 けれど。


 さらさら、さらさら。


 宙に浮かんだ本とペンは、何事もなかったかのように、リリの疑問を次々と書き留めていきます。


 その様子を眺めているうちに、リリの興奮も少しずつ収まってきたようです。


「ふう……なんとか落ち着きました!!!」


 ふわふわ。


 たくさんの文字でいっぱいになった本とペンが、リリの腕の中へ戻ってきました。


 どうやら、思いついたことをすっかり記録できて、満足したようです。


 一方、ルルはというと。


 まだまだ興奮が収まらないようです。


 ふんっ! ふんっ!


 鼻息を荒くしながら、ヒナの服をぎゅっと握っています。


 そして。


 ぽふっ。


 ヒナのお腹に顔を埋めました。


「ふふ。ルルも落ち着こうね」


 ヒナが優しく頭をなでてあげます。


 けれど、やっぱりトットが気になるのでしょう。


 ぱっ。


 顔を上げて、遠くの丘をじーっ。


 それから、また。


 ぽふっ。


 ヒナのお腹に顔を埋めます。


 ぱっ。


 顔を上げた瞬間。


 にょーん。


 ルルの鼻先から何かが細く伸びていました。


 興奮のあまり垂れてしまった鼻水が、ヒナの服にくっついていたのです。


 けれど、ルルはそんなことにはお構いなし。


 ぽふっ。


 ぱっ。


 にょーん。


 ぽふっ。


 ぱっ。


 にょーーん。


「ふふ。ルル、すごい顔になってるよ」


 ヒナは笑いながら、ルルの頭をなでました。


 ルルはまだ、トットの頭が見えた方をじっと見つめています。


 その目からは涙がぽろぽろ。


 鼻からは鼻水がつつーっ。


 ヒナはそんなルルの顔を、服の袖で拭いてあげようとしました。


 けれど。


「あれ、もうびしょびしょだ」


 ルルが何度も顔を埋めていたせいで、ヒナの服はすっかり涙と鼻水で濡れていました。


「これじゃあ、きれいにできないね」


 ヒナは小さく笑うと、ハンカチを取り出しました。


 ふきふき。


 まずは涙を拭いて。


 それから、鼻水も優しく拭き取ります。


 ルルはおとなしく拭いてもらいながらも、視線だけは遠くの丘に向けたままでした。


「はい、きれいになったよ」


 ヒナが微笑むと、ルルはこくりとうなずきました。


 けれど、興奮はまだ少し残っているようです。


 はあ、はあ。


 肩で息をしながら、何度か大きく深呼吸。


 すうーっ。


 はあーっ。


 ようやく落ち着いたようです。


 それでも、ルルの視線はずっと、トットの頭が見えた丘の向こうに向けられていました。


 そのときです。


「ほっほっほ。よい眺めじゃろう?」


 三人が振り返ると、そこには一人のおじいさんが立っていました。


 白いひげをたくわえた、優しそうなおじいさんです。


「こんにちは」


 ヒナがぺこりと頭を下げました。


「こんにちは!!!」


 リリも元気よく挨拶します。


 ルルも小さくお辞儀をしました。


「ほっほっほ。元気のいい子たちじゃな」


 おじいさんはにこにこと笑いました。


「おぬしたち、見ない顔じゃが……旅の者かの?」


「はい。僕たち、この町に来たばかりなんです」


「そうか、そうか。ならば、この景色にも驚いたじゃろう」


「はい! 雲が海みたいに広がっていて、とってもきれいです」


「ほっほっほ。そうじゃろう、そうじゃろう」


 おじいさんは嬉しそうに目を細めました。


「ここは、わしのお気に入りの場所でな。こうして景色を眺めに来ることがあるんじゃよ」


 そう言って、おじいさんは三人の隣に並びました。


 目の前には、どこまでも続く白い雲の海が広がっています。


 ずぴっ。


 ずぴずぴっ。


 その隣では、ルルがまだ鼻を鳴らしていました。


「ところで、おぬしたちはトットを見たかの?」


 おじいさんが、遠くの丘へ目を向けながら尋ねました。


「はい! さっき、あの丘の向こうから頭が見えたんです」


 ヒナが指さすと、おじいさんは嬉しそうにうなずきました。


「ほっほっほ。そうか、そうか。運がよかったのう」


「はい!!! とても大きかったです!!! ですが、ほんの少ししか見えませんでした!!!」


「そうじゃろう。なにしろ、わしらはトットの背中に乗っておるからのう」


 おじいさんは足元をとんとんと叩きました。


「ここから見える森も、丘も、町も、みんなトットの背中の上じゃ。あまりに大きすぎて、こうして立っておるだけでは、一匹の生き物の上にいるとは思えんじゃろう?」


「はい。普通の大地みたいです」


 ヒナも足元を見下ろしました。


 やわらかな草が風に揺れています。


 その下に、あの大きなトットがいるのです。


「それにしても、不思議ですね。こんなに大きな体で、雲の上を歩いているなんて」


 ヒナの言葉におじいさんは目を丸くしました。


 そして、すぐに目を細めるとたくわえたひげをなでました。


「ほっほっほ。そうじゃろう、そうじゃろう」


 おじいさんは、今度は目の前の雲の海へ視線を移しました。


「この世界の雲はのう、ただ空に浮かんでおるだけではないんじゃ」


「そうなのですか!!!」


 リリがすかさず身を乗り出します。


「わしらの暮らしにとって、とても大切なものなんじゃよ」


「雲が、ですか?」


「うむ。トットたちが歩く場所でもあるし、ほかにもいろいろな役目があるんじゃ」


 おじいさんは、白い雲の海を指さしました。


「見てごらん。あの雲は、どこまでも続いておるじゃろう?」


 三人は並んで、雲の海を見つめました。


 ふわふわ。


 もくもく。


 白い雲が、ゆっくりと流れています。


「本当に、海みたいだね」


 ヒナがつぶやきました。


「はい!!! ですが、普通の海とは違います!!! あの上をトットが歩いているのですから!!!」


 リリは興味津々です。


「では!!! あの雲の下には何があるのでしょうか!!!」


「ほっほっほ。やはり、そこが気になるかの」


 おじいさんは、少しだけ楽しそうに笑いました。


「雲の下にも、ちゃんと世界が広がっておるんじゃよ」


「世界……?」


 ヒナが首をかしげました。


「うむ。わしらが暮らしておるこの場所とは、また違った景色があるんじゃ」


「違った景色ですか!!!」


 リリの頬が、再びほんのりと赤くなりました。


 どうやら、また興奮し始めたようです。


 その隣で、ルルもぱちりと目を見開きました。


 ずぴっ。


 鼻をひとつ鳴らしてから、ヒナの袖をきゅっと握ります。


「ルルも気になるんだね」


 こくこくっ。


 ルルは大きくうなずきました。


「ほっほっほ。どうやら、三人とも知りたくてたまらんようじゃな」


 おじいさんは、そんな三人を見て目を細めました。


「それなら、雲の下のお話をしてやろうかの」


「ぜひ!!! お願いします!!!」


 リリが勢いよく頭を下げました。


 ヒナも微笑んでうなずきます。


 ルルはというと、ヒナの袖を握ったまま、期待に満ちた目でおじいさんを見上げていました。


「さて、どこから話そうかのう」


 おじいさんは白いひげをなでながら、ゆっくりと雲の海を見渡しました。


「まず、おぬしたちは、あの雲の下に何があると思う?」


「雲の下、ですか?」


 ヒナは首をかしげました。


「うーん……普通なら、地面があると思うんですけど……」


「はい!!! ですが、この世界の雲は普通の雲とは違うようです!!!」


 リリはさっそく本を開きました。


「リリは、とても気になります!!!」


 その隣で、ルルもこくこくとうなずきました。


 ずぴっ。


「ほっほっほ。そうじゃな。雲の下には、ちゃんと大地があるんじゃよ」


「やっぱり、そうなんですね」


「うむ。じゃが、そこには、わしらが普段見ておるものとは比べものにならんほど、大きな樹が生えておるんじゃ」


「大きな樹、ですか?」


「そうじゃ。それも一本や二本ではない。何本も、何本もじゃ」


 おじいさんは両手を大きく広げました。


「幹はとても太く、枝は遠くまで伸びておる。見上げてもてっぺんがわからんほどの、大きな樹々じゃよ」


「そんなに大きいんですか!」


 ヒナは驚いて、雲の海へ目を向けました。


「はい!!! ぜひ見てみたいです!!! いったいどれほど大きいのでしょうか!!!」


 リリの頬が、またほんのりと赤くなりました。


「それにな、あの雲の海も、その大樹たちが生み出しておるんじゃよ」


「えっ? 樹が雲を作っているんですか?」


「そうじゃ。今も休むことなく、ずっと雲を生み出し続けておる」


「それでは!!! 雲がどんどん増えてしまうのではありませんか!!!」


「ほっほっほ。そこは心配いらん。トットたちが食べておるからのう」


「……食べる?」


 ヒナが目をぱちくりさせました。


「うむ。あの雲は、トットたちのごはんでもあるんじゃよ」


「雲がごはんなんだ……!」


 ヒナは驚いて、白い雲の海を見つめました。


 ずぴっ。


 その隣で、ルルが鼻を鳴らしました。


「ほっほっほ。食べても食べても、大樹たちが新しい雲を生み出してくれるからのう。雲の海がなくなる心配はないんじゃよ」


「すごいですね……」


 ヒナは、目の前の景色を改めて眺めました。


 どこまでも続く白い雲。


 その下には、途方もなく大きな樹々が生えていて。


 その雲を食べながら、トットたちが暮らしているのです。


「ふふ。なんだか、すてきな世界だね」


「はい!!! リリは、ぜひ雲の下も観察してみたいです!!!」


「ほっほっほ。じゃが、雲の下へ行くのは気をつけねばならんぞ」


「危ないんですか?」


「うむ。あそこはとても高いところじゃからのう。うっかり落ちたりしたら大変じゃ」


 おじいさんは、そう言って自分の胸元に手を伸ばしました。


「じゃが、そんなときのために、わしらにはこれがあるんじゃよ」


 そこには、小さな石のついた首飾りがありました。


「きれいな石ですね」


「ほっほっほ。これはトコライト。わしらは親しみを込めてふわり石と呼んでおる」


「トコライト!!! ふわり石ですか!!!」


「うむ。この石はのう、雲に触れると、ぽんっと跳ね返る性質があるんじゃよ」


「跳ね返るんですか?」


「そうじゃ。だから、こうして身につけておけば、雲の海に落ちても跳ね返ってくれるんじゃ」


「なるほど!!! それはとても興味深い性質です!!!」


 リリは、さっそく本に書き込み始めました。


「ふわり石はのう、首飾りだけではないんじゃよ。指輪や耳飾り、ベルトなんかにも使われておる」


「いろんな形があるんですね」


「そうじゃ。みんな、それぞれ好きなものを身につけておるんじゃよ」


「なるほど!!! 安全のための道具でありながら、装飾品としても楽しめるのですね!!!」


「この世界ではのう、生まれた子どもに最初に贈るものが、このふわり石の装飾品なんじゃよ」


「最初の贈り物……」


 ヒナは、おじいさんの首飾りを見つめました。


「大切なものなんですね」


「うむ。大事な子どもを守ってくれるものじゃからのう」


 おじいさんは、にっこりと笑いました。


 けれど、そこでふと首をかしげます。


「……おや?」


「どうかしましたか?」


「おぬしたち、ふわり石を身につけておらんのか?」


 三人は顔を見合わせました。


「はい。僕たちは持っていないんです」


「なんと! それはいかんのう」


 おじいさんは、少し心配そうに眉を下げました。


「旅をしておるのなら、なおさらじゃ。ひとつは身につけておいたほうがよいぞ」


「そうなんですね。教えてくださってありがとうございます」


 ヒナが微笑むと、おじいさんも穏やかにうなずきました。


「ほっほっほ。せっかくの旅じゃ。安全に楽しんでおくれよ」


 こくっ。


 ルルも、ヒナの隣で小さくうなずきました。


「そういえば、おじいさん」


 ヒナがふと口を開きました。


「トットは、ほかの大きなトコにも会いに行くんですよね?」


「うむ。トットは友達に会うのが大好きじゃからのう」


「それなら、ほかのトコが近くに来たときは、どうするんですか?」


「ほっほっほ。それはのう……」


 おじいさんは、町のほうへ顔を向けました。


「あそこに見える橋の出番じゃよ」


 三人も、つられるように振り返りました。


 町の向こうには、空に向かって伸びる、不思議な形の橋が見えています。


「あの橋ですか?」


 ヒナは、町の向こうに見える橋へ目を向けました。


「なんだか、不思議な形をしていますよね」


「ほっほっほ。そうじゃろう、そうじゃろう」


 おじいさんは嬉しそうにうなずきました。


「じゃが、あれはもう使われておらん橋なんじゃよ」


「使われていないのですか!!!」


 リリが驚いたように声を上げました。


「うむ。昔はあの橋を使って、ほかのトコの背中へ渡っておったんじゃ。じゃが、今ではもっと便利な橋ができたからのう」


「新しい橋があるんですね」


「そうじゃ。今の橋は、雲の上を渡っていくんじゃよ」


「雲の上を、ですか!!!」


 リリがぐいっと身を乗り出しました。


「はい!!! それはぜひ見てみたいです!!!」


「ふふ。リリ、近いよ」


 ヒナに声をかけられて、リリはぴたりと止まりました。


「失礼しました!!!」


 おじいさんは、ほっほっほと楽しそうに笑いました。


「なあに、かまわんよ。そんなに興味を持ってもらえると、わしも嬉しいからのう」


 そう言って、もう一度町のほうを眺めます。


「あの古い橋はのう、今では町の大切な宝物なんじゃ」


「宝物?」


「うむ。もう渡るためには使わんが、昔の橋職人たちが一生懸命作ったものじゃからのう。今でも職人たちが、きちんと手入れをしておるんじゃよ」


「使わなくなっても、大切にしているんですね」


 ヒナが微笑みました。


「そうじゃ。古いものには、古いもののよさがあるからのう」


 リリは、遠くに見える橋をじっと見つめていました。


「なるほど!!! それでは、あの橋には昔の技術がたくさん残されているのですね!!!」


「ほっほっほ。そういうことじゃ」


「ぜひ!!! 近くで観察してみたいです!!!」


 リリは本を開き、さらさらと何かを書き込み始めました。


 その隣で、ルルがヒナの袖を引きます。


 くいっ。


「ん? どうしたの、ルル?」


 ルルは町のほうを指さしました。


 それから、ヒナを見上げます。


「ルルも行ってみたいんだね」


 こくっ。


 ルルは小さくうなずきました。


「そうだね。あとで見に行ってみようか」


 こくこくっ。


 今度は嬉しそうに、何度もうなずきます。


 ずぴっ。


 その様子を見て、おじいさんが目を細めました。


「ほっほっほ。おぬしたちは、本当に仲がよいのう」


「はい。僕たち、いつも一緒に旅をしているんです」


「そうか、そうか。それはよいことじゃ」


 おじいさんは、穏やかな顔で三人を見つめました。


「それなら、この町もゆっくり見ていくとよい。橋だけではなく、面白いものがたくさんあるからのう」


「はい。ありがとうございます」


 ヒナがぺこりと頭を下げると、リリも元気よく頭を下げました。


「ありがとうございます!!!」


 ルルも、ヒナの隣でちょこんとお辞儀をします。


 おじいさんは、満足そうにうなずきました。


 そのとき、ふわりと風が吹きました。


 白い雲の海が、ゆっくりと流れていきます。


 遠くの丘は、相変わらず緑色。


 さっき姿を見せた大きなトコは、もう見えません。


「それじゃ、そろそろ行こうか。おじいさん、色々教えていただいてありがとうございました」


 ヒナがぺこりと頭を下げました。


「ありがとうございました!!! リリは、もっともっとこの世界のことを知りたくなりました!!!」


 リリも元気よく頭を下げます。


 ルルはヒナの隣で、ちょこんとお辞儀をしました。


 ずぴっ。


「ほっほっほ。こちらこそ、こんな年寄りの相手をしてもらって感謝しとるよ、ありがとう」


「それでは、またどこかでお会いできたら嬉しいです」


「うむ。わしもじゃよ」


 三人はおじいさんに手を振ると、町へ向かって歩き始めました。


 ヒナを真ん中に、リリとルルが並んで歩いていきます。


 とことこ。


 とことこ。


 楽しそうにおしゃべりをする声が、風に乗って小さくなっていきました。


 おじいさんは、そんな三人の後ろ姿をしばらく眺めていました。


 やがて、ふっと目を細めます。


「『この世界』か……ふふ、変わった者たちじゃのう」


 誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟きました。


 さらさら。


 丘の草が、やわらかな風に揺れています。


 おじいさんは、もう一度だけ三人の歩いていった道を眺めると、ゆっくりと杖をつきました。


「さて、わしも帰るとするかの」


 その顔には、どこか楽しそうな笑みが浮かんでいました。


 * * *


 とことこ。


 とことこ。


 三人は、見晴らしの丘から続く道を歩いていました。


「いろんなことを教えてもらったね」


 ヒナが微笑みました。


「はい!!! とても勉強になりました!!! 特に雲の下の大樹については、ぜひ実際に観察してみたいです!!!」


 リリは歩きながら、先ほど書いた記録を読み返しています。


「でも、雲の下に行くのは危ないって言ってたよね」


「はい!!! ですので、まずは安全に観察する方法を考える必要があります!!!」


 リリは真剣です。


 その隣で、ルルがヒナの袖を引きました。


 くいっ。


「ん?」


 ヒナが振り向くと、ルルは自分の首元を指さしました。


 それから、ヒナの首元を指さします。


「ああ、ふわり石のこと?」


 こくこくっ。


「そうだね。せっかくだから、僕たちも探してみようか」


 ぱあっ。


 ルルの顔が明るくなりました。


「はい!!! リリも賛成です!!! ふわり石の性質も、ぜひ詳しく調べてみたいです!!!」


「じゃあ、町に戻ったら、お店を探してみようね」


 こくっ。


 ルルは嬉しそうにうなずきました。


 ずぴっ。


「その前に、ルルのお鼻もきれいにしようね」


 ヒナは立ち止まると、ハンカチを取り出しました。


 ルルは素直に顔を上げます。


 ふきふき。


「はい、きれいになったよ」


 ルルは鼻をひくひくと動かしてから、満足そうにうなずきました。


 そして、ヒナの手をぎゅっと握ります。


「さて、行こうか」


 三人は再び歩き始めました。


 やがて、丘の向こうから、色とりどりの屋根が見えてきます。


 ツナギの町です。


 石畳の道には、たくさんの人が行き交っていました。


 買い物かごを持った人。


 荷物を運ぶ人。


 手をつないで歩く親子。


 みんな、それぞれの一日を楽しんでいるようです。


「そういえば……」


 ヒナは、すれ違う人たちの姿を眺めました。


「あ、本当だ」


「どうしましたか!!!」


「ほら、あの人の指輪。きれいな石がついてるよ」


 リリがそちらへ目を向けます。


「はい!!! それに、あちらの方の耳飾りにも石がついています!!!」


 よく見ると、町の人たちは、いろいろな装飾品を身につけていました。


 小さな石が揺れる耳飾り。


 きらりと光る指輪。


 石の飾りがついたベルト。


 形も色も、みんな少しずつ違っています。


「今まで気づかなかったね」


「はい!!! ですが、理由を知ってから見ると、とても興味深いです!!!」


 リリは、あちらを見たり、こちらを見たり。


 忙しそうに首を動かしています。


 そのときです。


 くいくいっ。


 ルルがヒナの服を引っ張りました。


「どうしたの?」


 ルルは道の向こうを指さしました。


 そこには、小さなお店がありました。


 窓辺には、きらきらと光る装飾品が並んでいます。


 首飾りに、腕輪。


 指輪に、髪飾り。


 色とりどりの小さな石が、陽の光を受けて輝いていました。


「わあ、きれいだね」


 ヒナが思わず足を止めます。


「はい!!! あちらのお店なら、ふわり石の装飾品が見つかるかもしれません!!!」


 ルルは、もう待ちきれない様子です。


 ヒナの手を握ったまま、お店のほうへぐいぐいと引っ張ります。


「そんなに急がなくても、お店は逃げないよ」


 けれど、ルルは止まりません。


 ぐいぐい。


 ぐいぐい。


「わかった、わかった。行ってみようか」


 こくこくっ!


 ルルは満面の笑みでうなずきました。


 リリも本を閉じると、元気よく宣言します。


「それでは!!! ふわり石の調査を開始します!!!」


 三人は、きらきらとした装飾品が並ぶお店へ向かいました。


 * * *


 からん、ころん。


 三人がお店に入ると、扉についた小さな鈴が鳴りました。


 店内には、色とりどりの装飾品が並んでいます。


 きらきらと輝く指輪。


 小さな石のついた首飾り。


 花や星の形をした髪飾り。


 どれも、見ているだけで楽しくなってしまいそうです。


「わあ、きれいだね」


「はい!!! 形も色も、実にさまざまです!!!」


 リリはさっそく、棚に並んだ装飾品をひとつひとつ観察し始めました。


 その隣では、ルルも興味津々。


 あちらを見たり、こちらを見たり。


 ときどき気になる飾りを指さしては、ヒナに見せています。


 そんなときです。


「……おや?」


 リリが、ふと手を止めました。


 手に取った小さなペンダントを、じーっと見つめています。


 それから、自分の手元を見下ろしました。


「これは……!!!」


 その隣で、ルルも飾りをひとつ手に取りました。


 ぱちり。


 ルルの目が大きく開きます。


 二人は顔を見合わせました。


「ルル!!!」


 こくっ。


「なるほど!!! そういうことだったのですね!!!」


 こくこくっ。


 ルルも納得したように、何度もうなずきました。


「公園にいた子たちは本当に魔女ではなかったんですね!!!」


「? そうだね?」


 ヒナは不思議そうに首をかしげました。


 どうして今、そんな話になったのでしょう。


 けれど、リリとルルはすっかり納得した様子です。


「はい!!! これでひとつ、疑問が解けました!!!」


 ルルも満足そうにうなずきました。


「……?」


 ヒナはもう一度首をかしげました。


 そんなヒナをよそに、二人は再び楽しそうに装飾品を選び始めました。


「はい!!! リリはこちらにします!!!」


 リリが選んだのは、白い花の形をしたペンダントでした。


 小さな花びらがいくつも重なった、かわいらしい飾りです。


「うん。リリによく似合いそうだね」


 ヒナが微笑むと、リリは無表情のまま、どこか満足そうにうなずきました。


 すると、今度はルルがヒナの袖を引きました。


 くいっ。


「ルルも決まった?」


 こくっ。


 ルルが差し出したのは、黒い星の形をしたペンダント。


 白い髪に映えそうな、小さな星です。


「こっちもかわいいね。ルルにぴったりだよ」


 ぱあっ。


 ルルの顔が明るくなりました。


 そして、選んだペンダントを大切そうに胸元へ当ててみせます。


「さて、あとは僕の分だね」


 ヒナは棚に並ぶ装飾品を眺めました。


 赤い石。


 青い石。


 黄色い石。


 いろいろな形の飾りが、きらきらと輝いています。


「あ、これかわいい」


 ヒナが足を止めたのは、小さな耳飾りが並ぶ棚でした。


 そこには、桜色のしずく型をした、かわいらしいピアスが飾られています。


 淡い桜色の石が、光を受けてきらりと輝きました。


「これ可愛いけど、ピアスは痛そうだからな……」


 ヒナは少し残念そうに、自分の耳に触れました。


 その様子を、リリとルルがじっと見つめています。


 二人は顔を見合わせました。


 こくっ。


 ルルがうなずくと、リリも小さくうなずき返します。


「ヒナ!!! 少し待っていてください!!!」


「え?」


 リリとルルは、そろって別の棚へ向かいました。


 あちらをきょろきょろ。


 こちらをきょろきょろ。


 リリは棚をひとつずつ確かめ、ルルは小さな体を伸ばして、奥のほうまでのぞき込んでいます。


「二人とも、どうしたんだろう?」


 ヒナが不思議そうに首をかしげていると。


 くいくいっ。


 ルルがリリの袖を引きました。


 そして、棚の一角を指さします。


「はい!!! 見つけました!!!」


 二人が嬉しそうに戻ってきました。


「ヒナ!!! こちらはいかがでしょうか!!!」


 リリが差し出したのは、小さなペンダントでした。


 その先には、先ほどヒナが気に入ったピアスと同じ、桜色のしずく型の飾りがついています。


「あっ……!」


 ヒナの顔がぱっと明るくなりました。


「これ、さっきのピアスと同じだね!」


「はい!!! これなら耳に穴を開ける必要もありません!!!」


 こくこくっ。


 ルルも得意そうにうなずきました。


「二人とも、僕のために探してくれたの?」


「もちろんです!!!」


 ルルも大きくうなずきます。


 ヒナは二人が見つけてくれたペンダントを、そっと手に取りました。


 桜色の小さなしずくが、手のひらの上できらきらと輝いています。


「ありがとう、リリ、ルル。僕、これにするよ」


「はい!!!」


 ぱあっ。


 リリはいつもの無表情のまま、ルルは満面の笑みで。


 二人とも、とても嬉しそうでした。


 三人は選んだペンダントを購入すると、お店を出ました。


 からん、ころん。


 外に出ると、ぽかぽかとした陽射しが三人を迎えてくれました。


「それじゃあ、さっそくつけてみようか」


「はい!!!」


 こくこくっ。


 リリとルルが元気よくうなずきました。


 まずはリリです。


 白い花のペンダントを首にかけると、胸元で小さな花が揺れました。


 黒い髪に白い服。


 そこに、かわいらしい白い花がひとつ。


「どうでしょうか!!!」


「うん。よく似合ってるよ」


「ありがとうございます!!!」


 リリは無表情のまま、胸元の花を指先でそっと持ち上げました。


 じーっ。


 どうやら、さっそくふわり石の観察を始めたようです。


 続いて、ルル。


 黒い星のペンダントを首にかけると、ヒナの前にちょこんと立ちました。


 そして、くるり。


 その場で一回転。


 白い髪がふわりと広がり、黒い星が胸元で小さく跳ねました。


「ルルもかわいいね。すごく似合ってるよ」


 ぱあっ。


 ルルは満面の笑みを浮かべました。


 それから、少し得意そうに胸を張ります。


 最後はヒナです。


「じゃあ、僕もつけてみようかな」


 桜色のしずく型ペンダントを取り出すと、首にかけようとしました。


 けれど、その手をルルがそっとつかみます。


「ん? どうしたの?」


 ルルはヒナの手からペンダントを受け取ると、背伸びをしました。


 どうやら、自分でつけてあげたいようです。


「つけてくれるの?」


 こくっ。


「ありがとう。じゃあ、お願いしようかな」


 ヒナはルルが届きやすいように、少しかがみました。


 ルルは小さな手で留め具を外すと、ヒナの首にそっと手を回します。


 かちり。


 留め具をとめてから、胸元の飾りがきれいに見えるように整えました。


 桜色のしずくが、陽の光を受けてきらりと輝きます。


「はい!!! とてもよく似合っています!!!」


 リリが大きな声で言いました。


 ルルも、こくこくとうなずいています。


「そう? ありがとう」


 ヒナは胸元のペンダントを指先でそっと持ち上げました。


「二人が探してくれた物だからね、大切にしないと」


 その言葉に、ルルは嬉しそうにヒナへ抱きつきました。


 ぎゅうっ。


「わっ。ルル?」


 ルルはヒナのお腹に頬をすり寄せながら、にこにこと笑っています。


「ルルずるいです!!! リリも抱きつきます!!!」


「もう、リリまで……」


 まったくもう……


 ヒナは二人を微笑ましく見ながら抱きしめます。


「これで雲に落ちても安心ですね!!!」


「そうだね。これで安心だね」


 ルルも満足そうにうなずきました。


 三人の胸元には、それぞれ違う形の小さなペンダント。


 白い花。


 黒い星。


 桜色のしずく。


 陽の光を受けて、きらきらと輝いていました。


「さて、次はどこに行こうか」


 ヒナが尋ねると、リリがぱっと顔を上げました。


「はい!!! それでしたら、リリはあの橋を見てみたいです!!!」


「ああ、おじいさんが教えてくれた古い橋だね」


「はい!!! 昔の橋職人たちが作った橋です!!! ぜひ近くで観察してみたいです!!!」


 その隣で、ルルもこくこくとうなずきました。


「じゃあ、行ってみようか」


「はい!!!」


 こくっ。


 三人は、町の向こうにそびえる橋を目指して歩き始めました。


 * * *



 とことこ。


 とことこ。


 石畳の道を抜け、町の端へ近づいていくと。


「わあ……」


 ヒナが思わず声を上げました。


 そこには、大きな橋が立っていました。


 空へ向かって、まっすぐに。


 まるで、大きな塔のように。


 橋は使われていないときには、こうして立てておくのだそうです。


「近くで見ると、ずいぶん大きいね」


「はい!!! これが昔、ほかのトコの背中まで伸びていたのですね!!!」


 リリは橋を見上げながら、さっそく本を開きました。


 さらさら、さらさら。


 橋の形を確かめたり、足元をのぞき込んだり。


 右へ行っては、じーっ。


 左へ行っては、じーっ。


 すっかり観察に夢中です。


 一方、ルルも橋を見上げていました。


 ぐいーっ。


 首をいっぱいに反らせて。


 さらに、ぐいーっ。


「ルル、そんなに上を向いたら……」


 ふらっ。


「わっ!」


 ヒナが慌ててルルの体を支えました。


「大丈夫?」


 こくっ。


 ルルは何事もなかったようにうなずきました。


 けれど、もう一度橋を見上げようとして。


「もう、気をつけてね」


 ヒナに頭をなでられると、少し照れくさそうに笑いました。


「昔は、この橋を渡ってほかの町へ遊びに行っていたんだね」


「はい!!! 今は使われていませんが、橋職人の方々が大切に手入れを続けているそうです!!!」


「使わなくなっても、こうして残っているんだね」


 ヒナはもう一度、橋を見上げました。


 長い年月のあいだ、たくさんの人を運んできた橋。


 今は静かに空を見上げながら、町の景色の一部になっています。


 そのとき、ルルがヒナの袖を引きました。


 くいっ。


「ん?」


 ルルは橋を指さしました。


 それから、向こうの空を指さします。


「渡ってみたいの?」


 こくこくっ。


「そうだね。もう使われてないみたいだけど……いつか、橋を渡ってみたいね」


「はい!!! リリもぜひ渡ってみたいです!!!」


 三人は並んで、空に伸びる橋を見上げました。


 ふわりと風が吹いて、三人の髪を撫でます。


 手が止まっているリリの代わりに、ペンがひとりで続きを書いていました。


 それからしばらく。


 三人は橋の周りを歩いたり、昔の橋の姿を想像したりしながら、のんびりと見学を楽しみました。


 町のほうからは、楽しそうな人々の声が聞こえてきます。


 買い物を終えた人たちが家路につき、道を行き交う人の姿も少しずつ変わってきました。


「そろそろ夕方かな?」


 ヒナは町の様子を眺めながら、ふと空を見上げました。


 茜色に染まっていく空。


 夕焼け色に染まった雲。


 そして、空の高いところで、やわらかく照らす太陽。


「……あれ?」


「どうしましたか!!!」


「太陽、全然傾いてないね」


 ヒナが空を指さしました。


「もう夕方だと思うんだけど……」


「はい!!! 確かに不思議です!!!」


 リリも空を見上げました。


 じーっ。


 太陽は、相変わらず空の高いところにいます。


「朝からずっと、あの辺りにあったような気がするね」


「はい!!! リリたちが見ていた間、太陽はほとんど動いていません!!!」


 リリはさっそく本を開きました。


 さらさら、さらさら。


「これは興味深いです!!! もしかすると、この世界では太陽の動き方が違うのかもしれません!!!」


 その隣で、ルルも空を見上げていました。


 じーっ。


 じーっ。


 それから、首をこてんとかしげます。


「不思議だね」


 ヒナが微笑むと、ルルもこくりとうなずきました。


「でも、そうなると……夜はどうなるんだろう?」


「はい!!! ぜひ確かめてみたいです!!!」


 リリは本をぱたんと閉じました。


「もしかすると、夜になるときに何か不思議なことが起きるのかもしれません!!!」


「そうだね。ちょっと楽しみかも」


 ヒナはもう一度、空を見上げました。


 空は茜色に、雲は夕焼け色に。


 太陽だって、昼間よりずっとやわらかな光を放っています。


 それなのに。


 太陽だけは、空の高いところから動こうとしません。


 まるで、沈むことを忘れてしまったかのようでした。


 そんな不思議な空の下で、三人の観光はまだ続きます。


 * * *


「さて、そろそろ宿を探そうか」


 ヒナがそう言うと、リリが元気よく手を上げました。


「はい!!! それでしたら、リリにお任せください!!!」


「リリ、宿を知ってるの?」


「はい!!! 旅行本に、おすすめの宿が載っています!!!」


 リリは旅行本を取り出すと、ぱらぱらとページをめくりました。


「こちらです!!! 町の中にあるようです!!!」


「じゃあ、そこに行ってみようか」


「はい!!! それでは、出発です!!!」


 リリを先頭に、三人は夕焼け色の町を歩き始めました。


 とことこ。


 とことこ。


 石畳の道には、家路を急ぐ人たちの姿。


 窓辺には、ぽつり、ぽつりと明かりが灯り始めています。


 昼間はにぎやかだったお店も、少しずつ店じまいの支度をしていました。


 そんな町並みを眺めながら、三人はのんびりと歩いていきます。


 すると、ルルがぴたりと足を止めました。


 くんくん。


 くんくん。


 どこからか、甘い匂いが漂ってきます。


 ルルは近くのお菓子屋さんをじっと見つめました。


「ルル?」


 くいっ。


 ヒナの袖を引いて、お店を指さします。


「お菓子が気になるの?」


 こくこくっ。


「もうすぐ晩ごはんだからね。今日は宿を探して、明日お菓子を買いにこようか」


 お菓子屋さんを見て。


 こくり。


 少し、残念そうにうなずいて、ヒナの手をぎゅっと握ります。


 三人は再び歩き始めました。


 空は、いつの間にか深い茜色になっていました。


 夕焼け色だった雲も、少しずつ暗い色へと変わっていきます。


 それでも、太陽は相変わらず空の高いところに浮かんだまま。


「やっぱり、不思議な空だね」


 ヒナがそうつぶやいた、そのときです。


 ふっ。


 辺りが真っ暗になりました。


「えっ?」


 けれど、それはほんの一瞬。


 瞬きをするくらいの、短い短い時間でした。


 次の瞬間。


 ぱあっ。


 空いっぱいに、数えきれないほどの星が広がっていました。


 きらきら。


 きらきら。


 まるで、誰かが夜空に宝石を散りばめたよう。


 そして、その真ん中には。


 ぼんやりと、鈍い光をこぼす、まんまるのお月さま。


「……わあ」


 ヒナは思わず足を止めました。


「お月さま……?」


「お月さまです!!! お日さまがあった場所に、お月さまが現れました!!!」


 リリは無表情で頬を染めながら空を見上げています。


 その隣で、ルルはぽかんと口を開けていました。


 さっきまで、そこには太陽があったはずなのに。


 今は、たくさんの星に囲まれた月が浮かんでいます。


「今、一瞬だけ真っ暗になったよね?」


「はい!!! ほんの一瞬でした!!! まるで、世界が瞬きをしたようです!!!」


 ルルも、こくこくとうなずきました。


 三人はしばらく、何も言わずに夜空を見上げていました。


 すると、何かを思い出したかのように、ルルはポーチから一冊の本を取り出して、ヒナに見せます。


 ほしをえがく魔女。


「あ! 本当だね、まるで絵本みたいだね」


 ルルは鼻を大きくしながら絵本を掲げます。


「ルル!!! なんですかそれは!!! あとで読ませてください!!!」


「それじゃ、宿についたらみんなで読もうか」


「そうですね!!! それなら早く宿に向かうとしましょう!!!」


 にぎやかな三人は、宿に向かい歩き始めました。


 それを見守るのは。 


 夜空いっぱいの、小さな星々。


 その真ん中で、静かに光るお月さま。


 この世界の夜は、ほんの一瞬の暗闇とともに始まるのでした。




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