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銅馬が征く  作者: 大田牛二


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活路を開く

 32年


「よしやっと見えたな」


 中郎将・来歙らいきゅうは二千余人を率いて、山林を抜けてやっと見えた城を眺めていた。


 劉秀りゅうしゅう隗囂かいごうの戦線は膠着状態が続いていた。元々地形が複雑であり、どちらも守りが硬いために攻め手に欠けていたのである。


 そんな前年の終わる頃、長安に駐屯している大司馬・呉漢ごかんの元に来歙がやってきた。


「やあ大司馬殿、兵をお借りしたいのだが、どうかな?」


「陛下より兵をお貸しするための許可は頂いているので構いませんが、如何程の兵が必要か?」


「二千余りお借りしたい」


「少なくはありませんか?」


 流石の呉漢も求めている兵の少なさに困惑する。


「いやあ、普通のやり方ではこの状況を変えるのは難しいと思っておりましてね」


「策があると」


「ええ、まあね」


 来歙は朝廷など公の場では毅然としている人であるが、それ以外では案外、飄々とした人である。


『歩けば紳士、座っても紳士、来君叔だ。よろしく頼む』


 呉漢は初めて会った時のことを思い返した。


「まあ取り敢えずは秘密としたいのだ。どうかな?」


「承知した。敢えて策はお聞きしない。だが、どうかご無理をなさらず。あなたは陛下の恩寵厚き方なのですから」


「ふふ、あなたもそうではありませんか。まあ無理などせんよ」


 来歙は伸びをする。


「そろそろ少年……陛下のためにも活躍せねばならんなと思っただけさ、ではな」


 手をひらひらさせねながら彼は去っていった。


(陛下の来歙殿への慕い方は兄を慕う弟のようだ。羨ましくもあり、悔しくもある……)


 呉漢はそこまで考えて苦笑した。自分にそのような感情があるとは思わなかったからである。


「私は主上の剣であれば良いのだ……」


 来歙は二千余兵を率いて年を越えながらも山木を伐って道を開き、番須、回中の山林地帯を進軍した。この辺は難所が多いため、普通ならば通らない道を彼は進み続けたのである。


「さて、行くか」


 呉漢から借りた精兵と共に来歙は略陽城を襲った。


 略陽城を守っていた隗囂の守将・金梁きんりょうは警戒していなかったところから現れた来歙の軍に驚くばかりで、何らの抵抗もできず、彼は斬られて略陽城は陥落した。


 略陽城は隗囂軍の防衛戦線への補給路を司っており、そこを陥落されることはその補給路を失うことを意味していた。


 これを知った隗囂は、大いに驚き、


「神ではないか(神のように速い)」


 と言った。


(あの時、殺しておけば……)


 彼は全勢力をもって、略陽城奪還に動いた。


 一方の劉秀は略陽を得たと聞いて甚だ喜び、こう言った。


「略陽は隗囂が頼りにする険阻な地だ。その心腹が既に壊れたのだから、その支体(肢体)を制すのは容易なことであろう」


(来歙殿……)


 幼い頃のことを劉秀は思い出しながら目を細める。


 あの時、明るい道を切り開き、活路をもたらしてくれたのはあの人であった。その人が再び、活路を開いてくれた。


(どれだけあの人は私を助けてくれるのだろうか……)


 そのことが嬉しかった。


 その時、呉漢らの諸将が来歙が略陽を占拠したと聞いて、先を争って駆けつけようとしていると報告を受けた。


(まて、ここは……)


 しかし劉秀はこの結果により、隗囂が頼りとする地を失い、要城を亡くしたことで必ずや全ての精鋭を動員して攻めて来ると判断した。


(相手の全力に対して、こちらの全力をぶつける)


 一見するとそれが最善手に見える。しかしここで彼は逆転の発想をした。


 もし隗囂が長い日を経て久しく包囲しても陽略城を攻略できなければ、士卒が疲弊することになり、その危に乗じてこちらが攻勢をかければ今の状況を一気にこちら側に優勢へ傾くことになる。


(来歙殿が危険に晒される可能性は高いが……)


 しかしあの人ならば答えてくれる。その信頼を来歙に持っている劉秀は使者に呉漢らを追わせて全て還らせた。


 果たして隗囂は王元おうげんに命じて隴坻で劉秀軍を防がせ、行巡こうじゅんに番須口を守らせ、王孟おうもうに雞頭道を塞がせ、牛邯ぎょうかんを瓦亭に駐軍させてから、自ら大衆(大軍)数万人を全て動員して略陽を包囲した。


 更に使者を公孫述こうそんじゅつにも送り、援軍を乞うた。その結果、公孫述も将・李育りいく田弇でんえんを派遣して隗囂を助けさせ、山を削って堤を築き、激水(流れが激しい水)を城内に注ぎこんだ。


「水攻めか姑息な」


 水攻めをやるやつは大抵、性格が悪いと思いながら来歙は将士と共に必死に城を堅守した。矢が尽きれば、家の屋根を壊し、木を切って武器にしていった。


 隗囂は鋭を尽くして攻めたが、数カ月経っても攻略できなかった。


「おのれぇなぜ落とせんのか」


 来歙自身の兵術もあるのだろうが、隗囂の下には来歙を慕う者が多く、彼を攻めることに困惑しているものも多かった。またしても彼の徳が彼自身を守っているのである。


 それをじっと見つめる目があった。


(珍しいこともある……)


 戦場で起きているにも関わらず、じっと城を眺めているだけで大人しい董訢とうきん劉林りゅうりんは驚いていた。


「話しかけてみよ」


 劉林は近くの信者の一人にそう言って董訢の近くへ行かせるとその瞬間、その信者の首が董訢によって斬り飛ばされた。


(厄介な状態だ)


 どうやら今は非常に機嫌が悪いのか良いのか。話しかけるのも難しい状況にあるようである。時々このような状態になるため、彼との会話が難しい。


(こういう時は手を出さないのが一番だ)


 劉林はほんの少し距離を取り、考え込む。


(このまま手をこまねいていると劉秀を調子つかせてしまうしな……仕方ない手札を切るとするか……)


 いずれ仕掛けようと思っていた仕掛けを使うことを決めた。











(そろそろ頃合だ)


 劉秀は自ら隗囂を征討しようと軍を編成し始めた。


 それを光禄勳・汝南の人である郭憲かくけんが諫めた。


「まだ、東方が定まったばかりですので、車駕はまだ遠征するべきではありません」


 郭憲は車の前に立ちふさがって佩刀を抜き、車靷(馬が車を牽く帯。馬の胸についています)を斬った。凄まじいほどの剛毅さである。


 しかし劉秀は彼の諫言に従わず、西進して漆(県名)に至った。


 長安の諸将も合流したが、その多くが王師(皇帝の軍隊。または皇帝の出征)を重んじて遠く険阻の地に入るのは相応しくないと考えていた。


(あの奇っ怪な童子の問題もある)


 その空気に対し、劉秀は自分の考える戦術を述べることに躊躇していた。


(困ったなあ)


 そこで劉秀は馬援ばえんを招いて意見を求めた。


「現在、隗囂らは必敗の状況であり、我々には必勝の状況がございます」


 馬援はこの機に隗囂の将帥には土崩の勢(崩壊する形勢)があり、兵が進めば必破の状(必勝の状況)があると語った。また、劉秀の前で米を集めてこの辺の山谷を造り、指で形勢を描いた。衆軍が通る道を開示し、繰り返し分析して、明確に状況を教えた。


(この人は説明するのが上手い……)


 そう思いながら劉秀は、


「虜は私の目の中にいると言っても過言ではない」


 と笑った。


 翌朝、劉秀は進軍して高平第一(『高平県の第一城)に至った。


 この時、竇融とうゆうも五郡太守と羌虜(羌族)、小月氏等の歩騎数万、輜重五千余輌を率いて劉秀の大軍と合流した。


 当時は軍旅(軍隊)がまだ草創(創建)の時期であったため、諸将が朝会する時の礼容は多くが厳粛ではあなかった。


 しかし竇融は劉秀と合流する前に、まず従事を送って会見の儀適(儀式。礼節)を問うた。


(慎重であり、細やかな気配りのできる人だ)


 前々から評価が高いだけに劉秀は竇融を称賛し、百僚に宣告して竇融の態度を見倣うように指摘するように述べた。


 劉秀は盛大な酒宴を開き、竇融らを殊礼(特別な礼)で待遇した。


 二人は共に進軍し、数道から隴山を登った。


 劉秀は王遵おうじゅんに書を持たせて牛邯ぎゅうかんを招いた。


「ここまでか……」


 前々から劉秀の勢力の強さを見てきた牛邯はこれに同意し劉秀に下った。劉秀は彼を太中大夫に任命した。


 劉秀の親征によって隴右は一気に崩壊し、隗囂の大将十三人、天水郡の属県十六、衆十余万が全て降った。


 隗囂は妻子を連れて西城に奔り、楊広ようこうを頼った。


 この防衛線の崩壊に対し、公孫述の将・田弇と李育は略陽の包囲を解いて上邽を守った。


 劉秀は来歙と合流した。


「お見事でした」


「いやいや陛下の武によるものですぞ」


 来歙を慰労して賞賜を与え、劉秀は諸将の上に絶席(独立した席)を設けた。また、来歙の妻に縑(絹の一種)千匹を下賜した。


 尊重に次ぐ、尊重である。


 劉秀は進軍して上邽に至り、詔を発して隗囂に告げた。


「もし手を束ねて自ら訪ねて来るのであれば、父子が相見でき、他の事故がないことを保証します。もし黥布になることを欲するならば、ご自身で責任をお取りになられよ。好きなようになさっていただきて構いません」


 しかし隗囂は最後まで投降しなかった。


「不屈というべきかな?」


「いえ、これは非情というべきでしょう」


 劉秀は来歙の言葉に頷くと人質の隗恂を殺すように命令を出し、大司馬・呉漢、征南大将軍・岑彭しんほうに西城を、建威大将軍・耿弇こうえん、虎牙大将軍・蓋延がいえんに上邽を包囲させた。


 また、四県を竇融に封じて安豊侯とし、弟の竇友とうゆうを顕親侯にした。そして彼らに従っている五郡太守を全て列侯に封じた。


 更に劉秀は竇融と五郡太守をそれぞれ西の鎮撫するべき地(任地)に還らせることにした。


 竇融は久しく一方面(一地区)で権勢を独占していたため、劉秀に疑われることを懼れて不安になり、しばしば上書して交代を求めた。


 しかし劉秀は詔を発してこう応えた。


「私と将軍は左右の手のようなもの。しばしば謙退に固執しておられるが、なぜ人意が分からないのでしょうか。士民を撫順することに勉め、勝手に部曲から離れないように」


 これほどの信頼を向けられ、竇融はますます謙虚になった。


 もはや勝利は劉秀にもたらせようとしている時、東方では反乱が起きた。





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