表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
  作者: Yonohitomi
二章
178/180

73.弱さと強さ(5)



 ざわめきが耳の奥にまとわりつく。蓮次は音を振り払うように首を振った。


 奥の廊が開く。


 先に現れたのは、肩で風を断ち切るように歩く烈炎。続いて、青の静けさを全身に纏う耀。そして最後に、揺らぐことを知らない影のような男――朱炎。


 三人が一歩踏み入れただけで、肌にまとわりついていた湿り気がすうっと消えた。


 この場に集まった者たちが次々と視線を伏せていく。鬼が鬼に頭を垂れる。それがどれほどのことか、蓮次はまだ言葉では説明できなかったけれど、身体のほうがよく知っていた。

 背筋を何かが駆け上がる。


 朱炎が壇上へ上がった。一族をまとめ上げる父の姿を見て、瞬きを忘れる。

 すぐに耀の姿も映り込んできた。いつも自分の肩を撫で、気遣い、叱るときさえ声を張り上げない男。だが今は冷たい光を宿して立っている。

 烈炎も同じだ。稽古の最中に豪快に笑い、軽薄に背を叩いてくる男が、遠い。手の届かぬ場所にいる。


 壇上の彼らを見上げながら、蓮次の胸に奇妙な熱が滲み始めた。恐れではなかった。もっと焦げるような、身を焼くような何か――憧れとも呼べない、憧れよりも深いところにある感情だった。


「……父上」


 気づけば唇がそう動いていた。


 蓮次は広間の端に座らされている。壇上との距離がやけに遠く感じられた。

 肩の傷が疼く。しかし、その痛みよりも胸の奥を締め付ける痛みのほうが強い。思わず片手を胸元へやり、ぐっと押さえた。


 込み上げてくるものが大きすぎる。

 自分だけが壇上に――父に近づけない。


 父の血を引くのは自分だけのはずなのに、誰よりも近くに立つ資格があるはずなのに。

 それなのに、父の両脇にいるのは耀と烈炎で、己は広間の隅で息を潜めている。


 心のどこかで、自分もあの場所に立つ者だと思っていた。なぜ、それが叶わないのか。子供だからという理由よりも別の――父の言葉が過ってしまう。


『すべて、お前の弱さが招いたことだ』


 蓮次が歯をぎりりと噛み締めた時、朱炎は腰を下ろした。


「外より気配が増している」


 低い声が広間の底を揺らした。苛立ちが滲んでいるように聞こえ、蓮次は思わず俯いた。


 敵が結界の外を囲んでいる可能性に、見張りを増やす必要があると話は淡々と続いていた。山に潜る者、木に溶ける者、地を這う者、それぞれの役割が次々に告げられていく。屋敷内の者にも巡回の任が与えられる。


 蓮次は息を詰めて待った。自身の名が呼ばれるのを。

 だが、最後まで呼ばれることはなかった。


 広間に再びざわめきが戻り、命を受けた鬼たちは順に動き出す。

 蓮次にはその雑音も父の声も、少しずつ遠くなり始めていた。

 

(……俺は?)


 胸の奥が、じわりと焼ける。

 役目を与えられなかった。一族の者として数えられていないのではないかという思いが、黒い水のようにじわじわと広がっていく。


 壇上を見上げた。父と目が合うことを、どこかで信じていた。だが視線は交わらない。


 父は耀と烈炎を見ていた。視線ひとつで彼らは動く。言葉を交わさずとも通じ合う気配があった。

 その空気の中に、自分の入る隙などないと、はっきり分かってしまった。

 蓮次の視界が滲んだ。唇を噛む。この顔を、この目を見てほしいと……。


 だが、叶わず。

 朱炎が立ち上がり、耀と烈炎も従う。三人が壇を降り、この場を去ろうとしている。

 蓮次には視線のひとつも配られなかった。


 気づいたときには、畳を踏む音を響かせていた。いくつかの視線がこちらを向いたことも知りながら、それでも止まるつもりはない。

 出口へ向かって駆け出した。


 その時、蓮次の背に投げられたのは――


「本当に……あれが私の息子なのか」


 苛立ちと呆れと、それから、どこかに失望が沈む声だった。


 足がもつれかけた。言葉が頭の中で何度も跳ね返り、反響する。

 喉の奥から、押し殺していた何かが溢れた。声にならない叫びを抱えたまま、廊下を駆け抜ける。冷たい風が頬を打った。

 屋敷を飛び出し、森の闇へ。


 気づけば瞬間移動を繰り返していた。無意識のうちに身体が逃げている。

 結界の外に敵がいた事も、狙われた事ももうすでに遠い記憶となっている。

 自分の身を守るための余裕は、どこにもなかった。


 

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
そうか朱炎様だけでなく耀や烈炎も、鬼の中では上位だからオーラがあるんですね。さっきまであんなことしてたけど、切り替え大事(* ॑꒳ ॑*) 息子だから、息子なのにという重圧に耐えられなかったんですね…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ