王城にて
「ここが王宮……大きいわね」
あの後父達と何を話したのか、ミューズは覚えていない。
身の回りのものや母からもらったものを持参して、古くからの使用人に最後の挨拶をした。
戻ってくるか来ないかわからないが、戻ってきてもこの部屋には住めない事、選ばれなかったら離れで過ごすという事を使用人たちに説明をする。
その話を聞いた使用人たちは憤慨し、もしもミューズが戻って来なかったら皆ここの職場を辞めるとも言ってくれた。
怒る皆を宥め、もしも領地に行くようになったら付いてきてほしい。戻ってきたらまた世話になるという事を患者の気持ちを添えて話させてもらった。
だからまだ辞めないで欲しいと頼むと、皆渋々ながら同意をしてくれた。
連れて行くメイドは幼い頃から仕えてくれている、チェルシーのみにした。あまり大人数では邪魔になるだろうし、まだミューズの今後がどうなるかわからないからだ。
王城に着いた二人は係りの者に案内を受ける。
始めて入る城内を見て、チェルシーは落ち着きなくあちこちに目をやっていた。
「大きなところですね。ドキドキします」
何かあったらあたしがミューズ様を守りますのでと、震える手で拳を握っている。
これから件の猛獣に会うのだから、緊張するのも恐怖してしまうのも仕方がない。
「猫くらいなら飼ったことあるけれど、猛獣ってどんな動物かしら?」
「きっと怖いですよね。万が一の時はあたしが先に食べられますから、その隙にミューズ様はお逃げください」
「そんな不吉なことを言わないの」
そう二人で話していると言っていると、遠くから女性の悲鳴が聞こえてきた。
「「………」」
今日はミューズたち以外もお世話係のための令嬢達が来ていると聞いてはいたが、その令嬢の声だろうか。
係のものは何も話すことなく、二人をある一室へと案内する。
「さっきの悲鳴、何でしょうね……」
「さぁ。何もない事を祈るわ……」
二人は恐怖心から話す事も出来な。室内は重苦しい空気であった。
急にコンコンとノックの音が響いたので、二人はビクッと抱き合ってしまう。
「はい」
「失礼します」
入ってきたのは小柄な少年だ。
「はじめまして。ぼくはこの度お世話をお願いする猛獣の従者でマオといいます。早速なのですが、ミューズ様には猛獣に会って頂きたいのです」
ついにお呼び出しだ。二人はマオの後を付いていく。
それにしても猛獣に従者とは、そんなにも大事な存在のだろうか。
「お世話係になればとある領地があるため、そちらをお使いください。猛獣に選ばれなかった場合はこの度の旅費と、幾ばくかのお礼をさせて頂きます」
「お世話とは、どういった事をするのでしょうか?」
「基本、食事などはぼくがご用意致します。お世話係の令嬢には、猛獣と共に生活をしていただきたいのです。本を読んだり、一緒にご飯を食べたりなど、よくある生活をしていただければと思います」
そうしてマオが説明をしてくれるうちに、大きな部屋に着いた。
(いよいよ対面ね)
中に入ればそこには国王夫妻と王太子夫妻の姿がみえた。しかし肝心の猛獣の姿はどこにもない。
ミューズは皆の前に立つと優雅にカーテシーをして、陛下からの声掛けを待つ。
「スフォリア公爵令嬢、顔をあげよ。わしはアドガルム国国王アルフレッド=ウィズフォードだ。此度の要請は令嬢の力を借りたいが為にださせてもらった」
「ディエス=スフォリア家長女、ミューズ=スフォリアでございます。本日はお招き頂き、ありがとうございます。私でお役に立てるのならなんなりとお申し付けください」
「うむ。では顔を上げよ」
ミューズがゆっくり顔を上げると、まず王太子妃と目が合った。
「ミューズ様、やはりあなただったのね。報告書を見たときは驚いたわ。あなた嫡子じゃない、なぜここにいるの?」
猛獣の世話係になったら嫡子としての仕事ができなくなるのだ。王太子妃が心配するのも無理はない。
「レナン様に覚えて頂けてるとは光栄です。義妹のカレンが入婿を取ることが決まりましたので、私は嫡子ではなくなりました」
見知った人に会えて安堵をしつつ、ミューズは現状を王太子妃・レナンに伝えていく。
「なぜカレン様が入婿を? ミューズ様は領主となるべくとても勉強を頑張っていらしたのに。おかしな話だわ」
ミューズの状況を聞いて、レナンは怒っているようだ。
ミューズとレナンは学年は違うものの、首席同士であったために、お互い気になる存在だった。
王立学園に在籍していた時に話をして意気投合しており、姉妹のような関係になっている。
卒業してからは会う事も減ってしまっていたけれど、こうして気にしてもらえてミューズはとても嬉しい思いであった。
「カレンが来る予定ではあったのですが……無理そうだったので、私が来たのです」
わがままなカレンは自分が来たくなかったため、ミューズを遣わしたのはわかっていた。
その為にミューズを跡継ぎから引きずり下ろしたことは今もまだ怒りは収まらない。
レナンの隣で話を聞いている王太子エリックは訝しげな表情をしている。
「おかしいな。スフォリア家の家督は……まぁこの話は後にしよう。それで、ミューズ嬢は納得してこの場にいるのか?」
「はい。もしも選ばれましたら誠心誠意頑張りたいと思っております」
どのみちもう本邸には戻れない。この先領主になれないなら、新天地も悪くなさそうだ。
「君のことはレナンに聞いているから、人柄は信用している。では、猛獣ティに会ってもらおう」
エリックの合図と共に、部屋の奥からのそりと大きな影が現れた。
長いたてがみを持つ、巨大な獣がそこにいた。
猫のような容姿だが、明らかに人より大きい。しなやかな足運びだけれど、歩く度に床と爪が当たり、カチャカチャと音が鳴っている。長い尻尾は警戒しているのかピンと立っているゆらゆらと揺れていた。
口元からは鋭い牙が見え、怯えているのか怒っているのか唸り声が漏れている。前身は薄紫の毛で覆われており、二つの黄緑の目はじっとミューズを見ていた。
チェルシーは悲鳴を上げそうになるのを抑えようと手で口を閉じる。恐怖で動けないようであった。
だがミューズはその猛獣が可愛く思えて仕方なかった。
(あのふさふさに触ってみたい)
爪や牙でやられたらひとたまりもないだろうなとは思ったが、不思議と恐怖感はない。この猛獣が人を襲うなんて考えられないのだ。
何も言わないミューズを見て、皆は恐怖で喋れないのかと思っていたのだが。
「あの、触れてみてもいいでしょうか?」
皆がその言葉に驚いているとミューズは近くまで行き、そっと腕を伸ばした。
ティが逃げたりも威嚇もしないので、ミューズは恐る恐るだけれど頬のあたりに触れる。
「すごくなめらかな触り心地……ティ様は大事にされているのですね。とてもあたたかいです」
ティが逃げないようなので、ミューズは今度は体に触れてみることにした。
「いい子いい子」
微笑みを浮かべながらミューズは撫で続けた。ティは気持ちいいのかその場に座り、スリスリとミューズに頬ずりを行う。
「受け入れてもらえたのでしょうか。嬉しいです」
喉をさするとゴロゴロという音も聞こえてくる。
(こんなに触れさせてもらえるなんて幸せ)
ミューズからしたら大きいねこちゃんだ。けれどティにじっと瞳を覗き込まれ、なんだか恥ずかしくなってくる。
(もしかして言葉がわかるのかしら)
気持ちが見透かされそうでちょっとだけ目を反らしてしまう。
「怖くはないのか……?」
国王の声が震えているようだ。
「怖くないですわ。失礼かもしれませんが、とても可愛らしく人懐こい子ですね」
たてがみを撫でるけれど、少しごわごわしているのが気になる。
「少し毛が絡まっていますので、大きめのブラシが欲しいですね。爪も少し切りたいです、自分の身体を傷めてしまうかもしれないので」
ふよふよとした大きな前脚を持ち上げ、肉球に触れる。
弾力があってとても触り心地がいい。
「ティ様は人を傷つけようと思って威嚇していたわけではなく、怖がっていらしたのですね」
低い唸り声はもはやせず、ゴロゴロ音だけが聞こえる。けれどミューズの言葉が恥ずかしかったのか、ちょっとだけ離れてしまった。
「あら、すみません。怖がってではなく緊張されたのですよね、私も緊張していましたので」
もっとこのふわふわの毛に触っていたかったのにと、ミューズは己の失言を悔いた。
「ティ、あなたどう思った?」
王妃が問いかけると、ティはこくりと頷いた。そしてミューズのもとに歩み寄り、体を擦り付ける。
この人が良いという意思表示。
「決まりですね。ミューズ様、ぜひティをよろしくお願いします」
そう言う王妃の目は潤んでいた。
いや、王妃だけではない、国王も目頭を押さえている。エリックもミューズに向かい、深々と頭を下げた。
「ミューズ嬢、どうかティをよろしく頼む。その代わり、君の望みは俺達がいつでもなんでも叶えると約束しよう。これは王族としての言葉だ」
「頭を上げてください、私はそんなつもりないので」
あまりにも重い約束に、ミューズは慌ててしまう。
「ミューズ様、気になさならないでください。わたくし達はとても嬉しいのです、あなたがティ様に選ばれた事だ。実はわたくし、凄く望んでいましたの」
レナンは満面の笑顔だ。
「ここにいる皆の願いをあなたが叶えてくれるのですから、わたくし達はあなたの願いを何でも叶えます。いまではなくともいずれ何かあった時にきっと力になると、約束しましょう」
レナンも嬉しそうにミューズに頭を下げた。
「スフォリア家についても、いずれ話そう。まずは二人の生活基盤をしっかりさせねばな」
エリックはすぐに従者であるニコラとマオを呼びつけ、契約書を持って来させる。
「すまないが、ミューズ嬢にはこれからすぐ契約をしてもらう。諸々の注意事項についての書類もあるので、目を通してもらう。新たな生活をするために実家に帰って準備をしてもらうが、家長にも話があるため、帰るときはマオも付き添わせてほしい」
エリックの命を受けて、マオはミューズに一礼をするとすぐに準備に向かってしまった。
「とある屋敷を使ってもらうのだが、連れていきたい者はいるか? 一応こちらでも使用人は見繕っておいたが、そこのメイドなど、付き従うものがいればこちらで雇い入れるぞ」
国王の言葉にミューズは思案する。
環境が変わること、そして自分は良くともこのように大きなティを見て、皆怖がったり嫌がったりはしないだろうか。
ミューズの迷う視線を受けたチェルシーがそっと口を挟む。
「発言を失礼します。実は屋敷に数名ミューズ様を慕うものがおりまして、もし宜しければその者たちをお願いしたいです」
このままスフォリア家にいたくないと言っていた何人かの使用人の名を挙げる、もちろんチェルシーもミューズについていくと話した。
「わかった。マオを家令として、頑張ってもらおう。不足する人材は追って補充する。それにしても君は怖い猛獣に会うというのに声もあげず、よく頑張った。優秀なメイドだな。これからはティの事もよろしく頼むよ」
「あ、ありがとうございます!」
王太子に褒められ、チェルシーは思いっきり頭を下げた。




