91.蘇る孤独
黒訝は、あれ以来、蓮次を強引に連れ出すことはなかった。気にする素振りすら見せず、任務なのか、外へ出ていることが多い。
蓮次にとっては、煩わしい衝突が減ったという意味では気楽だった。だが同時に、何かを失ったような気もしていた。
耀も同じだった。あれほど頻繁に部屋を訪れていたのに、今ではそれも落ち着いている。蓮次の体調が安定してきたからだろう。烈炎も若い鬼たちに戦い方を教えたり、各地の防衛を見回ったりと忙しそうにしていた。朱炎もしばしば屋敷を空けている。
(これが、鬼の生き方……?)
改めて周囲を見渡してみると、誰もが己の役割を持ち、それを果たしていることに気づく。
朱炎一族の山には幾重にも警備が敷かれ、鬼たちが交代で見張りにつく。戦える者は結界の維持や外敵の監視を任され、経験の浅い者や若い鬼たちは戦の訓練に励んでいた。
蓮次と同じくらいの年頃の鬼たちが、真剣な眼差しで剣を振るっている。その姿を目にすると、胸の内がざわついた。
自分は、あの輪の中にはいない。ただ屋敷の中にいるだけの存在。それだけだ。
ふと、人間だった頃の記憶が蘇った。あの時も、自分だけは除け者のようだった。
結局、今も同じだ。
人の屋敷にいた頃と変わらず、鬼の屋敷でも馴染めない。黒訝からは「特別扱いされている」と言われたが、特別なのではなく、ただ特異なだけではないかと思う。
蓮次は暇を持て余し、時折、山の中を彷徨った。
この山には、鬼が営む宿屋や茶屋のほか、幻術を使って占いや見世物を提供する小屋もある。美酒を振る舞う店もあれば、人間相手の遊郭のような楼もあった。
人間を招き入れるために様々な趣向を凝らした建物があり、鬼たちは人間さながらに商人や職人として店を切り盛りし、客をもてなしている。
人間を楽しませ、接待する者。人間を狩ったあとに処理する者。広大な山に張られた結界を維持する者。出入りする鬼を取り締まる者。各地の情報を集める者。人間との取引を担当する者。
鬼たちは、それぞれの仕事に従事している。誰もが自分のなすべきことを理解し、働いているのだ。
だが、蓮次だけは違った。
「……俺は、何をすればいい?」
ふと、そんな疑問が頭をよぎる。
人間でもなく、鬼の中にも溶け込めず、ただこの場にいるだけの存在――。
蓮次はため息をつき、遠くに瞬く建物の灯りをぼんやりと見つめた。
何もない。
何かをしろと命じられることもなく、果たすべき役割もない。ただ、ここに置かれているだけ。
最初は「退屈」だと思っていた。それが今では、胸の奥がじわりと軋む別のものへ変わっていた。
――孤独だ。
そう気づいた途端、ひどく虚しくなった。なぜ、自分には何も役割を与えられないのだろう。
(鬼になりたくないから?)
日に日に疎外感が増していく。このままここにいることに意味があるのか。鬼にならないなら、ここにいる意味などないのではないか。
(逃げるか?)
けれど、行く当てもない。
気晴らしのつもりで屋敷の中を歩いた。だが、行く先々で鬼たちに出会い、目が合うたびに頭を下げられる。それもまた、蓮次には煩わしかった。
自分が何者なのかも分からないのに、周囲はまるで蓮次が「鬼の主」であるかのように接する。
こんなものは求めていない。
蓮次は足を止めた。
気がつけば、あの部屋の近くまで来ていた。
――ここは。
「前世の蓮次」が暮らしていた部屋。
恐ろしい鬼の部屋。
初めてここへ案内された時には、恐ろしさのあまり腰を抜かした。
自分が鬼になりたくない理由。それがこの部屋で輪郭を持ち、はっきりと見えた気がしていた。
——きっと触れてはいけないものだ。
部屋の戸が、わずかに開いている。 蓮次は喉を鳴らした。
なぜ、自分はここに来てしまったのか。
足は勝手に動いた。 部屋に入ってはいけないはずなのに。
自分が何者なのか、何者だったのかを確かめたくて。




