モンゴル帝国に抗った人達4 コイツら頭オカシイ!日本の武士達
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南宋攻略には意外にも時間がかかった。中華の南側は意外と手強かった。それは物産豊かな南側との貿易不均衡が、打撃を与えた為である。
その南宋の貿易相手国に日本という島国があった。その島国にもフビライは目を向けた。
いや?戦争する気は最初は無かったようだ。
朝鮮の奴らが捕まえて来た対馬の民2名(両方平民)をフビライ自ら歓待し、お土産まで沢山渡して送り返したのだ。
しかし日本の態度は素っ気ない。これは恐らくやれるというから朝鮮半島に日本懐柔を任せた結果だろう。朝鮮から来た使者は元朝の威光を傘に着て無茶苦茶な事や態度で日本に当たったのだ。
「元国の使者は横柄だ!叩っ斬れ!」
遂に時の執権北条時宗までもがブチキレて使者の頚を跳ねた。普通ならあり得ない。使者を斬るなんて蛮族以上の行いだ。
しかし、日本も使者の態度に呆れ果てた結果だ。朝鮮を介在させたばかりにフビライと日本が戦争になった。
1274年、朝鮮に船を作らせた元軍がまず対馬に上陸。この時代からの守護職は宗一族だったが、僅か100名ちょっとの対馬は陥落した。
しかし各国の歴史書の記述が物凄く曖昧だ。朝鮮の史書によると対馬攻略時にモンゴル側死者4万余。これ、文永の役におけるモンゴルの総戦力を失ってる事になる。余程凄惨な戦場だったのだろう。
実は上陸したモンゴル軍はもっと凄惨な事になっていた。
当初日本は足場の悪い浜辺で騎射をするより、3キロメートルばかり内陸部で迎え撃つ作戦を立てていたが、そこは抜け駆けが横行しやすい御家人集団の群れ。揚陸してしばらくして横槍を突いて日本がモンゴルに牙を剥く!
騎射をするのはモンゴルだけの話ではない。日本にも弓騎兵が居た。モンゴルの弓は取り回しを重視して短弓という小さな弓だったが、日本の弓は当時2メートルも有ったそうだ。
その騎射が威力抜群だった。
モンゴルが届かない所から次々弓を放つ武士の集団。それでも突撃を止めない日本の武士。この時日本の騎兵は呪文のような物を叫びながら押し寄せる。モンゴルが慌てて槍を構えると槍の穂先を日本は薙刀(当時日本に槍という武器は無かった)を振り乱して切り落とす。
薙刀のスイング一閃で何人もバタバタ倒れるモンゴル軍は士気が下がる。ここで鎧が多少立派な将校が倒れると、日本の軍団は更に異常な行動に出た。
割りと軽装備な鎧を着た歩兵(小物という者達だ)が、倒れ伏して死んだ将校に群がる。
いや?そいつ死んでますよとか言うより早く将校の首を切り落とし、薙刀の先に刺して誇らしげに振り回し、更なる雄叫びをあげて絶叫する!
モンゴル軍は思った!コイツらヤバい!狂っている!どこのカニバリズム民族の島に来てしまったんだよ!
逆に日本は日本でモンゴルにかなりブチキレていた。モンゴル軍は対馬の民間人の手に穴を開けて数珠繋ぎにして船に残していたのだ。
民間人に手を出すとは何事だ!
この『気持ち悪い』合戦はモンゴル側の大敗に終わった。そりゃそうだ。
戦闘そっちのけで首を切り落としでぶら下げてやって来る化け物共と同じ所で寝られるものか!
橋頭堡も確保出来なかった。
そしてその日の夜、モンゴル軍は恐いから帰った。帰りに何か有ったとかよりも4万で出掛けて未帰還者13500。半数に近い数が打ち取られたのである。
モンゴルにしては初めての大敗になったのである。
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