和睦の旗は、どちらの勝ちでございますか
「細川家の旗を上座に掲げたい」
東軍の使者が言った。
「山名家の旗を上座に掲げたい」
西軍の使者が言った。
俺は、二人の顔を見比べた。
「……両方を上座にしてはいかがでしょう」
「上座は一つだ!」
二人が同時に叫んだ。
俺は、静かに目を閉じた。
文明六年、1474年。
応仁の乱が始まって八年目。
山名宗全殿が亡くなり、細川勝元殿も亡くなった。
ようやく両家の和睦が実現しようとしている。
その大切な席である。
だから、旗の位置にも意味がある。
それは分かる。
分かるのだが。
「……では、旗を掲げないというのは?」
俺が尋ねると、東軍の使者が眉をひそめた。
「それでは細川家の面目が立たぬ」
西軍の使者も頷いた。
「山名家の面目も立たぬ」
俺は深くため息をついた。
どうやら、和睦とは相手と仲直りする前に、まず自分の面目を守ることらしい。
これでは、戦を始めるより難しい。
◇
話は数日前に遡る。
細川政元様と山名政豊様の間で、和睦の話が進んでいた。
先代の勝元殿と宗全殿は、最後まで戦を終わらせることができなかった。
だが、後を継いだ者たちは違う道を探し始めた。
特に細川家では、まだ幼い政元様を家臣たちが支えている。
そして、この和睦には一人の女性の存在があった。
細川勝元殿の妻。
山名宗全殿の娘。
つまり、細川政元様の母である。
俺は、その話を聞いて思わず声を上げた。
「……何ですって?」
千吉が頷いた。
「勝元様の奥方は、宗全様の娘君だそうです」
「ということは……」
俺は指を折った。
「細川政元様から見ると、宗全様は母方のお祖父様か」
「そうなります」
「そのお祖父様と、お父様が戦っていた?」
「はい」
俺は黙った。
千吉も黙った。
佐吉が、静かに針を置いた。
「……親方」
「何でしょう」
「それでは、政元様はどちらを応援すればよかったのでしょうね」
俺は首を振った。
「分かりません」
そして、少し考えてから付け加えた。
「……両方、では駄目だったんでしょうか」
千吉が笑った。
「親方の店と同じですね」
俺は、何とも言えない顔をした。
笑い事ではない。
いや、笑うしかない。
親子と祖父の間で戦が起こり、父と祖父が亡くなった後、母が仲直りのために動いている。
武士の世界は、どうにも家族の話が大きくなりすぎる。
◇
和睦の会談に使う旗について、俺は一つの見本を作った。
細川家の旗。
山名家の旗。
どちらも同じ高さに掲げる。
そして、二つの旗の間には何も置かない。
俺が考えたのは、それだけだった。
ところが、東軍の使者は首を傾げた。
「なぜ、間が空いている」
俺は答えた。
「互いの旗が重ならぬように、でございます」
西軍の使者が言った。
「その間に、どちらかの旗を掲げればよいではないか」
俺は、深く息を吐いた。
「ですから、それを決められないので……」
「何か申したか」
「いえ」
俺は、もう一度見本を広げた。
「双方の旗を同じ高さに掲げます。向かい合う方々が、どちらの紋も見られるようにいたします」
東軍の使者が、しばらく考えた。
「……悪くはない」
西軍の使者も頷いた。
「山名家の紋が隠れぬなら、それでよい」
俺は、ようやく息を吐いた。
千吉が、隣で小さく囁いた。
「親方」
「何だ」
「旗の高さが決まるだけで、こんなに大変なんですね」
俺は答えた。
「高さで済むなら、まだよい」
「どういうことです?」
「次は、どちらが先に座るかで揉めるかもしれん」
千吉は笑いかけた。
だが、二人の使者が真剣な顔で互いを見たので、慌てて口を閉じた。
どうやら、冗談では済まないらしい。
◇
会談に向けた準備を終えた日、俺は細川家の屋敷へ旗を届けた。
そこには、以前より少し背が伸びた政元様がいた。
幼名は聡明丸。
まだ幼い少年である。
だが、その周囲では大人たちが難しい顔で政治の話をしている。
政元様は俺の持つ旗を見た。
「旗屋」
「はい」
「山名の旗も、そなたが作ったのか」
俺は頭を下げた。
「はい」
政元様は、少し考えた。
「父上が戦っていた相手の旗だな」
「……はい」
「それを、同じ場所に掲げるのか」
俺は頷いた。
「そのように承っております」
政元様は、旗を見つめた。
そして言った。
「不思議だな」
俺は顔を上げた。
「何がでございましょう」
「昨日まで敵だった者と、明日は酒を飲むのか」
俺は、少し考えた。
「……そういうことになるかもしれません」
政元様は、しばらく黙った。
そして、小さく笑った。
「それなら、初めから飲めばよかったのにな」
俺は、言葉を失った。
八つか九つほどの少年が、実に簡単な答えを口にした。
だが、その答えを大人たちは八年かけても出せなかった。
俺は、深く頭を下げた。
「……まことに、その通りかと」
傍らにいた家臣が、気まずそうに咳払いをした。
◇
文明六年四月。
細川政元様と山名政豊様の和睦が成立した。
長く敵対してきた両家が、ついに手を結んだのである。
知らせが届いた時、俺は店先にいた。
「親方!」
千吉が駆け込んできた。
「和睦です!」
俺は顔を上げた。
「本当か!」
「はい!」
「細川家と山名家が?」
「はい!」
俺は、思わず笑った。
「……よかった!」
佐吉も手を止めた。
「とうとう、ですか」
「はい!」
千吉は、興奮していた。
「もう戦わなくてよいんですね!」
俺は、笑顔のまま頷きかけた。
だが、途中で止まった。
細川家と山名家が和睦した。
それは確かに大きい。
しかし。
「……千吉」
「はい」
「畠山家は?」
千吉の顔から笑みが消えた。
「……あ」
「大内家は?」
「……まだ、西軍に」
俺は、静かに息を吐いた。
細川家と山名家は仲直りした。
だが、東軍と西軍の戦そのものが終わったわけではない。
俺は、少しだけ笑った。
「……それでも、一歩前進だ」
千吉は頷いた。
「はい」
佐吉も笑った。
「大きな一歩ですね」
俺たちは、しばらく喜びを分かち合った。
何年ぶりだろう。
戦が終わるかもしれないという知らせを、心から喜べたのは。
◇
ところが、その日の午後。
店へ畠山義就方の使者がやってきた。
「軍旗を二十枚頼みたい」
俺は、帳面を開いた。
「……二十枚でございますか」
「そうだ」
「和睦が成立したと伺いましたが」
男は、あっさり答えた。
「それは細川と山名の話だ」
俺は、顔を上げた。
「……はい?」
「我らの戦は終わっておらぬ」
俺は、しばらく黙った。
そして尋ねた。
「畠山政長様との争いでしょうか」
「無論だ」
「……まだ、続けられるのですか」
男は、当然のように答えた。
「勝つまでだ」
俺は天井を仰いだ。
来た。
また、あの言葉だ。
勝つまで。
勝つまで。
勝つまで。
最近、この言葉を聞くたび、俺は少しずつ歳を取っている気がする。
「……恐れながら」
俺は、思い切って尋ねた。
「勝ったかどうかは、どなたが決めるのでしょう」
男の眉が動いた。
「何?」
「義就様が勝ったと仰っても、政長様が認めなければ、また戦になるのではありませんか」
男は、しばらく俺を睨んだ。
そして、低い声で言った。
「旗屋が、余計なことを申すな」
俺は慌てて頭を下げた。
「失礼いたしました」
だが、心の中では思っていた。
余計なことなのだろうか。
戦を終わらせるためには、どうしても必要な問いだと思うのだが。
◇
その夜、新九郎殿が店へやってきた。
「弥三郎!」
「何でしょう」
「細川と山名が和睦したそうだな」
俺は頷いた。
「はい」
新九郎殿は、嬉しそうに笑った。
「よいことだ」
「本当に」
だが、俺は少し考えて尋ねた。
「新九郎殿」
「何だ」
「なぜ、両家が和睦しても戦は終わらないのでしょう」
新九郎殿は、しばらく考えた。
そして言った。
「……弥三郎」
「はい」
「お前の店で、十人の客が喧嘩をしていたとしよう」
俺は頷いた。
「はい」
「そのうち二人が仲直りした」
「はい」
「残り八人は?」
俺は、しばらく考えた。
「……まだ喧嘩しているかもしれません」
新九郎殿は頷いた。
「そういうことだ」
俺は、深く息を吐いた。
何とも分かりやすい説明だった。
だが、同時に恐ろしい話でもあった。
「……では、全員が仲直りするまで、戦は終わらないのですか」
新九郎殿は首を振った。
「いや」
俺は顔を上げた。
「違うのですか」
「喧嘩をやめて、帰る者が増えればよい」
俺は、しばらく黙った。
帰る。
その言葉が、妙に胸に残った。
そうだった。
京へ集まった武士たちには、それぞれ故郷がある。
領地がある。
家族がいる。
戦を続けるために京へ来た者も、いつかは帰らなければならない。
俺は、静かに頷いた。
「……帰ることも、戦を終わらせる方法なのですね」
新九郎殿は笑った。
「そうだ」
そして、少しだけ声を落とした。
「もっとも、帰った先でまた戦を始める者もいるがな」
俺は黙った。
どうやら、この国にはまだまだ難しい問題が残っているらしい。
◇
和睦が成立してから、京の様子は少し変わった。
それまで互いを警戒していた武士たちの間で、人の往来が見られるようになった。
細川家と山名家の使者が行き交う。
両家の関係が改まったことで、通れるようになった道もあるという。
俺は、その知らせを聞いて嬉しくなった。
戦の最中、町人たちは何度も道を塞がれてきた。
家族に会うこともできず、商売も難しかった。
それが、少しずつ変わろうとしている。
ある日、千吉が言った。
「親方。今度こそ町が元に戻るとよいですね」
俺は頷いた。
「そうだな」
佐吉も笑った。
「軍旗より、店の旗の注文が増えるとよいですね」
俺は、少しだけ笑った。
「……その時は、忙しくなりますね」
佐吉は頷いた。
「喜んで働きますよ」
俺は、胸の奥が温かくなった。
父が亡くなってから、初めて本当の意味で未来の仕事を考えられた気がした。
◇
だが、世の中はそう簡単ではなかった。
その年の夏。
京では、再び戦火が上がった。
細川家と山名家は和睦した。
それでも、ほかの軍勢の争いは収まらなかったのだ。
ある日、町の方角から黒い煙が上がった。
俺は店の外へ出た。
「……また火か」
千吉も飛び出してきた。
「親方!」
「何だ」
「西の方で、戦が起きているそうです!」
俺は、煙を見つめた。
そこは、以前にも火が広がった場所だった。
何度焼けば、気が済むのだろう。
俺は、思わず呟いた。
「……和睦したのではなかったのか」
佐吉が、静かに答えた。
「和睦したのは、細川家と山名家です」
俺は頷いた。
「……そうでしたね」
分かっている。
分かっているのだ。
だが、どうにも納得できなかった。
戦を始めた中心の二家が仲直りした。
それなのに、京はまだ燃えている。
俺は、長い間煙を見つめていた。
◇
数日後。
俺は、西軍の三浦頼景殿を訪ねた。
久しぶりに会った頼景殿は、以前より痩せて見えた。
「弥三郎」
「はい」
「また旗の注文か」
「いえ」
頼景殿は、少し笑った。
「では、何だ」
俺は、静かに尋ねた。
「……戦は、いつ終わるのでしょう」
頼景殿は、しばらく黙った。
そして、深くため息をついた。
「そなたも、まだそれを聞くか」
俺は頷いた。
「はい」
「分からぬ」
俺は、少しだけ笑った。
「……そうですか」
頼景殿は、静かに続けた。
「宗全様は亡くなられた。勝元様も亡くなられた。細川家と山名家は和睦した」
「はい」
「だが、畠山義就殿はまだ戦うつもりだ。大内政弘殿も京に兵を置いておられる」
俺は頷いた。
「……そうですね」
頼景殿は、少し遠くを見るような目をした。
「皆、長く戦いすぎたのだ」
俺は、顔を上げた。
「長く?」
「ああ」
頼景殿は続けた。
「最初は、勝てば終わると思っていた」
俺は黙った。
「だが、長く戦えば戦うほど、失ったものが増える」
その声は、静かだった。
「失ったものが多ければ、今さら引き下がれぬと思う者も増える」
俺は、何も言えなかった。
その言葉は、妙に重かった。
勝つまで戦う。
だが、勝つまで戦えば、さらに多くを失う。
そして、失ったものを取り戻すために、また戦う。
俺は、静かに息を吐いた。
「……終わらなくなりますね」
頼景殿は頷いた。
「そうだ」
◇
店へ戻った夜。
俺は、帳面を開いた。
『文明六年四月』
『細川政元様・山名政豊様 和睦』
その下に、
『同年夏 京にて再び戦火』
と書いた。
そして、筆を置いた。
和睦は成立した。
だが、戦は終わらない。
何とも不思議な話だった。
俺は、父の帳面を開いた。
そこには、こんな言葉が書かれていた。
『戦の終わりは、勝った時とは限らぬ』
俺は、しばらくその文字を見つめた。
「……父上」
返事はない。
だが、今日は少しだけ父の考えが分かった気がした。
勝つこと。
仲直りすること。
帰ること。
それぞれ、違う。
そして、戦を終わらせるためには、誰かが帰る決断をしなければならないのかもしれない。
俺は、静かに帳面を閉じた。
◇
翌朝。
店へ一人の武士が訪ねてきた。
見慣れない男だった。
「旗屋弥三郎殿」
俺は頭を下げた。
「はい」
男は、静かに言った。
「大内家より参った」
俺は、少し身構えた。
大内政弘殿。
西軍の有力大名。
西国から大軍を率いて上洛し、長く京で戦い続けている人物だ。
「……ご注文でしょうか」
男は頷いた。
「旗を仕立ててほしい」
俺は帳面を開いた。
「何枚でしょう」
「五十枚だ」
俺は、筆を止めた。
「……五十?」
「そうだ」
「用途は?」
男は、少しだけ笑った。
「もちろん、戦だ」
俺は、深く息を吐いた。
またか。
細川家と山名家が和睦したというのに、大内家はまだ戦を続けるつもりらしい。
俺は、静かに尋ねた。
「……どちらへ向かわれるのでしょう」
男は、少し考えた。
そして答えた。
「それは言えぬ」
俺は頷いた。
「承知しました」
男は続けた。
「ただし、今回は急ぎだ」
「納期は?」
「十日後」
俺は、帳面に書いた。
『大内家 軍旗五十枚』
『納期 十日後』
そして、最後に確認した。
「代金は、半金前払いでございます」
男は、少し驚いた顔をした。
そして、笑った。
「……このような時でも、代金の話か」
俺は頭を下げた。
「はい」
男は、しばらく俺を見つめた。
そして言った。
「大内家が敗れれば、代金も取れぬぞ」
俺は、静かに答えた。
「ですから、先にいただいております」
男は、腹を抱えて笑った。
「ははは! なるほど!」
俺も、少しだけ笑った。
だが、男は最後にこう言った。
「……弥三郎殿」
「はい」
「この戦も、そろそろ形が変わる」
俺は、顔を上げた。
「……形が?」
男は頷いた。
「京で戦うことだけが、勝つ道ではない」
俺は、しばらく考えた。
「……どういうことでしょう」
男は、少しだけ笑った。
「いずれ分かる」
そして、店を出ていった。
俺は、その背中を見送った。
◇
その夜。
俺は、祖父の白い旗を取り出した。
長い年月を越えて残った一枚。
祖父が作り、父が守り、今は俺が預かっている。
俺は、静かに布を広げた。
細川家と山名家が和睦した。
それは、確かに大きな出来事だ。
だが、戦は続いている。
畠山義就殿。
大内政弘殿。
そして、各地で争いを続ける武士たち。
彼らが京から去る日が来るのだろうか。
俺は、静かに呟いた。
「……父上」
そして、少しだけ笑った。
「今日は、和睦の旗を作りました」
風が吹いた。
障子が、かすかに揺れた。
俺は続けた。
「ですが、明日はまた戦の旗を作るそうです」
返事はない。
俺は、白い旗を丁寧に畳んだ。
そして、最後に小さく言った。
「……そろそろ、戦以外の旗だけを作りたいものですね」
京の空には、再び煙が上がっていた。




