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第1話 店長、若返る

「おはようございます」


「あぁ、おはよう」


いつものように返事をして、そのまま通り過ぎようとした。


「あれ? 店長……ですよね?」


「は?」


部下の田中が、俺の顔をまじまじと見ている。


「どうした?」


「いや、その……」


田中は少し言いづらそうに首を傾げた。


「店長……若返ってません?」


「は?」


「なんか、めちゃくちゃ若く見えるんですけど」


「そんなことあるわけ――」


言いながら、目の前に並んでいた有機ELテレビを見る。


まだデモ映像の流れていない、真っ黒な画面。


そこに映っていたのは、四十を過ぎた家電量販店の店長ではなかった。


二十代――いや、下手をすれば高校生くらいの男が、こちらを見返している。


「…………」


頬を触る。


画面の男も頬を触る。


髪をかき上げる。


画面の男も髪をかき上げる。


顔を左右に振る。


当然、画面の男も同じように振った。


「……俺?」


「店長ですね」


「なんでぇぇぇぇぇ!?」


俺の叫び声が、開店前のカワダ電器に響き渡った。


「店長! 声! まだ開店前ですけど!」


「そこじゃねえよ!」


思わず、もう一度テレビを見る。


やっぱり若い。


目元の皺が消えている。


最近ちょっと気になっていた生え際も、妙に元気だ。


腰も痛くない。


肩も軽い。


何より、身体そのものがやたら軽い。


「待て待て待て……」


昨夜、何か特別なことをしたか?


してない。


普通に仕事を終えて、帰って、飯を食って、風呂に入って寝た。


酒だって飲んでいない。


怪しい薬も飲んでいない。


強いて言えば、寝る前に学園もののラノベを読んで、


『高校生に戻ってアオハルしてぇぇぇ!』


なんて思いながら寝たくらいだ。


……いや。


まさか、それか?


そんなわけあるか。


そこまで考えたところで、インカムから声が飛んできた。


『店長、ちょっといいですか?』


事務所にいる山本だ。


「今それどころじゃない」


『いや、多分それどころです』


「俺、若返ってんだぞ?」


一瞬、インカムの向こうが静かになった。


『……ホントなら大問題なんですけど、とりあえず外、見てもらえます?』


「外?」


田中と顔を見合わせる。


嫌な予感しかしない。


テレビ売場は二階の奥だ。


正面入口に行くには、携帯電話売場と集中レジを抜けて階段に向かう必要がある。


朝一番だから、キャリアのカウンターにはまだ誰も座っていない。


そのまま集中レジの前を通る。


レジ担当のスタッフが、不安そうな顔でこちらを見ていた。


「店長、外……」


「今見に行く」


集中レジを抜け、その先にある階段へ向かう。


すぐ横にはエスカレーターがある。


普段なら、客が一階と二階を行き来するために使う、ごく普通のエスカレーターだ。


田中がそちらへ足を向けかけた。


「おい」


「え?」


「階段」


俺が横を指差す。


田中が一瞬、エスカレーターと俺を見比べた。


「……こんな時くらい、エスカレーター使ってもよくないですか?」


「ダメに決まってるだろ」


「いや、店の外どう考えてもおかしいですよ?」


「それとこれとは別だ」


「異世界かもしれないんですよ?」


「異世界でもダメだ」


「店長、そこはブレないんですね……」


開店前だろうが、営業中だろうが、従業員がエスカレーターを使うのは厳禁だ。


だから横にある階段を使う。


別に従業員専用というわけじゃない。


客だって普通に使う、ただの階段だ。


それでも俺たちにとっては、こっちを使うのが当たり前だった。


二十年以上この業界にいれば、いちいち考えることですらない。


身体が勝手に階段へ向かう。


一階へ降りる。


いつもなら、ここから正面入口まではほんの数秒だ。


あと少しすれば開店時間。


自動ドアが開けば、客が入ってくる。


テレビを買いに来る客。


冷蔵庫を見比べる家族連れ。


携帯料金の相談に来る客。


電池ひとつだけ買って帰る客。


いつもと変わらない一日が始まる。


――はずだった。


正面入口が見えてきたところで、俺は足を止めた。


「…………」


後ろを歩いていた田中も止まる。


「……店長」


「言うな」


「いやでも」


「俺も見えてる」


自動ドアの向こう。


駐車場はある。


店舗の前に並ぶ車止めもある。


カワダ電器の看板も、そのまま立っている。


店舗脇には、配送用のトラックと貸出用の軽トラックも残っていた。


そこまでは、いつもの朝と同じだった。


だが。


駐車場の先に――


道がない。


建物もない。


電柱もない。


信号もない。


あるのは、どこまでも続く草原だった。


風に揺れる草。


遠くには、見たこともないほど巨大な山。


その向こうには、濃い緑色の森が広がっている。


「……何これ」


田中が呟いた。


俺に聞かれても困る。


俺たちは自動ドアを抜け、駐車場へ出た。


風が吹いている。


草の匂いがする。


夢でも、巨大なスクリーンでもないらしい。


その時だった。


田中が空を見上げる。


「店長」


「今度はなんだ」


「月……二個ありません?」


「は?」


俺も空を見る。


青空の中に、薄く残る白い月。


そして少し離れた場所に――


もう一つ。


「…………」


「…………」


しばらく、二人とも何も言えなかった。


若返った。


店の外が草原になった。


月が二つある。


どれから考えればいい?


「異世界……ですかね」


田中が恐る恐る言う。


「その可能性を真顔で検討しなきゃならん状況なのが嫌だな……」


もう一度、周囲を見渡す。


道路はない。


隣の建物もない。


だが、店舗はある。


駐車場もある。


店舗脇のトラックもある。


つまり――


店ごと、移動した?


そんな馬鹿な。


と言いたいところだが、今日に限っては常識の方が先にどこかへ行ってしまったらしい。


念のためインカムを押す。


「山本、聞こえるか?」


『…………』


返事がない。


「山本?」


ザーッ、と小さなノイズが鳴るだけだった。


「店長、インカムもダメですか?」


「外だからか……?」


理由は分からない。


だが今は、それどころじゃない。


「…………」


俺は腕を組んだ。


そして、最初に頭に浮かんだことを口にした。


「これ……今日、土曜じゃなくて良かったな」


田中が俺を見る。


「そこですか?」


「そこだろ」


「普通は『ここはどこだ』とかじゃないですか?」


「土日だったら何人いたと思ってんだよ」


「……ああ」


田中も納得したような顔をする。


カワダ電器の土日は忙しい。


社員。


パート・アルバイト。


メーカーからの販売応援。


平日とは人数がまるで違う。


しかも、土日の開店前ならそれだけじゃない。


某モンスターカードの新弾発売日。


人気ゲームの新作発売日。


限定品や特価品がある日なんかは、開店前から入口の前に客が並んでいることだって珍しくない。


もし今日がそんな日だったら――


店の中のスタッフだけじゃない。


開店を待っていた客まで、まとめてこっちに飛ばされていたかもしれない。


「客まで飛ばされてた可能性あるぞ」


「それは……ヤバいですね」


「だろ?」


今日は平日。


しかも、まだ開店前。


不幸中の幸いと言っていいのかは分からない。


だが、少なくとも客はいない。


問題は――


「今、この店に何人いる?」


田中が黙った。


「……分かんないです」


そう。


俺も分からない。


社員なら大体把握している。


だが、今日入っているパート・アルバイトは?


販売応援は?


朝一から入っている業者はいなかったか?


異世界だろうがなんだろうが、まず確認しなければならない。


誰がいる。


誰がいない。


それが分からなければ、何も始められない。


さっきまで若返った自分に混乱していた頭が、急に仕事モードへ切り替わっていく。


これだけは、二十年以上染みついた癖だ。


「田中」


「はい」


「事務所行って、今日のシフト表取ってこい!」


「シフト表?」


「社員だけじゃない。パート、アルバイト、販売応援。今日入ってる人間、全部だ!」


田中の顔つきが変わる。


「分かりました!」


「山本にも伝えろ。全員、二階の集中レジ前に集めるぞ!」


「はい!」


田中が店内へ走っていく。


異世界だろうが。


俺が若返っていようが。


そんなことは後だ。


今、この店にいる人間を把握する。


それが――


店長の仕事だ。

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