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リバーサルワールド あるいは現代の英雄譚  作者: 家川自信
青年の住む世界は退屈な牢獄である
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第一章 ある青年のある悩み


 ある未明のことだった。

 東京のとある住宅街。そこには街灯の僅かな明かりと、不活動ゆえの静けさがあった。現代の都会の街には、まばゆい人工的な光に包まれた眠れない地域が数多くあり、そこの人々は夜に騒ぎ、理性を忘れる。そんな都会の中にも休息をするための場所は残されており、疲れた人々は、己が依拠する場所に帰り、そこに活動していた体をおく。

 この遅い夜更けの時間に、人間たちは寝室へと行き、体と心を快い睡眠によって休め、次の日の備えをする。それが一般的な現代の人々の夜の意味であった。

 しかし、この時間に眠らぬ人間は古今東西に存在する。それは人工的に作られた、電灯の昼の時間に騒ぐ者達ではない。その者達は、暗闇に活動理由を見出す。世人の理解を得られずとも、それを気にかけず、黒の空の下で活動し、己を見つめることに使っている。彼らにとって、夜の闇と静けさは深淵を観察するのに、うってつけの時間なのだ。

 その時間に活動する者は、中流家庭の、ある二階建ての家にも一人存在する。

 皇聡路は独り、洗面台の前で佇んでいた。

 洗面台には鏡台に付いた電灯と、聡路が部屋から持ち出した、スタンドライトの明かりがあった。聡路一人と彼の姿を映す鏡があり、音は外界からやってくるものしかなかった。

 彼の家族は床に着いており、活動を休止している。父と母と自分の三人家族の中で、一人だけ起きて、活動していた。もそもそこそこそと階下に降り、自分の用意した道具を使って怪しげな事をしようとしている。

 聡路は高校三年生になる普通の青年であり、年相応の若々しい顔立ちをしており、目鼻立ちも整っている。逆にいえば、特徴といえるような要素が外見にはなく、没個性な顔立ちの青年であった。

 性格にも表立った問題点はなく、大まかにいうと大人しい性格で、口数が少なく、周りの人から見れば常識的な人間である。だが彼は皮肉屋な所もあり、彼の言葉は、時に針のように人の心に突き刺さり、聞いてしまった者をもれなく傷つけるほど強烈である。

 その性格のせいで、聡路は自分から話しをしない人になった。普段から発言する事を控えているせいで、鬱憤が溜まりやすいのか、彼は屋外など高い所に居る時、まれに冷めた眼差しで遠く見つめる事があるのだ。

 時刻は午前二時に達するところだった。遠くから響く電車の音以外なにも聞こえないしずかな夜に、じっと鏡にうつった自分を見つめている。その様子は、子供が大人たちに隠れて、悪い事をしようとしている時のようにそわそわしていた。

 聡路の両親は眠りについており、邪魔するものは自分の不安な気持ち以外、何もない。

 それにこの実験が成功しようと、失敗しようと、両親には関係のない事だ__とこのとき聡路は、そう繰り返し自分に言い聞かせていた。

「あと一分……」

 腕時計を見ながら聡路は言った。

 聡路は腕時計での時間確認を終え、腕を下ろし目を閉じて、心の中で秒読みを始めた。

(二〇……十九……十八……)

 数えている途中で家鳴りがした。聡路は恐怖で目を開きそうになったが、ぐっとこらえて秒読みを続けた。

(十五……十四……十三……)

 もしかしたらいけるのではないか? 聡路の脳裏にこのような言葉がよぎった。

 聡路は成功するかもしれないという期待を持ちながら、秒読みを続けた。

 緊張と焦りから、途中で数字をかぞえ間違えそうになったが、その度に聡路は自分の手の甲をつねって平静を保っていた。

 カウントがゼロになり__つまり二時ちょうどになった時、聡路は目を開いて鏡の中を見た。

 そこに映っていたのは、少しやつれた自分が延々と続いている、彼が見ていて不快になるだけのものしかなかった。




 聡路はがっかりして、部屋の照明を付けた。

 暗い部屋から明るい部屋へと変わり、二つの鏡がはっきり見えるようになった。一つは洗面台にある鏡で、もう一つはスタンドミラーをテープを使って何個もくっ付けた、聡路の手製である大きな鏡だ。それは高さが洗面台に合うように、タンスの上に置かれていた。二枚の鏡は向かい合うように設置されており、ちょうど合わせ鏡になっている。スタンドミラーの前に設置された電気スタンドは、聡路の背後に設置した手製の鏡を照らす為のものだ。

 聡路は合わせ鏡に映った自分をもう一度だけ見てみた。やはり、そこには自分の姿がマトリョーシカのように鏡に映っているだけで、それ以外なにもなかった。奇妙といえば奇妙な光景だが、何度も合わせ鏡をしている聡路にとって、これ程つまらないものはない。合わせ鏡の持つ不思議な光景だけでは満足できないのだ。

「やっぱりあの噂はガセだったのか……」

 自分のやり方が間違っていたり、成功する為にはもっと練習が必要なことなのか? と聡路は一瞬だけ思ったのだが、自分が言葉で発したとおり、噂で聞いたものは嘘だったと考える方が楽だった為、自問自答をして無駄な事をするのを未然に防いだ。


 午前2時に暗い部屋で合わせ鏡をして、そこに映っている一番奥の自分を見ると、この世界ではないどこかに飛ばされる


 聡路は、この噂が示す手順の通りに実行したのだ。

 この噂を聞いた最初の頃は、そんなことはありえないと笑い飛ばしていたが、何度も合わせ鏡をしているうちに、この摩訶不思議な景には、何かしらのを起こせる程の力があるのではないか、と心のどこかで思うようになったのだ。

 しかし、それはただ不思議であるだけで、怪奇現象を起こせることなどできないものだと、たったいま解った。というよりも、噂をちっとも信じていなかった最初の自分の気持ちが正しかったという事を証明したのだ。

 本来オカルトを信じない聡路であったが、このような眉唾な噂を信じてそれを実行に移した。そのような事をするのには理由があった。

 聡路はこの世界ではないどこかに行きたがっていた。ただどんなものでも良いわけでなく、万に一つでも可能性があり、且つリスクを負わないものという条件をそれに付けていた。

 この世界は面白くない__聡路は常々そう思っていた。

 退屈な学校、先が見えない自分の将来、空虚な時間を埋める為だけにあるテレビゲーム、鏡に映った自分の姿さえもまともに見れない臆病な自分、希望を無くして何に対しても無気力になっている自分__悲しくもこれがこの世界の全てなんだと。

 だが、聡路は答えを探している途中にいる訳ではなかった。聡路は世界がつまらないと思っている訳をとっくのとうに知っていた。

(世界がつまらないんじゃなくて、俺自身がつまらない奴なだけなんだ。世界自身が性質を持つのはありえない事で、その世界の観測者が世界の性質や意味を定義するんだ)

 聡路の皮肉は自分自身を傷つける事がある。今回がその主たる例であった。

 しばらく感傷に浸っていた聡路だが、家族が起きてきて、変な事をしている自分を見つけてしまうのはまずいと思い、自分の部屋から持ってきた電気スタンドと鏡を持って、部屋の電気を消してから階段へ向かった。

 部屋に向かう途中、聡路は階段の1段目でふと立ち止まって、考え事を始めた。

(『生きるべきか……死ぬべきか……それが問題だ』ハムレットはそう言ったんだよな……。父を叔父に殺されて、そのことを死んでになった父から告げられて、叔父にしようとするまではいいものの、父の言った事が本当なのか疑って叔父を殺すのを渋ったり、殺すタイミングまで逃したりして、最終的に叔父と友人を殺し、恋人と母を死なせて自分も死んだ……。彼は優柔不断な臆病者なのか? __いやそれは違う。最悪の結果になったが、彼は目的を果たしたんだ。世間でよく言う「優柔不断なハムレット像」は作品をよく読んでいない、にわか者の感想だ。彼は悩みながらも行動し、着実に証拠を掴んで、成り上がりの王に懺悔をさせるまで追い詰めさせたんだ。彼はただ、蛮勇が起こす間違った決断を恐れていただけだ。彼を叩く連中なんかよりよっぽど彼は立派だ。そう……彼は立派な王子だったんだ)

 聡路は意味の無い人生を過ごすことに悩みを抱いている。生きてなにかを成し遂げる、死んで一切のことを放棄する__そのどちらもせずにただ時間をつぶす自分は何なのだろうか。そのような事を問う葛藤が胸中にあった。

 ハムレットの事を思う聡路は生きる理由ではなく、死ぬ理由を探していた。

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