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銅馬が征く  作者: 大田牛二


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竇融

 隗囂かいごうと好を通じていると痛い目に合う。


 以前よりもその思いが強くなっていた竇融とうゆうは弟の竇友とうゆうを派遣して劉秀りゅうしゅうに上書しようとした。その内容は以下のようなものである。


「私は幸いにも先后の末属を託されることができ(竇融の七世祖・董広国は孝文皇后(文帝の皇后)の弟で、章武侯に封じられた)、代々二千石の官に就き、私もまた不相応にも将帥を経歴して、一隅(一地方)を守持(鎮守)しております。よって、劉鈞りゅうきんを派遣して肝膽(忠心)を口陳(口述)し、自ら内心を露わにして、長い間わずかな隠し事も無くしました。ところが璽書(詔書)は竇融と蜀・漢の二主による三分鼎足の権(権勢。形勢)や任囂、尉佗の謀を盛んに称しておられます。それを窺い見て私は自ら痛傷(心痛)しています。私は見識がありませんが、利害の際(時)、順逆の分(道理)は知っています。どうして真旧の主に背き、姦偽の人に仕えて、忠貞の節を廃して傾覆(滅亡)の事を為し、已成の基(既に完成している基礎)を棄てて無冀の利(望みがない利益)を求めることがありましょうか。この三者は狂夫に問うても去就を知っています。どうして私だけが二心を抱くことがありましょうか。よって、謹んで弟・友に闕を訪ねさせ、至誠を口陳します」


 しかしながら竇友が高平まで来た時、ちょうど隗囂が反して道が通れなくなった。


 そこで司馬・席封せきほうを間道から送って劉秀に書を届けた。


 劉秀は隗囂にこちらが負けたにも関わらず、こちらに対して親交の書を寄越した竇融に好印象を抱きながら席封を送り帰して竇融と竇友に書を下賜し、甚だ厚い尉藉(慰労。慰撫)とした。


 竇融は隗囂にも書を送ってこう伝えた。


「将軍は自ら厄会の際(災害が重なる時)、国家不利の時(王莽の簒奪を指す)に遇いましたが、節を守って変わることなく、本朝の指示を仰いだとお聞きします。私らが高義に欣服(喜んで心服すること)し、将軍に従役することを願ったのは、正にそのためです。しかし忿悁(憤怒)の間に節を改めて考えを変え、成功を棄てて難就(成就が難しいこと)を造り、百年かけて累積したことを一朝にして破壊されました。惜しいことではありませんか。恐らく執事者(執政する者。大臣)が功を貪るために謀を建てたためにこのようなことになってしまったのでしょう。今、西州の地勢は局迫(狭窄)であり、民兵も離散していますので、人を輔佐するのは容易ではあるものの、自ら国を建てるのは困難です。もしも計が路を失ったにも関わらず、帰ろうとせず、道を聞いてもまだ迷っているようでは、南の公孫述こうそんじゅつか北の盧芳ろほうと一つになるだけです。独立はできません。虚交(実体のない交わり)に頼って強敵を軽視し、遠い救援に頼って近くの敵(相手)を軽視しても、その利は見えません」


 竇融の文章にはただただ隗囂への尊重が見られ、考えを改めるように述べられている。


「兵を起こして以来、城郭が全て丘墟となり、民が死んで溝壑に棄てられていきました。幸いにも天運が好転し始めていますが、将軍は再びその難を重ねようとなされています。これは積痾(長い病)を瘳(治癒)できなくさせ、幼孤(幼児・孤児)を再び流離させることです。まさに語るだけでも酸鼻を覚えるようなものでございます。庸人(凡人)でも忍びないのですから、仁者ならば、なおさらでしょう」


 あなたは乱世が終わろうとしているのに、再び乱世の時代に戻そうとしているということである。


「私が聞いたところでは、忠を為すのはとても容易でございますが、宜(忠誠の程度、態度が適切なこと)を得るのは実に難しいと聞きます。人を憂いる様子が度を過ぎていれば、徳をもって怨を招くことになるので、私が以上の言を持って罪を獲ることになるのは理解しています」


 最後にこう述べたのは恐らく隗囂は自分の諫言を聴くことはないという諦めと嘆きがあるのだろう。


 結局、隗囂はこの諫言を聞き入れなかった。


 竇融は武威太守・梁統りょうとう、張掖太守・史苞しほう、酒泉太守・竺曾じくそう、敦煌太守・辛肜しんひょう、金城太守・庫鈞こきんと共に兵馬を訓練し、上書して師期(出征の期日)を請うた。


 劉秀は竇融を深く嘉美した。


 それを受け取ると竇融はすぐに諸郡守と共に兵を指揮して金城に入り、隗囂の党に属す先零羌・封何ほうからを撃って大破してみせた。


 更始帝の時代に先零羌の封何らの諸種(諸族)が金城太守を殺してその郡に住んでいた。隗囂は使者を派遣して封何に礼物を贈り、共に盟を結んでいたのである。


 竇融は黄河に沿って進み、威武を揚げて劉秀を待った。しかし、当時は龍種の大軍がまだ西進を開始していなかったため、竇融はいったん引き上げた。


「だが、これで私の思いは届くはず」


 劉秀はそういったしっかりとした目を持っているからこそ動いたのである。


 まさしく劉秀は竇融が信效(信義。信用を守って実際に行動すること)を顕著にしているとし、ますます嘉した。更に竇融の父の墳墓(竇融の祖父と父の墳墓は扶風にある)を修築して太牢(牛・羊・豚各一頭の犠牲)で祀った。


 また、しばしば軽使を駆けさせて四方の珍羞(珍味)を贈った。


 これは四方の珍羞を贈ることで竇融を厚遇すると共に四方が来服して遠方の物を洛陽に到らせていることを示していることを意味する。


 竇融の知恵袋というべき武威太守・梁統は衆心が躊躇して迷うことを恐れ、人を送って張玄ちょうげん(隗囂の使者)を刺殺した。


 こうして隗囂との関係を完全に絶ち、皆(五郡に属す諸将)、隗囂から授けられた将軍の印綬を解いた。



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