07_鴉羽さんは弱々しい
ツンツンヘア事件から数日後。
鴉羽さんお勧めのちょっとお高い美容室に行くため、僕は近所でアルバイトを始めることにした。
どこも人手不足に喘いでいる昨今、簡単な面接を経てすんなりと高校近くのベーカリー併設カフェに採用され、週三回カフェ店員として働くことが決まる。
「カフェ!? あのカドにあるお洒落な? 古内裏が!? ……大丈夫なん?」
……と鴉羽さんにはたいそう心配されたものの、いざ働き始めると思いの外お客さんと話す機会があるわけでもなく、陰キャの僕でも問題なく勤められている。
そんな感じで順風満帆なアルバイト生活が始まったわけなんだけど――
◆
「そうそう、幸成くん上手ね。まだ二日目なのにもうハートは完璧じゃないの」
「そうですか? まだちょっと歪んでる気がしますけど……」
「液面は動くものだから、そこまで正確じゃなくて大丈夫よ」
そう言って笑うのは先輩店員の白鳥美咲さんだ。
僕の教育係であり、見た目は大人しめな美人のお姉さんという感じの人。そんな彼女から今、ラテアートの作り方を教わっている。
「それじゃあ次はリーフに挑戦ね」
ふんふんふーん♪と鼻歌交じりでピッチャーを手にする美咲さん。
ちなみにハートやリーフというのはラテアートで描く図柄のことだ。
店内にはお客さんの姿はなく、今は手が空いている。
美咲さんはこの機会にガッツリと僕にラテアート技術を叩きこむつもりらしい。
「リーフはスチームミルクを注ぎながらピッチャーを振って作るのよ。ほら、こんな風に――」
……と、美咲さんはピッチャーを持つ僕の手に自分の手を重ね、どのように動かすのかを実演してくれた。
茶色い液面に注がれたミルクが幾何学模様を作り、だんだんとシダ植物のような図柄が出来上がっていく。
美咲さんの教え方は丁寧ですごく分かりやすい。
それはいいんだけど……。
…………近い!
僕の背後に立ち、ともすれば触れてしまいそうな距離で指導に当たる美咲さん。
遠目に見たら、まるで後ろから抱きしめられてるみたいに見えるだろう。
嫌なわけじゃないけど、人に見られて嬉しい姿でもない。
そんな体勢に居心地の悪さを覚えていると――
「よーっす古内裏ぃ、遊びに来たよん♪」
カランカランというドアベルの音と共に店内に響く鴉羽さんの声。かなり最悪なタイミングでのご来店だ。
軽く店内を見渡した鴉羽さんがカウンターにいる僕を見つけ、そのすぐ背後に立つ美咲さんに目を留める。
そしてその顔から笑みが消えるのに、そう時間はかからなかった。
「……鴉羽さん怒ってるの?」
「別に? 怒ってないし? 至って普通なんだけど! あとカフェモカおかわり!」
と、大変不機嫌そうな鴉羽さんが本日三個目のケーキをぱくぱくと口に運んでいる。
どう見ても僕と美咲さんの仲を誤解している様子だ。
中々まずい状況だけど、普段と違う子供っぽい鴉羽さんがおかしくて、僕は不謹慎にもつい笑いを漏らしてしまった。
「……何がおかしいの?」
「いや、鴉羽さんも嫉妬とかするんだなぁと思って。てっきり浮気とかした相手はすぐ捨てちゃうんだと思ってた」
「もちろん捨てるけど! そういう問題じゃないから! 浮気されるってコトはアタシが他の女に負けたってコトだから! そんなの許されないから! ってかそもそも嫉妬とかしてないし!!」
瞬く間に平らげたケーキをカフェモカで流し込む鴉羽さん。持ってきたばかりなのに熱くないのかな?
「――嫉妬はしてないけど、アンタはどういうつもりなワケ? アタシとお似合いの陰キャになる(キリッ)とか言ってたくせに」
「そ、その台詞だけ切り抜くのは勘弁してください……」
あの決意に嘘はないけど、それはもはや黒歴史だ。
ぷりぷり怒る鴉羽さんは見てて飽きないけど、あまり不機嫌でいさせるのも悪い。
弁解する機会ももらえたことだし、そろそろ誤解を解くことにしよう。
「あのね鴉羽さん。さっきのは抱きしめられてたんじゃなく、ラテアートの作り方を教わってただけなんだよ」
「ふーん、ラテアート。ラテアートね」
まったく信じてなさそうな鴉羽さんは、ついに四個目に手を伸ばした。
「それが本当だったとして、美人のお姉さんにおっぱい押し付けられて鼻の下伸ばしてたのは同じじゃん」
「押し付けられてないし伸ばしてないよ……」
鴉羽さんの位置からはくっついてるように見えただろうけど、そこまで密着してたわけじゃない。
僕は落ち着いて丁寧に説明する。
「それが誤解のふたつめ」
「誤解?」
「そう。あちらは美咲さん。このカフェのオーナーの奥さんで、小学生の子がいるお母さんだよ」
「…………えっ?」
鴉羽さんは衝撃を受けたように目を見開いた。
「ちなみに僕のいとこね」
「…………ええっ!?」
さらに追い打ちをかけるように新事実を畳みかけた。
鴉羽さんは信じられないという表情でカウンターにいる美咲さんを見る。それに気づいた美咲さんがひらひらと手を振ってきた。のんきな人だ。
「ウソでしょ……!? だってどう見たって女子大生かそんくらいじゃん……」
「うん。あの人、僕が子供の頃から全然変わってないんだよね」
美咲さんの見た目の若々しさは古内裏家七不思議のひとつだ。
「本人が言うには僕のおむつを取り換えたこともあるらしいよ。そんな相手に今さらドキドキしないって」
「じゃあ……アタシの勘違い?」
「そう、勘違い」
こくこくと頷いて見せる。
「全部?」
「全部」
もう一度頷いて答えると、彼女は声にならない叫びをあげて、手で顔を覆い隠した。
「大体、親戚でもなければ僕みたいな陰キャに接客業なんて任せるはずないじゃん」
「それは……確かに!!」
妙にすんなり納得されてしまい、それはそれでなんかモヤつくものがある。
鴉羽さんにしては珍しく、耳まで真っ赤になって恥ずかしがる姿も相まって、僕の中に少しだけ悪戯心が芽生えてきた。
「でも残念だなー。鴉羽さん僕の言うこと全然信じてくれないし、傷ついたなー」
聞えよがしに言うと、鴉羽さんの肩がぴくりと揺れる。
「僕はこんなに鴉羽さんのこと好きなのになー。ショックすぎて明日は学校行けないかも」
鴉羽さんの罪悪感をちくちく刺激しながら、ちらちらと様子を窺う。
普段は僕のことをからかってくる鴉羽さんだけど、今だけは立場が逆だ。
さてどんな反応を見せてくれるかな?
そんなちょっとした好奇心から大げさに落胆してみせたんだけど――
「これは何か埋め合わせが必要かな――ってもがっ!?」
突然、口の中に甘い塊が押し込まれてきた。
見ればそれは鴉羽さんが食べようとしていた四個目のケーキ(の切れ端)だ。
フォークを持っているのはもちろん鴉羽さん。
彼女は羞恥に染まった顔で、
「もう、悪かったから! ……それでチャラにしてよね」
……と呟くと、ぷいと顔を背けた。
その姿は普段のかっこいい鴉羽さんと違ってだいぶ弱々しい。
だけど僕は突然のあーん(?)と間接キス(!)にフリーズしてしまい、フォークを手にした彼女から目を離せずにいたのだった。




