第五章 冬姫覚醒 7
七
その日の夜。
如月家に帰って食事を済ませた榎は、寺の境内で素振りをしていた。
意気込みは、普段の部活動の練習の比にもならない。かなり、肩に力が入っていた。
奴――柊だけには、絶対に負けられない。剣道を馬鹿にする柊のひん曲がった根性を叩き直すために。
加えて、榎自身の誇りにかけて、絶対に勝たねばならなかった。
「えのちゃん。どうして、ひいちゃんと仲良くできないの?」
庭を照らす電灯の下で、椿が座り込んで榎の訓練を見物していた。心配そうな顔をして、憤る榎を眺めている。
椿は平和主義者だから、いかに試合とは言え、友人が争う姿は見たくないのだろう。心配してくれる気持ちは有難いが、人には必ず戦わなくてはならないときがある。たとえ、相手が誰であっても。
「小学校の頃に、色々あったんだとは思うけれど、昔の問題は水に流せないの? もちろん、ひいちゃんの態度だって、悪い部分はあるわ。でも、ひいちゃんと絡んでいるときのえのちゃん、いつもと全然違うんですもの。何だか怖いわ」
椿に怯えられていると思うと、少し心が痛んだ。確かに、柊と接しているときは、椿や周と話をしているときに比べて、どうしても神経質になりがちだ。
意図しているわけではない。無意識に起こる反応だから、榎にもどうにもできなかった。
「別に、柊に嫌な思いをさせられたから、その仕返しを、なんて考えているわけじゃないよ。小学校の頃にちょっかい掛けられた思い出なんて、はっきり言ってどうでもいいんだ」
誤解はして欲しくなかった。榎にとって明日の戦いは、過去の復讐ではないのだから。
「じゃあ、どうしてひいちゃんと戦うの? 椿には、よく分からないわ」
椿は理解に苦しむ、といった表情で榎を見ていた。榎は動きを止め、しばらく考えを巡らせた。榎自身の触れたくない本心と戦う、辛い時間だった。
でも、椿には理解して欲しい。だから頑張って、気持ちを言葉に変換した。
「……あたしは、見た目が男みたいだろう? 背も高いし、見た目も男っぽいし。椿だって最初は、あたしを男と間違えていたわけだし」
椿は少し、恥ずかしそうな、ばつが悪そうな顔をしていた。榎を男だと思って色目を使っていた過去は、椿にとってはみっともない記憶となって刻まれているらしい。
「別に、椿が悪いわけじゃないよ。男っぽい身の振り方をしてきた、あたしに問題があるんだから」
しょぼくれる椿を宥めつつ、榎は話を続けた。
「でも、柊だって背が高いだろう? 性格も男っぽいし、口が悪いしがさつだし。なのに、柊はどこへ行っても誰が見ても、女の子なんだ。その違いは何だろうって、いつも考えていたんだ」
柊には、確かに繊細な部分もある。かもしれない。でも、普段の乱暴な物言いや態度の図々しさ、豪快な行動力を見ていると、中身は男にしか思えない。
なのに、周囲からは大人っぽい女の子として認識される。少年として見られる榎とは、打って変わって。
榎と柊、何が違うのだろう。ずっと考えているが、未だに答は出ない。
「……髪型? あと、服装とか……」
椿も、頭の中で榎と柊の違いを比べてくれていた。たいてい、出てくる要素は外観らしい。
「うん、まあ、見た目の印象は大きいんだと思うけれど。あたしが言いたい部分は外見じゃなくてさ。つまり、どうして男みたいにがさつな性格なのに、女の子らしい面が消えないんだろうと」
「女の子だから、でしょう?」
当然の返答だった。所詮、榎の悩みなんて、女の子にとっては常識でしかないのかもしれない。
「じゃあ、抵抗のあるあたしは、女じゃないのかな」
呟くと、椿も黙り込んだ。
男っぽい格好や性格をしていると、考え方や態度まで、男みたいになっていく。そんな状態のままで、女らしくなんてできっこない。
榎にはできないのに、柊にはできる。その差が悔しくて、羨ましくて、腹立たしい。
たぶん、柊に対する苛立ちの原因は、その辺りに起因していた。
「柊は、あたしにとってコンプレックスの塊みたいなもんなんだ。越えなきゃならない、壁そのものなんだよ。あいつを倒せば、あたしももっと、変われると思うんだ」
柊は、榎が欲しくても手に入らなかったものを、全部持っている。何らかの方法で柊を負かせれば、榎の中の気持ちも、変わるのではないかと考えていた。
今回はたまたま、奴が剣道を馬鹿にしてきたから、決着をつける流れになった。本当は、何でも良かったのかもしれない。
でも、榎にとって一番自信を持って挑めるものだから、内心は安心していた。
強い意志を固めている榎を見て、椿は少しだけ、表情を柔らかくした。
「えのちゃんはきっと、椿たちが思っているよりも、女の子らしいんだと思うわ。でも、恥ずかしがりやさんだから、素直になれないのね。周りの環境や体型も、関係しているのかもしれないけれど」
椿は一生懸命考えて、榎を理解してくれようとしていた。顔を上げて、まっすぐ榎を見つめてきた。
「えのちゃんが、変わろうって必死になる気持ちはよく分かるわ。でも、今のえのちゃんだから持っている、えのちゃんのいいところが、ちゃんとあるよ? そういう部分を、忘れないでね」
控えめに応援の言葉を残して、椿は部屋に戻っていった。
残された榎は、しばらく呆然と立ち尽くしていた。
榎がコンプレックスを克服して、今の榎ではなくなれば、今まで持っていた良い部分はなくなってしまうのだろうか。
そもそも、今の榎のいいところとは、どんな部分だろう。榎自身の性質を、よく分かっていない。
考えかけたが、今はやめた。明日の戦いのために、迷いは禁物だ。
まっすぐ、目の前の敵だけを見据える。柊を倒す瞬間だけを考えよう。
榎は心の乱れを振り払い、再び素振りを始めた。




