18話
清洲に戻って直ぐ、会議が設けられ信勝の沙汰が決まった。
斬首、その後、晒し首。
武士らしく切腹などと言うことは赦されなかった。
史実における信勝は一度謀反を起こし、その際、一度は赦されている。
だが、そうならなかったのには幾つかの理由があった。
まず一つ、史実において信勝の赦しを乞うた信長の実母でもある土田御前の不在。
あろうことか信勝は実の母を殺めたのだ、先代となった信秀の正室でもある土田御前を。
それだけでも、心情はどうであれ死は免れない。面子と言うものがあるのだ。
出家などと言う甘い沙汰を下せるわけがない。
それでも、母を殺めたと言うだけならば切腹は赦された可能性がある。
しかし、そうは出来ぬ大きい要因があった――信勝派の家臣を動かすためにやらかした人質だ。
家臣の家族を人質にとって戦に駆り立てる、降将ならばともかくこれまで忠勤に努めて来た家臣をだ。
そんなことを仕出かした信勝を処断せねばどうなる?
いざとなれば家臣よりも身内を優先すると信を失ってしまう。
だからこそ厳罰に処さねばならない。それゆえの斬首、そして晒し首なのだ。
とは言え、家臣らも無理矢理やらされていたかと言うとそうでもないのだろう。
謀反と聞き、欲望が鎌首をもたげたはずだ。
発言力の拡大ではなく、自分達が主流になれると言う欲望。
人質は後押し、最後の詰めでしかない。だが、それでも厳罰は必要なのだ。
そうすることで、家臣達は総てを信勝に押し付けられる。アイツが悪いのだと。
そうしなければ負い目を残し、負い目は時間と共に恐怖を育てる。
あの時のことでもしかしたら……と。
そうはならぬようにするため、未来の禍根を断つためには信勝を生贄の羊とする以外に方法は無い。
ゆえに、史実のような一度の赦しが与えられず、切腹すら認められなかった。
この沙汰の全容を描いたのは信長で、信秀も同じ意見だったのですんなりと会議は終わった。
斬首の決行は翌日、領民を集めて大々的に謀反人の処刑を行うのだ。
その際、総ての咎は信勝が清算したと伝えることで信勝側に加わっていた者らに安心感を与える狙いもある。
藤乃達の言葉があったとは言え、まだまだ不安を拭いきれぬ可能性があるからだ。
「信勝様、沙汰が下りました」
夜、勝家は信勝が繋がれている獄を訪れていた。
人払いがてら牢番を変わってもらってもらったので今、此処には二人しか居ない。
「……」
信勝は何も言わない。
じとっと勝家をねめつけたまま、だんまりを決め込んでいる。
「晒し首に御座る」
それでも、答えない。
誤解無きよう言わせてもらえるのならば勝家は決して薄情な人間ではない。
戦国時代の人間特有のドライさはあるものの、それでも情は深い方だ。
だからこそ、信勝にだって思うところはある。
幼い頃から支えて来て、信長の真価、その片鱗に触れても仕え続けた。
何かあれば見限るつもりではあったが、逆に言えば何もなければ信勝に尽くし続けるつもりだったのだ。
それを蹴り飛ばしたのは信勝で、裏切られたのは勝家。
だとしても、そうだとしても、此処に至っても尚、勝家は信勝への情を捨ててはいない。
「……何故、何故あのような暴挙に! 短慮はならぬと、あれほど申したではありませんか!」
侮り噛み付いたところで痛い目に遭うのは此方である。
あの襲撃の後、理屈を以って懇々と諭した。
そして、その忠告通りに痛い目を見せられてしまった。勝家は正しかったのだ。
あそこまで見事に軍を引き裂かれるなどそうはない。
鮮やかに、残酷に、信勝の率いる軍勢は切り裂かれたのだ。
あれを見てうつけだと思う者は誰も居ないだろう。
「他の者の言葉ならともかく、某の言葉をどうして信じて頂けなかったのか!」
勝家は己の無能を恥じている。
どうして、気付くことが出来なかったのか。
どうして、のこのこと婚儀に出席してしまったのか。傍に居れば止められたかもしれぬのに。
何の疑問もなく、表面上だけを見て嘆息し清洲へと向かってしまった自分がどうしようもなく情けない。
だが、その自責は見当違いだ。信長も、信秀や他の智慧者達ですらもが見抜けなかったのだから。
「黙れ裏切り者! 出てけ! 出てゆけぇ!!」
「信勝様……!」
何とも居た堪れない空気だが、
「――――勝家、ちょっと外出てろお前」
それをぶち破る者がやって来た。
何時ものように半身を肌蹴たラフな格好で、とても死を目前にした弟の前でする出で立ちではない。
「の、信長様!? ど、どどうやって……」
牢内には勝家一人だが、外には見張りの者が居る。
誰であろうと決して通すなと言い含めておいたのだ。
仮に信秀や信長が来たとしても、一度、牢内の勝家に見張りの者が話を通すはず。
「あ? マーリンにちょっとな……それより、良いから出てろ」
「……」
「聞こえなかったのか?」
「……ハッ!」
勝家が出て行き、この場には肉親同士となった。
つい数時間前までは戦場で、そして今は檻を挟んで対峙する兄と弟。
何とも言い難い空気だ。
「ふぅ……どっこらせっと」
立ったままでは見下ろしているようで信勝を煽るだけ。
信長は檻のまん前でドカっと腰を下ろし胡坐を掻いた。
「……忌々しいよな、口惜しいよなぁ」
俯き、絞り出すように言葉を重ねる。
耳に届く声が一々癪に障るとばかりに舌打ちをかます信勝だったが次いで放たれた言葉に、
「――――努力も何もしてねえただ正室の第一子に生まれただけの俺に全部奪われてよぉ」
頭の中が真っ白になった。
イマ、コノオトコハナントイッタ? 誰にも明かしたことのない胸の内。
それを、どうしてこの男が知っている? つぅ、と冷や汗が伝う。
そして、心の均衡を保つため、頭を回し、それらしい理由を口にする。
「……魔女か」
心を読んだのだ、きっと。
そう思いたかったが、
「いいや、アイツに会う前から知ってたよ、俺は」
あっさりと否定されてしまった。
嘘を吐け! と罵っても良い、むしろ罵ってやりたい。
だと言うのに舌先で言葉が解れていく。それは、信長の言葉に嘘が無いと分かってしまったから。
「生まれに胡坐をかかず、織田を継ぐために意思と努力を備えていれば……」
こうはならなかっただろう。
兄弟仲が拗れることもなく、信勝は過ぎた野心に身をくべることもなかった。
「お前がこんなことになったのは……俺のせいだよ、俺が俺の生き方を貫いたからだ」
謝るべきなのか、開き直るべきなのか。
それ以前に、何を話せば良いのかも信長は分からなかった。
ただ、死に往く前に、これまで真っ直ぐ向かい合って来なかった代償を払わねばならない。
形振り構わずに弟と話し合わなかった怠惰、そのツケを払わねばならない。
そう思い、気付けば牢に足を運んでいた。
「ああ……糞、駄目だ……何を言えば良いのか分かんねえ……」
女を口説く時はあんなにもスラスラと言葉が出るのに。
底意地の悪い、腹の黒さを全面に押し出したやり取りの中ではあんなにも舌が滑らかなのに。
どうして今、家族との会話なんて当たり前の、何処にだって有り触れていることが出来ない。
頭を掻き毟り、無能な己を罵る信長。
「――――」
信勝はそんな兄を見て言葉を失っていた。
これまで彼が見て来た兄――織田信長と言う人間は何時だって飄々としていた。
何もかもを小馬鹿にしたような道化た振る舞いで常に余裕たっぷり。
だが、今の信長は何だ? 表面上、取り繕ってはいるようだが、それでも分かる。
憔悴しているのだ、あの織田信長が、あの尾張の大うつけが。
それはどうしてか、それが分からぬほどに信勝も頭が悪いわけではない。
「(……私に対して、罪悪を抱いている……?)」
自分のことなど、纏わりつく小蠅か案山子か何かのようにしか見ていなかった信長が?
何の情も抱いていないと思っていた。
でなくば、あそこまで嫌悪感と敵意を向けられて、挙句暗殺までされたのに余裕で居られるわけがない。
罪悪を抱く、弟を死に追いやることとなった現状に申し訳なさを感じている。
何の情も抱いていない人間がそんなことをするか? 演技か? いや、この場でそんなことをする理由は何一つとして存在しない。
「(……私は、ひょっとして……勘違い、していたのか……?)」
瞳の曇りが急速に晴れていく。
これまで思い込んでいただけで、兄は自分を良く見ていたのでは? 好ましいと思っていたのでは?
でなくば、誰にも明かしたことのない自身の思想を知っているわけがない。
でなくば、こんな風にらしくない姿を見せるわけがない。
「あ、う……」
何かを話したいと思った、だから口を開いたのだろう。
だが、これまで嫌っていて、今はよく分からなくなった兄を相手に何を言えば良いのか分からず言葉を詰まらせる。
「何だ?」
「あ、あなたは……あなたの、貫いた生き方……とは?」
やっとのことで言葉になったのはそれだった。
自分の思想を理解し、その上で異端であると非難しない。
つまり、信長も何かしら受け入れられ難い思想の下に生きているのでは? そう考えたからだ。
「……まあ、大したことじゃないさ。俺はただ、縛られたくないのさ。
武家に生まれたから、家を相続して、家を護り、大きくして、そのためにひいこらひいこらすることに意味を見出せない。
恵まれた環境で何を言っているんだって思うかもしれねえけどさ。俺の人生は俺のものだろう?
生まれがどうだからって左右されたくないんだ。当然のように、誰かが敷いた道を進むだけなら……生きてる意味がねえ。
広い世界に生まれたちっぽけな命一つ。生きたいように生きて、それで死ねば良い。
どんなに不幸であろうとも、どんなに不本意が降り掛かろうとも、それが自分で選んで歩き始めた道ならばそこには確かな価値がある」
生きているのだと胸を張って言える。
生まれで左右されたくはない、それはある意味で信勝の思想とも似通っていた。
「そりゃ育ててくれた父母に対する恩は感じてるぜ? だから、恩返しもせにゃならんとも思う。
だけど、それと家を継ぐかどうかはまた別問題だ。
俺は家を継ぐことが自分のしたいこと、やりたいこと、選ぶべきことだって思えねえんだ。
贅沢言ってるのは分かるさ。でも、親父は親父で俺は俺。自分の命に意味を与えられるのは俺だけなんだ。
だから、敷かれた道を、与えられた意味をただただなぞるだけの生が嫌で嫌で……」
ああ、そう言うことだったのか。
信勝は苦笑を浮かべ、信長の代わりに言葉を続ける。
「だから、放逐されることを、せめて家督を継がなくても良いようにうつけの振りをしていた? 最低限、父上の面子を立てながらも」
「ああ……でも、全部嘘ってわけじゃねえ。俺は自分が賢い人間だとは思っちゃいねえからな。と言うか、うつけだよ俺は」
京から尾張へ戻る道中で呟いた自分の言葉が突き刺さる。
形振り構うな、襲撃者達の黒幕を嘲弄したが正に自分のことではないか。
あっちもこっちも立てつつ我を通そうとした結果がこの有様。
いっそ、本気で行方を晦ませていたのならば信勝がこのような目に遭うことはなかった。
未熟さゆえの、しかし人間ならば誰もが味わう己が不明による後悔を信長は痛感していた。
「俺の迂闊さが、中途半端さがお前を追い込んだ。糞尼に付け入る隙を与えちまった」
「……糞尼?」
一体何のことだろうか? 兄には、信長には何が見えているのだ?
信勝は信長の本音を聞いたことで、偽らざる想いを知ったことで殆どわだかまりが解けていた。
兄は兄なりに、自分の生き方を曲げぬよう努力をしていた。
形は違えども、手離しでは褒められたものではないけど、自分には今に至るまで気付けなかったけど努力をしていたのだ。
自分の生き方を貫くために一生懸命で、その生き方も自身のそれと相通ずる部分がある。
信勝はこれまでのように信長を嫌えなくなっていた。
「……京で聖剣を抜く前な、今川領内に行ったのよ。まあ、理由は聞くな」
「はぁ……それで?」
「そん時に太原雪斎と会った」
思わず目を見開く。
信勝だって知っている名だ。東海一の弓取り今川義元の懐刀、太原雪斎。
しかしそれがどう絡んで来る?
「奴はどう言うわけか、俺にビビってた。理由は今を以ってしても分からん、何でか、脅威だと見做されたみたいだ。
愛する義元の邪魔をする、排除せねばならぬ存在だって思い込んで……いや、本気で意味が分からねえ」
吐き捨てる信長だが、信勝には分かる気がした。
今日の戦とて片鱗だろう、だがその僅かに見えた部分だけでも十二分に信長は傑物だ。
「雪斎の糞はマーリンと同じで魔道を扱う。その上で聞いてくれ。
俺は奴と顔を合わせた時、白檀の匂いを感じた。
そして今日、引き立てられたお前と顔を合わせた時――――同じ白檀の匂いを感じたのさ」
つまり、
「……私は、操られていたと? いいや、そんなはずはない。
私はあなたを憎く想い、謀反を起こしたのだ。他の誰でもない、私自身の責だ!」
己の責は己のもの。
信じたくないではないか、自分の行動――愚かであったとは言え、それが誰かの意図によるものなどと。
「まあ聞けよ。俺も魔道に詳しいわけじゃねえがな、それでも予想は出来る」
背筋に氷柱を突っ込まれたように寒気を覚えるほど、信長の瞳は冷たい。
怒りを炎と形容することが多いが、彼の場合は零下の水だ。
透き通っていて、見た目は美しいが一度包み込まれてしまえば凍え死ぬほどに冷たい水。
「直接操るんじゃねえ、そう仕向けるんだよ。例えばそう、お前が俺に抱いてる負の感情。
それは普段、理性と言う鎖で致命的な行動を取らせまいとしていた。だがその理性が無ければ?
縛れぬほどに感情を増幅させてしまえば? 他にも何かやったかもしれんが、俺が今口にしたことは確実にやってるぜ」
「何故、断言出来るのです? 魔女殿もそう言っておられるのですか?」
「勘――そして、勘で怪しいと導き出した雪斎にやる理由があるからだ」
勘の部分に相当するのが白檀の香り。
そこで雪斎の暗躍を感じ取り、その上で論理を以って肉付けし導き出した答えだ。
そしてそれは、間違っていない。
「単純に家をガタガタにするってよりは……俺への精神攻撃だろうな。
ああ、あの糞尼の前で迂闊な発言をした覚えもある。付け入る隙だと思っても不思議じゃねえ」
雪斎は悟ったはずだ、信長が身内に甘い男であることを。
不仲であることが広く知られている弟に対して見せた気遣い。
ほんの僅かな、ともすれば忘れてしまうような一言から信長の弱点を突いた。
計算外があるとすれば、雪斎自身の暗躍を悟られてしまったこと。
実際、雪斎のことに気付かねば信長はかなりの精神的ダメージを負っていただろう。
家から逃げ出すか、腐ってしまうか、それほどまでに信勝の一件は強烈だった。
そう言う意味で雪斎は不幸だ。悟られていることに気付いていないのだから。
「それと、マーリンだがアイツは気付いてねえと思う。だが、それも不思議じゃねえ。
アイツだって何も無謬の存在ってわけじゃねえんだ。責められることでもないし、仕方なくはある」
それでもマーリンは聖剣の魔女。
その彼女にさえ気付けないことなのに気付いて――尚且つ、それを疑わずに信じられる。
何て強い自負の持ち主だ。そしてそれが傲慢に見えないのが恐ろしい。
信勝は信長の言が正しいと、思っている。説得力があるのだ、言葉に、態度に、重い重い説得力が。
その姿は正に傑物、そして、だからこそ義元の懐刀が恐れたのだろう。
「……兄上は、これからどうされるおつもりで?」
これまで幾度となく、心の籠もらない言葉で兄上と呼んだ。
しかし、今は心から、自然と、敬うべき存在として兄と呼べた。
そのことが信勝にとってはおかしくて、少し、ほんの少しだけ照れ臭かった。
「――――織田の家を継ぐ」




