第七十五話 つかの間の秘話
ミカラ領に戻ってから五日、私は焼け落ちたミカラ家の城館の代わりにカルスの屋敷に逗留していた。
すでに主人のカルスは魔王軍の襲撃で命を落としており、現在では残された親族であるソネアさんが妹のソネットと共に身を寄せていた。
私はあてがわれた部屋で手紙を書き、書類仕事を終えた。一仕事を終えた私は椅子から立ち上がると部屋を出て屋敷の廊下を歩いた。
そして館にある別の部屋の前で立ち止まり、閉じられた扉を軽く叩く。
「どうぞ」
中から入室を許可する声があり中に入ると、部屋には寝台が置かれていた。寝台の上には白い寝間着を着たミアさんが上半身を起こし座っていた。
「調子はどうですか? ミアさん」
「ロメリア様? すみません。お出迎えもせずに」
ミアさんがベッドから降りて立ち上がろうとするが、私は手で制した。
「いいですよ、そのままでいてください。怪我人なのですから」
「ですがロメリア様。私などのために、ここまでしていただかなくても……それに、怪我はもうほとんど治っています。怪我人はたくさんいますし、いつまでも寝ていられません」
ミアさんは起き上がり働こうとする。だが私は再度手を制した。
「いいから、ゆっくり休みなさい。まだ完治はしていないのでしょう?」
私はミアさんを嗜めた。
確かに怪我は癒しの技で治療されているが、肉体的な疲労は休まなければ回復しない。それにミアさんは魔族に襲われた傷もあるが、それ以前にカルスをはじめロベルク同盟の領主達に厳しい尋問を受けていた。そちらの負傷の方が大きかったぐらいだ。
「ですが、私のせいでメリルさん達が……」
ミアさんが俯く。
魔王軍との戦いでカイルやメリル、シュローとレットが負傷し、現在も治療中だ。
「ミアさんが気に病む必要はありません。彼らは兵士です」
私は首を横に振り、ミアさんの考え違いを指摘した。
兵士の仕事は敵と戦うことだ。戦えば当然傷を負い、死ぬこともある。言ってしまえば死ぬことすら兵士の仕事の一つなのだ。
たしかに、メリルやシュロー、そしてレットは四肢を失う大怪我を負い、傷は治っても戦線復帰は不可能だろう。
卓越した癒し手ならば、失われた手足を再生することも可能だが、それほどの使い手となるとなかなかいない。
私は聖女エリザベートの顔を思い出した。
彼女なら手足を再生させることも出来るだろう。だが私とエリザベートとは仲が悪く、頼みごとが出来る間柄ではない。それに彼女は現在アンリ王と結婚し、王妃となっている。頼みをするどころか、会うことすら難しい相手だ。
「ミアさん、彼らも自らの覚悟で戦うことを決めているはずです。貴方が気にする必要はありません」
私は再度ミアさんの考えを否定した。
そもそも、私にミアさんを責めることは出来ない。なぜならミアさんがしたことは、いつも私がしていることだからだ。
戦う力もないくせに、戦場にしゃしゃり出て兵士達を戦わせているのは、何を隠そうこの私だ。ミアさんは、いつも私がしていることをやったに過ぎない。
私は話題を変えるべく、視線を窓へと移した。窓の前には小さな棚が置かれ、棚の上には黄色い花が花瓶に生けられてあり、その隣には消化の良い果物、そして蜂蜜が一瓶置かれていた。
おそらくお見舞いの品だろう。私は顎に手を当てて思考し、そしてミアさんを見た。
「花はミーチャ、果物がカールマン。蜂蜜がグレイブズですね?」
私が贈り主を推理する。
ロメ隊のミーチャと、ミアさんの先輩でもある癒し手のカールマン。そして古参兵でやや派手好きのグレイブズは、ミアさんに好意を寄せているようだったので、おそらくこの見舞いの品は彼らの贈り物のはずだ。
「すごい、ロメリア様。当たりです」
私の推理を聞き、ミアさんが驚きに目を丸める。
「どうして分かったんです?」
ミアさんの尊敬のまなざしに、少し鼻が高くなる。
「初歩的な推理ですよ。蜂蜜は高いですからね、それを人に贈るとなると、金遣いに慣れた者でないといけません。グレイブズは洒落者ですから、これは分かりやすい」
尋ねるミアさんに、私は推測の過程を説明する。
「あとは二択ですが、果物の中でも消化に良い物を選んでいるあたり、医療知識のあるカールマンが贈り主と推測できます。そうなると花を持ってきたのはミーチャという結論になります」
私の推理を聞き、ミアさんが感心して手を叩く。
「で、誰が本命なのですか?」
私は感心するミアさんに、肝心なことを尋ねた。
「え?」
「ミーチャ? それとも先輩であるカールマンですか? あるいはかなり年上ですが、グレイブズ?」
疑問の声をあげるミアさんに、私は畳み掛けるように問う。
正直、ミアさんと三人の男達の関係は、前から気になっていたのだ。
「え? え? あの、その……」
「やはり本命は付き合いの長いカールマンですか? それとも押しが強いミーチャ? 経済力のあるグレイブズ? 誰を選ぶつもりなのです?」
突然の詰問にミアさんは混乱するが、私は逃すつもりはない。
「誰か一人ぐらい、いいと思っている男性はいるのでしょう? 教えてください」
私は手を伸ばし、逃さぬようにミアさんの腕を掴む。
「あの、ロメリア様?!」
ミアさんが顔を引き攣らせながら私を見る。
私がこの話をするとは予想していなかったのか、ミアさんは驚いている。だが私としてはじれったくて仕方がないのだ。
私はもう、自分自身の結婚は無いものと諦めている。だから周りの誰かに幸せになってほしい。
だというのに、私の周りではどうにも浮いた話がない。ヴェッリ先生の態度は煮え切らないし、アルとレイも、頑なに女性と付き合わない。
グランとラグンは美形で女性ウケがよく、休日はよく女性といる。だが見るたびに違う女性を連れて歩く色男ぶりで、本命がいないことは明白だ。
期待が持てるのはロメ隊のオットーだ。彼はガンゼ親方の娘さんであるエリーヌ嬢を憎からず思っているようだが、そこは奥手なオットーだから、進展しているのかいないのか、外からではわからない。
正直これもじれったくて見ていられないが、オットーの性格を考えると下手に手を出すべきでは無いと我慢している。
「それで、もう一度聞きますが誰が本命なのですか? ミーチャ? カールマン? それともグレイブズ?」
私はミアさんの心を確かめる。
「そんな、ロメリア様。私は……その、ほら! あれですよ。癒し手として一人前になるまで、恋愛なんてうわついたこと、している場合じゃありませんよ」
ミアさんが今思いついた言い訳をする。だがそんな逃げ口上、私が許さない。
「ミアさん。それはひどいのではありませんか? 彼らとて情熱を持って貴方と接しているのですよ? 彼らが本気である以上、貴方も正面から向き合うべきでは?」
少し卑怯だが、私は三人の男達の気持ちを代弁する形でミアさんを責めた。
本当はこういうことはミアさんが自分で考えるべきだが、さっきの言葉からも分かる通り、ミアさんは逃げ道を塞がないと、誰も選ばない可能性がある。
「ううっ……」
私が責めたことに、ミアさんが顔を俯かせて唸る。
「では少し話を変えましょう。ミアさん。貴方は異性に告白されたこと、愛していると言われたことはありますか?」
私が問うと、ミアさんは口を尖らせた。
「そんなの、無いに決まっているじゃ無いですか。私、男性の方とおつきあいしたことなんてありませんし」
男性経験がないことをミアさんが告白するが、これは別におかしなことではなかった。
ミアさんは救世教会の修道士だ。救世教の教えでは聖職者は結婚が許されている。だが修道士を育成する修道院では、修行の妨げにならぬように恋愛を禁止している。当然浮いた話などもちろんなく、聞く方が野暮というものだ。
「では想像して見てください。誰かに愛していると言われた瞬間を。誰に愛を囁かれたら嬉しいですか? 男振りのいいグレイブズですか? それとも先輩として親しいカールマン? あるいはミーチャですか?」
私はミアさんに告白される場面を想像させる。
そして次々と名前を言っていくと、最後にミーチャの名前を出したところで、ミアさんの顔が一瞬で赤く染まった。
「ふ〜ん。そうなんですか」
赤くなったミアさんの顔を見て、私は意味深に頷く。そして内心ミーチャ良かったなと頷く。
「はっ! ちが、違うんです。ロメリア様! ミーチャさんとは別に何にも」
私の視線に気付いたミアさんが、慌てて否定する。
「別に私、ミーチャだとは言っていませんけれど?」
「はぐぅ」
冷静に私が指摘すると、ミアさんは墓穴を掘ったことに気付いてさらに顔を赤く染めて俯く。
「で、どうしてミーチャなのです? どこが好きになったのですか?」
私はこの機を逃すまいと、なぜミーチャを選んだのかを尋ねた。
ミーチャは確かにいい男で、押しも強く、よくミアさんに話しかけていた。しかし男慣れしていないミアさんは、その押しの強さに辟易している印象だった。
派手好きで女慣れもしているグレイブズや、先輩として親しみのあるカールマンを差し置いて、ミーチャを選ぶとは少し驚きだった。
「その、なんていうか、私が意識を取り戻した時、ミーチャさんがすぐにお見舞いに来てくれて……」
ミアさんは、病室で気がついた時の話を思い出しながら話す。
「私を見るなり、いきなり抱きしめられて……」
思い出しながら恥ずかしくなってきたのか、ミアさんは顔を赤らめる。
「私、男の方にあんなふうにされたの初めてで、それで……」
ミアさんは、ミーチャを意識するようになった馴れ初めを話す。
ミーチャの情熱が一歩先んじていると言ったところか。
「で、それで?」
「え? それで? それでなんです?」
私は続きを促したが、ミアさんは首をかしげた。
「ですから、抱きしめられたあとどうなったのです? 接吻の一つでもあったのでしょう?」
私がそう言ってやると、ミアさんはまた顔を赤く染めた。見ていて楽しくなる顔色だ。
「そ、そんな、接吻だなんて、してません! してませんよ!」
ミアさんは大きな声で否定した。もちろん修道士のミアさんがそこまでするとは思っていない。しかしからかう種にはなる。
「えー? 本当ですか? その流れなら接吻の一つもするでしょう?」
「してませんよ!」
「いいじゃないですか、本当のこと教えてください。したんでしょう? 接吻。初めてはどんな感触でした?」
私はニヤニヤと笑いながら尋ねる。
「してません、してませんったら!」
ミアさんは否定するが、その仕草が可愛くて、さらにからかいたくなる。
「じゃぁ、もしミーチャに接吻されそうになったらどうします?」
私が尋ねると、ミアさんは視線を下に落として考える。
「あっ、想像してる」
私がぼそっと呟くと、ミアさんはまた顔を赤らめて怒った。
「もう、ロメリア様、嫌いです!」
からかわれていることに気付いたミアさんが、枕を手に取り私にぶつけた。
そして私達は悲鳴のような笑い声をあげ、枕を投げつけ合う。
「何をしているのです、ロメリア様」
私とミアさんが子供みたいなことをしていると、背後で大きなため息が聞こえた。
振り向くと髪を巻き上げ、濃紺の服を着ている女性が、呆れた顔をして立っていた。私の教師でもあったクインズ先生だ。
「あれ? クインズ様。ミレトの街にいたんじゃあ?」
ミアさんがクインズ先生を見て驚く。
「ミアさんが怪我をしたと聞いてやって来たんですよ。それなのに全く。傷口が開いたらどうするのです」
クインズ先生に指摘され、私とミアさんは頭を下げるしかない。こうして叱られると、なんだか先生に教えを受けていた時に戻った気がする。
「ミアさん。大変な目に会いましたね。ゆっくりと休んで、しっかりと体を治してください」
クインズ先生はミアさんを労う。
「ロメリア様、仕事はまだ終わっていないでしょう。行きますよ」
クインズ先生が叱るようにいう。私は宿題をサボった子供のように首を垂れて先生に従う。
その仕草にミアさんが笑い、私は小さく手を振りながらさよならをして、部屋から出た。
今回はちょっと長め、でも本筋とはあまり関係のないストロベリートーク




