第4話 Peter Breaks Through「ピーターパン 現る」
というわけで、悪すぎるクソガキエルフの登場です。
「わぁ、すごい! ボク飛んでるよ!」
まだ声変わりしていない、中性的な少年の歓声が響く。
「わっはぁ! あの女の人、ずっと消火栓を指さして揺れてる。面白いなぁ。
あ、こっちは汚えなぁ。漏らしながら歩いてるよ、あはははは! 焦点あってないなぁ」
マーカス・ヘイルがアレン・エーバーハルトにストリートビューで見せていた、荒廃したダウンタウン。その澱んだ通りを、小さな影が飛んでいた。手のひらを二つ並べたほどのドローン。鮮やかなピンクのボディに水色のプロペラガード、黄色い星と小さな妖精の羽が描かれている。朽ちた灰色の町には、あまりにも場違いな玩具じみた色だった。
ドローンは閉鎖された映画館の錆びた看板をくぐり、割れた窓から昔のダイナーへ入り込む。埃を被ったカウンターを回り、道路へ飛び出すと一気に高度を上げた。
「地面を這い回ってる人間って、いつみても面白いけど、上から見ると最高だね」
交差点では、若い女が裸足で同じ場所を何度も往復していた。何かを落としたらしく、地面を見ながら円を描くように歩き続けている。その女は数メートル上空から自分を見ているドローンに気がつくと、何かを叫び、手に持っていた空き缶を投げつけた。
「ざんねーん」
機体はひょいと避ける。一度失速しかけ、建物の壁すれすれを抜けた。操作している少年は、それすら遊園地のアトラクションのように楽しんでいる。
大通りから細い横道に入ると、地面はゴミで溢れかえり、痩せこけた男が壁にもたれて座り込んでいた。
ドローンは顔の前まで降りる。
「生きてるかなぁ?」
男の周囲を執拗に飛び回る。
「死んでるぅ?」
さらに近づいたところで、男が鬱陶しそうに腕を振った。
「お? 生きてた」
声が嬉しそうに弾む。
「ハハッ、壊れたNPCみたい」
さらに進むと、かつて栄えたショッピングセンターが見えてきた。駐車場の半分は雑草に覆われ、巨大な看板には撤退した店舗の名前だけが日焼け跡のように残っている。
ドローンを操縦する少年はしばらく黙って町を眺めた。
「人間って、自分たちだけでここまで壊せるんだ」
少し考えてから、楽しそうに付け加えた。
「まあ、ボクもちょっと手伝ったけど。おっと、充電ステーションに戻らないと」
ドローンはショッピングセンターだった場所の駐車場に止められた、放置車両めいたアイスクリームキッチンカーの中に消えていく。中にはアイスはなく、ドローンの自動給電ステーションが設置されている。ドローンはそこからさらに暗号化された衛星回線などを経て、遙か遠くのどこかに繋がっていた。
*
その町から遙か数千キロ離れた場所。
ドローンを操縦していた少年はそこにいた。青白い間接照明の薄暗い部屋、少年の他に十数人の人影。
巨大な3Dゴーグルを被り、最高級の革張りの椅子へ深く沈み込んでいる。身体が小さいせいで、深く座ると靴の先が床へ届かず、宙ぶらりんで揺れていた。
「飛ぶのって楽しいなぁ。現地に行かなくていいし、臭くないし」
可憐な声だった。だが、返事をする者はいない。
少年を囲むようにして、十数人の男女が巨大な円卓についている。その誰も彼もが、険しい表情で手元の書類を睨み、少年の様子を伺っている。シャツの袖から覗く腕には、ゴツめのタトゥーが刻まれた者が大半だ。彼らは中南米の巨大カルテルを率いるボス。東欧の合成麻薬市場を牛耳る死の商人。北米の流通網へ数十年食い込んできた一族の代表。海運、地下銀行、密輸組織の実力者。
それぞれの地元でなら、名前を口にしただけで人間が消えるような、地下組織のトップ達である。
そんな強者達が、少年がドローンで遙か彼方の町を飛び回り遊び終わるのを、ただ押し黙って待っていた。
いや、正確には「誰も余計な言葉をかけたくなかった」のだ。
「……ピーターパン」
最も年嵩の老人が、痺れを切らしたように口を開いた。
「そろそろ、会議を始めたい」
「え〜。今バッテリー交換中。もっかい飛ぶんですけどぉ?」
少年はゴーグルを被ったまま、駄々をこねるように両足をバタつかせた。
「我々は、君の遊びを見るために集められたわけではない」
「ん〜。ボクの機嫌を損ねたいのは誰かなぁ? 今喋ったの、誰?」
少年はようやく3Dゴーグルを外した。
長い睫毛。少女とも見紛うほど整った顔立ち。薄い翡翠色の瞳と、病的なまでに白い肌。ボブカットのプラチナブロンドの髪の隙間からは、小さく尖った耳が覗いている。年齢は十五、六歳。どう見ても、それ以上には見えない。150センチほどの華奢な体格に、明らかにサイズの合っていない高級ブランドのパーカーをダボダボに着ている。
プラチナブロンドの前髪には、墨を垂らしたような漆黒のメッシュが二本、バツ印(X)のようにクロスして入っていた。
翡翠色の瞳が、薄暗い部屋を舐めるように見渡し、小首を傾げた。
「それとも、誰が消えたいかなぁぁ? ん〜〜?」
円卓の全員が、一斉に目線を逸らす。老人の口が固く閉じた。
「ん……フフフフフ、冗談だよ冗談! みんなファミリーじゃないか、仲良くしようよ!」
二十年前なら、この場の誰もこんな少年に黙らされはしなかったはずだ。
この少年はある日、裏社会へ奇妙な分析技術を売り込んできた。最初はただの若い技術屋に過ぎなかった。一つ成果を出して信用を得る。別の科学者を紹介し、敵対する犯罪組織を「研究」という一点だけで結びつける。成功した研究は共有し、失敗したデータすら捨てずに別の研究者へ回す。この永遠に成長しない少年は、それを二十年間休むことなく続けた。
気づけば、世界中の闇ラボは一つの巨大な『研究共同体』になっていた。
麻薬王たちは科学者を雇っているつもりだった。だが今では逆に、すべての指揮系統は研究共同体に組み込まれていた。
この指揮系統のボスである少年を殺せば済む。実際、腕利きのヒットマンを使えばそう難しくはないだろう。もちろん、そう考えた者もいた。
7年前、南米で王と呼ばれた男が実際に暗殺を命じた。
ピーターパンは報復しなかった。刺客を送り返すこともなかった。ただ、その男の組織を「研究ネットワークから切り離した」だけだった。
新しい技術が届かなくなり、所属していた科学者は逃げるように別組織へ移った。敵対カルテルには、さらに優れた製造ノウハウと合成ルートが安価で提供された。
半年で商品競争力を失い、資金が細り、配下が離反し、麻薬原料はおろか、それを薄めて錠剤にするためのタルクパウダーさえ入手できなくなった。別のビジネスを始めるも上手くいかず、一年後、その麻薬王は自分の側近に身を売られた。
麻薬王は、頭蓋にドリルで穴をあけられ、脳に様々なチューブをつなげられ、苦しむ様がダークウェブの奥底で24時間中継され続けた。薬液は、閲覧者がボタンを押すことで、死なない程度にランダムに注入される。麻薬王は一週間泣き叫び続け、絶命した。
以来、誰も少年を殺そうとはしなくなった。
犯罪組織は潰せる。ボスも殺せる。
だが、大学も国家も存在しないこの『学術共同体』は、一つの組織が滅びても次へ移るだけだ。犯罪組織よりも研究ネットワークの方が長生きするように作られていて、拠点と呼べるものは存在しない。この少年がすべてを牛耳っていた。
戯けてはいるが、少年の冷徹な分析、市場予測、当局の動き、政府の規制方針の予測は、すべて恐ろしいほど正確に未来を見据えている。従えば確実な増益が約束されていた。故に彼を殺すことは、自らの生命線を切ることに直結する。
「貴方の気分を害するつもりはない……。西部の市場について話がある。ビジネスの話をしてもいいだろうか」
先ほどの老人が、慎重に切り出した。
「ん〜。ボクに言われても。ボクの試験エリア以外は、キミたちが自由に商売していいって任せてるだけだけど?」
「た、たしかに需要は多い、売れる。だが、最近のモデルは死者が想定外すぎるんだ」
「うん、それで?」
「客が死ねば、市場が死ぬ」
「弱い者は死ぬ。僕たちはその後押しをしているだけ。弱いから貧しい。貧しいのも弱いから誰かのせいにして、頭が悪いから世界を呪って死ぬしかないんだ。死ぬ間際に夢を見させてあげてる僕たちは慈善家だよ。気にしなくていい」
「だが……!」
「いいかい、おじいちゃん」
ルシエルの声から、ふっと温度が消えた。
「客が死んで市場が縮むと思ってるのは、古いビジネスモデルだ。致死率が上がってオーバードーズのニュースが流れれば、政府はどう動く? 解毒剤の開発や代替麻薬の無償配布に予算を回し、取り締まりの現場に人員を割く。するとどうなる?」
老人が息を呑む。
「国境や港湾の『上流の検査』が甘くなるのさ。ボクらが本当に売りたいプレカーサー(原料)を大量に運び込む大チャンスだ。それに、客なんて死んだら『それだけ強力で飛べるクスリ』だって最高の宣伝になる。ジャンキーどもは恐怖より快楽の評判を信じるからね。死んだ客の穴は、新しい客がすぐに埋める。ボクの需要予測アルゴリズムはそう言ってるよ」
的確で、あまりにも血も涙もない具体的なアドバイス。
「……分かりました。そのようにします」
「それでいいの。あ、そうだ。ハッピーエンド症候群……最近、当局が動いていると報告があったね」
「はい。しかし、あれは大丈夫なのですか?」
急にルシエルの表情が明るくなった。
「ハッピーエンドシンドローム。傑作な名前だよね。名付けた人にトロフィーをあげたいな」
少年は少し考えるように天井を見た。
「うーん。あれは……まだ作品の途中。あの構造に気づいた政府の研究者がいたら、ボクのラボにヘッドハントものだよ」
机上のタブレットを操作すると、二つの単純な記号が表示された。
【A】と【B】。
「あれはね、今は成分を二つに分けてるんだ。片方だけなら大したことない。もう片方だけでも大したことない。でも、指定された二つを同じ人が摂ると、身体の中で化学反応を起こして『最後の形』になる」
ルシエルは指先で二つの記号を寄せ、重ねて遊んでいる。
「プロドラッグの応用さ。面白いでしょう? ボクが工場で最後まで作らなくていいんだ。人間が『自分のお腹』で完成させてくれる」
「……検査には出ないのですか?」
「それもまだ調整中だけど、わかんないだろうね。今の形はすぐ崩れるからね。死体になってから探しても、死んで二時間もたてば、いくつかのどうしようもない部品(アミノ酸や代謝物)に分解する。毒を盛られたって証明するのは不可能さ オレキシン受容体は変容してるけど、その受容体はまだボクしか見つけてないサブタイプだから……」
「将来的には、それが我々の新しい商品になるのですか?」
「そうだよ、これこそボクが今作ってる最高傑作。みんなに愛と勇気と強さを与えてくれる」
しかし、開発者本人は、ひどく不満そうだった。
「でも、まだ失敗なんだよね」
「コスト的な問題ですか?」
「そうじゃない。死ぬの早すぎ」
ルシエルは頬をプクッと膨らませた。
「効き方そのものは、かなり綺麗なの。怖くなくなる。痛いのもどうでもよくなる。自分なら何でもできるって本気で信じられる」
両手を広げる。
「飛べると思ったら、空も飛ぶよ」
軽い愛想笑いが起こる。
「ビルからでもね」
会議室に重たい沈黙が落ちた。
「車より強いと思ったら道路へ飛び出せるし、骨が折れても走れると思えば走れる。本人にとっては人生最高の日。……でも、壊れるのが早すぎる」
少年の不満は、死者が出たことへ向けられているのではなかった。
「五分で壊れるおもちゃって、つまらないでしょう?」
誰も答えない。
世界中で人間を殺してきた冷酷な男たちが、小柄な少年を無言で見つめていた。
「もっと長く遊びたいんだよ。一時間でも、半日でも。身体が壊れてることにも気づかないまま、最後まで幸せでいてほしい」
「……死者を減らすための改良は、しないのですか」
老人が恐る恐る聞いた。
「なんで?」
ルシエルは、本当に質問の意味が分からないという顔をした。
「ボクがなんのために研究をしているのか……。弱者の救済だよ。弱くて惨めでみっともない、そんなどうしようもない人達に、最後に最高の夢を見させてあげる」
可憐な顔に、無邪気な笑みが戻る。
「でもさぁー。人間って死ぬ直前になると、急に『生きたい』みたいな顔するんだよ。あれ、すっごくつまらない」
薄い色の瞳が、玩具を選ぶ子供のように輝く。
「最後まで『最高!』『もっと!』『ボクなら何でもできる!』って思ったまま、綺麗に壊れてほしいんだ」
そう言うと3Dゴーグルをもう一度被った。
視界の中で、ピンク色のドローンが荒廃した町の上空へ再び舞い上がる。
「名前は?」
「何の?」
「その新型薬だ」
「ああ」
コントローラーを握る。
「ティンカーベル」
少年の口元が笑う。
ドローンの高度が上がる。眼下の人間が、どんどん小さくなっていく。
「だって、みんな、空を飛んでほしいからさ」
世界中で原因不明の怪死として処理されている、ハッピーエンド症候群。
その正体は、まだ完成すらしていない新型麻薬。
そして、その試作品を世界へ撒いていた成長しない正体不明のエルフ。
ルシエル・マキア・セレンディス。
裏社会では、その名よりも別の呼び名の方がよく知られている。
【ピーターパン】
ゴーグルの向こうで、少年が楽しそうに笑った。
「次は、もっと長く飛べるようにしないと」
極悪少年エルフは実は過去からかなり悪いことをしてます。そんなかんじで、次回はウェンディについて・・・感想などいただけるとマジ嬉しいのでよろしくオナシャス。




