クッキングクラブへようこそ③ memory of underwear
椅子に座らされた状態でぐるぐるに縛りつけられ、両脚も縛られ、目隠しまでされてという、映画なんかでは度々見かけるクラシックな拘束スタイル。
生涯でそのような憂き目に遭うことなどまずないだろうと思っていたのだが、大いなる思い違いだった。人生、どんなにあり得なさそうなことだってあっさり起こってしまう時もあるらしい。
先程からジュージューと何かを焼いているらしい音とともに、えもいわれぬ甘い香りが漂ってきているが、それが何なのか気にかけるだけのゆとりを抱ける状況ではない。
「……それで、日比野さんの下着の色と形状は覚えているの?」
冷たい声が降ってくる。
目隠しにより、窺うことはできないが、きっと声と同じく冷たい目で僕を見下ろしているのだろう。
「あ、あの、そんなことまで聞かなくても……」
「何を言っているの。これは確認作業なの。あなたの膝蹴りで一時的に記憶が飛んでただけなのか、それとも少しはアレの効き目があったのか見極める必要があるのよ。決して、あなたがどんな下着つけてるのかクラスメイトの男の子に言わせて、あなたを辱めて楽しもうとしているわけではないのよ」
「で、でもぉ……」
声だけで恥じらう様子が容易に想像できる日比野乃々美に、新須茉茶華は取りつく島もなかった。
「さあ、我がクッキングクラブが誇るデカパイメガネちゃんはどんな下着を付けていたのか。どうせその目を……目などを思いっきりひん剥いて見ていたんでしょ? 正直に白状なさい」
確証はないのだが、なんとなくこの人楽しんでるんじゃないか? という気がしてきた。
あと、目などってなんだよ、わざわざ言い直してたけど。目以外にどこかひん剥く部位があるって言うのか。
などと思うも、ツッコミの言葉を投げられる状況でもなかった。
「……だんまり決め込まれるとなると、少しだけ手荒なこともせざるを得ないんだけど」
「えっ、マサカさん! クッキーの型なんて手にとってどうするんですか!?」
「決まってるでしょ」
新須茉茶華は、何でもないことのようにあっさりと言った。
「くり抜くのよ」
背筋が凍りつく。
どうにか拘束の縄を外せないかもがこうとするも、椅子にガッチリと縛りつけられており、背もたれと背中に1ミリの隙間を作ることもできない。
「おへその代わりに星型の穴が開いてるのって、そこはかとなく最先端チックな趣きがあると思わない?」
「みっ、見てないんですっ! 日比野が下着姿になってるときは、目を塞いでて……本当です!」
かつてない危機を感じ、必死に答えると、今度は少し離れた位置にいるらしき武郷アイナの声が飛んでくる。
「嘘くせーなー。あんなダイナマイトボデーから目が離せる男なんているわけねえだろ」
ボデーという発音はさておいて、確かにそう言われても仕方ないのかもしれない。
あのシチュエーションで出歯亀よろしくすぐ側の物陰に潜んでおきながら、見ていませんという言い分を信用してもらえるはずもない。第一、下着姿は見ていなくとも、その後のオールヌードは見てしまっていることを既に口走っているわけだし。
しかし、その言い分にはそれ以上の追及はされなかった。
「アイナ、あなたは口を挟まず、しっかり警戒していなさい」
「あいよ」
………まただ。
さっきからチラホラ彼女たちはこんな不穏なやりとりを交わしていた。
僕が拘束された直後、おそらく校内放送を流すスピーカーからだと思うが、聞き覚えのない音楽が聞こえてきた時が最も顕著だった――
「おいおい、始まっちまったじゃねえか。どうすんだよ?」
「水原くんがここにいたらマズいですよね? どうするんですか?」
「仕方ないわね……今の状態で帰すわけにもいかないし。まったく厄介なクソガキね」
「で、でもっ、ここしばらく何もないわけですし、きっと今日も大丈夫ですよね?」
「そんな心構えじゃ困るわね。今は停戦も何もしていないただの膠着状態なのよ。いつ敵が攻めてきてもおかしくないわ」
「ご、ごめんなさい……」
「ともかく、アイナは敵襲への警戒」
「おう!」
「代表はもう一回パンケーキお願いできる?」
「七分ほど待て」
「よろしくね」
「あ、あのあの、私も準備しといた方がいいですか?」
「準備?」
「その……念のため服を脱いでおくとか」
「あれはまだ実戦に投入する段階ではないでしょ」
――などと、不穏かつ意味不明かつ支離滅裂なやりとりを目隠し状態で聞かされ、理解に苦しみ、不気味な思いをさせられている次第である。
一体この人たちは何なのだろうか。裏庭での出来事がなければ、放課後に集まって妄想与太話に花を咲かせる変わり者の集まりだと判断できるのだが。
これまで見聞した出来事や会話を回顧し、点と点がどうにか線で繋がらないか苦慮している僕に向け、引き続き冷徹な声が投げられる。
「……そう。つまりあなたは、日比野さんが下着をつけずに、あさりの貝殻と柏の葉っぱで然るべき部位を隠していたと言っているわけね」
「おいおい、あんな爆裂ボデー、そんなんで隠せるわけないだろ。せめてホタテの貝殻とヤツデの葉っぱぐらいは必要だぜ」
「ふっ、二人とも何言ってるんですか! あたし学校でそんな格好しません!」
……家ではしてるのか?
どこから突っ込めばいいのかわからないやりとりで、浮かんだ疑問はそれだったが、口に出す余裕はない。
「そういうわけで、水原静矢くん」
突如視界が現れ、目の前には日比野乃々美が所在なげに立っていた。当然ながら制服はきちんと着用している。
その向こう側、教室の最前に据えられているホワイトボードの前、授業をする教員が立つ位置に武郷アイナがおり、扉や窓へとしきりに目を動かしている。
誰かが入ってくるのを待っている……いや、警戒しているような挙動である。
目隠しを外してくれたらしい新須茉茶華が、すぐ横から告げてくる。
「彼女がどんな下着をつけていたか、あなたが思い出してくれないと、一年の日比野乃々美さんは大事なところを貝殻や葉っぱで隠して校内をねり歩く痴女だという噂が学校中を駆け巡ることになってしまうわけだけど、構わないわけね?」
「構います! 誰がそんな噂流すんですか!!」
日比野が叫び声を上げる。
屋外で全裸になっていたことは確かなわけだし、それがバレるのと大して変わらないような気もしつつ、悲痛な表情を見ていると同情心も湧いてくる。
「ほらほら、よく見て。頭のてっぺんから足の爪先まで、舐め回すような視線をお送りなさい」
「ちょ、ちょっと……そんなに見ないで……」
「日比野さんはそこから動いちゃダメよ」
顔を赤らめ、身をよじらせながらも、言いつけを守ってその場に立ち続ける健気な日比野を救うには、彼女がどういう下着を着けていたか話すしかないのだろうが、下着姿は本当に見ていない。
当てずっぽうというわけにもいかないし――
「あっ」
ふと思い出す。
「何?」
「……そういえば、百葉箱に置いてあった下着らしきものが上からパサっと落ちてきたんです。すぐに脇へ置いたから一瞬しか見てないけど……」
「へえ。それはどんなだったの?」
あれは本当に刹那の出来事だった。しかも何が何だかわからない混乱の真っ只中。
それが下着であると認識した瞬間には放り投げており、しっかり見たわけではないのだが……
「えっと……色は白で、フチのところはレースがあしらわれてて……」
「それはショーツの方? 男の子にもわかりやすくいえばおパンツの方という理解でいいのかしら?」
「はい、おパンツです」
心なしか前のめり気味の新須茉茶華の問いに、僕は明答した。
「あ、あの……水原くん」
「あと多分前のところに、小さなリボンが付いていたような気が」
「ちょ、ちょっと……」
日比野はもじもじと身じろぎし、何やらこちらに非難がましい目を向けてくる。
「ふむ。なかなか清純な感じのやつなのね。合ってる?」
尋ねられた日比野が、ゆでだこのように顔を真っ赤にさせてわずかに頷いた。
新須茉茶華も軽く頷いたが、こちらに向き直ると更なる追及の言葉を投げてきた。
「ブラジャーの方は? どうせそっちも見てるんでしょ? 洗いざらい話しなさい」
「あの……もう良いのでは……?」
「何を言うの。この男がどこまで記憶を留めているか、大事な検証をしているのよ。決してあなたがどんなブラをその双丘にあてがっているのかクラスメイトの男の子に言わせて、あなたを辱めて楽しもうとしているわけではないの」
「二回言ったら、それはもう、そういうことのような気しかしませんけど……」
日比野の申し出はあえなく却下される。
僕はそんな哀れなクラスメイトを救うため、脳をフル回転させる。
しかし、確かにそれらしき物体も頭に降ってきたのだが、やはりすぐに脇へ置いたので一瞬視界をかすめた程度にしか見ていなかった。
そう前置きして、か細い記憶の糸をたぐり寄せてみた。
「えっと……やっぱり色は白で、シンプルな感じというか。そっちも真ん中へんに小さなリボン飾りがついてて……あっ、中にワイヤーみたいのがあんのかな? 思ってたより固いんだなって思いました。そうそう、一瞬しか見てないんでわからないんですけど、縫い付けられた小さな布に、『G70』って書いてあったような……」
「全然一瞬じゃないから! 上も下もじっくりと見て、タグチェックまでしてるじゃない!!」
一体どうしたというのか、顔を真っ赤にした日比野が罵声を浴びせてくる。
彼女が不名誉な噂の標的になることを回避させようと頑張ってるというのに、これでは報われない。
「まあ……ドン引きするようなアルファベットと数字が飛び出したことはさておいて」
これまたどういうわけか、若干気圧された雰囲気の新須茉茶華。
「君がハッキリと記憶を留めていることはよくわかったわ」
「こんなこと聞かないとわからなかったのでしょうか………」
日比野がジト目で口を挟むが黙殺される。
僕の方はといえば、シリアスな物思いに切り替わっていた。
さっきからのやりとりを聞いていると、どうやら彼女たちにとって、僕が裏庭で目撃した出来事に関する記憶を保っているのはイレギュラーなことであるらしい。
そして、ここで目覚めたときから今に至るまで残っている口の中の甘み……これが意味することは。
「できたぞ」
平坦な声とともに、先程から漂っている香ばしい匂いが更に強く鼻腔をくすぐる。
背後から、英伊弦が見事な焼き色のついたパンケーキを乗せたお皿を片手に姿を現した。