第四話 転生聖女、一歳半健診で世界を救う
(あっはっはっはっは! それは災難だったね!)
エミルの爆笑が頭に響く。
(やかましいわ! そなたの母君が賜紋式に興味なくてよかったのう)
(賜紋式は宮殿で終えたよ。紋判定なんてできない、でも高位のおじいちゃん神官を指名したから、バレなかったよ)
(このセレブめ!)
くそ、今日の一歳半健診という戦場に、そなたのような軟弱者はいらぬわ!
この舞台は聖堂での賜紋式という、耐え難き苦境を乗り越えた猛者だけが参戦できるのだ!
食らえ!ソフトブロック攻撃!
「あだだだだだだだ!」
「あばばはばばばば!」
「まあ、仲良しねぇ」
母上!これは仁義なき戦いですぞ?!
「エ、エミル様……」
エミルの乳母らしき娘がおろおろしている。
ちっ!あの宰相がきておったら、この四角いソフトブロックをお見舞いしてやったものを。
しかしなんで王族がこんな町の公民館に来ておるのだ?
……ははーん?さては素行が悪すぎて廃嫡されたか?
(何だよ、その目は)
(いやー、庶民の暮らしもいいものだぞ? 私が教えてやるから感謝しろ)
(なにか勘違いしてるようだけど、僕は市井の暮らしを知るために、っていう崇高な目的で町まで降りてきたんだよ)
(はーん? 2ブロック先のパン屋で売ってる、みみちゃんパン、あれは美味いぞ)
(君、大聖女の時もみみちゃんパン食べてなかった?部屋に入ったら、耳かじってたよね?)
(はっ! それで思い出したぞ! 貴様、私が貸した100ガルン返せ!)
(もう時効だろ?!)
(たわけ! 利子つけて返せ!)
「エミル君、こども園はどこ行くんですか?」
「えっと、確かマヴリツァこども園の予定です」
「あら、じゃあ同じクラスになるかもしれませんね」
気が早いな。
しかしこども園からこいつと一緒とか勘弁してくれ。
「エミルくーん」
保健師さんの声がかかり、乳母はほっとした顔で立ち上がる。手を引きながら、よちよち歩きの王子を気遣わしげに見守っている。
(健闘を祈る。後でどんなだったか聞かせろ)
(いやだね。君は聖女バレして聖堂に行けば?)
(はぁ?! 貴様がバレろ)
とは言え、お互いに、死なば諸共精神で足を引っ張り合うことは目に見えている。
我々は二人で勝利を掴まねばならぬのだ。
「ジェレンちゃーん」
しまった、もう呼ばれてしまった。
だが臆することはない。
この日のために小指一本から魔力を貯めてきた。
いざ、参る。
踵を返した、その時。
ぱりん、と何かが頭上で割れる音がした。
……これは。
心臓が早鐘のように打ち、どっ、と冷や汗が吹き出る。
周りを見回すも、誰もその音には気づいていない。
ならば、これは聖職者にだけ聞こえる、あの音。
……結界の崩壊音。
なぜだ?
大聖女がいなくても、聖女は何人もいるではないか。こんな、割れるほどの亀裂を見逃すはずがない。
私はふらふらとした足取りで廊下を進んだ。
外に行かなくては。
「ジェレン? どうしたの?」
ぞわり、と厄災の迫る気配が濃くなる。
まずい。このままではここら一帯が呑まれる。
くそ、どうする。
聖力を媒介する杖など持っておらぬ。
ならば何か他の力と置換するしか……。
はた、と気づく。
……マジか。
そう来たか。
これはなんの陰謀だ?!
貯めた魔力と聖力を置換すれば、結界構築できるではないか!
だがそれをすると、計測器をごまかせぬ。
ぐぬぬぬぬぬ。
「ジェレン?」
母上が蒼白な顔で私を見つめている。
はぁ、選択の余地などないではないか。
母上を守るためには、これしかあるまい。
「おんも! おんも!」
必死で外に出たいとアピールする。
母上は首をかしげながらも、中庭への扉を開いてくれた。
感謝する!!
私は空の見える場所まで進むと、ぐっと両足を踏ん張り、両手を宙に上げた。
空は雨雲に覆われたように暗い。
「ちかん」
「痴漢?」
体の内に宿る力が、ごそっと入れ替わる。
さようなら、私の一年半分の魔力。
「きんきゅーけっかい」
足元から風が湧き上がり、木々を揺らす。
私の中から聖力の粒が虹色となって現れ、渦を巻く風に吸い込まれていく。
「じぇろしき」
声と同時に、聖力の塊となった風が、勢いよく上空へ迸る。
それは暗い空の一点を突くように貫き、雲が晴れるように青空がのぞく。
りぃん、と鈴の鳴るような音がして、結界構築の成功を確信した。
ふう。
……赤ん坊でもやればできるもんだな。
ちょっと体が辛いが。
「ジェレン、今のは……」
母上がおろおろと、私の顔と空を交互に見ている。
よし、ごまかそう。
「おかさぁん」
泣きながら母上の胸に飛び込む。
「こわいぃぃぃぃ」
「よしよし、怖いねぇ」
結局のところ、母上も何が起きたのか分かっていないのだ。雑なごまかしでもいけるはず。
とりあえず、泣け!私!
「うっ、うわぁぁぁぁぁぁあん!」
「よしよし、悪いお空ねぇ。めっ! しないとね」
よし、なんか知らんが、空が悪者になった。
しかし、母上はごまかせても、紋の計測器はごまかせんからのう。どうしたものか。
「あっ! いたいたジェレンちゃん、健診ですよ」
くそ!こんなところまで追いかけてくるとは!
しかしどうにかして延期させたところで、小指一年半分の魔力は貯めれそうにもない。
……はあ、諦めるか。
一足先に聖堂で待っておるぞ、エミル。
喋れるようになったら真っ先に密告してやるからな。
私はトボトボと公民館に戻り、ブロック積みやら発語チェックにのぞんだ。
母上が保健師さんに発育相談している間、小さな囲いで新米聖女二人に遊んでもらう。
「わ、可愛い、この子。お人形さんみたい」
だろう?もっと褒めてよいぞ。
「ほんと。大聖女さまと同じ、綺麗な翡翠色の瞳ね」
……そなた、鋭いな。
「そういえば、さっきの結界修復、誰がしたんだろ?」
「うーん。崩壊予測は出ていなかったから、緊急結界零式で対処したと思うんだけど、そんなことできる聖女、今はいらっしゃらないはずだわ。術式の解析ができればわかるかもしれないけれど」
……この者、優秀だな。
「通りすがりの聖女かしらね?」
そなたはもちっと考えような。
「ジェレン、次は紋判定ですって。楽しみね」
母上が私を抱っこして、笑う。
ついにこの時がやってきたか。
はあ、この生活とも今日でおさらばか。
今夜には大聖堂から派遣された神官どもがうちを訪れ、母上を泣かせるのだ。
私なんかがこの肉体に入ったせいで、母上を悲しませることになるとは。申し訳なさすぎて涙が出る。
……メガネが健診医ってことはないかのぅ。
カーテンをしゃっと開けると、そこには、おじいちゃん先生が座っていた。
最後の望みも絶たれたか……。
一通り体の検査を受け、最後に紋判定の機器を額に当てられる。
額がぴかりと光り、紋が浮かび上がった。
判定を待つ間、時が止まったような錯覚を覚える。
ぴぴぴぴぴ、と判定音が鳴り、心臓がどくんと跳ねた。
おじいちゃん先生が機器を見て、笑う。
「この子は魔術師向きですねー」
……なぬ?!
「わあ!ジェレン、魔法少女になれるって!」
「魔術師ですよー」
いや、なんでだ?
そんなことあるか?
エミルが機器を壊していたらエラーがでるはずだよな?
これは照射と同時に魔力をぶつけて、魔術師判定に傾かせるだけの作戦で……。
「殿下?!」
隣のカーテン越しに、悲鳴が上がった。
医師たちが慌てて隣へ向かう。
翻ったカーテンの奥に、蒼白な顔で倒れているエミルの姿が見えた。
すぐにカーテンは閉じられ、乳母の嗚咽だけが聞こえる。
……まさか。
(エミル!聞こえるか?!)
返事がない。
(エミル!エミル!エミル!エミル!エミル!)
(……うるさいよ!!)
(よかった……死んだかと)
(そんな簡単に死なないよ。ちょっと痛いけど)
(……そなた、もしや)
(…………)
小指一年半の魔力を集める方法がひとつだけある。
全身で瞬間的に魔力を集め、機器の照射と同時に放出する──しかし、赤ん坊の体でそれをすれば、入院した時と同じ、"魔力酔い"を起こす。いや、これはもう、"魔力焼け"だ。
(……もしや、私のことが好きなのか?)
(なんでそうなるんだよ?! この恋愛脳!)
(いや、そうなのかなーと)
(……君だろ、緊急結界零式を使ったのは)
(よくわかったな)
(君以外の誰ができるんだよ。ともかく、あれのお礼だよ)
(そなたに礼を言われる覚えはないのだが。……まあ、そなたも法皇の職務を忘れられんというわけか)
(お互いにね)
カーテン越しに、慌ただしい気配が伝わってくる。
乳母の涙ながらの訴えに、医師の指示が混じって飛び交い、ストレッチャーを開く音が聞こえた。
(また入院だ)
エミルは小さく笑うと、それきり意識を失ったようだった。




