第4.5話:月光の筆談と、家族の記憶 2/3 クロウの過去編
「声を発するセリフ」
『手話を使用した会話』
【筆談を使用した会話】
《モールス信号を使用した会話》
(心の中、ひとり言)
地鳴りの静寂、初めての温もりこの世界において、耳が聞こえず、呪文(詠唱)を叫べないということは、それだけで「ゴミ」として扱われるに十分な理由だった。
だが、俺──クロウにとっての地獄は、単に音が聞こえないことではなかった。
チク、チクチク、チクチクチクッ──!!!
「が……あ、がはっ……、ぁ……っ!!」
十代後半の頃、スラム街のドブ川の横に縮こまりながら、俺は自分の両腕を血が滲むほどに爪で激しく掻きむしっていた。耳が聞こえない代償として異常発達してしまった、俺の【超感覚の触覚】。それこそが、神が俺に与えた最悪の呪いだった。
周囲を行き交うクソ人間どもが放つ、「うっとうしい」「障がい者め」「汚らわしい無能が」というドス黒い悪意や蔑みのマナの波形。音が聞こえない俺の皮膚は、その『他人の感情のノイズ』を全て敏感に感知し、言葉通りに皮膚を鋭い剣でチクチクと突き刺されるような『物理的な激痛(痛覚)』に変えて、二十四時間、毎分毎秒、俺の肉体を痛めつけ続けていた。
世界は、逃げ場のない激痛のノイズで満ちていた。他人の悪意に触れるたびに、身体が内側から千切れるように痛む。心をどれだけ閉ざそうが、大気や地面の微振動を伝って、クソどもは見えない悪意の刃を俺の肌に容赦なく突き刺してくる。
精神が完全に崩壊しかけ、ただ死を待つためだけに、俺はゴミ溜めの路地裏で膝を抱えてガタガタと震えていた。
(……痛い、痛い、痛い、痛い! 誰か、この世界のノイズを止めてくれ……っ!!)
涙を流し、血の滲む腕を抱えて目を瞑っていた、その時。不意に、俺の頭の上に、泥に汚れたひとつの大きな『手のひら』がポン、と置かれた。
「ッ──!?」
俺は悲鳴を上げるようにして顔を跳ね上げた。触れられた瞬間、またあの悍ましい激痛が走ると思ったのだ。
だが──不思議なことに、その頭の上の手のひらからは、皮膚を突き刺すあのドス黒いノイズが、1ミリも伝わってこなかった。そこにあったのは、ただただ、驚くほど純粋で、ぶっきらぼうな『温もり』だけだった。視線を上げれば、そこには、ヤンチャにハネた金髪をガリガリと掻きむしる、十代後半の男──統護が立っていた。
俺の怯える目をまっすぐに見つめながら、彼は静かに、胸の前で自分の両手を流れるように美しく組み合わせた。
──左右の手のひらを自分に向け、人差し指から小指までの4本を、まるでハープの弦をなぞるように優しく、内側から外側へと交互に波打たせる。波打たせていた両手を、胸の前で「手の甲を外側にして十字に交差」させ、そこから左右の水平方向へと、空間を遮断するように一気に強く押し開く。左右に開ききった両手のひらを、今度はゆっくりと天へと向け、指先をすっと優しく丸めながら、まるで一滴の綺麗な水を胸元へ集めるように、祈るような形で引き寄せる。最後に、左の手のひらの上に、右の手のひらをそっと重ね合わせ、自らの胸の真ん中(心臓の前)へと優しく引き寄せて静止させる。
一言の『声』もない。けれど、その彼の手の軌跡が空間に優しいマナの波形を描き、右手の指を思い切り弾いた──。
──パチン。
手話魔法・掌の軌跡──『調律の静寂』!!!
「…ッ──、ぁ……っ!?」
次の瞬間、二十年間、俺の皮膚を引き裂き、精神を狂わせ続けていたあの『世界の激痛』が──大将の放った無音の魔力フィルターによって、ぐにゃりと歪み、外電そして、跡形もなく完全に「消失」した。
耳を劈くほどの爆音が、一瞬で完全な無音の静寂に変わったかのような、凄まじい衝撃。ずっと自分を痛めつけていた痛みが、何の前触れもない空白へと変わった。
だが、俺の脳はその異様な事態に拒絶反応を起こした。安心よりも先に、味わったことのない「未知の静寂」への恐怖と大パニックが俺を襲う。
「ハっ、がはっ……、ぁ、あ……っ!」
急に訪れた空白に過呼吸のようになり、俺は胸をかきむしりながらパニックに陥った。世界の形が分からなくなり、激しい目眩のなかで俺の意識は完全に暗転し、路地裏の泥水へと倒れ込んだ。
◇
「……ハッ!」
冷や汗をかきながら、俺は勢いよく跳ね起きた。慌てて周囲を警戒するが、そこは薄暗いけれど、どこか木の温もりがある古い一軒家の一室──のちに俺たちよのアジトとなるボロ屋だった。
「あ、起きたか。急にノイズが消えて、頭がバグり散らかしただろ……って分かんねぇか」
だるそうに前髪を掻きながら、金髪の男──彼が俺の前に温かいスープと、紙に包まれたふかし芋を置いた。
俺は自分の両腕を見つめた。あのチクチクとした世界の激痛が、今も綺麗に消え去っている。
俺は言葉も、文字も、手話すらまだ何も知らない。だから、自分が今どういう状況なのかも分からず、ただ恐怖と疑問に満ちた目で、必死に自分の腕を指さし、それから彼の顔を交互に何度も見つめた。
──俺の身体に、一体何をしたんだ? なんで、あの痛みが消えたんだ?
言葉にならない俺の必死の視線を、彼は椅子の背もたれに体重を預け、その不敵な黒い瞳で何となくすべてを察したようにして、ニヤリと頼もしく笑ってみせた。
トーゴは、耳の聞こえない俺に伝えるために、大げさな身振り手振り(ジェスチャー)を交えながら語りかけてくれた。
まず自分の頭を指さし、次に俺の頭を指さして、手のひらをパタパタと動かす。
──お前の脳と皮膚に、俺のマナで『オン・オフのスイッチ』を新しく作ったんだ。続いて、目を閉じて周囲の気配をじっと探るポーズ
をしてから、親指をグッと立ててみせる。
──これからは、お前自身の意思で、その皮膚の感覚を自由に遮断したり、逆に集中して周囲の情報を読み取ったり(オン)できるようになる。
耳は聞こえない。言葉も分からない。けれど、トーゴの必死で、どこか不器用な身振り手振り(ジェスチャー)から、彼の言いたいことの真意が、魂の底から驚くほどクッキリと伝わってきた。
トーゴは俺の目の前で、再びゆっくりと両手を動かした。その手の軌跡は、一切の悪意もない、ただ純粋なマナの形。現世(日本)で彼が最愛の恋人と毎日交わしていた、あの温かい言葉。
手話──『大丈夫、未来は温かいから』。
世界は、こんなに静かで、こんなに自分自身の力でコントロールできる場所だったのか。彼の言葉(声)は聞こえない。
けれど、その優しすぎるマナの形と、身振り手振りで自分の疑問に必死に答えてくれた彼の器の大きさを、俺は涙が止まらないほど理解した。
俺の目の奥から、20年間堪えていた大粒の涙がボタボタと溢れ落ち、温かいスープの器を濡らした。トーゴは自分の口元を指さし、首を大きく横に振る。
──言葉なんて、喋らなくていい。そして、自分の両手を合わせて、手と手を『結ぶ』ジェスチャー
をしてから、ニカッと笑ってみせた。
──声を出さなくても、この手があれば、いくらでも話ができる。それをこれから俺が全部教えてやる。
最後にトーゴは、自分の大きな手を俺の目の前にまっすぐ差し出した。
──なぁ、俺のところへ来いよ。
俺はその手を、一生離さないとばかりに、涙を流しながらギュッと強く強く握りしめた。この日から、俺の手話と文字、そして最強の忍びとしての血の滲むような特訓が始まったのだ。
◇
トーゴに拾われ、あの日アジトで温かいスープを飲んでから、俺と彼の泥臭い特訓の日々が始まった。
彼が俺の脳内に作ってくれた『調律の静寂』のおかげで、皮膚を引き裂くような悪意の激痛は、俺の意志で自由にコントロールできるようになっていた。
だが、痛みが消えたからといって、俺がこの世界の言葉を喋れるようになるわけじゃない。耳の聞こえない俺は、まだ文字も、言葉も、彼が教えてくれるという『手話』の形すら何一つ知らなかった。
「いいか、お前。焦らなくていい。お前のその凄い目と肌を使って、俺の『言葉』を全部お前の身体に染み込ませてやるからよ」
彼はいつものチャラい金髪を掻きながら、机の上に古い紙の束とインク、配置した自分の『両手』を差し出した。
ここから、俺たちの気が遠くなるような、けれど今思い出しても涙が出るほど温かい「無音の対話」の特訓が始まったのだ。
その1、掌を視る特訓と『名前』
最初に教わったのは、大将が路地裏で見せてくれたあの手の形──手話だった。
「これが【大丈夫】、これが【掌】、これが【温かい】だ」
彼が口を動かしながら、胸の前でゆっくりと優しく両手を組み合わせる。耳の聞こえない俺は、彼の指先の一挙手一投足、マナの滑らかな動きを、目が充血するほど必死に睨みつけた。
何度も何度も、自分のぎこちない指を彼の形に似せて動かす。特訓を始めて数日。お互いに必死に身振り手振りで意思を交わしていた、
ある日の午後だった。彼が、ふと手の動きを止めて、いつものようにハネた金髪をガリガリと乱暴に掻きむしった。
「──つーかさ、いつまでもお前、お前って呼ぶのも不便だしなぁ……」
彼はそう言うと、ふと窓の外へと目を向けた。アジトの屋根の隙間、夕暮れのスラムを軽快に、そして賢く飛び回っている一羽の黒い鳥──カラスを見つめる。
彼は俺の、泥にまみれながらも必死に生き抜いてきた身軽さと、この数日間の教えをすぐに吸収する頭の良さを振り返り、やれやれと苦笑いを浮かべた。彼は、その黒い鳥を指さしてから、俺の胸をそっと温かく叩いてみせた。
口の動きは、キッチリと三文字。
──『ク』『ロ』『ウ』。
「すまんな、何の捻りもなくて(苦笑)。今からお前は『クロウ』だ」
言葉(声)は聞こえない。けれど、彼の不器用な笑顔と、胸を叩かれたその手の温もりから、俺はすべてを察した。
名前。世界で初めて、俺という存在に与えられた、俺だけの名前。俺はその大切な名前を噛みしめるように、涙を流しながら彼の大きな手をギュッと強く強く握りしめた。彼がくれた『クロウ』という居場所の重みを、俺は一生忘れないと誓った。
その2、闇を識る特訓──【文字と筆談】
名前を貰ってからの俺の集中力は、自分でも恐ろしいほどだった。彼と、もっとたくさんの『言葉』を交わしたい。その一心で、俺は彼が教えてくれる文字の読み書きを必死に叩き込んでいった。
「ほら、これが『ク』だ。これが『ロ』。これが『ウ』。お前の名前だわ」
彼は俺の後ろに回り込むと、ペンを握る俺の手の上から、自分の大きな手をそっと重ねた。彼の手の温もりと力強さを皮膚(触覚)で感じながら、ガリガリと紙にインクで文字の形をなぞっていく。
目(視覚)で文字の形を覚え、手(触覚)でインクの引っかかりを覚える。彼に手を添えてもらいながら、俺は自分の『クロウ』という文字を、何度も、何度も、誇らしく紙に書き記していった。
のちに俺が、大将の肩越しにシィルちゃんの綺麗な文字を覗き込んでいじれるようになったのは、この時のスパルタ教育があったからだった。
その3、振動を聴く特訓──【モールス信号(魔力パルス)】
そして、俺たちの特訓の真骨頂であり、のちに俺たちの最強の武器となる暗号(モールス信号)の特訓へと進む。
「クロウ。お前のその皮膚は、悪意を痛みに変える呪いじゃねぇ。世界中のどんなレシーバーよりも敏感にマナの揺らぎを感じ取れる、最強の『才能』だわ」
彼はそう言うと、アジトの木製のテーブルを、指先でト、ト、ツー、ト、と小気味よいリズムで叩いてみせた。
『調律の静寂』によって感覚をオンにした俺の皮膚へと、木皿を伝って、彼の微細な魔力の振動が、ダイレクトに脳へと響き渡る。
「これが『H』。短く四回だ。……じゃあ、短く一回、長く一回(ト、ツー)は、アルファベットの『A』だ」
彼は、身振り手振りと筆談を交えながら、そのリズムのパターンを一つずつ教えてくれた。耳の聞こえない俺にとって、彼が叩くそのマナの振動は、世界で初めて聴いた「俺たちだけの本物の『音』」だった。
ト、ト、ト。ツーー、ツーー。
地響きのように、けれど優しく皮膚を震わせる無音の調べ。俺はその振動のパターンを、地球儀の網目を記憶するように、自分の皮膚の細胞一つ一つに完璧に染み込ませていった。
この血の滲むような触覚の特訓があったからこそ、俺はのちに、床に包丁を突き刺しただけでスラム全域の敵を逆探知し、国家最高峰の魔力結界の波形すらも『波形同調』で無音でハッキングできる、世界最強の索敵レシーバーへと進化できたのだ。
「──よし、これで基本のモールスは全部教えたな。クロウ、お前天才だわ。習得が早すぎる」
特訓が一段落した夜、彼はぬるくなったスープを啜りながら、俺に向かって優しく手話を返してくれた。
俺は新しく覚えたての手話を、胸の前で少し照れくさそうに、けれど誇らしげにパッと結んでみせる。
(手話)『──“大将“って呼んでもいい?俺、もっと強くなるよ。大将がくれたこの手と肌で、どこまでだって大将の「目」になってみせるから』
「ハッ、大将って…ラーメン屋の店長かよ(髪をガシガシ)……まぁ、期待してるぜ、相棒」
そう格好良く笑い合う、スラムの小さな隠れ家。
俺の手が言葉になり、俺の肌が世界の音を聴き、そして『クロウ』という名前を魂に刻んだあの日から、最強の絆は、誰にも壊せない本物の形へと編み上げられていったのだった。
(クロウの過去編・完)
クロウ (Crow)
年齢:23歳(12月2日)
バースデーカラー / 色言葉:ココアブラウン(茶褐色) / 「深い絆・調律・家族想い」
髪色/瞳:『赤茶色』/茶色
色彩の詳細:火の熱量と土の質量が寸分の狂いもなく混ざり合った、やんちゃにハネた温かみのある赤褐色。
属性:土属性
世界観の補足:生まれつき耳が完全に聞こえない、アジトの絶対的な「厨房の守護者」であり、大将の生涯の相棒。耳が聞こえない代わりに発達しすぎた【超感覚:触覚(大地の微細振動・視線ソナー)】のせいで世界の悪意や視線をリアルな激痛として受信してしまい、4年前に路地裏で悶絶・気絶していたところを大将に救われる。大将から読み書き、手話、モールス信号を教わると、わずか数ヶ月で完璧にマスターし、独学で『読唇術』までをも覚えた異次元の天才。
※モールス信号は日本の五十音、イロハ・モールス(和文信号)で会話してる設定です。
※手話魔法の手話は実在する動きをベースに格好良く映えるように「魔法の結印アクション」としてスタイリッシュにアレンジした造語手話になっています。
次回もお楽しみに!




