37.John Coltrane 「best off」 に思う - その1
Apartment share の住人のひとり、Sくんが夢を追って旅立っていった後、 TEAC のコンビネーションデッキの前に 『John Coltrane best off』 と書いてあるカセットテープを見つけました。カセットをデッキに入れて聴きながら悲しくて泣きました。
Sくんが忘れていったカセットだと思っていたのに、それからしばらくして、どんなに探しても見つからなかったので、家に来たMくんの友人が持っていってしまったのかもしれない、Mくんは知らないと言っていました。
その後、いくら探しても 『Best off』 なんてアルバムはなくって、そもそも 『the Best of John Coltrane』 の間違いなんじゃないかって。個人的に 『best』 を録音した誰かが 『best of』 と 『best off』 のスペルを間違えて書いたのかもしれなくって、それにしても Coltrane のベストアルバムなんて数えきれないほどあるから、もう二度とあの音には出会えないかもしれない、それに今さら聞いてもたぶんあの時の曲かどうかももう判別できないかもしれない。あの日、あんなにも私の感情を揺さぶって泣かせた音楽なのに旋律すら覚えていないのです。ただ覚えているのは、その 『best off』 と書かれたテープを聴きながら泣いていた、ということだけなんです。
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ある国で、Mくん、Sくんと Apartment share をしていたことを思い出したので、思いついた時に、少しづつ書いてみたいと思います。
Mくん、Sくんっていうのは、男子です。
(ここでは、あえて男子と呼びました。私たちはまだとってもとっても若かったのです。)
二人の男子との Apartment share と言っても特に驚くことではないのです。その国では、多くの学生がやっていることだと言っていました。実際、Mくんの母親は時々ですが、食料の補充とかでやってくることもありました。ソファで寝転がって本を読んでいた私は、彼女の姿を見てとっさに居住まいを正しました。(私は根っからの日本人なのです。)彼女は「そのまま、そのままでいいのよ。気を使わないで。」と全く邪気のない笑顔で共有スペースを通過していきました。姿かたちも、気性もとっても若いのです。「そうなんだよ。彼女はいつでもとってもとっても若いんだよ。」母親が帰った後、Mくんは、困ったような、少し照れたような様子で彼女のことを説明してくれました。彼女がとても若い時分にMくんを産んだのだそうです。
一つ断っておきますが、私たち三人の間に性的な関係は全くありませんでした。
人にもよるのでしょうが、『そういったことが、ないなら・ないで・ない』ことの方が楽です。
共同生活の関係上においてってことです。日本語で言う、『同棲』とは明らかに違ってました。
もう一人の住人、Sくんは、私の英語の〖th〗の発音がとても上手いと褒めてくれました。
多くの日本人が恥ずかしがって、上歯と下歯の間に舌をはさめないのにマイコは上手だよと、英語圏出身ではないMくんにも説明をしていました。日本で英語の先生をしていたSくんに褒められて、私はとても嬉しくなりました。Mくんは英語のネイティブではなかったのですが、ネイティブ並みに英語も話す人でした。Mくんは数学を専攻しているとても数学的な人物でしたが、彼が得意としているひどく難しい問題にも、彼にはほとんど関係のないと思えるような雑多な問題にも、なんら変わることなくよく耳を傾けて聞いてくれる人でした。実際、彼はとても頭がいいのです。
そんなMくんは、度々私に「きみがどうしてここにいるのか理解できない。」と言っていました。
その度に私は困った顔をしなくてはなりませんでした。
全くその通りで、返す言葉がなかったからです。
それでもMくんは、私が全所持品(スーツケース一つでしたが)を持って彼らのアパートに入居を始めた日に、SIDA (AIDS) について一通り説明した後、「日本ではどうだか知らないけど、ここではこれは非常に重要だから。」と言って、コンドームをくれた人です。
「私としたいの?」と尋ねたら、「ちがうよ。そんなんじゃない。」と言ってすぐに部屋から出て行ってしまいました。




