王郎
邯鄲へ向け、劉秀は軍を向けた。
それを阻もうと王郎は張参に軍を預けて派遣したが、劉秀はそれに対して、連戦連勝し、張参は戦死した。
劉秀旗下の軍が極端に強くなったわけではないため、劉秀は頭を傾げる。
「王郎から徳が無くなりつつあるのでしょう」
耿弇がそのように言う。
「王郎に徳があるかあ?」
朱祐が言う。
「ある程度はあるでしょう。これほどに勢力を広げたのですから……」
「だが、もはや邯鄲の他は篭って助けにも来ないだろう」
邯鄲にまで至る県などはほぼこちら側になびかせている。
「銚期」
「はっ」
劉秀は銚期を呼んだ。
「汝に邯鄲の周囲の県の慰撫を行ってもらいたい」
「承知しました」
邯鄲を包囲している間に余計な横槍を入れさせないための指示である。そのため重要な任務とも言えた。それを彼に任せることにしたのは彼が真面目で誠実な人格を有している他に実は彼の配下が関係している。
馮勤という男である。冀州魏郡繁陽県の人で、身長が八尺三寸もある大男である。八歳で算術を極めたという秀才で、この時、銚期の元で功曹として働いていた。
その彼の働きがあり、銚期の旗下は事務能力に長けた軍となっていた。その彼を持って邯鄲周囲を慰撫したいと考えたのである。
その後、馮勤は銚期によって劉秀へ推薦され、劉秀は馮勤のことを「能吏とは彼のことを言う」とまで称えることになる。また、数少ない政務において劉秀に向かって意見を述べて信頼を勝ち取ることができた人物となる。
劉秀はそのまま邯鄲を包囲した。
「どれぐらいで落ちるかな……」
「ああ言う集団は、外側からは強いですが、内側からは脆かったりしますので、早めに落ちるかもしれません」
耿弇の言葉に劉秀は頷く。
「どうすれば良いのだあ」
王郎は頭を抱える。
「私の夢があの、劉秀によって壊される……」
なぜか、あの言葉に従って面白いことになったというのに、今やこのざまである。
「どうすればいい。どうすれば……」
その姿を遠くから見ている者がいる。
「無様だねぇ」
厳光は仮面を揺らすように笑う。
「別に僕は面白いことが起きるとか、夢が叶うなんていっていなんだけどなあ」
人としての欲深さ、慎重さの無さ、王郎の偽善的な部分、それら全てが人としての醜さを表しており、愉快であった。
「しかし、もっと苦戦すると思っていたのになあ、全く劉秀め……」
ここまで劉秀の本性を引き出さずに来てしまっている。そのことだけが不快であった。その様子を黄色い服の男は後ろで眺めている。
その時、何かを感じた。黄色い服の男はこの何かを知っている。
「まさか……」
黄色い服の男は厳光に向かって駆け出した。後ろで音が聞こえたため、厳光は後ろを見る。
「伏せよ」
黄色い服の男は珍しく声を荒げる。
その言葉に従い、厳光は伏せる。彼の首があった場所に剣が一閃、された。
「なんだ」
厳光は剣の主を見る。大男であり、黒い外套を纏っている。呉漢である。
「下がれ、こやつは危険だ」
黄色い服は冷や汗をかきながらそう言う。
「邪なる者ども、主上の戦に余計なものを持ち込まないで頂きたい。故にその命、頂く」
呉漢は剣を厳光へ振り下ろす。
その時、厳光の左腕を右腕で彊華が引っ張り、転がるように剣から逃れる。その時、仮面が落ちる。
彊華は呉漢を見据えながら、逃げるために構える。
「ほう、これはこれは……」
呉漢はそんな彼らを見て、呟く。
「二人とはな」
そこへ黄色い服の男が布を広げていきながら近づく。
「余計な真似をしているのは貴様だ」
布は呉漢の視界を覆うほどに大きくなる。
(これはなんだ……いや、目くらましか)
布の中央から剣が飛び出す。咄嗟のことで呉漢は避けるが、肩を掠める。
「あまり好きではないが、貴様のその感じは」
黄色い服の男は布をまとめ小さくしてからそこから更に小剣を出すや、呉漢に向かって投げつける。それを弾く呉漢へ更に布を伸ばし、足をからめとろうとする。
足が巻きつけられたところで呉漢は剣で布を切り裂き、その瞬間に剣で布を絡みとり、引っ張ると黄色い服の男は釣られてしまう。
男は布を手から離すがその隙に呉漢は彼へ向かって拳を叩きつける。
黄色い服の男はその襲撃によって体が浮くが瞬時に体勢を整え、口に含んだ血を吐き出す。
「貴様のようなやつでも血が流れるか」
「人であるからな」
「はっ、何をいっているのか」
呉漢は剣を構える。黄色い服の男は別の布を出す。
(こいつの感じはあれによく似てる。あれと同様か、それに近い存在……)
呉漢が斬りかかると布を再び、広げる。それを切り裂くがそこには男の姿はなかった。先ほどの二人もである。
「逃げられたか……」
彼はそう呟きながら剣を収めた。
邯鄲を包囲して数ヶ月が経った。未だ陥落はしていない。
「王郎に徳があるということでしょうか?」
馬成がそのように言う。
「どうだろうね。僕にはみんなで幻想にしがみついているようにも見えるけどね」
それでも現実は容赦なく襲いかかってくるだろう。
「王郎から使者が来た。会うか?」
朱祐がそう言う。
「会おう」
(使者かあ……)
劉秀は王郎の配下であると言う諫大夫・杜威と会った。
「我が王は投降を願っております。そもそも我が王は……」
杜威は劉秀の前で王郎が実際に成帝の遺体(遺児)であることを強調して話した。
(やれやれ……)
投降する側の態度とは思えない。
「もしも成帝が復生したとしても、天下を得ることはできないだろう。子輿を詐称する者ならなおさらだ」
杜威が王郎のために万戸侯を求めたが、劉秀はこう答えた。
「その身を全うできれば充分でしょ」
杜威は怒って去っていった。
「ふむ……」
劉秀はもし王郎が自ら平服してただただ降伏を求めるのであれば許そうと思っていた。河北の難という困難を味あわせた相手にも関わらずである。
特に理由があるわけではなかった。ただ実際に顔を合わせて話をしたかったのかもしれない。
「そう思うことは可笑しいかなあ」
彼はそう呟いて包囲を続けた。それから二十余日が経った。だが、幻想へのしがみつきも限界になっていることは劉秀にはわかる。
今、王郎は自分の死が近づいているという現実が近づいていることはよくわかっているはずだ。幻想の中で生きている者ほど、その現実に近づくとその幻想力は失われる。それが周りに伝わっていき、
「身内に裏切る者が生まれる」
劉秀の元に王郎の少傅・李立が門を開くという書簡が届いた。
「さて、止めを刺すかな」
劉秀は李立が門を開いたと同時に兵を中に入れてそのまま邯鄲を陥落させた。
「王郎は見つかっていません。王覇が必死に探していますが……」
傅俊の報告を聞きながら劉秀は邯鄲の中に入る。
「降伏する者は殺さなくていいよ」
城内の混乱を治めるための指示を出しつつ王郎の行方についての報告を待った。
「王覇より報告、王郎の首を得たとのことです」
諸将はその報告に沸いた。
「そう……王覇に労いの言葉を、王郎の首を持ってくるように伝えてきて」
しばらくして王郎の首が運ばれてきた。
「王覇がねぇ」
劉秀は王郎の首を見ながら呟く。
「王覇にねぇ」
見たところ王郎の風貌はそこまで神秘性もなく、特徴も感じない。
(幻想の中に生きた男の最後か……)
王郎の死を嘲笑う気にはならない。なぜなら一歩間違えれば、自分も同じような死があるかもしれない。
(果たして自分も幻想の中にいないとは言い切れないだろう……)
もしかすればふとした時に、土いじりをしているあの頃に戻るのではないだろうか。姉も二人の兄も生きているあの頃に……
「丁重に葬ろう」
劉秀はそう言って王郎の首を下げさせた。
(どっちが幸せだったかなあ)
そんなことを思った。




