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銅馬が征く  作者: 大田牛二


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尊重と裏切り

 十一月、劉秀りゅうしゅうは宛を行幸した。


 岑彭しんほう秦豊しんほうを攻撃して三年になり、斬首した数は九万余級に上っていた。


 秦豊の残った兵は千人しかおらず、食糧もほとんど尽きていた。


 そこで十二月、劉秀は黎丘を行幸し、使者を送って秦豊に降伏勧告を行った。しかし秦豊は投降を拒否した。


 劉秀は朱祐しゅゆうに破姦将軍・侯進こうしんと輔威将軍・耿植こうしょくを付けて岑彭と代わって黎丘を包囲させ、岑彭と傅俊ふしゅんには南の田戎でんじゅうを攻撃させることにした。


 岑彭と朱祜を交替させたのはもはや秦豊は敵ではないと判断したためである。


 その頃、公孫述こうそんじゅつが数十万人の兵を集め、食糧を漢中に蓄え、更に十層の楼船を建造し、天下の牧守の印章を多数彫刻した。


 その後、将軍・李育りいく程烏ていう(「程烏」、「程焉」)を派遣し、数万の衆を率いて出撃させた。陳倉に駐屯して呂鮪りょいと合流し、三輔を攻略しようとした。


 それを征西大将軍・馮異ふういが迎撃して大破した。


 李育と程烏は漢中に奔った。


 馮異は引き返して呂鮪を撃破した。営堡から多数の者が投降していった。


 隗囂かいごうもこの時、兵を送って馮異を助け、功績があった。


 使者を送って劉秀に状況を報告すると劉秀は手書(肉筆の書)を送って応えた。


「あなたの徳義に喜んで敬慕して交流を願う。昔、文王は三分したが、なお殷に服事したものです。駑馬・鈆刀(「駑馬」は駄馬、「鈆刀」は鈍い刀。併せて凡庸な人を指す)だけでは無理に維持することができないが、しばしば伯楽一顧の価を被ることができた。また、蒼蠅が飛んでも数歩に過ぎないものの、驥尾(駿馬)に託せば絶群(群を抜くこと)となることができます。我々は盗賊に隔てられており、声問(音信)が頻繁にできません。しかし将軍は款款(誠懇、忠実)を持って危難を救い、南は公孫の兵を拒み、北は羌・胡の乱を防ぎ、そのおかげで馮異が西征して、数千百人で三輔を躑躅(巡行)することができました。将軍の助けがなければ、咸陽は既に他人の禽(獲物)となっていたでしょう。今、関東では寇賊が所々で屯聚しており、志が広遠に務めていますので、多くの余裕がなく、成都で観兵して子陽(公孫述)と角力(力較べ)することができません。もしも子陽が漢中、三輔に至れば、将軍の兵馬に頼って鼓旗を相当させる(対抗する)ことを願います。そのようになれば、天の福を蒙り、智士が功を計算し、地を割く秋(時)となります。管仲はこう申しています。『私を生んだのは父母であるが、私を成就させたのは鮑子である』今後は手書で互いに情報を伝え、傍人(周りの人)の解構(離間)の言を用いる必要はないと考えています」


 文中にある「伯楽一顧の価」について述べる。


 戦国時代、蘇代が淳于髠に言った。


「駿馬を売っている者がいたが、三旦(三日)続けて市に立ったとしても、市の人でそれを知る者はいなかった。そこでその人は伯楽(馬相を看る名人)に会いに行き、こう言ったそうだ。『私には駿馬があり、売りたいと欲しているのですが、三旦続けて市に立っても、市の人で駿馬の話をする者がいませんでした。あなたが馬の周りを歩いて観察し、去ってからまた顧みることを願います。私は一朝の価(一日の収入)を献上させていただきます』伯楽が言われた通りにすると、一旦で価値が十倍になったそうだ」


 という故事が元の言葉である。


 これほどの言葉を添えた文書を自ら書いて寄越したところに劉秀の隗囂への敬意と尊重の度合いがわかる。


 後に公孫述がしばしば秘かに将を送ったが、隗囂はいつも馮異と連合して共に撃退した。


 そこで公孫述は使者を派遣して隗囂に大司空と扶安王の印綬を授けたが、隗囂は使者を斬り、兵を出して公孫述を撃った。


 そのため蜀兵は北に出なくなった。このことに劉秀は喜び、尊重することを続けた。


 翌年、29年


 劉秀は来歙らいきゅうに符節を持たせ、馬援ばえんを隴右まで送らせた。


(一つ一つの所作でこちらのへの好印象を残していくのが銅馬帝の細やかさよ)


 馬援はそう思いながら隗囂の元に戻った。隗囂は戻ってきた馬援を労いながら臥起(起居)を共にし、東方の事を問うた。


 馬援はこう言った。


「以前、朝廷に至った時、上(陛下)とは数十回引見し、接見する度に燕語(歓談)して夕(夜)から旦(朝)に至りました。才明勇略であり、他者が匹敵できる人ではございません。しかも心を開いて誠を示し、隠すことはありませんでした。闊達(度量が大きいこと)で大節を重視し、高帝とほとんど同じような方です。経学を広く読み、政事においては文辨(文辞が優れていること)で、前世で比べられる者はいないでしょう」


 少し眉をひそめた後、隗囂は問うた。


「あなたが思うに高帝と較べたらどうだ?」


 馬援は意外にも首を振った。


「及びません。高帝は『無可無不可(『論語』の言葉。行動する前から可不可、善し悪しを決めないという意味)』というものですが、今上(今の陛下。劉秀)は吏事(政務)を愛し、行動は節度に則り、しかも飲酒を好まない方です」


 隗囂は不快になって、


「あなたの言の通りなら逆に勝っているのではないか」


 と言った。


 馬援は高祖・劉邦と劉秀に対する評価で劉邦が上とした。しかしながら彼の言葉を聞いている限りでは人格的に劉秀の方が優れているようにも聞こえる。


 だが、馬援が言いたかったのは、劉邦は度量が大きく、元から帝王の気質を持っていたのに対し、劉秀は驚異的な努力によって天子になった勤勉の人であるという差を指摘したのである。


 馬援は勤勉な劉秀よりも天性の帝王である劉邦の方が上であると感じていたのである。ある意味、彼は劉秀に好印象を持ちつつも劉秀の欠点も感じていたこともわかる。


 隗囂は大いに不快になり、劉秀を褒め続ける馬援に対して反感を抱いた。隗囂は自らも西方に割拠する英雄であると思っている。そのため表面上は劉秀に協力しながらも、実際には野心を抱いていた。


 劉秀は大いに彼を尊重しているにも関わらず、隗囂は徐々に劉秀から離れ、裏切ることになる。




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