信都襲撃
上谷と漁陽の軍と合流した劉秀の元にある知らせが届いた。
更始帝が尚書令(「尚書僕射」)・謝躬を派遣し、六将軍を率いて王郎を攻めており、苦戦しているということである。
「そのため合流しろということか」
劉秀はその命令に従うことにした。ここで更始帝側の疑いを受けるべきではないのである。
「初めまして、大司馬殿」
「こちらこそ初めまして尚書令殿」
一目見て劉秀は謝躬に対して、
(冷たい人だ)
と感じた。人としての温度の低い人である。
劉秀は彼の士卒に酒肉を与えて大いに労う旨を述べ、彼の率いてきた六将と会った。そのほとんどが大した人物ではなかったが、一人だけ嬉しい人がいた。
「馬武殿」
彼はぱっと明るい笑顔を見せながら馬武に話しかける。
「どなたですか?」
鄧禹が朱祐に尋ねる。
「馬子張という男だ。元々緑林に属していた男だ」
「元々賊だった男ですか」
鄧禹は嫌な顔をする。
「そうだ。だが、文叔はやけにあの男を気に入っている」
話しかけてくる劉秀に馬武は鬱陶しそうにしている。
「なぜ、あのような賊に……」
「お前の目でもあおの男の力量は見えないか?」
「特には……」
「ふむ、では劉秀だけがあの男の力量がわかっているということか……」
馬武は劉秀に話しかけられていても酒ばかりを飲んでしっかりと話さない。
「おい、餓鬼」
「なんです?」
餓鬼と呼ばれても劉秀は気にしない。
「随分と不気味なやつを連れているな」
彼が目を向けていたのは呉漢である。隣には蓋延がいる。
「不気味ですか?」
劉秀は自分と同じような感想を持っていることに驚く。
「だが、強い。恐らくお前の配下というやつの中ではな」
「あなたと比べると?」
「五分五分だな」
意外そうに劉秀は彼を見る。
「まあ俺が勝つがな」
馬武は面白そうに酒を飲んだ。
「劉秀将軍はあの元賊の男と親しそうにしてるな」
蓋延がそのように呉漢へ言った。
「身分に関わらず、親しくするとはいえなあ」
「お前よりは使える」
呉漢はそう言ってどこぞへと立ち去った。
「ご冗談の上手い方だ」
蓋延は肩をすくめた。
劉秀は謝躬らと共に東の鉅鹿を包囲した。しかしながら王郎の守将・王饒の守りは堅く、一月余しても攻略できなかった。
「王郎の配下は城を守るのが得意のようだ」
「しかしながら少しずつ、王郎を追い詰めています」
耿純の言葉に劉秀は頷く。
「劉秀め」
勢力を盛り返し始めた劉秀に対して、王郎は忌々しそうにする。
「ここは劉秀の拠点となっております信都を攻め落とせば、やつに従っている者たちも動揺することでしょう」
劉林がそのように進言したことで、逆に王郎軍が信都を襲撃することになった。
信都を守っている宗広はほとんど警戒していなかった。そのため王郎軍の接近に気づいたのは城内にいた大姓(大族。豪族)・馬寵らであった。
「私は邯鄲に従うべきだと考えていたのだ」
馬寵らが門を開いて王郎軍を中に入れたため、劉秀に属す者たちは捕らえられた。
この知らせが劉秀の元に届いた。
「拙い、兵たちに動揺が生まれる」
劉秀の予想通り、劉秀旗下の軍の中に動揺が生まれていた。信都には彼らの家族もいるのである。王郎軍は信都を支配下においた後、家族たちを脅し、諸将の元に邯鄲へ従うように説得の書簡を出させていた。
「投降すれば封爵されるが、投降を拒めば族滅される」
受け取った一人である邳彤はこの件を劉秀に報告した。
「国家の大事を図っておられる劉公に仕える身として、私事を思うことはできませぬ」
彼は応じぬことを告げて泣いた。
これよりも凄まじいことをした者がいた。李忠である。
馬寵の弟が李忠の校尉としており、李忠は彼を呼び出し、内応に関わったとして馬寵の弟を自らの手で斬り殺したのである。
劉秀はその忠義心に感動したと同時に危険だと判断して、家族の救出に向かうため軍を離れてよいと言った。すると李忠は、
「私はあなた様の大恩を受け、命を捧げる所存です。身内の事などは顧みません」
と答えた。
(凄まじい人よ)
劉秀はこの男のためにも信都を取り戻さなければと考え、任光の軍を信都に遣わすことにした。彼も家族を取り戻すためにも気負いを入れたが、ここで致命的な失態を犯す。
自分が動かしやすいように信都の兵で向かったのである。信都にいる家族を思う兵たちが途中で散って王郎に降ってしまったのである。
劉秀はこの報告を聞き、激怒しそうになるのを抑えて、任光を労った。これ以降、彼は軍事ではほとんど用いられなくなる。失敗を許す劉秀でも許せない失敗はある。
(さて、どうしたものかな)
信都を取り戻すために派遣する将について悩んだ。上谷と漁陽の軍は自分に従っているとはいえ、彼らに任せるのは難しい。
そんな中、陣中で暇そうに寝ている馬武の姿が見えた。
「よし」
劉秀は信都への派遣を謝躬に頼むことにした。
「我らの代わりに信都を取り戻して頂けないでしょうか?」
はっきり言えば、これに謝躬が従わない可能性が高い。劉秀の配下ではないのである。しかしながら謝躬は同意した。その理由は彼らが更始帝のために勝利の報告を行いたいからである。また、これで劉秀へ恩を着せることができると思っている。
「いいのか?」
朱祐が驚きながらいう。
「任光の失敗で兵の再編成も行わないといけないし、兵を減らさない意味でも彼らに任せるのが得だよ。それに……」
矛を肩に乗せながら歩く馬武を見る。
「馬武殿が暇にしてたし、ちょうどいいでしょ」
「それは……」
朱祐は眉をひそめる。
馬武は矛を持って信都城を見る。
「さてと」
城壁の敵兵の様子を見ていく。
「はしごをかけろ」
馬武が兵に指示を出し、はしごを城壁にかけさせる。
「無理をせずにはしごを上れ」
彼はそう言うと矢が降り注ぐ中、すらすらと登っていく。そしてそのまま城壁の上に到達、襲いかかる敵兵を殺していく。
(こいつは右腕を負傷している)
馬武は右から矛を振るい、相手を殺害する。
(で、こっちは左足をかばっている)
左足から突き上げるように矛を振るい、相手を斬る。
馬武は相手の動きの見て、その特徴を掴むことに特化している。そこに天舞の武勇が加わることで彼の体が傷つけられることはほとんどない。
城壁の上から降り、敵兵が寄ってくるのを蹴散らしながら進む。そこで城門が突破され、更始軍が侵入していく。
「早めに行くか」
馬武は駆け出した。そして宮殿の中に入り、敵兵を蹴散らしていく。そして捕虜らしき者たちが捕らえられている部屋に入った。
「おめえら、くそ餓鬼……劉秀の配下か?」
「左様でございますがあなたは?」
宗広が進み出る。
「取り敢えず、俺について来い」
「どこへ?」
「急げ、これから略奪が始まるからな」
馬武の言葉に捕らえられていた人々は急いで、彼についていった。
その後、信都領内で更始軍による略奪が行われた。
「略奪があったと聞いたぞ」
朱祐が劉秀に忌々しそうに言った。
「取り敢えず、諸将の家族は巻き込まれなかったみたいだよ」
劉秀は書簡を彼に見せた。
「そうだったか。それは良かった……おい、これ馬武殿が知らせてきたのか?」
「そうだよ、貸しが一つだってさ。それにしても李忠の家族も助かっているのは良かった」
劉秀は信都の奪還に成功したことを諸将に伝え、安心させると李忠を信都太守代行に任命した。
李忠は信都に入ると豪族で王郎軍に内応した者数百人を殺し、政務を行った。彼の政務は公平かつ的確のものであった。




