63.燃える赤、冷めた紫
黒訝は怒っていた。それは燃え上がるというより、沈殿する怒りだった。
朱炎に「守れ」と命じられたこと。その対象が蓮次であること。ひとつひとつを切り分けて考えるまでもなく、すべてが同じ不快さで胸に溜まっている
地下の部屋に閉じ込められた今、暗さと静けさのなかで、時間だけが不確かに過ぎていく。
だが、結果として黒訝に考える余白を与えた。
蓮次を潰せば何が起こるのか。
父はどう動く。
耀は何を思う。烈炎は?
周囲の鬼たちは、どんな目で自分を見るだろうか。
蓮次を殺した場合——答えは簡単だ。
おそらく、自分の命は無くなるだろう。
父は完璧な「鬼」なのだ。
感情を排し、選び、迷わない。
蓮次への執着もまた、例外ではない。遠くにいても、それがはっきりと分かるほどに。
ならばもう、諦めるしかない。
何度も考え、同じ結論へと辿り着いた。
関わらないことだ。
蓮次に関わることは自分を摩耗させるだけ。争えば、父の失望を招き、立場を危うくする。
ならば、最初から距離を取ればいい。
蓮次の存在など、なかったものとしてしまえばいい。
三人での行動が決まったとき、黒訝は決めていた。
蓮次を撒いて先に行く、と。
◇
蓮次が目を覚ますと、耀の監視下の元、黒訝と蓮次は任務に向かった。
黒訝は自分の企てを実行する。
(俺は、一人で行く!)
しかし!黒訝が速度を上げても、瞬間移動を交えても、何をしても蓮次はついてくる。
気づけば背後にいた。影に隠れても、蓮次には見えているらしい。
何度目かの瞬間移動のあと、黒訝はふいに立ち止まった。
「……!」
黒訝の爪が蓮次の腕に突き刺さる。
黒訝は蓮次の顔を狙って攻撃したが、蓮次は腕で顔を庇った。
そして攻撃を受けたまま、突っ立っている。
表情も変えず、じっとしている。
黒訝は舌打ちして後ろへ跳んだ。
「なぜ避けない!」
伸びた爪を構えたまま、黒訝は怒鳴った。
「素直に攻撃を受けるなど、愚か者のすることだ!」
蓮次の腕の傷は、すぐに再生した。
「うるさい。体調が良くない。あまり動きたくない。お前と戦うつもりはない」
覇気のない声だった。冷めた表情で、生きているのに中身だけが抜け落ちたような空虚さがあった。
「お前のせいで、俺がどんな目に遭ったか分かってるのか!」
「知らない」
淡々とした返しに、黒訝の怒りが膨れ上がる。
刹那、黒訝は飛びかかった。
爪を伸ばし、力のかぎり蓮次を引き裂こうとする。
対して蓮次は飛び退くこともなく、その場で攻撃を受けた。
黒訝の心にまた新たな影が差す。
「避けるつもりがないのか! それとも、傷が治ることに甘えているのか!」
黒訝は叫びながら攻撃を重ねた。何度も、何度も。
やがて蓮次が避け始める。
「……もう、いい加減にしてくれ」
叫びは、抑えきれず漏れ出たようだった。
無気力だった蓮次が、初めて声を荒げた。それを見て、黒訝の口元がわずかに歪む。
そうだ。
もっと出せ。
その中にあるものを。
追い詰める感触が、指先に残る。それが、ひどく心地よかった。
◇
耀は近くの岩に腰を下ろし、静かに二人を見ている。
この光景を、どう捉えるべきか。
黒訝の激しい怒りが炸裂している。
そして、ただ攻撃を受け続けていただけの蓮次は、今や怒りを露わにして応戦している。
耀は無言で、それを眺めていた。
水面に映る二つの影が、ゆっくりと重なり、また離れていくのを見つめるように。
「そうか……黒訝様が」
ぽつりと呟く。
耀には見えた。過去と現在の違いが。
かつての蓮次は、独りだった。だが、今回は違う。黒訝がいる。
『いずれ、黒訝が蓮次を支え、蓮次が黒訝を支える』
朱炎の言葉を思い出す。
二人がどんな形で交わるのか——。
(朱炎様にはもう、見えていたのか……)
耀は頬杖をつき、ただ穏やかに二人を見守った。




