君主の度量
劉秀は揚武将軍・馬成に誅虜将軍・劉隆、振威将軍・宋登、射声校尉・王賞を率い、会稽、丹陽、九江、六安四郡の兵を動員させ、前年に皇帝号を唱えていた李憲を攻撃させた。
馬成が大将なのかと多くの者は思った。馬成は地味な男でほとんどの戦で後方支援を行うことが多く、目立った結果を出していない。そのためわざわざ大将に任命する男なのかと皆、思ったのである。
九月、馬成らは舒で李憲を包囲した。
しかしながら彼は無理な力攻めを行わず、塁を築き、包囲を行うことにした。
李憲は打って出て大いに攻めて、馬成の軍が築いた塁を壊していった。
「ふははは、篭ってばかりでは我には勝てぬぞぉ」
そう煽りながら城に戻ってきた李憲が翌日、驚くべき光景を見た。
壊したはずの塁がひとつ残らず、直されていたのである。
「一日で全て直したというのか」
李憲は再び、打って出て塁を壊したが、その翌日、やはり壊したはずの塁が完璧に直されていた。
「ふん、直す速さは認めよう。だが、夜襲を行えば直す暇も無いだろう」
こうして彼は夜襲を行ったが、
「馬鹿なことだ。来るとわかっている夜襲ほど怖くないものは無い」
呆れる劉隆伏兵により、夜襲を行った李憲の軍は散々に負けて城に戻っていった。明け方、やはり塁は元通りになっていた。
「ふん、まあ良い塁を直しても連中は攻撃して来ない。休むとしよう」
李憲は城から打って出なくなった。
「困りました」
馬成は残念そうに呟く。
「せっかく大量に資材を持ち込んだというのに、使うことができないとは……」
彼は後方支援において、実に使い勝手の良い大工集団を率いており、彼らと共に城の修復や塁の建造などを行っていた。それを戦に応用したのが今回の戦である。
劉秀は馬成の戦についてこう言った。
「諸君、馬成と戦う時は必ず城から出て野戦を行うことだ。城を枕に死にたく無いならね」
一人の男が歩いている。
目に力強さを持っている男である。男が部屋に入るとそこには隗囂がいた。
「よく来た。馬援よ」
「どのようなご要件でしょうか?」
馬援が尋ねると隗囂は答えた。
「汝には公孫述という男について教えてもらいたいと思って来てもらった」
「何故?」
「汝は公孫述と同郷だと聞いている。故に彼のことをよく知っていると思ったからだ」
彼の言葉に対し、馬援はこう述べた。
「私と公孫述は確かに同郷でございます。しかしながら私の知っているのは過去の彼です」
「それでも良いのではないか?」
「士足る者、昨日と今日ではがらりと変わることがあり、今日と明日でも変わることもございます。私が過去にあった公孫述を述べたところで今とは全く違った彼となっていることもございます」
過去と今の公孫述は切って離して考えなければ痛い目を見ることになる。それは同時に隗囂にも言えることではある。
「ふむ、では汝は公孫述への使者となって今の公孫述を見てもらいたい」
「承知しました」
馬援はこの要請を快く引き受け、出発した。
(それにしても隗囂は銅馬帝と好を通じているにも関わらず、公孫述と好を結ぶことも考えているのか…‥)
馬援はそう考えつつもこの時はあまり反感を持つほどではなかった。
馬援は公孫述とは同郷であり、かつ仲も良かった。そのため蜀に入っても平生(平時。いつも)と同じように公孫述と握手をして楽しく交流できると思っていた。
(まあ過去の彼と変わっていなければだがな)
公孫述は陛衛(殿下を守る衛兵)を多数並べて馬援を招き入れ、交拝の礼(双方が拝礼する儀礼)の後、馬援を宮殿から出して館(宿舎)に入らせた。そこで凶器を持っていないか調べられた。
(自分を刺客ではないかと思っているのか……)
その後、公孫述は改めて馬援のために都布単衣(「都布」は布の名称)と交譲冠(古代の冠の一種)を作り、百官を宗廟の中に集めて旧交の位(旧友の席)を設けた。
そして、公孫述は鸞旗(鸞鳥を刺繍した旗)、旄騎(帝王が外出する時は、髪を束ねず散乱させたままにした騎兵が先導する。これを「旄騎」、または「髦頭」「旄頭騎」という)とともに警蹕(道を清めて警備すること)して車を出し、宗廟に着くと磬折(腰を曲げること。恭敬を示す)して中に入った。
多数の礼饗官属(儀礼や酒宴を担当する官属。または礼宴に参加した官属)が迎え入れた。
談笑した後、公孫述は馬援を封侯して大将軍の位に就けようとした。
馬援の賓客が皆、喜んで蜀に留まることを望んだが、馬援は諭してこう言った。
「天下の雌雄はまだ定まっておらず、彼は周公旦のように哺(口の中の食べ物)を吐いて国士を走り迎えることがなく、成敗を図っても、逆に辺幅(儀表。見かけ)を修飾することに終始した。これは偶人形(人形)のようなものである。彼がどうして久しく天下の士を留めるに足るだろうか」
(過去と今では公孫述という男はだいぶ変わってしまった……)
天下の主気取りの彼に馬援は失望し、別れを告げて帰った。
帰った後、馬援は隗囂に言った。
「子陽(公孫述の字)は井戸の底の蛙に過ぎません。それにも関わらず、妄りに己を尊大にしています。東方(洛陽)に専意なさる方がよろしいでしょう」
「そうか……」
隗囂は渋々という感じで、馬援に書を持たせて洛陽に送ることにした。
(私の目と意見を信頼しているからこそ、私を使者にしたのではないのか……)
元々劉秀とは隗囂は会っているはずである。それならば自分の目などは必要ではないはずである。それにも関わらず、自分を派遣するのはなぜだろうか。
(彼もまた銅馬帝の器量に疑問を持っているのか。それとも……)
馬援は気乗りしないまま洛陽に着いてから長い間待たされた。
(周公旦のような方は中々いないようだ)
そう思っていると中黄門(中黄門は宦者で少府に属す)がやっと招き入れ、宣徳殿南廡(廊屋。堂の周りの建物)に案内された。
(この方が……銅馬帝……)
そこには劉秀が幘を被って坐っていた。「幘」は頭巾のことである。本来、正装では冠を被るものである。公孫述での無駄に豪華な歓迎に辟易しただけに質素さを感じるこの状況に馬援は好印象を受けた。
劉秀は馬援を迎えて、笑って言った。
「あなたは二帝の間を遨遊(漫遊。往来)してきたそうですが、私が及ばないのではないかと思うと恥ずかしい限りです」
この言葉は劉秀側に隗囂の動きが筒抜けということを意味する。
馬援は頓首して謝意を述べ、こう言った。
「当今の世は、君が臣を選ぶだけでなく、臣もまた君を選ぶものです。私と公孫述は同県の出身で若い頃から交遊がございました。そこで最近、私が蜀に至りましたが、公孫述は陛戟(殿下に衛兵を並べること)してから私を進ませました。今、私は遠くから参りましたが、陛下はなぜ刺客姦人ではないと判断してそのように簡易なのでしょうか?」
劉秀は笑いながら答えた。
「あなたは刺客ではない。説客に過ぎない」
馬援は感じ入りながら述べた。
「天下が反覆して名字を盗む者(帝王を僭称する者)は数え切れないほどおります。しかしながら今、陛下の恢廓大度(寛宏な度量)が高祖と同符(同等。相当)であるのを見て、帝王には自ずから真(本物)がいることを知ることができました」
何の根拠もなく劉秀は自分を刺客ではないと判断したわけではないだろう。
その一つ一つをとっても明らかに君主としての度量が公孫述より上であると馬援は思った。




