第七十七話 ハーディーの決意
カルス・ローゼマンの館で開かれた審問会は、今日は初日ということもあり、互いの顔見せと、審問の方向性を確認しただけでお開きとなった。
審問会が終わると、四人の領主達とギルマン司祭はそそくさと部屋から出て行った。
このあとすぐに審問会の対策を話し合うのだろう。尤も、話し合いというより、罵り合いになりそうだが、それは私達の知ったことではなかった。
それよりも気になるのは、審問の最中に一言も口を聞かなかったソネアさんだった。
彼女は青ざめた顔色をしており、まるで幽霊の様だ。
「ソネア……」
ハーディーが歩み寄り声をかける。
「……ロメリア様、我がミカラ家は……どうなるのですか?」
ソネアさんは目の前のハーディーを見ず、私を見て尋ねた。
ミカラ男爵家の今後を尋ねられ、私は言葉に窮した。ヴェッリ先生は目を閉じ、クインズ先生も視線を下に逸らす。
今回の敗北の原因は、誰がどう見てもミカラ男爵家にあった。裁定を下すハーディーがどれほど情状酌量しようと、ミカラ男爵家は潰れることとなる。
「……いいのです。わかっていました。しかし、それでもこの先祖から受け継いだ家が、領民達が支えてくれたミカラ領が、私の代で絶えてしまうのですね……」
ソネアさんが俯き、声を地面に落とすようにつぶやく。
家が絶えるというのはその家族だけではなく、領地に住む領民にとっても一大事だった。
特にミカラ男爵家は古くから続く旧家で、領民と一体となってこの地に根付いてきた。
ミカラ家で働いていた者達は職を失い、領民達も新たな領主を迎え、一からやり直さなくてはいけなくなる。
今後ミカラ領に住む人々は、苦しい生活が待っている。
もちろん、最も苦しい生活を強いられるのは、他でもないソネアさんだ。
女手一つで、幼いソネットを育てていかなければいけない。今のソネアさんには、救いの手を差し伸べる人が必要だった。だが、落ちぶれた者に対して、世間がどれほど冷たいかは、アンリ王子に婚約破棄された私が一番よく知っている。
もちろん私としては、ソネアさんをここで放り出すような真似をするつもりはない。ミカラ領地に投資することは出来ないが、人を一人雇うことぐらいなら十分可能だ。
ソネアさんは貴族として教育もされているので、私の秘書官として雇ってもいいし、ミレトの街でクインズ先生と共に事務官として働いてもらってもいい。もし私のことが嫌なら、グラハム伯爵家や他の貴族の家に、侍女として働き口を紹介することも出来る。
「ソネ「ソネア!」アさ……ん?」
私が個人的な援助を申し出ようとすると、その声に被せる形でハーディーがソネアさんの名前を力強い声で呼んだ。そして椅子に座るソネアさんの前で片膝をつく。
片膝をついたハーディーは左手でソネアさんの手を取り、右手は自らの胸に手を当てた。
それは騎士が、いや、男性がする誓いの仕草であった。
「ソネア、私と結婚してくれ」
ハーディーが突然、ソネアさんに向かって求婚した。
「「「え?!」」」
このことには部屋にいた全員が驚いた。ヴェッリ先生は目を見開き、クインズ先生も開いた口に手を当てる。私としても驚きの言葉以外が出ない。
「え? ハ、ハーディー? なっ、貴方、自分が何を言っているのか分かっているのですか?」
もちろん一番混乱しているのは求婚されたソネアさんだった。ソネアさんは目を丸めながら目の前にいるハーディーを見る。
「もちろんだ。君と結婚したい。結婚してくれ!」
「ふざけているのですか? 貴方も分かっているでしょう! 我がミカラ家は潰れるのですよ? そんな家と結婚してどうするというのです!」
再度求婚を申し込むハーディーに、ソネアさんは声を荒げた。
ソネアさんの言う通り、潰れる家と結婚をする貴族はいない。貴族の婚姻は家を発展させるためにあるからだ。
ロベルク地方の名士でもあったミカラ男爵家と、新興ながら勢いのあるハーディーのドストラ男爵家の婚姻は、確かに両家にとって大きな利があった。
しかしミカラ家は、今回の一件で落ちぶれることが確定している。ミカラ家と結婚することには何の益もなく、政略結婚の面から見て全く価値がなかった。
「今さら私と結婚してなんになるというのです! ありえません! ドストラ家の親族が反対するに決まっています!」
ソネアさんが首を横に振った。
確かに、利益のない婚姻にドストラ家の親族はこぞって反対するだろう。
「構わない。もし家族が反対するというのなら、私は家を捨てる」
ハーディーは揺るがぬ瞳で答えたが、家を捨てるという発言に、ソネアさんが目を見開かれる。その双眸は怒りを湛え、感情のままに平手打ちがハーディーの頬に放たれた。
「ハーディー様! 我ら貴族の家というものは、容易く投げ捨てていいものではありませんのよ!」
平手打ちの音と共に、ソネアさんの叫びが部屋に響き渡る。
家を失う直前だからこそ、ソネアさんはハーディーの家を捨てるという言葉が許せなかったのだろう。
だが顔をソネアさんに向け直したハーディーの瞳は、なおも真っ直ぐだった。
「分かっている。だがそれでも君と結婚したい」
微塵も揺れることのないハーディーに、ソネアさんが気圧され、それ以上言葉が紡げなかった。
ハーディーの目には強い確信と覚悟があり、すでに決断を下している男の顔だった。
彼はソネアさんと結婚することで起こり得る不利益、それら全てを甘受する覚悟が出来ている。
今のハーディーは、あらゆる困難を乗り越え、必ずソネアさんと結婚するだろう。その決意と覚悟に満ちている。
そういえば以前ソネアさんが言っていた。ハーディーは追い詰められれば、必ず決断を下す男だと。
どうやらその下馬評は、間違いなかったようだ。
ソネアさんとハーディーには話し合う時間が必要だろうと、私はヴェッリ、クインズの両先生と共に会議室を出た。
部屋を出て会議室の扉を閉めると、ヴェッリ先生が放心したようなため息をついた。
「まさか、ああなるとはな~」
ヴェッリ先生が笑いながら、感心したように話す。
確かに、ハーディーの決断は意外だった。しかしこれでソネアさんの今後は半分解決したようなものだった。
たとえどのような不幸が降りかかろうとも、ハーディーはあらゆる困難を排除するだろう。こうなればあとはソネアさんの気持ち一つだ。
「まぁ、あの二人のことは二人に任せよう。それよりもロメリア、俺は進軍の準備に入る。そろそろ偵察に出した兵士が戻る頃だ」
ヴェッリ先生は話しながら頭を力任せに掻きむしる。整えられた髪が乱れ、いつものボサボサ頭になった頃には軍師の顔となっていた。
私達の次の目標は、ミカラ領を襲った魔王軍の討伐だった。
ヴェッリ先生は審問会のためだけでなく、軍師として後方から支えるために、ここに来てくれたのだ。
「分かりました。準備をお願いします」
私が頷くと、ヴェッリ先生は早速仕事に取り掛かり始めた。
「ではロメリア様。私は審問会のため、調査を進めようと思います」
クインズ先生は優雅に一礼して立ち去る。
一人になった私は少し暇になったので、怪我をしたカイル達を見舞うことにした。
カルス・ローゼマンの館を歩くと、屋敷の一角では体に包帯を巻いた多くの怪我人がいた。ソネアさんが怪我人のために館の一部を開放しているのだ。その中にはカイル達も含まれている。
私は怪我をしたミカラ領の人々の間を縫い、カイル達にあてがわれた部屋を尋ねると、大部屋には四つの寝台が置かれていた。寝台にはカイルとメリル、そしてレットにシュローが横たわっている。
全身に包帯を巻くカイルの姿は痛々しく、両手を失ったレットや左足を切断されたシュロー、左腕が無くなったメリル達を見ると、自分の手足がもがれたような痛みを覚える。
「皆さん。大丈夫ですか?」
私が幻の痛みに耐えながら、カイル達に声をかけると、メリル達が起き上がろうとした。
「ああ、そのままでいいですよ」
寝たままでもいいと私は手で制したが、カイル達は怪我を押して上体を起こす。
「カイル、火傷の調子はどうですか?」
私は全身に包帯を巻くカイルに尋ねた。
聞けば敵を倒すために、自ら火の中に飛び込んだのだとか。全く無茶をする。
「はい、火傷の怪我は治りにくいらしいですが、峠は超えたとカールマンが言っていました。あと数日で立てるとのことです」
カイルが経過を報告してくれる。もちろんすでにカールマンから聞いているが、カイルの様子を見たかった。
「レット、手はどうです?」
私は次に両手に包帯を巻くレットを見た。
レットはカイルとメリルを守るために、手を失ったと聞く。仲間を守るために負傷したのだ。勇敢だと思う。
「はい、化膿もなく経過は順調です」
レットが頷く。
「シュロー、足は大丈夫ですか?」
今度は左足を失ったシュローに声をかける。
シュローの足を切断した魔族は、自分の腕ごとシュローを切ったそうだ。その状況でよくぞ助かってくれた。
「はい、足は大丈夫です。問題ありません」
シュローが元気よく答えたが、それは嘘だ。私が大丈夫かと尋ねると、皆が大丈夫と答える。だが怪我の経過は、本当のことを言ってくれないと困る。
「本当ですか? カールマンからは傷口が化膿していると聞いていますよ?」
私が嘘を指摘すると、シュローは顔を顰めた。
「確かに化膿していますが、薬をもらいだいぶよくなりました。これは本当です」
シュローが慌てて言い繕う。
もちろんその報告もすでにされているので、過剰に心配はしていない。
「メリル、腕はどうです」
私は左腕がないメリルにも声をかけた。
メリルの短くなった腕には、血が滲んだ包帯が巻かれていた。
魔族を倒すため、メリルは片腕を犠牲にしてとどめを刺した。
その時はまだ腕はついていたらしいが、半ば千切れかけており、諦めるしかなかったのだ。
「大丈夫です、と言いたいところですが、まだ傷が塞っていないみたいで、時々出血します」
シュローの嘘を私が言い当てたのを見て、メリルは正直に話した。
「みんなよく戦ってくれました。貴方達の奮戦のおかげで、多くの人が助かりました。貴方達のような部下を持てて、私は誇らしい」
私は最大限の賞賛と感謝の気持ちを述べた。
彼らは私の命令だけではなく、自らの意思で人々を助ける決断をしてくれたのだ。私はそれが誇らしかった。
その結果メリルやシュロー、そしてレットは手足の一部を失い、現場復帰は不可能となってしまったが、彼らの行為は勇敢で気高い。讃えられるべきだ。
もちろん私は、讃えるだけで終わらせるつもりはない。たっぷりと見舞金や年金を支払い、勇気と奮戦に報いるつもりだ。
怪我が治った後のことになるが、本人達が望むなら、カシューに戻り兵士の訓練や育成に協力してほしいと思っている。
「ロメリア様、この後、あの魔王軍を追いかけて討伐するおつもりなのですか?」
全身に包帯を巻いたカイルが尋ねる。
「はい、あの魔族を討たねば、ロベルク地方に安息はありません」
私が話すと、部屋にいる四人の兵士たちの目が険しくなる。
「お気をつけください。敵は強力です。最大級の警戒を」
カイルの忠告に、私も頷く。
ロベルク同盟軍は、たった五十程度の魔王軍に皆殺しにされていた。確かにロベルク同盟軍は、農民兵の集まりで装備もバラバラだった。
正規軍とは比べ物にならない練度と武装だが、それでも逃げる間もなく皆殺しにされているのは普通ではない。
実際カイル達が決死の覚悟で戦い、ようやく勝つことが出来た相手だ。おそらく魔王軍でも飛び抜けて強力な精鋭部隊だったのだろう。
なぜそれほど強力な軍隊が、こんな場所を彷徨っているのか分からないが、楽観視できる相手ではない。
「クソ、こんな体でなければ、俺たちも一緒にいけるのに」
シュローは片足がない自分を嘆く。
死ぬほどの重傷を負う戦いをしたばかりだというのに、シュローの戦意は衰えることを知らないらしい。義足を着けられるようになれば、軍隊に付いてきそうだ。
「シュロー、今はゆっくりやすんでいてください。体調が良ければ、館の中を散歩するなどもいいでしょう」
私は気晴らしを提案するが、四人の兵士たちは首を横に振った。
「そんな、ロメリア様が戦っているのに、散歩などしていられません!」
レットが声を荒げる。
四肢を失ったばかりであるため、戦いの場に立てないことに納得がいかないのだろう。
「では命令します。私がいない間、この館を散歩しなさい。貴方達にはしてほしい任務があるのです」
「任務?」
腕に包帯を巻くメリルが首を傾げた。
ついに今日ロメリア戦記Ⅱが発売します
売れるかどうかはともかく、楽しんでもらえればいいなぁと思います




