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クッキングクラブへようこそ⑦ クッキングクラブへようこそ

 明確な意思が身体に指令を出したわけではなかったが、気がついたら僕は動いていた。

 三歩ほど駆け、背中を盾にして英伊弦をかばう――違う見方をすると、いきなり抱きしめるような動作をしていた。


「――?」


 いざ身体が密着しようとしたその瞬間、僕は英伊弦の表情が動くのを初めて見ることができた。

 彼女は驚くような戸惑うような表情を浮かべ、何かを言ったようだったが、響き渡る機銃の連射音にかき消された。

 衝撃に身体が跳ねる。無防備に晒された背中に弾丸を撃ち込まれたことを知覚する。十何発か、何十発か。

 やはり、あの戦闘機はまだ全機能を停止していたわけではなかった。

 焼けるような激痛。吹き飛ばされ、そのまま英伊弦に覆いかぶさるように倒れ込む。

 英伊弦はされるがままに僕の下敷きとなり、不思議そうな顔をこちらへと向けている。幸い、こちらの腕が彼女の後頭部にまわっていたので、床に頭を打ち付けることはなかったようだ。

 僕はのたうちまわりそうになるのを必死に耐え、少しでも彼女の身を危機に晒さぬよう、しっかりと身体を固定する。

 すぐに、銃音をかき消すほどの怒声が聞こえた。


「テメー、コラァァァァァ!!」


 グシャっと何かが壊れる音とともに銃撃が止む。

 激痛で振り向くことができなかったが、きっと武郷アイナが戦闘機を完全に破壊してくれたのだろう。

 僕の腕の中で、英伊弦がまた何かを言ったようだったが、そのか細すぎる声は、この喧騒の中ではほぼ零距離にいてもよく聞こえなかった。

 背中の痛みにうめきながら上体を起こす。眼下の英伊弦は特に怪我はないようだが、その瞳はじっと僕を見つめて離さない。フラットなようであり、何かを訴えかけているようでもある。感情を推し量ることのできない視線、表情。

 しかし表情の乏しさを補ってあまりあるその可憐さ、可愛らしさに僕は改めて息を呑んだ。尊崇されてもおかしくないほどの容貌に思わず痛みを忘れ、見とれてしまう。


「テメーも何してんだコラァァァァァ!!」


 更に大きな怒声が耳をつんざく。痛みはすぐに復活、いや、銃撃を受けた痛みなど吹き飛ばすほどの、更に激烈な苦痛に見舞われる。

 僕の身体は後ろから強引に引っ張り上げられ、鋼鉄のように引き締まった腕が首に巻きつき、恐ろしい馬鹿力で締め上げてきたのだ。

 がっちりと固定され、後ろを振り向くことはできない。とはいえ誰に何をされているのか、振り向いて確認するまでもなかった。


「テメー小僧……伊弦に何してんだオラァ!」

「あ、あの、アイナさん……」

「テメーはすっこんでろゴラァ!」

「はっ、はいぃ!」


 いや「はっ、はいぃ」じゃなくて、なんとか止めてくれ日比野。死んでしまう。

 たまらずタップするが、外してくれない。僕の行為を狼藉と見做したらしい武郷アイナのチョークスリーパーは、容赦なく呼吸と血流を堰き止め続ける。

 目の前にいる小柄な上級生は、まだ立ち上がらずに俯き押し黙っている。まるで何かの被害にあった少女のように見えなくもない。


「ああっ、水原くんの顔が紫色に膨れあがっていくっ!」


 だから実況はいいから……

 ――或る瞬間、苦痛が気持ち良さに急転換し、フワッと意識が遠のいていく。


「アイナ、そのボウヤ、代表にイタズラしたわけじゃなくて、機銃の攻撃から守ってくれたみたいよ」

「ナヌッ?」


 新須茉茶華が嗜めると、首に巻きついた腕の力が少しゆるんだ。飛びかけた意識が戻ってくる。


「言われてみれば、そういう動きにも見えなくはなかったような……」


 いや、明らかにそうだっただろ。背中めっちゃ撃たれてるし。

 意識とともに失われつつあった身体の感覚も戻ってくる。どうやら口から泡が吹き出しているらしいことを感じるが、首絞めこそゆるんだものの、拘束から解放されたわけではないので、拭うこともできない。

 そして背中の感覚も戻ってきてしまう。撃たれた痛みと、もうひとつ別の感触。

 鍛え上げられた鋼のような身体かと思いきや、案外……


「じゃあ、コイツは伊弦のピンチを助けてくれたってわけか?」

「いいえ。あんな攻撃、代表なら何とでもなったでしょうから、特段恩に着るべきことではないわね」

「そりゃそうだな」


 あっという間に風向きがまた変わる。


「元々始末する方向で話がまとまっていたわけだし、そのまま絞め殺してしまってもいいかもしれないわね」


 ごくあっさりと、血も涙もないことを言う。

 ていうか、そんな結論は出ていなかった筈だ。

 僕は抗議しようと口を開きかけたが――


「違いますっ! まずは水原くんをタコ殴りにして、記憶を飛ばすことにチャレンジしようって話になっていた筈です!」


 日比野が、僕が口を噤んだ原因でもある事実を述べる。

 一応庇ってくれているのだろうか。だとしたら、もうちょっと僕に肉体的痛苦が及ばないように工夫してくれ。


「そうか。つまり、コイツを殴り続けて、記憶がなくなればそれで良し、死んだら死んだでそれはそれで別に良しってことだな!」

「まあそういうことになるわね」

「水原くん、何とか頑張って、死ぬ前に記憶をなくして!」

「待てぇぇぇぇ!!」


 たまらずに叫ぶ。


「何なんだよさっきから! あんたたち一体何者なんだ!? もとい何様なんだ! どうして僕がこんな目に遭わなきゃいけないんだ!? どういう教育受けたら、そんな理不尽なことが言えるんだ!!」


 悲痛な叫び。これが叫ばずにいられるか。

 元よりこの場にいる誰かに届いてくれると期待したわけではない、心のままの絶叫。

 しばし打たれたように静まった後、新須茉茶華は神妙な口ぶりで言った。


「確かに……理不尽に暴行を受けたり、命を奪われたりなんてこと、あってはならないことだわ」


 なおも武郷アイナに身体は捕捉されているが、首だけを曲げて言葉の主を見ると、新須茉茶華はこちらを冷たい目で見据えていた。


「でも、まだ三時間は経ってないわね。そんな僅かな時間……」


 言いながら腕時計に目を落とし、またこちらを見る。


「……そんな僅かな時間の中で、日比野さんの裸を見て、下着の匂いを嗅いで、私にあーんで物を食べさせてもらって、代表を押し倒して、そして今、アイナの胸の感触を背中で楽しんでいるあなたは、もう死を迎えても悔いはないほどの僥倖を得たと言えるんじゃないかしら?」


 ビシッと指を差される。

 僕は返す言葉を持たなかった。

 もちろん彼女の言に納得したわけではない。呆れて物も言えないというのも少し違う。

 ただ――どうせ何を言っても無駄だということを、悟ってしまったのだった。一気に脱力してしまう。


「何だテメー? ひそかにオレのオパーイを楽しんでやがったのか?」


 何故か弾んだ口調で言う背後の女子に、否定をする気にも、そういうスラングを日常会話で使うべきではないと指摘をする気にもならなかった。

 もうどうにでもなれ――

 そう思いかけた時、床に座り込んでいた英伊弦が顔を上げ、真っ直ぐな瞳で僕を見上げた。

 目が合うこと一秒か二秒ぐらいだったろうか。


「水原……静矢」

「えっ? は、はい……」


 フルネームを呼ばれ、何となく返事をする。

 彼女はスッと立ち上がると、僕の後ろにいる武郷アイナへと視線をずらした。


「離して」

「おっ、おお……」


 代表の指示だからか、武郷アイナはすんなり従い、ようやく僕は解放される。

 そんなこちらを顧みることなく、英伊弦はツカツカと事務机が据えられている方へと歩いていき、日比野の側を通過する際に、また呟くように声を出した。


「彼にずんだ餅を」

「えっ?」


 きょとんとする日比野に、僕の方を指で示してみせる。


「……あっ。は、はい、ずんだ餅ですね。わかりました」


 意図を汲んだらしい日比野は、冷蔵庫の方へとパタパタ走っていく。


「どういうことよ代表?」

「……我々は何者かと質問があった」


 事務机の引き出しを開け、中を物色しながら、相変わらずの静かな声で告げる。


「手短に教えてあげて」

「えっ? でも……」


 何かの書類を一枚取り出すと、今度は新須茉茶華の方に向き直って、目を見て伝えた。


「敵のことも」


 ウィスパーヴォイスではあるが、その言葉にははっきりとした意志、いや、覚悟に似たものさえ籠もっているような感じがあった。

 代表としての言葉なのか、彼女自身の言葉なのかはわかりようもなかったが。


「…………」


 椅子に座り、書類を机に広げ、ペンを手に取る英伊弦の姿を、新須茉茶華はしばし目を丸くして見つめていたが、


「……了解」


 肩をすくめてそう言うと、手持ち無沙汰に立っていた武郷アイナに、引き続き警戒にあたるよう指示を出し、自身は僕のもとへとやってきた。

 日比野が冷蔵庫から、握り拳より少し小さめの鮮やかな黄緑色の物体が乗った皿を持ってくるのと同時だった。


「ずんだ餅食べる前にちょっと聞いてもらえるかしら?」


 そう前置きはしたものの、僕がはいともいいえとも、これ以上得体の知れないもの食べたくないですとも返事をせぬうちに、新須茉茶華は一方的に説明を始めた。


「さっきも言ったとおり、私たちはクッキングクラブのメンバーよ。本格的な料理よりは、主にお菓子やスイーツを作っているわ。そのずんだ餅や、さっきのパンケーキみたいなね」


 お菓子とスイーツに何か違いはあるのかと疑問はあったが、それについては無事に帰れたら自分で調べることにしよう。そんなことより、ここで作られているそれらの嗜好品が普通の代物では無いであろうことの方が遥かに重要である。

 一体、彼女たちは何者なのか……少しでもそれがわかるのかと待っていた次の言葉は、あまりにも突拍子もなかった。


「そして、手芸部と戦争をしている」


 新須茉茶華はごくあっさりと、ごく当たり前の事項を案内するかのように、そう言った。


「…………は?」


 つい間の抜けた声を出してしまう。


「私たちクッキングクラブは、手芸部と戦争状態にあるの」

「えーっと……戦争? 手芸部?」


 再度同じ内容の説明をしてもらっても、僕のリアクションは大して変わらなかった。

 わけがわからない。わかるわけがない。


「その目で見たでしょ? コレは手芸部の連中からの攻撃よ」


 言いながら、撃墜されたラジコン戦闘機を目顔で示す。

 見た目はおもちゃだが、人間に怪我をさせたり、当たりどころによっては最悪の結果を招いてもおかしくない、脅威の攻撃兵器といえる代物だった。

 現に、僕の背中も一向に痛みが引かない。できることなら早く病院に行きたいところである。


「でも、戦争って……」

「言っておくけど、ごっこじゃないわよ。国際法上で定義される狭義の戦争には当たらないけれど、お互いが目的を達成するために、武力を用いて闘争しているという意味において、我々と手芸部は紛うことなき戦争を行っている」

「…………」


 わけのわからなさは少しも解決せず、むしろ僕の頭の中は無数のクエスチョンで埋めつくされ、すぐには言葉が出てこない。

 と、チャイムが鳴り響いた。


「ふーい、終わった終わった。あー腹減ったな」


 武郷アイナが伸びをして、リラックスした声を出す。

 いつの間にか壁掛け時計は六時を差しており、割れた窓の向こう側は、橙が色濃くなり、上空は薄暗くなりはじめていた。


「それじゃ、アイナは室内の片付けをしてちょうだい」

「えー、乃々美の仕事じゃなかったのかよ」

「日比野さんは彼にずんだ餅を食べさせるという仕事があるの」

「ンダヨ、ンなもん一人で食えるだろぉ」


 ぶつくさ言いながら、武郷アイナはラジコン戦闘機の攻撃で破損した備品などをまとめはじめた。

 英伊弦がいつの間にかこちらに来ており、何か書き入れていた用紙を、新須茉茶華に手渡した。


「頼む」

「了解」


 英伊弦は、一瞬だけ僕の方へと視線を向け、特に表情を動かすこともなく、また向こうへと歩いていった。

 端の調理台に置いてあったリュック型のバッグに、常時持っていた黒いブックカバーの本をしまうと、そのバッグを背負い、黙って実習室の出入口へと向かう。


「おつかれィ」

「おつかれさまでしたあ」


 武郷アイナの軽い挨拶にも、日比野乃々美の90度にお辞儀しての挨拶にも反応は見せず、彼女は立ち去っていった。

 チャイムが鳴るや代表が帰宅してしまい、お開き感があからさまではあるが、こちらとしては聞きたいことが山ほどある。


「あの、手芸部って……」

「もう下校時刻よ。説明はここまで。今日のところはね」

「いや、でも……」


 ……ん? 今日のところは?


「朗報よ。記憶か命が失われるまで殴打され続ける以外の分岐(ルート)が発生したわよ」


 そう言うと、新須茉茶華は受け取った書類を掲げるように見せてきた。

 まず目に入ったのは、書類下部に丸っこい字で書き入れられている記名と押印だった。

 パッと見では読み方がわからず、『英伊弦』と書いてハナブサイヅルと読むのだと理解したと同時に、用紙の上部、この書類の名称が目に入る。


「…………はいっ?」


 またしても間の抜けた声を上げてしまう僕に、新須茉茶華はその用紙を押し付けるように渡してきた。


「下の方に名前書くところがあるから。印は判子がなければサインで構わないわ」


 手元へと渡ってきた書類を改めて凝視する。

 一番上に記載してある書類の名称、そのすぐ下に書かれているその主意。やはりこれが何の書類なのかは、解釈の余地などなかった。


「言っておくけど考えさせてくださいなんて願いは聞き入れられないわよ。備品補充届と一緒に、完全下校時間までに生徒会室まで提出しにいかなければならないの」


 口調はやわらかく、しかしその眼光は鋭かった。


「だから、さっさと書きなさい」


 日比野が心配げな表情で、僕の唖然とした顔を見つめている。

 知らず、両手に力がこもってしまう。

 くしゃっと軽い音を立て、クッキングクラブの入会届は端の方が少し皺ばんだ。

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