25.
ハルト家の当主、エドガー・ハルトが最初に呼び出されたのは、秋の終わりだった。
呼んだのは、長年の付き合いがある侯爵家の当主だった。執務室に通されると、相手は立ったまま待っていた。座るよう勧めもしなかった。
「エドガー殿」
侯爵が、静かに言った。
「先日の件だが、うちの者の腕は、いまだに本調子ではない。あなたの娘御が治癒をかけてから、三ヶ月が経つのだが」
「それは……誠に申し訳なく。シィナはまだ経験が浅く、今後は」
「経験が浅い、では済まない話だ」
侯爵が、エドガーを見た。
「うちの者は、騎士だ。腕が動かなければ、仕事にならない。あなたのところに頼んだのは、長年の信頼があってのことだ。それが、この結果では」
エドガーは頭を下げた。
侯爵が続けた。
「他にも、似たような話を聞いている。あなたのところで治癒を受けて、後から別の問題が出た、という話を」
「それは……」
「デッドエンドに医師がいるそうだな。魔法を使わない、変わった医師が。うちの者も、最終的にそちらに頼った。腕の癒着を取り除いてもらって、ようやく動くようになった」
エドガーの喉が、鳴った。
「ハルト家の名前は、長年かけて積み上げてきたものだ。しかし名前だけでは、患者は来ない。それを、忘れないでいただきたい」
エドガーは屋敷に戻る馬車の中で、ずっと黙っていた。
◇
それから二週間で、同じような呼び出しが三件続いた。
伯爵家、子爵家、そして王都で商いを営む大商人。いずれもハルト家が長年付き合いのある相手だった。
内容はどれも似ていた。
治癒の結果に問題があった。後遺症が残った。他の治癒師に診てもらった。あるいは、デッドエンドの医師に診てもらった。
デッドエンド。その名前が、何度も出てきた。
大商人が、苦い顔で言った。
「うちの娘が腹痛を訴えて、御宅のお嬢さんに治癒をかけていただいた。一時は楽になったが、また繰り返して。結局、デッドエンドまで連れて行きました」
「それは……」
「デッドエンドの先生に言われたんです。治癒魔法で症状を抑えていただけで、原因が残っていたと。先生に診ていただいて、ようやく根治した。御宅には、その旨を伝えておこうと思いまして」
エドガーは頭を下げた。
頭を下げながら、胸の中で何かが煮えていた。
デッドエンド。あの街の医師とは、誰のことだ。
薄々、気づいていた。しかし認めたくなかった。
◇
家に戻り、シィナを呼んだ。
シィナは素直に来た。金紋の紋章が、相変わらず美しく輝いている。顔立ちも整っている。才能も本物だ。しかしその目には、最近、どこか暗い色が宿っていた。
「シィナ」
「はい、父様」
「デッドエンドの医師について、何か知っているか」
シィナが、少し間を置いた。
「……患者さんから、話を聞いたことがあります」
「どんな話だ」
「魔法を使わずに治す、変わった医師だと。血を調べる、傷を糸で縫う、体の仕組みを説明してくれる……そういうことを、する方らしくて」
「名前は」
「……聞いたことは、あります」
シィナが、視線を落とした。
「トーコという名前だと、聞きました」
部屋が静まり返った。
エドガーは、しばらく何も言わなかった。
シィナも、何も言わなかった。
「そうか」
エドガーが、低く言った。
「それだけか」
「……はい」
「下がれ」
シィナが部屋を出た。
エドガーは一人、椅子に座ったまま、しばらく動かなかった。
トーコ。
追放した、長女の名前だ。魔力ゼロ、無紋、一族の恥として送り出した娘が、辺境の街で、ハルト家の患者を治している。
あちこちから聞こえてくる不満の声。下がり続ける評判。そしてその一方で、高まり続けるデッドエンドの医師への評価。
全部、繋がっていた。
エドガーは机の上の書類に目を向けた。
手が、動かなかった。
認めたくなかった。しかし認めないでいる間にも、ハルト家の名前は少しずつ削られていく。
どうすればいい。
頭の中で、声がした。
侯爵の声だ。
——名前だけでは、患者は来ない。
エドガーは目を閉じた。
◇
翌日、エドガーは一人の使いを呼んだ。
「デッドエンドに行ってもらいたい」
「はい。何をしに」
「……様子を見てきてほしい。あちらの治療院が、どんな場所か。医師がどんな人間か。そして、患者がどう思っているかを」
「かしこまりました。何かを、持参しましょうか」
エドガーは少し考えた。
「何も持っていかなくていい。ただ見てきてくれ」
使いが出て行った後、エドガーは窓の外を見た。
王都の空は、今日も曇っていた。
トーコが何をしているのかを知りたかった。しかしそれは、今の状況を整理するためだと、自分に言い聞かせた。
詫びを入れるつもりは、まだなかった。
しかし、何かをしなければならないという感覚は、確実に育っていた。




