73.燻る炎、消えない炎
黒訝の目の前で、蓮次が炎に包まれた。
轟音とともに地獄の炎が噴き上がり、視界が赤黒く染まった。
この炎に飲まれれば、どんな鬼でも、どんな異形でも、悪鬼までも、一瞬で塵と化す。
――そのはずだった。
炎が収まり、黒訝は目を見開いた。
蓮次が、死んでいない。
蓮次は地面に叩きつけられ、苦しげにのたうち回っている。
皮膚は焼け爛れかと思うと、すぐに再生している。
煙を上げて赤く光ったと思うと肌が焼け、また再生する。
生き続けている。
黒訝は息を呑んだ。
この炎で焼かれた者は、全て消える。
鬼も異形も悪鬼も、例外はない。
なのに、蓮次は燃え尽きなかった。
「……なぜだ」
思わず声が漏れた。
今まで聞かされてきた話と違う。
この炎は、鬼の終焉のためにある。
どれほど強い鬼でも、ここで焼かれれば終わるはずだった。
だが、蓮次は――終わらない。
地面に転がり、苦痛の声を上げる蓮次。
黒訝は蓮次を見下ろし、震える手を握りしめた。
じわじわと、黒訝の胸に黒い感情が広がる。
なぜ、こいつは死なない。
黒訝の視線が蓮次の着物へと移る。
焼け焦げたはずの着物は、ゆっくりと元の形を取り戻していた。
「……っ」
それが何を意味するのか、黒訝にはすぐに理解できた。
朱炎の血が込められた、特別な着物。
選ばれた者にしか与えられない、生きた衣。
破れても、焼かれても、主が生きている限り再生する。
黒訝には与えられなかった物。
朱炎の跡を継ぐために、朱炎に認められるために、力を磨いてきた。
それでもこの着物は、黒訝には与えられなかった。
だが蓮次にはある。
人間だったくせに。
突然現れた、ただの半端者のくせに。
蓮次には与えられている、だと?
――殺す。
――蓮次を殺す!
黒訝の中の燻っていた炎。
この時、再び燃え上がった。
苦しみにもがく蓮次の首に、手をかけようと。
そう、このまま首を絞めれば――
「っ……熱っ!!」
瞬間、黒訝の手が焼けるような痛みに襲われた。
蓮次の首を絞めようとした。だが、反射的に手を引いた。
蓮次の肌が、熱すぎた。
いや、ただの熱ではない。
炎そのものの熱さだった。
蓮次の体は焼かれ続けている。
皮膚が再生しても、内部は灼かれたまま。
蓮次はうめき声を漏らし、苦痛に身をよじらせている。
黒訝は奥歯を噛みしめた。
「なんで……」
怒りが込み上げる。
「なんでお前は死なないんだ!!」
鬼も異形も、この炎に焼かれれば一瞬で消える。
それが鬼の終わりだった。
でも、蓮次は死なない。
「死ねよ! 馬鹿!!!」
悔しさが、悲しみが、憎しみが入り混じった叫びだった。
蓮次は強いから死なないんだ。
誰よりも強い力を秘めているから、この炎にも耐えられるんだ。
そう思った。
そう思わなければ、納得ができなかった。
けれど――蓮次の目を見た瞬間、その考えが揺らいだ。
黒訝の声に反応し、紫の瞳が、こちらを見た。
そこには怒りも、憎しみも見えない。
ただ、哀しげに黒訝を見ていた。
その目が語るものに、黒訝は言いようのない苛立ちを覚えた。
蓮次は、まだ苦しんでいる。
息も絶え絶えに地面に横たわりながら。
それでも――黒訝が無事であることに安堵しているような目で、こちらを見てくる。
「……っ」
黒訝は蓮次から視線を逸らした。
何かを言いたかった。
けれど、もう、言葉を吐き出すことができない。
炎の熱が、肌を刺す。
蓮次の苦しむ声が、耳に焼きつく。
黒訝は、ただ拳を握りしめることしかできなかった。




