人として……
隴山における戦いを見ていた者たちがいた。
黄色い服が風にはためかせながら男は笑う。
「ふふ、面白いものだな」
「一体、あの童子はなんだ?」
彊華が後ろから問いかけた。
「さあな、私は何一つ関わっていないからなあ」
(絶対嘘だって兄さん)
厳光が心の中で彊華にそう言う。
「本当か?」
「全く二人共疑い深いものだ」
苦笑しながら黄色い服の男は言った。
「そもそも私はあれを好いてはいない。もしあれに関わっている者がいるとするならばそれは……」
彼は指を一本空に向けた。
「天さ……」
「天……」
「そうだ。あれは天による英雄への試練のつもりなのだろう。全く忌々しいやつに試練を与える役目を割り振ったものだ……」
黄色い服の男があの童子を見ているとかつての自己満足信仰男のことを思い出す。
「試練とは?」
彊華の問いかけに黄色い服の男は苦笑する。
「随分と気にかけるじゃないか……課題を与えたとはいえ、少々英雄に関わらせ過ぎたかもしれんなあ」
「いや……」
目をそらす彊華に対し、黄色い服の男は手を叩く。
「そうだ。せっかくだから課題の答えを話してもらおうとしよう。人の本性についてな……」
突然のことに彊華は驚きつつも言った。
「答えは……正直言って無い」
「ほう」
「劉秀という男は確かに英雄に相応しい善の部分を多く持っていた。しかし、彼は多くの者を殺し、憎悪することもあった。決して善ではない悪の部分を見せることも多くあった……善か悪かどちらが彼の本性に相応しい言葉なのか……わからなかった。それが答えだ」
「厳光もかい?」
仮面を取り出す様子が無いのを見て、黄色い服の男は肩をすくめる。
「なるほど、それが君たちの答えか」
彼は笑った。
「ふふ、わからないか。大いに結構だ」
手を広げながら男はそう言った。
「私からすればこの課題はほとんど意味が無いものであった」
(根本をへし折りにかかってきたんですけどお。やっぱ可笑しいってこの人)
心の中で厳光がそう言うのに呆れながら彊華は発言の続きを聞いた。
「人の本性というものは人の数だけある。善や悪などという二元論で片付けられるものではない」
「では、お前はどう考えているんだ?」
そう問いかけると彼は答えた。
「私にとってはとてつもないほどに興味が無い」
(うわあ……)
厳光が心の中で引く。
「私にとって人の本性などというものには興味は無い。私が興味があるのはその者がどのような選択をし、どのような答えを出すかだ」
黄色い服の男は続けて言った。
「私はお前たちがどのような答えを最終的に導こうとも私は肯定したことだろう。なぜならそれはお前たちが悩み苦しんで出した答えだからだ」
男は笑う。
「人にとって最も価値のあるものは悩み、苦しみ、もがき、泥水を啜りながらも吐き出された答えこそが最も価値があるのだ」
男はそう言ってから指差す。
「だからこそあの童子は好きにはなれない。あれは自ら答えを求めてはいない。その周りの者もだ……」
その言葉に彊華は黄色い服の男があの童子に関わっていないことを理解しつつも聞いた。
「ならばなぜ、課題が人の本性についてだったんだ?」
「お前たちだからだ。それぞれが互いを思いながらも己自身の存在理由について悩んでいる。故にどちらかが善であり、悪であるとそれぞれが考えた。お前は己を悪として、弟を善としようとし、弟は兄を善とし、己を悪としようとした。私は二人が一つの器にいることは肯定すべきことだと思っているのだよ」
(誰のせいで僕たちが一つの器にいるんですかねぇ)
「まあ、そのままの二人で良いということだ」
黄色い服の男はそう言いつつ最後にこう言った。
「これから童子が起こすことに対して、介入してはならないぞ」
隗囂の軍に敗れた諸将が隴山を下っていったことを知ると劉秀はすぐさま詔を発して耿弇を漆(県名)に、馮異を栒邑に、祭遵を汧に駐軍させることにし、呉漢らを長安に駐屯するように指示を出した。
馮異が命令を受けて軍を率いて栒邑に向かっている間に、隗囂が勝ちに乗じて兵を出した。王元と行巡に二万余人の兵を率いて隴山を下りさせ、分かれて栒邑を攻略させようとした。
その動きに対し、馮異は兵を駆けさせて先に栒邑を占拠しようとした。すると諸将がこう言った。
「虜兵は盛んなうえ勝ちに乗じていますので、鋒を争うべきではありません。便地(形勢が有利な地)で止まって駐軍し、ゆっくり方略を考えるべきです」
しかし馮異はこう返した。
「虜兵は国境で小利を得たため、勝ちに乗じて深入りを欲している。もし敵が栒邑を得れば、三輔が動揺することになる。攻めるよりも守る方が有利だ。今、先に城を占拠するのは、安逸によって疲労した敵を待つためであり、直接交戦するためではない」
馮異は秘かに城内に入ると、城門を閉じて旗鼓をしまった。
馮異が入城したことを知らない行巡は城下に駆けた。
行巡の不意に乗じて、馮異は突然戦鼓を打ち、旗を立てて出撃した。
行巡の軍は驚乱奔走し、馮異がそれを追撃して大破してみせた。
祭遵も王元を汧で破ることに成功。
この勝利を見て、北地の諸豪長・耿定らが全て隗囂に叛して降っていった。
劉秀は詔を発して馮異を義渠に進軍させた。
馮異は一気に盧芳の将・賈覧と匈奴の奧鞬日逐王を破った。すると北地、上郡、安定も全て降っていった。
一気に版図を回復させたが、再び離さないためにはしっかりとした事務処理が大切であった。馮異は趙匡に任せた。趙匡はこれらを上手く処理していった。
「見事です」
馮異が彼を褒め称える。
「ありがとうございます」
趙匡はそう返しつつも心の中では満たされないものを感じていた。
思い出すのはあの戦いでの奇っ怪な童子の姿であった。無垢なる暴力によって兵を殺していくあの姿は美しく感じた。
純粋であり、無垢であるあの姿こそが人が本来あるべき姿ではないのか。
今まで彼は文官として事務処理を行ってきた。それは破壊ではなく秩序の維持である。だが、どこかでこう思った。
(これを壊したい)
と、変わることのない秩序の維持のために生きていくことに飽きていたのかもしれない。
そう思いながらも実行に移せるほど彼には勇気はなかった。
だが、あの美しい存在を見た。
一人思い返していると後ろに誰かがいた。
「やあ、あなたもあの方に魅了されたのですなあ」
振り向くと布を顔に被った男がいた。
「あの方への思いが溢れておられる。どうです。一緒にあの方と共に遊びませんか?」
男はそう言って笑った。




