第八章 接触
聡路は自分の事を呼ぶ声に反応して、立ち止まってあたりを見渡した。声から類推するに、若い女であろう。
「こっちだよー」
聡路はその二度目の呼びかけで、自分を認識する人の事を認識する事ができた。その人は日陰に居て、自分に向けて手を振ってくれている。
聡路が目にしたのは、見た目が自分と同じぐらいの年齢の女性に似ている、角と三角耳と蝙蝠羽を持った人間っぽい存在であった。彼女の姿は人間に似ていたものの、人間とは違っていた。人間に余分なパーツを付け加えたら、彼女のような姿になるのだろう、というのが聡路が最初に彼女を見たときの評価であった。彼が次に思ったのは、牢屋で会ったブライアンや自分を殴った看守の事だった。
このとき聡路は、恐らくシャイタンであろう人物に出会う事ができて、嬉しく思っていた。しかもそのシャイタンは、表向きのみで判断するのなら、友好的である。しかし同時に不安もあった。彼は最初に会ったシャイタンから暴行を受け、さらに捕らえられてしまったので、その時の恐怖がまだ残っているのだ。
彼女は返事もせずに、ぼうっと見つめてくる聡路の事を気にせずに、また声かけをした。
「ねえねえ、君。そんな所に居て大丈夫なの? まだ日中なのになんで外に出ているの?」
聡路はそう言われて、自分を呼ぶ女の子の居る、日陰の方へと歩み寄った。日向に居るとまずい気がしたからである。
その女の子は、自分のもとへ来てくれた聡路の事を笑顔で迎えいれた。
「やあ、こんにちは!」
聡路はその角付きの女の子に挨拶をされて、おずおずしながら自分も、こんにちはと返した。顔に笑みを貼り付けていたが、彼の胸中には警戒心が宿っていた。いくら相手に敵意を無くとも、油断はできないからだ。
「ねえねえ、なんで日が出ているのに外に居るの?」
女の子は人懐っこい声で聡路に質問をする。
聡路は彼女の質問に対する答えを持ち合わせていなかったので、こう返事をする事にした。
「そう言う君こそ、どうしてこの時間に外に居るの?」
聡路は質問を質問で返した。彼は解らない事を訊かれたときには、こうやって質問返しをして、時間稼ぎをするのが得策であるという事を知っていたのだ。
目の前の女の子は恥ずかしそうにうつむいて、頬を掻きながらこう答えた。
「うんとね……降りる時間を間違えちゃって、ここに居るんだよ」
答えを聞いた聡路は、自分も恥ずかしげに頬を掻きながら、こう言った。
「そうなんだぁ……実は俺もそうなんだよ」
聡路は彼女の言っている事が、よく解っていなかったが、自分もあなたと同じ状況であると伝えた。聡路の付いたこの嘘は、相手に自分の言った事を詳しく訊かれたら、すぐにボロが出てしまうようなリスクある嘘であったが、自分が牢屋から出てきたという、本当の事を伝えるよりかはマシな選択であると思っていた。
女の子は聡路の言葉を聞いて、困った笑みを浮かべてこう言った。
「あはは…お互いにドジ踏んじゃったね。スフィアクレイドルに丁度良い具合にガスを入れる事とか、気体の量と浮かんでいられる時間の換算とかが難しいからね」
聡路は心の奥で安心した。この角付きの女の子が、自分の事を怪しんでいる素振りを見せていなかったからである。
聡路が笑みを返すと、目の前の女の子は、次にこのような事を聡路に訊いてきた。
「ところで君。さっき日向を歩いていたけど、熱くなかったの? 吐き気や眩暈もなかったの?」
聡路はそれを訊かれて、冷や汗をかいた。ブライアンの言っていた通り、シャイタンは避けるべくして日の光を避けているという事が解ったからである。その自然な行為をしていない自分は、間違いなくこの女の子に『変わり者』だと思われている。
聡路は平静を保ちながら、女の子に答える。
「うん。俺、太陽の光が平気みたいで、あまり感じないんだ」
聡路は下手な誤魔化しをせずに、正直に自分の事を話した。さっきのようなやり方は通用しないと思ったからである。
その答えを聞いた女の子は羨ましげに言った。
「へぇー、いいなぁ。私は重度ではないんだけれど、日光酔いする人でさぁー。日の光に耐性がある君が羨ましいよ」
(うん。この女の子は太陽に当たると、酔いの症状が出るのか……今後の参考にしよう)
心の中で聡路はそう思った。
角付きの女の子は聡路が喋らなくなったのを機に、このような事を持ちかけた。
「ねぇ、もしかしたら、君は大丈夫かもしれないんだけども、私ここに居ても太陽を感じちゃうんだよね……だからさ! この建物の中に入らない? 室内なら光を遮断できるから、快適になるし、そこでもっとお話ししようよ! 私、もっと君の事について知りたいな」
そう言う女の子は元気に溢れていて、見ているだけでこちらが嬉しくなってしまうほどだった。聡路はこの女の子には、自分に有るような、警戒心も疑心もないのだと思った。彼はそんな純粋な存在を嫌うような事はなく、むしろ好いていた。
聡路はこの魅力的な申し出に乗ってみたいと思ったが、肝心の目的の事を思い出し、咄嗟にその事を目の前の女の子に尋ねた。
「ねぇ、その前に君に訊きたい事があるんだ」
「なぁに?」
女の子は小首を傾げている。
「俺、王様に会って話しがしたんだけれども、王様にはどうしたら会えるんだ? 最近ここに越してきたばかりで、ここの事をよく知らないんだ」
「王様かぁ……」
女の子は少しだけ顔を下に向けて、どうするか考え込んでいた。その後、十秒も経たぬうちに、顔を上げて聡路を見ながらこう答えた。
「そういう事なら、私に頼むのが良いよ。だって、私は君と王様の仲人になれるし」
「仲人にか? 俺なんかが、いきなり王様に謁見しても良いのか?」
聡路の返事を聞くと、女の子は眉をひそめて言った。
「君、変な事を訊くね。さっき、王様に会いたいって言ったのは君じゃないの。それに順番さえ守れば、誰だって王様とお話しができるんだから」
「そ…そうなのか?」
「うん、そうだよ。あっでもでも、順番の事を気にしてるなら、その心配は無用だよ。私、王様に頼んで、君を最優先させるよ」
聡路は驚き、こう訊き返した。
「そんな事しちゃって良いのか? だって、それは仲人の権利を越えているだろ?」
そのように尋ねる聡路に、女の子は自信に溢れた表情でこう答えたのだ。
「大丈夫! 私はただの仲人じゃなくて、王様の愛人だから!」
聡路はこの角付きの女の子の発言に、またもや驚きの感情を抱いた。動揺は抑えきれず、彼は顔に驚嘆が出た状態で、堂々と胸を張る彼女の事を見ていた。自分と同い年ぐらいの見た目をした眼前の女の子は、この国の王の愛人であり、彼からの寵愛を受けている者だったのだ。
(彼女は冗談でも言っているのか? ……いや、それにしては顔が笑っていないし、それに俺はこの子に会ってから、一度も彼女の口から冗談を聞いた事がない。いや、一度もないからといって、この発言が本当だとは限らないんだけれども……)
そう思いながら、聡路は目の前の女の子を観察する。彼女の顔には、冗談を言った後に出る、可笑しみの表情はなかった。それどころか聡路の事を見つめ返して、満面の笑みで「安心して、私に任せて」と言うものだから、彼は思わず目を反らして、観察をやめてしまった。この女の子の無邪気さのせいで、彼は、まるで自分の方が彼女の事を騙しているような気分になったのだ。
そのような事を悩んで、黙りこくっているうちに、聡路は女の子に、君はどうするのか、と選択を迫らせるようになった。
聡路は咄嗟にやって来た選択に、冷静な判断力を奪われ、思わず「うん、頼む」と言ってしまった。
その答えを聞いた女の子は、何故か胸を撫で下ろして、ほっとしていた。
「よかった……」
そう呟く女の子に、聡路はこのような感想を抱いた。
(いや、よかったって言うのは俺の方だと思うんだけど……)
そう思いながらも、聡路はさっきまでの動揺が治っていないのか、それを誤魔化すために、目の前の女の子の頭に生えた、二本の角を眺めていた。
角付きの女の子は、そんな聡路の視線を感じとって、恥ずかしげにうつむいて、ボソボソと何かを呟くようになってしまった。
その反応を見て、聡路は彼女の顔あたりを見るのをやめて、彼女の後ろ腰に付いた羽を観察するようになった。
顔を紅潮させた女の子は、おずおずと、このような事を聡路に言ってきた。
「あのね……ここからが本懐なんだけれども……もし、君が王様に会えて、お話しする事が出来たのなら……その…そのあとなら、いつでも構わないんだけれども……」
聡路はたどたどしい女の子の言葉を待って、彼女の伝えたい事を知ろうとした。
だが、その真面目な態度が功を奏する事はなく、もじもじしているこの女の子のはにかみをさらに強くしてしまった。
(俺に会ってから、ずっと元気なこの子がこうなっちゃうなんて、いったいどうしたんだろう?)
聡路はその事に気付いておきながら、彼女を見つめるのをやめず、また、自分から彼女に言葉を掛ける事はなかった。
緊張に体を強張らせる女の子だったが、ついに意を決したのか、聡路を見据えて口火を切った。
「王様と会う事に成功したら、私と交わってほしいの!」
聡路は呆気にとられた。目の前の女の子は、今まで初めて会った自分に対して親しげしていたのに、そのような瑣末な事をためらっていたのか、と思っていたからである。彼女は自分と、もっと深く交流したがっているのだ。自分と友人関係を結び、互いの考え、感情、ユーモアを交えたいのなら、聡路にこれを断る理由など無い。
しかし、聡路はこの女の子の気持ちが解らないわけではなかった。彼女は申し出が断られる事を心配して、言い出すのを躊躇したのだろう。自分もそのような経験が無いわけではなかった。
なので、聡路は彼女の気持ちを鑑みて、こう返事したのだ。
「いいよ。でも、そんなに思い詰めないでね。君が俺のために良い事をしたから交わるっていう、交換条件じゃなくてさ、もっと気楽に持ちかけてよ。君がそういう事をしたいのなら、俺はいつだって歓迎するよ」
その言葉を聞いた女の子は嬉しそうに、頬を緩ませて、聡路にお礼を言った。
「ありがとうね。期待しているよ! ……あっ、と一応名前を言っておくね。私はジーニャ。ジーニャ・テルグゥアシッタシクストセルシィっていうの」
聡路は彼女の名前を聞くと、こう返した。
「そうなのか……俺の名前は聡路。皇聡路っていうんだ。ソウジって呼んでくれ」
聡路からの思わぬ返事を聞いた、ジーニャという女の子は、キョトンとした目で聡路の事を見た。
「え? どうして君も名前を言ったの? 今は言う必要ないのに」
聡路は内心焦った。相手が名前を教えてくれたのなら、自分も名前を教えるといった、人間界での社交辞令が、ここでは珍しい行動であったという事に気付かされたからだ。文化の違いによって、自分はボロを出してしまったのでは気が気でなかった。
うつむく聡路に、ジーニャはこう尋ねた。
「もしかして、長いあいだ外国に居て、こっちの挨拶を忘れちゃったの?」
助け舟は相手の方からやって来た。ジーニャはこの国に不慣れだ、と言った聡路の気持ちを汲んでくれたのだ。
「そんなところだよ。いろんな事が変わっちゃってて、驚いているよ」
聡路はその助け舟に乗った。本当はこの国には初めて来た__正確には飛ばされた__のだが、彼は嘘を言って誤魔化した。
「そうなんだ。……まあいいや、ソウジくん」
ジーニャが聡路に顔を近づけ、友好的な笑みを浮かべて、こう言った。
「今のは、もし私が約束を破ったら、私の事を『約束破りの恥知らず』だって吹聴していいって、いう宣言。逆に言えば、私はこの約束を絶対に守れる自信が有るという事だよ!」
聡路は、なるほどと一言だけ言って、納得した。それから、シャイタンたちには、人間とは違った考え方や慣習があるのだ、という事も知れた。
「あっそうだ!」
ジーニャは矢継ぎ早に次の言葉を構えた。それを放つ前の彼女の表情は、さっきの友好さのある笑みとは違い、悪戯を思いついた子供みたいに、好奇心に腹をくすぐられているような笑みを浮かべていた。
「もし、ソウジくんが王様と会う直前でどこかに行っちゃったら、私があなたの事を『王と面会する前に臆病風に吹かれた、腰抜けさん』だって言いふらしちゃうんだから!」
「えっ? ……お…おう」
聡路は虚を衝かれて、不器用な返事をした。その顔には笑みが張り付いていたが、これは不安を表に出さないためにする、苦笑いだった。




