3-3話_Mist of target
目を逸らしてはいけない。
これは、緊張とは少し違う。
本能がそう告げていた。
御三家 獅堂 霞。
湿地エリアの中央に立つその男から、絶えず風が流れ出している。
肌を刺すような鋭い風。
ラムダのイデアだ。
霞を中心に、空気そのものが切り裂かれているようだった。
舞い上がった水飛沫が、霞の周囲だけ細かく霧散していく。
二人の足元に広がる浅い水面が、小刻みに震えていた。
足首ほどまで伸びた水草も、霞から放たれる風に揺られている。
奏は唾を飲み込み、目を細めた。
共鳴―――レゾナンス。
そんな言葉すら、つい最近知ったばかりだ。
イデア。
召喚獣。
戦い方。
知らないことだらけだ。
だから俺は、今は、ただ見るしかない。
いや、見るしかできない。
霞の指先、視線、呼吸
僅かな重心移動すら見逃すまいと、奏は神経を張り詰める。
その静寂を裂くように、霞が口を開いた。
「殺すつもりで行くからな!」
霞が腰を落とす。
風―――ラムダのイデアを纏った剣が、低く唸った。
次の瞬間。
霞の姿が消えた。
さっきまで霞が立っていた場所の水草が、数瞬遅れて宙を舞う。
(……消えた!?)
だが。
視界の端。
左側。
水飛沫の流れが、不自然に乱れた。
(……!水壁!)
反射的に水を引き上げる。
奏の前方に、水の壁が形成された。
だが。
そこに霞はいない。
(逆か!?)
瞬時に右側へ意識を向ける。
だが、いない。
「遅い!!」
真上。
頭上から声が降ってきた瞬間、奏は無意識に左右の水壁を上空へ集束させていた。
直後。
イデアを纏った霞の剣が、水壁を容易く両断する。
まるで豆腐でも斬るかのように。
切断された水塊が轟音と共に爆散した。
湿地一帯へ大量の水飛沫が撒き散らされる。
さらに、霞の剣閃から放たれた風の斬撃が地面へ着弾した瞬間、渦を巻いた。
竜巻―いや、違う。
それは、細かい刃そのものだ。
無数の風刃が、奏へ牙を剥く。
水飛沫は霧となり、周囲一帯を白く染め上げていく。
『奏!無事か!?返事をするのじゃ!』
「速い……っ、全然見えない……!」
水霧の向こう。
どこかで霞が動いているのが分かる。
だが、ゆらりと大気が揺れるだけで、彼の姿は視認できない。
『共鳴について、お主は何も分かっておらぬのであろう!? 儂が教えて、』
「共鳴っつったって…そんな、何もっ……!」
アビスの言葉を遮るように、奏では最小限の力で声を荒げた。
そして、奏は荒く息を吐きながら続ける。
「イデアについても最近知ったばっかりだし……! 召喚獣のことだって、まだまだ、知らないことの方が多いんだ……!」
それでも、奏は集中力を切らさない。
風のイデアから微かに聞こえるチリチリという厭な音。
水音。
空気の流れ。
その全てへ意識を向ける。
すると。
霧の中を、何かが高速で駆け抜ける気配を感じた。
反射的に、自分自身を中心に、ドーム状の薄い水の膜を展開する。
次の瞬間、衝撃。
水膜全体が激しく軋んだ。
―――見えなかった。
だが。
怖くはない。
いや、怖いはずなのに、それ以上に高揚していた。
これは武者震いなのか。
それとも。
未知の力を握り始めていることへの興奮なのか。
奏は自分でも分からなかった。
ただ。
今までよりも、世界が鮮明に見えていた。
水飛沫の流れ。
風の軌道。
霞の残したイデアの揺らぎ。
それら全てが、僅かに見え始めている。
(……アビスのイデア)
奏は、自らの武器へ視線を落とした。
蒼いイデアが、銃身内部へ密に流れ込んでいる。
脈打つように。
呼吸するように。
掌越しに、その存在が伝わってくる。
―――応えている。
そう、本能が理解していた。
―――
(…体中が痛む。あんなに訓練を積んだのに…クソがッ!!)
霞は、
奏に、今の速さに順応される前に、迅速に、決着を着ける必要があった。
すでに、体が重くなってきた
ふと、数か月前のある日の出来事が回想される。
―
「これが…共鳴?…ははっ、やったぞラムダ!」
『やっと前進したな』
刀身が金属から風のイデアに変化した剣を握り、それをまじまじと見つめる霞。
新しいおもちゃを買ってもらった子供のように、期待を膨らませるような表情をしつつ、
自分はまだまだ発展途上なんだと痛感している、少し複雑な心境だった。
そんな彼に、賛辞を贈る一人の女性。
訓練に付き合っていたのだろう。
「おめでとさん!入学前に何とかできるようになったね!」
「ちょっ…アサヒ姉さん!あんま大きな声出すなって…。ま、まぁ…ありがとう」
獅堂 旭
御三家の一柱である、獅堂家の長女であり、霞の姉である。
思春期に入りたての霞の回想なのか、あまり容姿が回想されないのは、また別の話。
「ま、共鳴って、奥が深いから、君らなりに模索してがんばれ!」
―
何故今、あの日の姉さんとのやり取りを思い出したのだろう
体中に、少しずつ疲労と痛みが蓄積されて、彼はようやく気付き始めた。
「次で、決めるぞ…ラムダ」




