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銅馬が征く  作者: 大田牛二


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悲痛

昨日は投降できず申し訳ございません。

 祭遵さいじゅんはこの時、病に犯されていた。そのためすぐに汧から撤退することができなかった。


「漢軍全体が撤退した以上、こちらも撤退せねばならないか」


 病を抱えた状態で祭遵はなんとか撤退しようと考えていたが、そこに敵襲の報がなされた。


「奇っ怪な集団によって我が軍は襲撃を受けています」


 病を押して祭遵は陣から出ると布を被った集団がこちらに斬りかかっていた。


「あれは……」


 すぐに防戦の準備をするように指示を出しながらこちらに向かって兵を蹴散らしながら向かってくる存在に気づいた。


「遊ぼ?」


 奇っ怪な格好の童子が祭遵に向かって剣を突き出された。


「噂の童子か」


 祭遵は細剣で童子こと董訢とうけんの剣を防ぐ。


「将軍を守れ」


 兵が董訢に向かって槍を突き出す。


 それらの槍から董訢はすぐに離れ、周りの兵を切り殺していき、再び祭遵へ剣を突き出す。


 祭遵は彼の剣を防ぎつつも相手の速さ故に捉えることができず、傷を増やしていった。


「目がかすむ」


 病故に目がかすみ、相手の動きがはっきりと見えない状態でもあった。


「このままでは……」


 死ぬことは何ら恐れることは無い。しかし、この童子を下すことができないのは後々の災いとなる。


(ここで殺したい……)


 そう思うからこそ体調が万全ではないこの状況に憂う。


 再び突き出された剣が彼の頬を掠める。


「くそっ」


 その時、脳裏をよぎったのは賈復かふくの戦い方であった。


(あれならば……)


 祭遵は細剣を突き出すがまたしても董訢はひらりとかわし、再び剣を突き出し、祭遵の胸を貫いた。祭遵の口からは夥しいほどの血が噴出される。


「ばっちい」


 董訢はそう言ってから剣を抜こうとした瞬間、祭遵が細剣で彼の左肩を貫いた。痛みが走り一瞬、目を閉じた董訢の首を祭遵は左手で掴み、締め上げる。


「やっと捕まえたぞ」


 口から流れる血を気にすることなく、祭遵は笑いながら一気に締め上げていく。


 董訢は左肩を貫かれながらも左腕を動かし、持っているもう一本の剣を祭遵の腹へ刺し貫いた。


「離さんぞ。絶対に……」


 二本の剣に刺し貫かれ、病によって目がかすみながらも祭遵は離そうとはしない。


「将軍っ」


 その時、後ろから悲鳴が上がった。布を被った男たちが祭遵の背中を切り裂き、董訢の首を締め上げている祭遵の左手を切り落としたのである。


 それにより、董訢は祭遵の体を蹴り、脱出した。脱出した彼へ劉林りゅうりんが馬を駆けて近づき、そのまま彼を回収する。


「逃げるな」


 祭遵は落ちている剣を広い、襲ってきた顔に布をつけた連中を殺し、霞んだ目で劉林と董訢を見据えながら剣を投げつけた。


 剣はまっすぐ飛び、董訢の体を掠り、馬を追い越した先に刺さった。それを見た馬は驚き、乗っている劉林と董訢を馬上から下ろしてしまう。


「くそが」


 劉林は董訢を抱えながら走った。その後を布を被った男たちもついていく。


「逃がすな……追え、追え」


 祭遵は夥しい血を流しながらも兵に命じ、追いかけさせた。


「しつこいことだ」


 劉林は祭遵の兵たちの決死の追撃に信者たちをもって防ぎながら逃走を続けた。結果、逃走に成功したが、信者たちの数を大きく減らす結果となってしまった。


「まあ良い。私とこの餓鬼さえ生きていれば、いくらでも良くなるさ……」


 彼はそう呟きながら残った信者と共に隗囂かいごうの元に逃れた。


「将軍っ」


 兵たちが倒れ込んでいる祭遵の元に駆けつける。


「何をしているか……あれを追いかけよ……」


「申し訳ございません。取り逃がしました」


 嗚咽を交えながら兵たちは報告を行う。


「そうか……」


 祭遵は意識を失った。


 兵たちは必死に彼の傷を塞ぎ回復させようと治療を行った。












 33年


 年が変わった正月、劉秀の元に訃報が届いた。潁陽侯・祭遵が軍中で死んだというのである。


 悲しみながらも劉秀はすぐに馮異ふういへ詔を発して祭遵の営も併せて指揮させることにした。


 祭遵の為人は廉約小心(廉潔・倹約・慎重)で、克己奉公し(克己して公のために働き)、自分が得た賞賜は全て士卒に与えていた。約束(規則。規律)は厳整であり、彼が駐留した地の吏民は彼の軍が略奪暴行を行わず、民の生活に影響を与えなかったため、軍の存在を知ることもなかったという。


 士を用いる時はいつも儒術(儒学の思想、教え)に則り、酒宴を開けば、楽(楽舞)を設け、必ず雅歌(儒家の経典『詩経』に収録されている「雅詩(大雅・小雅)」の歌)を歌い、投壺を行いました。


 投壺は矢を投げて壺に入れる遊戯のことである。


 壺は首の長さ七寸、腹の長さ(高さ)五寸、口径二寸半、容量一斗五升で、壺の中に小豆を満たして矢が刺さるようにした。矢は柘木で作られ、長さ二尺八寸のものが使われた。


 勝った者が負けた者に酒を飲ませる。儒学の経典『礼記』にも記述があり、宴席における儀礼、儀式の一つとされていた。


 祭遵は兵たちの賢明な治療により、一時的に目を覚ました。その臨終の際、家人や部下を戒めて薄葬を行うように遺言し、周りの者が家事について聞いても、最後まで何も言うことはなかった。


「将軍は陛下への御恩に報いることができなくなったことを最後まで謝罪しておりました……」


 その言葉を聞いた劉秀は祭遵の死をひどく愍悼(哀悼)した。祭遵の喪(霊柩)が河南に至ると、自ら素服(喪服)で臨み、喪を眺め見て痛哭した。


 皇宮に還る途中、城門に着いた時も、喪車が通るのを見てまた涙が止まらなくなるほどであった。


 喪礼(葬式)を挙げてからも、自ら太牢(牛羊豚各一頭の犠牲)を用いて祭祀を行っていき、詔を発して大長秋、謁者、河南尹に喪事(埋葬の儀式)を護らせ(監督させ)、大司農に費用を負担させた。


 埋葬にも自ら参加し、埋葬が終わってからも、また祭遵の墓で臨哭して、夫人や室家(家族)を慰問した。


 その後も朝会の度に劉秀は嘆き、


「祭征虜(祭遵は征虜将軍)のように憂国奉公の者をどうして得られるだろうか」


 と言った。


 祭遵は儒教の人であった。劉秀は儒教の考えを大元にする前漢からの高官との関係の難しさを日々感じていただけに彼のような儒教の人でありながらも親しみやすい人物を失ったのが彼にとって悲しかったのであろう。


 度を越えた悲しみに対し、衛尉・銚期ちょうきが諫めた。


「陛下は至仁ですので、祭遵を哀念して止みませんが、群臣がそれぞれ慚懼を抱くようになってしまいます」


 劉秀が祭遵を思念してしばしば言葉にすれば、群臣は自分が祭遵に及ばないことに恥じ入って懼れを抱くようになってしまう。それでは群臣たちとの関係が悪化する可能性がある。


 劉秀は態度を改めて祭遵の死を嘆かなくなった。


(悲しんでいるだけでは祭遵に報いることはできない)


 今は彼の死を無駄にしないようにしなければならないのである。













 


 

趙匡が二人いた説があるということを最近知り、愕然としました。こいつが裏切るタイミングがずっとわからないままでいてどうするかと考えていた苦労が、が、が、が

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