シマエナガ
──12時40分。
「はぁ、はぁっ……」
区内に蔓延る『滓』を殲滅せんと、出会い頭で次々と殺めていく──その工程に感傷や憤りといった私情を挟んでいたあたしは、自分の異能は行使せずに乱暴な狩り方をしていた。殴り、蹴り、引き千切り。霊力による体術的な攻撃方法だと負の感情も発散しやすかった。
感情の由来は、そう、先刻の澤乃井賢治の一件にある。支配を受けていた4人はある日彼に家を襲撃されるまでは円満な生活を営んでいた家族だったという。為霊者がこれを崩壊させたのが許せないのだ。
(溜めすぎてしまったわね……相澤さんに報告しないと)
息が荒れる。歩道で行き交う人々に奇異な目をされるけれど、どうだってよかった。慣れっこだし、あたしが夥しい返り血を浴びていることは誰にも観測されない。
歩く。ただ歩く、『滓』を根絶するべく。
そしてふと、通りかかった牛丼屋の前で足を止めた。
(──あたしの異能がもし弱ければ……15の頃に寮に送られて家族と決別することもなかったのでしょうね。それでもあんなふうに笑って食卓を囲うという光景にはならないけれど)
あたしは今、家族がどうしているかもわからない。家族もまた為霊者として日々を生き抜いていることを祈願している。
「──やっほー、みやびちゃん」
明るくも軽薄な声。後ろを振り返ると、左右で金と黒に色をわけたロングヘアーの少女がいた。白色の両目──見間違えようもない、あたしと同じ寮生の嶋江永舞だった。背中で腕を組んで、含みのある笑顔をしている。
「さっき指名手配の澤乃井賢治がみやびちゃんに殺されたって、連絡がきた。舞がしくじって逃したやつなの、代替わりしてくれてありがとうね」
「何をしにきたの。持ち場の池袋に戻りなさい」
「同じ寮に住む者同士なのにつっけんどんだなー。ありがとうのついでに、柄になく昼ごはんの誘いでもしようかと思ってきたんだよ」
「あたしは食べないわ」
「池袋の方まで凄い量殺したよね? あーんなに転がして一つも貪らないつもりなの? 殊勝だね。食べないのは良いけど、それなら食べるところを見ててよ。意味があるでしょ、それには」
舞は「ここの牛丼屋曲がったところで腰掛けよう」と言って、近くに横たわっていた『滓』の死骸を掴む。兎を思わせる見た目のその個体もあたしが乱暴に殺したもので、ただでさえ食欲を失せさせるのにより酷い有様をしていた。
彼女の誘いを断ることもできた。けれど、あたしにも休憩したい気持ちがあって、同伴することを選んだ。
硬いコンクリートに座り、壁に身を委ねると肩の力が抜けていく。あたしの隣に座った舞は、再び語りかけてきた。
「弱小の為霊者たちは喜ぶだろうなー、これだけの配分があると」
「言うに事欠いて……弱小ではなく死体処理班と正式名称で呼ぶべきよ。等級が低い為霊者の苦労は計り知れないわ」
「それっておかしいよ。日中、日没、一日を通して働きづめの舞たち高位等級者なら、そいつらに愚痴の一つでも零していいはず。……ああ、でも、みやびちゃんの家族も当てはまっちゃうもんね、家族を糾弾したくないか」
「あなたとセンシティブな話題はしないほうがよさそうね。……多方面で物議を醸すわ」
「えー、じゃあ思想の話とかしないほうがいい? 本旨がそれなんだけどなー。今日、那須愛瑠の任務を刃君と共同で請け負っているよね。ぶっちゃけ、みやびちゃんと刃君は彼女に寄り添う派閥でしょ」
あたしの選択は、沈黙だった。ここで熱弁して角を立てるつもりはない──それに、舞はさして返答を急かすという姿勢でもなさそうだった。
「──おぇぇ。酸っぱいのに油っこい。ほんとうの兎の赤身肉って食べすぎると逆に飢餓みたいになるらしいよ。これも、噛めば噛むほど逆に食欲が減退していくよ」
(池袋も少数精鋭で見張っているのに、一員が抜けるなんて言語道断ね……)
正直、舞に指摘しても無駄だとわかっている。ずっとそうだ。あたしは諦めて膝を抱え、スマホで刃とのメッセージ画面を開いてみる。
『やべえよ、一ノ瀬。那須愛瑠がほんとに弁当食ってる! 同席を拒まれちまったから、遠目に観察してるぜ』
『一度危ない橋を渡ったのだからあんまり怪しい行動をするのはやめなさいよ?』
『んなこと言って、ほんとうは何してるのか気になってそわそわしてるんだろ?』
『……否定しないわ。教えてちょうだい』
『那須愛瑠、実はクラスでは交友関係が広いみたいでな、朝挙げた寧々って人のほかにも3人くらいいるグループで談笑しながら食べてる。相当賑やかだぜ。話題は朝撮ったBeRealがどうとか……俺にはわかんない』
『おもしろそうね。授業中はどうだったのかしら』
『たとえば、三時間目な──』
人伝の、ドラマで見るような日常のお話。けれども身近な刃の実体験であることによって、ドラマなんかよりも臨場感があった。あたしは若干和みつつ改めて口にはしない思想の話へと帰る。
(やっぱり彼女の生活を崩すべきではないわ。彼女は挫かれるべき悪ではない、あたしたちはリスクを前提に生きてきたもの)
「──那須愛瑠が死んででも、為霊者社会の糧にするべきだと、舞は思うよ」
現実に引き戻された、そんな燻りがあった。舞は手のひらに霊力を込め、食べ残した骨を握り潰した。
「……彼女が普通の生活を送りたいと願っていたら?」
「それについては受容できないね。──通常社会の裏に舞たちの為霊者社会があるという構造は、そもそもおかしい。いつか正されるべきなんだよ」
舞は純粋な目で、目の前を歩く人々を羨ましそうに見た。
「この人たちにとって、舞たちは透明人間なの? 変人なの? 違うよね。本来この年齢なら学校に行って受験に勤しむはずだし……放課後にはスターバックスにも行きたい。那須愛瑠が抜け駆けした生活に、あやかるんだよ、舞たちも」
「そのために組織が彼女にどんな実験をしようとしているのか、わかっているのかしら」
「んー、たとえば無理矢理『滓』を食べさせてみたり、人体構造を研究するために解剖してみたり、血をとったり……一部は彼女そのものを食べたいとさえ思っているみたい」
「そう……理解した上で賛成しているのね」
「当てこすり? よくないなー、舞が悪者みたいじゃん……もうそれはほぼ那須愛瑠の擁護派だって答えたようなものだよ」
相容れないとわかった。あたしはこれ以上の応酬は無駄だと判断して、腰を起こした。
「もう食べ終わったでしょう、看取る必要はないわ。今回持ち場を抜けてきたことは不問に付してあげるから、池袋に帰りなさい」
「なんか……ごめんね。別に不快にしようと思って話しにきたんじゃないけど、言われた通り思想の話はやめるべきだったね」
でも……と前置きをして、舞は釘を刺してきた。
「みやびちゃんたちは少なくとも今夜"捕獲しろ"って命じられてるんだからね。──拒まれたら、ちゃんと実力行使するんだよ」
舞は翻って、池袋方面へと引き返していった。
十中八九、手を抜けば彼女は強行も厭わないだろう。悪の猖獗するこのご時世に仲間割れまで考慮せねばならないなんて、荷が重い話だ。彼女の仮借ない姿勢を裏付けるように、刃からこんなメールが来た。
13:21『舞さんが牽制してきた。"戦いに際して抜かりなく拵えてね、負けそうになったら駆けつけるよ"だって。めーちゃくちゃやり合う気じゃん。血の気が多いなー』
あたしは返信内容を入力しながら歩く。
けれど誰か歩行者に衝突しては申し訳ないと思い返信は中断した。この時刻であれば、刃も授業中なのではなかろうかと勘案した結果でもある。
どこか公衆のお手洗い設備で血の付着した体を洗えないものか。自分のふくらはぎあたりに視線を落とす──と。
歩道を闊歩するような霊力の塊を感知した。それは小さく、濃密で──あたしの股を抜いてきた。
(──薄紫の……猫人形?)
その猫人形は20センチメートル程度のサイズで人々の足を掻い潜って前進していく。
質感は布そのものだが……これは玩具などではない。
為霊者が、遠隔で操作しているのだろうか。




