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銅馬が征く  作者: 大田牛二


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河西

 河西の竇融とうゆうは以前から劉秀りゅうしゅうに注目しており、なんとか関係を結びたいと考えていた。しかしながら河西が遠く隔たれているため、直接通じるには難しかった。


(それに私のような勢力などは眼中に無いだろうしなあ)


 そう思う彼は隗囂かいごうと好を通じて、彼に従って建武(後漢の年号)の正朔を受けた。このように相手の国、王朝の暦を受け取るということは自分はあなた方の時の感覚に同調する、支配されることを望みますという意味で劉秀に帰順したことを意味する行為である。


 年号を作るというのはある種の時の支配であり、時の支配こそが天下の覇権を握る上での一つの条件である。


 隗囂は竇融ら全てに将軍の印綬を授けていった。


 劉秀に好を通じるために好を結んだ隗囂に対して、竇融はあまり好きになれないと思った。彼は外見は人望(人々の望み。漢に帰順すること)に順じているが、内心では異心を抱いていることが一目でわかったのである。


(あの人は良い顔をしながら近づく詐欺師のような人だ)


 そんな隗囂が辯士・張玄ちょうげんを送って竇融らにこう告げさせた。


「更始の事が既に成ったにも関わらず、間もなくしてまた亡滅(滅亡)した。これは一姓(劉氏)が再興しない效(証明)である。今すぐに主を作れば、係属(隷属)することになり、一旦拘制(抑制)されたら自ら権柄を失わせてしまうことになる。その結果、もし後に危敗があったとしても、悔やんでも及ばなくなる。今の世は豪桀(豪傑)が競逐(競争)し、雌雄がまだ決していないのであれば、それぞれが土宇(国土)を占拠し、隴(隗囂)・蜀(公孫述こうそんじゅつ)と合従(連合)するべきだ。うまくいけば、六国(戦国時代の独立した国)となることができ、うまくいかなくても尉佗(趙佗の地位。趙佗は南海王でした)を失うことはないだろう」


(言っていることは魅力的に見えて、その実は楽観を元にしている)


 そうではないか。何が連合してうまくいけば六国のように、うまくいかなければ尉佗のようにと言うのか。


(漢王朝復興がどうという問題ではない)


 隗囂が想定している状況が春秋戦国の世であることは明らかである。それも劉秀を秦に見立てている。


(六国による合従は失敗に終わったものだ)


 古の時代にうまくいかなかった行為が現在においてもうまくいくかはわからず、自分たちの勢力が六国にさえ及んでいないのである。うまくいくとは思えなかった。


 隗囂にこのまま好を通じたままでいるのは危険であると考える竇融であったが、この申し入れについて豪桀(豪傑。有力者)を招いて議論を行うことにした。


 竇融は確かに河西における盟主であるが実際はこの地域の豪族による連合勢力に過ぎない。自分の意思だけでことを運ぶことができない。


 班彪はんひょうを始め、見識がある者は皆こう言った。


「今の皇帝の姓名は図書に見られます。前世の博物道術の士・谷子雲(子雲は谷永の字)、夏賀良等から(今に至るまで)皆が漢には再び命を受ける符(予兆)があると言っております。そのため、劉子駿は名字を改易し(子駿は劉歆の字。劉秀に改名した)、その占に応じることを望んだのです。王莽の末年に至ると、西門君恵が子駿を立てようと謀り、事が発覚して殺されましたが、西門君恵は牢を出てから刑場に集まった者達にこう言ったそうです。『讖文に誤りはない。劉秀が真の汝等の主だ』これらは全て最近の出来事で、明らかにされており、衆人が共に見てきたことです。しかも今、帝を称している者が数人いますが、洛陽は土地が最も広く、甲兵が最も強く、号令が最も明らかです。符命を観て人事を察するならば、他の姓は恐らく劉秀に対抗できないでしょう」


 衆議では同意する者も異論を唱える者もいた。


(やはりここは盟主として強引に行くべきか)


 竇融は東に向かう策を決断し、長史・劉鈞りゅうきんらに書を奉じて洛陽を訪ねさせ、貢物を献上することにした。


 この時、なんと劉秀側も使者を派遣して竇融を招く書を送っていた。劉秀の使者が道中で劉鈞に遇ったため、共に洛陽に還った。


「竇融殿の使者が参ったと」


 劉秀は劉鈞に会ってとても喜んだ。


 礼饗(礼宴)が終わってから、劉鈞を還らせて竇融に璽書(詔書)を下賜した。そこにはこう書かれていた。


「今、益州には公孫子陽がおり、天水には隗将軍がおり、蜀と漢は互いに攻撃している。権(有利な形勢)は将軍にあり(竇融によって形成が決まる)、将軍が足を左右に上げることで軽重が変わる(竇融が左に投じたら蜀が重くなり、右に投じたら漢が重くなる)。これを元に言えば、厚く結びたいと欲しても普通のことであろう。桓・文(斉桓公や晋文公の業績)を立てて微国(弱小な国。後漢)を輔佐したいのならば、努力して功業を完成させるべきである。三分鼎足(天下三分)、連衡合従を欲するならば、それもまた速く決定するべきである。天下はまだ併合しておらず、私と汝は隔絶しており、相吞の国(互いに攻略し合う国)ではない。今の議者には必ず尉佗に七郡を制す計を教えた任囂のような者がいるものだ。王者には領土を分封することはあっても、民を分けることはなく。自分がするべきことを実行するだけのことである」


 劉秀はこの言葉と共に竇融を涼州牧の官位を授けた。


 璽書が河西に至ると、河西の人々は、


「天子は万里の外を明見(明察)している」


 と思い、皆、驚いたという。


 これは劉秀がこちらの動きを正確に見抜いているということも意味している。


「銅馬帝の目は遠方のことをも見通している」


 一方で隗囂の目は目の前すら見えていないのではないか。


 竇融はそう思った。




 




 

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