第五章 冬姫覚醒 9
分かり辛い関西弁の解説です。
・何をさらすんや → 何をしやがる。
綺麗な言葉遣いではないです。良い子は真似しないように。
九
「うぬらは弱すぎる。小娘の小競り合いなど、見ていてもくだらぬわ」
突然現れた謎の男は、本当につまらなさそうな口調で吐き捨てた。
「誰、この人? お坊さん?」
一部始終を目撃した椿と周は、唖然として、顔の分からない変な男を見つめていた。
椿が指摘したとおり、服装はよく見ると、仏僧が身につける法衣だ。
「虚無僧どすか。いくら京都や言うても、町中を歩いている姿は、初めて見るどす」
虚無僧とは、よく尺八を吹きながら各地を行脚し、托鉢などをしている僧だ。確かに言われてみると、目の前の男は小奇麗ながらも、虚無僧と呼べる格好をしていた。
でも、どうして虚無僧が突然現れて、榎たちの試合の邪魔をするのか。さっぱり理由がわからず、榎は困惑した。
「何をさらすんや、クソ坊主!」
「いきなり割り込んでくるなよ、試合の邪魔だ!」
柊が怒りの声をぶちまける。榎も負けじと、虚無僧に文句を吐いた。
榎たちの苦情などものともせず、虚無僧は馬鹿にした風に鼻を鳴らした。
「試合など、生温い。戦いとは本来、生きるか死ぬかの極限状態で行う、神聖な儀式。弱き者共が木の枝を打ち合って、何が楽しい?」
虚無僧的に、榎たちの試合が見ていて不愉快だったらしい。だからといって、部外者に割って入られる道理はない。余計なお世話というものだ。
「お前には関係ないだろうが! あたしたちの戦いに、口を挟むな!」
「まったくや。邪魔する言うんやったら、うちも黙っとらへんで!」
榎と柊は立ち上がり、武器を構えた。狙いは揃って、眼前の腹が立つ、虚無僧だ。
誰が合図するでもなく、榎たちはほぼ同時に地面を蹴った。虚無僧めがけて、獲物を振りかざした。
「下らぬ遊戯など、我が即座に終わらせてやろう。どちらが強いかなどと、優劣をつける必要はない。どちらも脆弱なり!」
虚無僧は落ち着いていた。まるで周囲を飛び交う、目障りな蝿でも払い落とす仕草で、軽く刀を振り払った。
直後。榎と柊は虚無僧の前に倒れこんでいた。背中に痛みが走る。いつ、攻撃されたのか。まったく分からなかった。
「まったくつまらぬ。無駄な時間を過ごした。どこかに、我を満足させる、真に強き者はおらぬのか……」
軽く息を吐き、虚無僧は鞘つきの刀を腰に差し直した。榎たちには興味も失せた、といった態度だ。
飄々とした足取りで、河原の砂利を草履で踏みしめながら、去っていこうとした。
「待てよ。好き勝手に言いやがって。誰が弱いだと? 笑わせるな」
榎は力を振り絞り、虚無僧の足元に手を伸ばす。懇親の力を込めて、左の足首を掴んだ。
「坊さん、よっぽど腕に自信があるみたいやけどなぁ。力を過信しとったら、痛い目見るで!」
ほぼ同時に、柊も虚無僧の右足を掴んでいた。
立ち止まらざるをえない虚無僧は、歩みを止めて、上半身をよじった。這い蹲って、まだ抵抗をやめない榎たちを、呆れた様子で見下していた。
「威勢だけはよいな、小娘ども。男の聖地たる戦場において、姦しい金切り声など、不愉快千万……」
黙々と台詞を吐いていた虚無僧だったが、言い終わるより先に、榎と柊の腕が動いた。同時に思いっきり両足を引っ張られ、虚無僧はずっこけて倒れた。
今が好機とばかりに、榎は飛び起きて、虚無僧めがけて竹刀を振り下ろした。さっきの仕返しにと、肩を思い切り叩き付けた。
柊も飛び上がって薙刀を振りかざす。長い木製の刃先が、虚無僧のわき腹を直撃した。
さすがにダメージがでかいらしく、虚無僧は低いうめき声を上げた。
「すごい。えのちゃんとひいちゃん、息ぴったり。いつも考えが正反対で、喧嘩ばっかりなのに」
「まさに、阿吽の呼吸どすな。正反対の性格でも同じ目的があると、チームワークが抜群になるどす」
外野から、何やら聞き捨てならない声が聞こえたが、今は反論をしている余裕もない。聞き流した。
「おのれ、二人掛りとは卑怯な! しかも汚い手ばかり使いおって! 正々堂々と戦え!」
辛うじて榎たちの猛反撃から逃れた虚無僧は、少し取り乱して説教してきた。
だが、あまりにも説得力のない物言いは、榎たちの怒りに、さらに油を注いだ。
「人の試合に割り込んで、馬鹿にしておきながら、何が正々堂々だ!」
「戦いは、生きるか死ぬかの修羅場なんやろう? 卑怯もクソもあるかい!」
榎は左から。柊は右から。
虚無僧を挟み撃ちにして、今日最高の一撃を食らわせた。
同時に強烈な攻撃を食らった虚無僧は、吹き飛ばされて河原に仰向けに倒れた。
「少しは懲りたか? 好き勝手やっていると、痛い目を見るんだぞ。良く覚えておけよ」
「ほんまに。せっかく、ええ感じで試合しとったのに、興醒めしてしもうたわ」
邪魔者を退治すると、少し気持ちも落ち着いた。だが覇気は落ち、柊との試合を再会するには、少しテンションが下がったなと、榎はがっかりしていた。
あのまま戦っていれば、絶対に榎が勝てたのに。そう思うと、本当にこの虚無僧が憎らしくなってくる。
「許さぬ。許さぬぞ、小娘どもぉ!」
虚無僧は怒りを含んだ、恨めしい声を上げた。
許さない、は榎の台詞だ。不機嫌になりながら虚無僧を睨みつけた。
瞬間。背筋に悪寒が走った。
立ち上がった虚無僧は、体を左右に揺らしながら、こちらへ向かって歩み寄ってきた。
刀の鞘が抜かれ、妙にどす黒い刀身が露になっている。その刀を握る手だけが、しっかりと榎たちに狙いを定めていた。




