龐萌
平敵将軍(または「平狄将軍」)・龐萌は遜順(謙遜和順)な性格である、劉秀は彼を大いに信愛して常に、
「六尺の孤(幼い孤児)を託し、百里の命(百里四方を治める命。諸侯に立てることを意味する)を寄せることができるのは、龐萌がそれである」
と言って称賛していた。
信頼を勝ち得ていた龐萌であったが、彼は不安であった。
以前、蓋延と共に出陣した際に失態を犯した後、特に処罰の命令がなかったが、その後、劉秀からその時に組んだ蓋延と共に董憲を討伐するように命令が来た。
ところが蓋延だけに詔書が下されて龐萌には及ばなかった。
(どういうことだろうか……)
本来であれば、二人に対して詔が下るはずである。それにも関わらず、自分にはこなかった。
(陛下は当世の英雄である……)
そのことは疑うよしはない。だが、自分はその英雄に信頼されていないのではないか。
劉秀に仕えたのは河北で謝躬に従っていた時である。謝躬と劉秀は対立し、劉秀は謝躬を殺したため、馬武は降伏前に抵抗を行ったが自分は抵抗せずに馬武が降伏したところで自分も降伏した。
その時、劉秀は快く降伏を許してくれたことを覚えている。だが、その時にかけられた言葉を思い返すとあまり良い感情を得なかった。
『初めまして、よく降伏を選んでくれました』
『初めまして』……その言葉を聞いた時、耳を疑った。既に何度も顔を合わしていたはずだからである。
しかしながら今、思え返せば、会ってはいても劉秀が声をかけたのはいつも馬武であった。
劉秀にとって謝躬の下にいた者の中では、馬武にしか眼中になかったのであろう。
その時は仕方がない。馬武は劉秀と元々知り合いだったのだと思うことで自分の中にある怒りを抑えたものである。
それから劉秀の元で、龐萌は着実に実績を上げておき、信頼を得ていくようになった。そのことは自分にとっては嬉しいことであった。この乱世を治めることのできる英雄というべき劉秀に信頼を受けている。そのことによってやがて歴史に自分の名が輝きと共に乗っていくことになるのである。
だが、そんな英雄から信頼を得ている一方でその英雄からいつ見捨てられるのではないかと思うようにもなっていた。
そして、今、劉秀から見捨てられつつあるのではないかと思うようになった。
「陛下は馬武や蓋延のような男ばかり信頼されている」
馬武は確かに武勇は素晴らしいものを持っているかもしれないが、真面目ではなく、面倒くさがりであり、酒癖も悪い。
蓋延は傲慢で以前の失態もあの男が自分の言葉を聞き入れないからこそあのような失態を犯したのである。
(そのことを陛下はわかってくれていない……いや、蓋延は私が全て悪いと思っている節があった。やつが陛下に讒言を行ったのではないか……)
きっとそうに違いない。劉秀の信頼を笠にそのようなことをする男である。
「陛下はなぜ、あのような男ばかり信頼されているのか……」
自分は誠実に職務を果たしているのではないか。それを英雄である劉秀は認めてくれないのか。陛下からすれば自分など眼中にないのではないか……
「陛下に見てもらうには……」
目を細めてそう呟いた瞬間、彼は劉秀への反旗の旗を掲げた。
龐萌は憎き蓋延を攻めた。
「龐萌が攻めてきただと」
動揺する蓋延は龐萌軍に敗北し、北の泗水を渡って舟楫や津梁を破壊して何とか免れられた。
蓋延を破った龐萌は董憲と連合し、自ら東平王と号して桃郷の北に駐屯した。
敗れた蓋延から龐萌の謀反を聞いた劉秀は激怒した。
自ら龐萌討伐の指揮をとるとし、諸将に書を与えてこう告げた。
「私はかつて龐萌を社稷の臣とみなしていた。将軍がその言を笑わないはずがないであろう。老賊は族誅に当たる。それぞれ兵馬を磨き、睢陽に集結せよ」
凄まじい怒りの様がわかる言葉である。劉秀は大いに龐萌に期待していただけに裏切られて痛みが凄まじかったのであろう。
龐萌は彭城で反してから、郡守・孫萌を攻めて敗った。劉平はこの時、郡吏になっており、白刃を冒して孫萌の身の上に伏した。七つの傷を負い、困頓(疲労困憊)しながらも号泣して、
「この身をもって府君(太守)に代わることを願う」
と求めた。
その言葉を聞いて、龐萌の兵は武器を収めて手を止めて、龐萌に知らせた。
「これは義士である。殺してはならない」
龐萌はそう言って兵を解いた。
孫萌は傷がひどかったため死にかけていたが、暫くして蘇生し、喉が渇いたため飲物を求めた。劉平は自分の傷から血を流して飲ませた。
孫萌は数日後に死んだ。劉平は自分の傷を包んでから孫萌の喪(死体)を抱えて本県(故郷の県)まで運んだ。




