第二十六章 夏姫革命 6
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榎の腕を後ろで抑えながら、守親はまっすぐに廊下を進んでいく。
広い屋敷だ。恐ろしいほど、静かだった。人の気配は何となく感じ取れるが、普通の営みを送っているとは思えない、妙な緊張感が漂っている。
屋敷の人たちは、守親と、連行されていく榎を、陰からこっそりと観察しているのだろうか。
月麿みたいに妨害に来る気ではないのなら、それほど気にする必要はないだろうが、不気味だ。
暫く進むと、背後から足音が近寄って来た。
立ち止まって振り返ると同時に、榎たちは黒い着物に身を包んだ男たちに取り囲まれた。顔は不思議な模様の書かれた布で覆い隠し、腰に剣や背中に弓矢を携えている、奇妙な連中だ。
微かに人の気配もするが、違和感は隠しきれない。巧妙に姿を変えた、式神ではないかと直感的に感じ取った。
「殿、共も連れずに賊の元へ行くなど、何かあったらどうなさいます」
今までに見てきた式神とは異なり、言葉も話す。姿かたちだけではなく、中身もかなり精巧に作られた式神たちだ。
「何もなかったではないか。いや、より良き土産を持ち帰った。案ずるな、我は伝師の長ぞ、小者にやられるほど落ちぶれてはおらぬ」
守親は説教してくる式神たちを軽くあしらい、更に廊下の奥に目配せした。
「それよりも、紬姫は何をしておる。まだ奥の間に閉じこもっておるのか」
「はい。捕らえた娘を連れて参れと申しておられます」
もう既に、紬姫に夏姫を捕えた報告は届いている。榎に少し、緊張が走った。
「そうか。では、すぐに行こう」
満足そうな表情で、守親は榎の背を押して歩みを進め始める。
だが、守親の肩を、式神たちが抑えて動きを止めた。
「いえ、連れてくるのは、我らにと」
そう告げると共に、守親と榎を引き剥がした。榎は別の式神に背中を押さえられ、脇に避けさせられる。
守親は勢い余って廊下に倒れ込む。体勢を崩した守親に、式神の一体が剣を抜いて切っ先を突き付けた。
「あなたはこの場で、切り捨てよとの仰せです」
「何だと……!?」
守親の顔から、血の気が引く。
「貴様ら、我を誰と心得る!? 伝師家の長、守親であるぞ……!」
必死で牽制するも、その威厳はどこ吹く風で、式神たちは同時も躊躇いもしない。
「長の命ですので」
この連中にとっての長は紬姫だ。だから、守親に対して忠誠を誓う必要は、どこにもない。
刃が振り上げられ、素早く振り下ろされる。悲鳴を上げながら、守親は紙一重で躱した。だが切っ先を避け切れず、守親の肩を切り裂く。綺麗に切られた場所からは、血が滲み出た。
「やめろ、どうして、こんな酷いことをするんだ!」
榎は守親の身を案じつつ、式神に怒鳴りつけた。もちろん、式神たちは榎に臆したりはしない。
「自力で賊も捕らえられぬ役立たずは、一族にはいらぬと」
淡々と紡がれた台詞に、榎は思い当たる節があった。
「そうか、紬姫には、何もかも見えているのか……」
紬姫の力は、未来を見据える、予知の力。
もし、紬姫が、榎が夏や守親と接触したことを予知していたとしたら。もう既に、榎の正体や行動なんて、紬姫には筒抜けなのかもしれない。
だが、そうと分かっていても、榎を屋敷の中にまで通したということは、紬姫には榎と接触しようとする意思があるのか。
もちろん、紬姫の本心なんて分からないが、今はその期待に賭けるしかない。
「長は、貴方と会うと申しております。どうぞ中へ」
予想通り、紬姫は榎の存在を知って、何らかの興味を抱いたらしい。
式神たちが、榎を奥の間へと招き入れる。
榎は進もうとしたが、守親の呻き声が聞こえて、立ち止まった。
「待って、その人を、守親さんを開放してほしい」
「それはできかねます。もう、表の長としての役割は終わりましたので、紬姫の命により始末いたします」
「そんな、どうして!? 守親さんは紬姫の旦那さんなのに……」
榎は慌てる。いくら形だけの長とはいえ、綴の父親であり、紬姫が愛する人であることには変わりないはずなのに。
その人を、紬姫が殺そうとするなんて。理解できず、榎は混乱した。
「やめろ、離せ、愚か者が!」
肩の傷を庇いつつ、守親は式神たちから逃れようと必死でもがく。だが、易々と捉えられて、手を後ろで縛られ、頭を掴まれた。
式神が剣を振りかざし、守親の首筋に狙いを定める。
榎は止めようとしたが、式神に摑まれた腕はびくともしない。
守親が、殺される。制止の声を張り上げようとした時、式神の剣の動きが止まった。
側を見ると、式神の手を、別の式神が抑えつけて、寸手のところで止めていた。さっきまでこの場にいなかった、別の式神だ。
命を存えたと知った守親は、汗だくになりながら息を切らして、床に倒れ込む。
「長からの、新たな命が下った。守親は姫が自ら手を下す。そのまま連れて来い、と」
新しくやってきた式神の言葉によって、他の式神たちは守親から手を引いた。紬姫の命だからと、その式神は榎の手の縄を解き、守親を起き上がらせた。
「紬姫様が待っておられる。早う、参られよ」
「軽々しく、我に触るな!」
怯えながらも、まだ虚勢を張る守親に、再び剣が突き付けられる。
「勘違いするな。時が伸びただけで、貴様の命が終わる時はすぐに来るのだ」
脅されて、大人しくなった守親を連れて、その式神は他の者に待機を命じて、歩き出した。
すぐ側で気配を感じ取り、榎はその式神が、気配の異なる別の存在であると、直感的に気付いた。
式神とは違う。もしかして、人間じゃないだろうか?
しかも、この場にいるはずのない、あの人の気配がする――。
この人は、まさか……。
「振り返るな、そのまま前に進め」
考えを纏める余裕もなく、榎は背を押され、忙しなく廊下を小走りに進んだ。
やっぱり、この声、この気配。間違いない。
「夏さん、ですか……?」
榎は小声で、誘導する式神に訊ねた。
式神はゆっくりと、顔を覆っていた布を捲り上げた。中から出てきたのは、間違いなく夏の顔だった。
「其方に全てを押し付けるわけにはいかぬ。私も共に行く」
榎たちの後を追って来てくれたのか。しかも、危険を冒して、屋敷の中にまで。
「その格好は……」
見つからないための変装だろうが、女性の着物を棄てて男装した夏の姿は、とても凛々しく感じられた。
「夏姫が二人もいては、締まりが悪い。今や、夏姫は其方だ。私は、ただの陰陽師として戦いに身を投じよう」
夏は軽く微笑み、再び顔を隠した。
「済まなかった。つい、弱音を吐いてしまった。全てが終わったわけではない。私が生きている限り、まだ役目があるのだろう。其方が言うように、紬姫が私に裏切られたと思い、そのせいで怒りに身を窶しているのならば、誤解を解けば私の話でも聞いてくれるかもしれない」
そうだ。たとえ結ばれない間柄であっても、共に想いあっていた仲なのなら、夏姫の説得にも効果があるかもしれない。
榎は笑い返した。
守親だけでは、正直心許ないところもあった。可能性は、少しでも多いほうがいい。
もちろん、そんな理由だけではなく、夏が物事を前向きに考えて、紬姫と向き合ってくれたことが、榎にはとても嬉しかった。
「共に、紬姫の元へ行こう」
「はい!」
榎と夏は、強く頷き合った。
「守親。もう少し、長として威厳を保ってもらわねば困るぞ、背を伸ばせ」
夏は守親の背を叩く。式神が夏だと知った守親は、再び怒りと嫌悪に体を震わせ、顔を真っ赤にしていた。
「黙れ、女と情を通じるだけでは飽き足らず、男の真似事か! つくづく汚らわしい女め!」
「私がこの装束を纏ったからには、何人にも従い首を垂れる気はない。貴様が先頭に立って歩かぬのであれば、この場で切り捨てるぞ」
複雑な文様の描かれた布越しに殺気の籠った視線を飛ばされ、守親は口を噤んだ。
「せっかく寿命を伸ばしてやったのだ、少しは感謝してもらいたいものだな」
夏は呆れて息を吐く。夏が何か言動を起こす度に、守親の怒りが膨れ上がっていく気がした。
だが、何の反抗もできずに、従うしかできない。そんな自身の姿に、また自己嫌悪を起こすらしく、守親は更に体を屈辱に震わせていた。
口の中で小さく、「殺してやる、殺してやる」と何度も呟きながら。




